42.邪視の魔女ベアトリスと善の魔女
「陛下」
王城に戻った国王は、第二王女に話し掛けられた。
エルル・ティア・シェレンベルク。
黒のベールに黒のドレス。胸元に小さなペリドットがあしらわれた黒い十字架が鈍く光る。
オリーブグリーンの髪は一纏めに結い、見据える同系色の瞳。
喪に服すその姿は堂々としていて、それが却って国王の胸を締め付ける。
――第二王女の笑顔を最後に見たのは、何時だったか。
少なくとも、婚約者が死んで以降…自分も王妃も見ていない。
彼女が自分たちに対して『王女』の振る舞いを崩さない事に、腹の奥に重いものが圧し掛かる。
王女は資料を片手に淡々と告げる。
「教会本部が激増する聖女の中で、有事の際に候補としていた者の件です」
政務室で話を聞くこととした。
「アヌシュカ・ベルンシュタイン辺境伯夫人、薬売りユーフェミア様、新聞記者デイジー様、細工師ゼラ様…。――辺境伯夫人以外の方ですが。
いずれも親族が教会の魔女狩りにより拷問の末処刑されています」
「な――」
「その方々は皆、聖女の辞退を申し出ております。先祖或いは祖父母のように、魔女として拷問死は嫌だと。我々は真っ当に生活をしているだけだ、と。
聖女候補の方々の殆どは皆、怯え、教会を嫌悪しておいでです。
辺境伯夫人に関しては…元聖女マリエラの護衛騎士の暴力行為と、元聖女自身の酷い罵倒を受けたこともあってか、聖女候補となった事に消極的ですね」
辺境伯夫人にすら教会はそのような暴挙に出る。
挙句、夫人を庇ったもう一人の聖女候補を醜いと罵倒。
その事実がより強く、聖女候補たちを教会から遠ざける。
「……大司教は、何故彼女らを選んだのだ?」
「見目の良さと現状の職業によるものだと、拘束した神官より証言を得ました。
…魔女狩りの被害者遺族だと告げると、彼女らを口汚く罵倒しましたよ」
その際に書記官が書いた罵詈雑言をテーブルに並べる王女。
――何と愚かなことを。
「その魔女という判断は――」
「陛下自身が、彼女らが魔女の根拠とされた事を実践なさいました。
ベルンシュタイン辺境伯夫人が自領で行った民間治療です。
王都の者が彼女らの民間治療を用いて行い、魔障の悪臭を改善しましたでしょう。
――陛下や王都の者全員が、彼女らの民間治療は魔女の根拠たり得ない証人でございます。
神力以外で瘴気の治療が出来る事で教会の権威が落ちる事への畏怖、並びに情報の伝播を防ぐための…冤罪です」
「…………。王家として、教会の腐敗を防げなかった事への謝意を彼女らへ示そう。
先祖の汚名を王家の名を持って払拭する」
「謝意ならば使者を介して示しております。
彼女らはバーンベルク侯爵が経営するヴァイオレット商会と関わりが深い。商会長を介して使者を送り、第二王女の名で謝意の意志と、直接の謝罪をしたい旨を告げております。…直接の訪問は平民である彼女らを萎縮させますので。
陛下も公式の場を設けて不当な魔女狩りで亡くなった彼女らの汚名を晴らしてくださいませ」
「あ…ああ」
「魔王討伐も、教会の作為的なものだと証拠も集まりました。
古代の悪魔召喚の術式が大司教の保有する書から発見。その禁術がゼフェスゾーム山脈を礼拝した信者に施されていました。皆、教会本部を礼拝した記録が残っています。
――教会の謀略で婚約者を殺された、わたくしの冥婚式でしたら、聖女候補らも参列するとのことです」
王家が取り仕切る儀礼の場で、おかしなことをしたらどうなるか分かっているか。
王女の目の奥の冷たいものがそう突きつけた。
「…では、他の業務が詰まっておりますので失礼します」
「エルル……!」
「何でしょうか」
「すまない……」
「……ヒルベルテ様と会えたことは、わたくしにとって幸福なこと。謝られても困ります」
それと。
王女は淡々と告げる。
「冥婚式ですが…。邪視の魔女は必ず来ますわ。
護衛騎士が魔女への疑心が払えぬようなら、任務から外してください。
多くの人間を邪視で殺してでも取り返したかった子孫が、聖女候補の中におりますので。
『護る』為に力の行使は惜しまないでしょう。…『中立派』も、気まぐれな者が多いですから」
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諸侯王『中立派』序列『総裁』邪視の魔女ベアトリス。
長い濡れ羽色の髪と金の眼を持つ魔女は、友人の住居兼職場でサンドイッチを摘まんでいた。
王都に残した『眼』がその光景を彼女の金の双眸に中継していた。
「ユフィ。…ユーフェミア。お前の曾祖母を拷問し、魔女として処刑した一派は捕まったわ」
「っ‼…ああ、ああっ……良かった‼ベアル、ありがとう…‼」
ユーフェミアは金の瞳からポロポロと涙を流してベアトリスに抱き着いた。
「以前第二王女が謝罪の場を設けると言ったでしょう。曾祖母の冤罪を冠乗せが公式に広めるそうよ」
「本当に?本当にひいおばあ様の無念が晴れるのねベアル…‼」
あまりに感極まってしまい、折角の薬草を摘んだ籠を落としたので邪視を使い薬草を籠に戻しテーブルに置いておく。
ユーフェミアの艶やかな黒髪をベアトリスは撫でる。
「私は何もしていなくてよ。…あの子のホットワインは極上だった。お前には是非とも曾祖母のレシピを復元してもらいたいわ」
「うん…頑張る…ッ‼」
「まあ、お前の蒸し鶏とルッコラのサンドイッチと紅茶も嫌いではないけれど」
「本当?ベアルの好きなものが増えて嬉しいなぁ。ひいおばあ様のホットワインも、頑張って作るねッ」
ふと、その笑顔に陰りが生まれた。
「でも、どうしよう。聖女候補なんて嫌だわ。私、ここで薬師をしている方が性に合っているもの。それと、王都はまだ怖い」
「ふふッ、お前は誰にその不安を相談しているの?私も聖女候補なのよ?
心配しなくても、私も付いて行くわ」
「…ベアルはやっぱりいい魔女だよねぇ」
「薬師の腕は一級なのに、どうしてその辺りはお馬鹿さんになるのかしら?」
(代々揃って努力家なのに、時々お馬鹿になるわね)
――ユーフェミアの曾祖母はホットワインを改良して、魔障の治療の為の葛湯にしていたかしら?老人でも飲みやすいと。
ユーフェミアの曾祖母も、そのレシピを受け取って魔障の治療に役立てた神官も、魔女とその手先として公開処刑された。
『神の奇跡』は教会のものだという理由で。
神官と恋仲だった彼女はお腹に子供がいた。
子供に罪は無いと、出産の後に彼女は処刑された。それ以降、赤子の消息をたどるのに随分と手間取った。
ベアトリスも魔女狩りの追跡が掛かり、更に邪視で人間を殺し過ぎたので『穏健派』が介入して逃走に専念していた。
『穏健派』侯爵シルヴィナが仲介して逃走に終止符を打った。人間共の死はベアトリスの能力上、仕方のない事。
人間の死は自業自得だと納得させたので、奴には借りが出来た。
その借りは、奴の人間の養母の毒の解析とその入手方法で手を打たせた。
魔女の子と疎まれながら修道院で下働きする曾祖母の子を見つけたのは、その子が10の時。
院長の頬を大金で叩いて彼女を買い取った。
「……おかあさん?」
髪の色と瞳の色がその子と同じだからか、そう問われた。
「違うわ、お前の母はもっと優しくて可愛い顔。…私は母の友人よ、世話になったの」
「……私は魔女の子供だから、償いが必要だって…」
「魔女の子?馬鹿馬鹿しい、お前の母は優秀な薬師よ。お前がそれを証明しなさい」
魔女――魔法に寛容な街に連れて行き、ベアトリスが放置していて使っていない研究所に住まわせた。
虱の沸いた髪は、櫛で梳かして薬湯で洗った。
「まずは食べなさい。そして眠りなさい」
痩せこけて薬の知識や技術を詰め込むに足りない身体は、ユーフェミアの曾祖母のレシピを見ながら料理を作って太らせた。
…ホットワイン等の後期のレシピは燃やされており、教えることは出来なかった。
その子に薬屋として生計を立てさせる術を教えたのは、ほんの気まぐれ。
あと、諸侯王『穏健派』とやり合って休息も必要だから。
ベアトリスも諸侯王だが、序列は最下位。能力も対人仕様で、諸侯王相手だと足止めが精々。
シルヴィナは偶に来て、ベアトリスが人間の子供を育てているのに興味をそそられたらしい。
奴の経営する商会に薬を卸せるようになったのは癪だが、ゆとりが出来たのか子供はベアトリスに食事を作るようになった。
そのうち、客と番になってユーフェミアの母が生まれた。
邪視の魔女に我が子の祝福を望む奇特な娘だった。
そのユーフェミアの両親も馬車の事故で死んだ。
ユーフェミアの祖母も老齢で死んだ以降はまた、祖母や母親の時と同じように、ユーフェミアの元に薬の買い付けや薬の指南、スィーツ巡りに来ている。
…未だに奴の商会が一番の顧客なのは癪だが。
(まあ、教会の奴ら。捕まって罰を待つ程度じゃあ釣り合わない)
世界の秩序などどうでもいい。
ただ、『お気に入り』を散々拷問して壊した連中は気に食わない。
我が子の成長と出産。
あの子が一番見たかったものを、ベアトリスが一番に見たことが気に食わない。
あの一番偉い男には、とびっきりの甘い毒を注いでおいた。
「……ユフィ、キリアンだっけ?あいつとはどう?」
「え!?…いや、その、私たちはお友達で、その、ちょっと彼が遠征でこの辺にない薬草をくれたりはしてくれたけど……」
「しっかり捕まえなさいな」
「ベアル~‼」
善良な魔女――知識の深い女はベアトリスのような諸侯王の眷属である魔女を忌避する。
だが、稀に人の良い魔女は交流の場を持ちたがる。
(あの子たちが私に振舞ったオニオングラタンスープ、牛脛の煮込み、木苺のクレープ包み焼き…。あの家庭料理はあの子たちにしか作れない)
そういう感情だ。友の為に作る愛情の味。
親代わり?御免被る。
『お前は、本物の魔女を親代わりにする気?』
ユーフェミアの祖母も母もユーフェミア自身も、『魔女でもベアトリスは師匠であり母であり姉』と言った。
ベアトリスの料理は母の味がすると抜かす、大馬鹿者は遺伝するらしい。
――魔女にそんな情がある訳ないだろう。
(食べ物の恨みはとっても恐ろしいの。…百年程、積もり積もっているのよ?)
それだけ。ただ、それだけだ。
――奴らの歪んだ信仰心は精々利用してやりましょう。
「ベアル、試作品8号ッ!一緒に飲みましょうッ」
ユーフェミアがハーブ入りのホットワインを作って持ってきた。
「ふふッ、頂くわ。酔ったらその口から彼氏の愚痴が聞けないかしら?」
「もう~ッ」
今は過去の憂いが少し晴れたことの祝杯を挙げるとしよう。




