41.聖女エヴァンス小侯爵(魔王)の活躍
アヌシュカ達が夢の世界に向かった同時刻――
王命違反もあり、聖女マリエラの身柄をエヴァンス小侯爵から引き取った国王。
首に縄を掛けられ、顎と肩を固定された聖女マリエラに国王はたじろいだ。
「…何故、聖女マリエラにこのような」
「監視の為馬車に同席したところ、私に色仕掛けを行う故。
偽物聖女の顎と肩を脱臼させ、己の身を守っただけです」
「偽物とは…」
ギロリと、国王や教会派の貴族に睨みを利かせるエヴァンス小侯爵。
一切殺意を隠さない小侯爵に口を噤んだ。
「人工聖女の件。我が弟と義妹の件。――一から説明が必要ですか?」
こめかみに、首に、聖女マリエラを引き回す縄を持つ隆起した腕と言い。血管がビキビキと浮き出る程に殺戮の波動を放つ小侯爵に、反論できる者は居なかった。
『陛下、兄は妻一筋の男です。エルルも兄の奥方と懇意にしていますので、兄の保護対象になります。サリナ義姉上の交友関係にヒビを入れない方が無難ですね。
兄はサリナ義姉上の交友関係に余程の事が無ければ、陛下に意向に従います。もしも、余程の事があったなら…、母や俺にも止められるかどうか』
そう助言した第二王女の婚約者ヒルベルテ侯爵令息は惨い死に方をし、エルル第二王女を顧みなかった結果、自死を選ばせる程追い詰めた。
「ひっ…必要ない。王命違反を犯した者の確保に感謝する」
「……ちっ」
何故、竜の逆鱗に触れてしまったのだ。…それも、2体も。
この魔王の如き兄(実際魔王)を止められるであろう未来の婿がどれ程有能だったか、今に至って自責の念に駆られる。
バーンベルク侯爵領が王家の忠誠を破棄し、独立してもおかしくはないのだ。
彼らには、それだけの武力と肥沃の大地、更には資源の流通網がある。
「では、国王。この偽物を教会本部に連れて行きましょう。
――悪臭問題。教会本部のみ解決していないと聞く」
国王自ら教会へ出向くこととなった。
…これ以上バーンベルク侯爵領を敵に回せば、王家は己の代で終わる。
それが可能なだけの力を持っているのだ。
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教会本部に赴き顔を顰める。
――何だ、この異臭は。
教会は視界が歪むほどの悪臭で満ちていた。
辺境伯夫人が実践した魔障の民間治療と対策。
それを用いて如何にか王都の悪臭の6割は改善した。
頑なに対策を拒む教会本部とその一帯を除いて。
「大司教。――教会の様相は如何様なものか」
かつて聖女マリエラが起こした汚物騒動の比ではない。
大司教と呼ばれた男は冷や汗を流して押し黙っていた。
神の遣いが住まう居住区から天使は消え、異形の怪物がそこにいた。
声を掛けてもうなり声ばかりで、その悪臭で嘔吐した。
神の遣いを殺すことは憚られ、入口を封鎖した。しかし、どれだけ漆喰を塗り込めようとその悪臭は教会内に漂い、信者も余程の事が無ければ寄り付かなくなった。
「聖女マリエラ様に浄化して貰えば良いでしょう」
辺境伯夫人暴行の容疑で聖女とその護衛を護送した、エヴァンス・バーンベルク小侯爵がそう言った。
――そうだ、聖女が居る。
大司教は聖女が浄化すれば天使も元に戻ると考えを巡らせた。
【クスクス、クスクス。そうそう、聖女よ。聖女が居るのにどうして民間治療何て必要なの?】
布で顔面を固定された聖女マリエラ。
エヴァンス小侯爵は彼女の首に掛けた縄を引っ張って国王と大司教の前に突き出した。
「聖女マリエラ。教会は御覧の有様だ。貴様の力で浄化できれば、俺を不敬罪で処罰も出来るだろう」
聖女を敬う気など更々ないのか、聖女の髪を鷲掴みにして教会の澱んだ空気と悪臭を見せつける小侯爵。
「バーンベルク小侯爵!聖女に何と不敬な!」
【クスクス、聖女は尊き存在。神の遣い。お前の抱える問題は聖女が全て晴らしてくれる】
大司教が声を上げるも、その鋭い眼光で射貫かれ押し黙る。
「失礼。我が妻と親交ある、ベルンシュタイン辺境伯夫人への罵倒が許せませんので。
さあ、聖女の務めを果たしてください」
もごもごと呻き、エヴァンスを睨む聖女マリエラ。
【睨まなくても、『穏健派』の邪魔はしないわよ。聖女の加護を見学するだけなのに。ああ、怖い】
(見てなさい、聖女の浄化でこんな悪臭なんか……)
5分、10分。
悪臭もそのまま。聖女の祝福の欠片も発揮できないでいる聖女マリエラ。
「これはどういうことだ」
【キャハハハハハハハッ‼アーハハハハハハハハハッ‼】
脂汗を流すマリエラ。顎を外された影響で言葉を発せないが焦燥感に駆られている。
「ゼフェスゾーム辺境領教会支部の神官たちの証言です。――聖女マリエラ。
貴様の聖女の加護は確認できず、神力も失っていると」
「それは貴様が聖女に不敬を働いたから…!」
「私にも聖女の素養があるそうだ。聖女が聖女の在り方に苦言を呈すれば力が減るとは。
そうなれば私は余程出来の悪い聖女なのだろう」
エヴァンスはその手をかざす。すると、悪臭は一時消え去った。
――実際は教会に漂う瘴気を、諸侯王・序列『騎士』として吸収しただけだが。
エヴァンスは国王へ向かって言葉を発する。
「陛下、私ではどうも力が及ばぬ様子。
王都墓守のアイビー、王都の学園在中のバルバス二重王国留学生フォクス・フェイス子爵令嬢、グリンホルン共和国留学生ヴィルヘルム第三王子に聖女の素養が発現されたようです。
彼らにこの状況を見てもらうのは如何だろうか。――偶々、王都の教会近くに用事があって揃っているようです」
「…構わん。彼らに聖女の素養があるか、教会にも確認を求む」
小侯爵が意図的に彼らを集めたのだろう。
再び湧き上がる悪臭に、国王は即決で聖女候補たちに助力を請うた。
ヴィルヘルム第三王子の祝福は守護結界に特化しているという。
「見えない悪臭をどう封じ込めたものか…」
フォクス・フェイス子爵令嬢は小さな白い子狐を顕現し、小さな神の遣いが走り回ると澱んだ空気が正常なものに戻って来た。
「悪臭の根源が分からないと、完全には浄化できませんね…」
大司教はピクリと身じろぎする。
――大丈夫。あそこは代々の大司教のみが知る結界のある部屋。それも漆喰で埋めた。分かる訳が…。
「あっち」
墓守のアイビーが指をさす。
「あっちに歪な魂がある」
そういうと役に立っていないからと、ヴィルヘルム第三王子もその方向に向かう。
「やめなさい‼神への冒涜ですよ‼」
大司教が叫んだ時には、結界に自身の守護結界をぶつけ破壊したヴィルヘルム第三王子と、歪な魂の正体を見て涙を流すアイビー。
「酷い…。ヤギに、犬に、魔獣…魔族の魂…それらが無理矢理…混ぜ合わされている……」
「これが、教会の信仰する神…ですか」
異形の化け物の頭を掴み、部屋から引きずり出して他の神官たちに晒すエヴァンス小侯爵。
「なるほど。我等バーンベルク侯爵家を穢れた魔族と認識する教会とは、随分と価値観が違うようだ。
国王陛下。そして敬虔なる神の信者。貴方らの信仰する神はコレか?」
悪臭と諸侯王『中立派』の干渉で判断能力が鈍っていた大司教はようやく気付いた。
一般の信者たちが聖女マリエラの奇跡の力を見に、この教会に悪臭を堪えてとどまっていることに。
【ねえ、どうかしら?愛しの聖女マリエラ様の加護は見られたかしら?
獣人や墓守、男の方が聖女として真っ当にお勤めしているわよ?】
「断じて違う。――これは、魔物…悪魔そのものだ‼」
国王は衆目の中、断言した。
「では、陛下。聖女の一人である私が浄化しよう」
エヴァンスの貫き手で核を破壊された教会の神こと合成獣。
死して悪臭を漂わす死体はヴィルヘルム第三王子の守護結界で封じ、アイビーはようやく死を迎えた哀れな生き物の魂を在りし姿に戻し、死の世界に安らかに迎えるように祈りを捧げるとその魂は光となり在るべき場所に向かっていく。
フォクス子爵令嬢は再び遣いを召喚し教会内の悪臭を浄化していく。
神官たちは理解させられた。
異形の神に祈りをささげた自分たちよりも、穢れた魔族と卑下された小侯爵、異国の王子と異国の獣人の令嬢、そして墓守の方が遥かに強い精霊の祝福を得ていることに。
悪魔を崇拝していた大司教並びに神官たちは、王家の指揮で投獄された。
それを見届けた後、エヴァンス小侯爵は保護した老若男女問わない聖女数十名を引き連れて自領に戻るという。
「聖女たちは我が侯爵領で保護する。彼らを否定する悪魔崇拝の教会に預けて、弟のような死に方をされては目覚めが悪い」
残党が居ないとも限らないと付け加えられた。
「ああ…」
「聖女が自国に戻りたいならそうさせる。まあ、その前に、――義妹の冥婚式に、聖女を皆参列させるつもり故」
「!?」
「では、次は義妹の式で」
エヴァンス小侯爵は恐ろしい言葉を残して帰って行った。
聖女(魔王)の意見に賛同した老若男女の聖女たちは、バーンベルク侯爵家の家紋の馬車がぞろぞろ集い連れて行ってしまった。
覚醒した聖女には死刑囚や、邪視の魔女ら危険な存在もいる。
彼らを一斉に集めるというのだ。
(これも…報いだろうか……)
せめて、自国民や他の聖女とされた一般人へ被害が及ばぬように警備を強化しよう。
どのみち、次々覚醒する聖女について議論するべきなのだ。
そして、男女関係なく、複数の聖女が降臨したとたちまちに広がった。
「亡くなったヒルベルテ侯爵令息の兄君が聖女に覚醒したそうよ」
「教会本部が悪魔崇拝をしていたのですって。王女殿下を聖女にしたいと乞うたのは、生贄にするつもりだったのだわ」
「だから邪魔な婚約者様を、教会は魔王を降臨させて殺したのね」
「神様は教会を断罪させるべく、ヒルベルテ様のお兄さまを聖女に選んだのね」
「ゼフェスゾーム辺境領に左遷された司教様が戻ってこられるそうよ。偽の聖女を拒絶した方ですし、本来の教会に戻るかしら…?」
エヴァンスの噂は飛ぶが、彼の妻も聖女候補という話題は暗黙の了解で皆出さない。
『恐怖の手紙事件』も相まって、聖女(魔王)の怒りに触れたくないと皆沈黙した。




