38.至急『ヒルベルテ』の元へ
「僕は…嘘つきなのでしょうか……」
アヌシュカが萎れている。
癖のある髪は猫が耳を伏せるように垂れ下がっている。
そうとしか言えないくらいに落ち込んでいる。
魔王である自分が聖女認定されたことが相当堪えたようだ。
アヌシュカがやっていること自体は聖女と言っても差し支えない程の献身なのだが、先人の…人が作り上げた研究努力の功績を魔王が奪うことに罪悪感を覚えているらしい。
更に、王家の家紋の手紙が来て、王妃殿下から王都の悪臭問題が辺境伯夫人の発見した民間治療で収束に向かっている感謝の気持ちが書かれたそれに完全に萎縮している。
「僕じゃないです…見つけたのは昔の人です……」
「アヌシュカ、…その知恵を消したのは人間だ。再び見つけた君を責めることがおかしい。君は人の力の可能性を引き出した。それは凄い事だよ」
「でも……」
「アヌシュカ、聖女の認定だが…。まだ選定の時期だし辞退しても構わない」
「…?できるのですか?」
「今回、あまりにも聖女に覚醒したものが多い。既に100人を超えているしまだ増えるだろう。
中には辞退を申し出ている者もいる。聖女の務めより自身の仕事を優先する者やあまりの聖女の多さと性別や歳の都合で拒否しているよ。
現聖女の俺への治療放棄や、君への暴行を受けたベルンシュタインとして断固として拒絶も出来る」
「……はい」
そう言っても何処か浮かない表情のままだ。
「『中立派』…『中立派』…。悪意は無いなら…でも、うーん…」
シルヴィナが『中立派』の干渉を防いでいたが、それを辞めてしまったことも悩みの種だそうだ。
『中立派』の諸侯王は酷く厄介で面倒なのだという。
人も食うが普通の食事も好む。故にどちらでもない『中立派』。
近年では食人は減っているのだが、人間の破滅が大好きらしい。
命まで奪うことは少ない上、気まぐれに魔障の浄化もする。
人間の破滅は自業自得な面も強く、『中立派』の所為だと明確な証明も出来ない。
白か黒かで判断する諸侯王『穏健派』にとって、灰色の活動を行う彼らをどう対処すべきか悩むのだという。
その為、善王側の魔王は『中立派』自体を敵と確定できず、後始末に追われる状況だという。
「美味しいご飯屋さんやお菓子屋さんには危害を加えないのですが…、教会を毛嫌いしているので大きな教会のある街は狙うと思うのです…うーん」
魔女ではない者を利己的な理由で魔女として処刑してきた教会は、『中立派』にとって格好の餌だそうだ。
真に神に仕える神官には手出しせず、観賞用として愛でるらしい。
そのまま清廉潔白に生きるか、破滅するかの賭けをすると言う。
…悪趣味だ。
…悩みまくる妻に追撃はしたくないのだが。
相手が相手だ。言っておかねばならない。
「アヌシュカ、シルヴィナ殿から手紙が来た。…ただ、白紙なのだ」
意図を汲んでアヌシュカが手紙を受け取ると、文字が浮き上がる。
『面倒な事になった。虹の橋に至急向かう』
読んで数刻後、先ぶれを出したと言わんばかりにシルヴィナ女侯爵がゼフェスゾーム辺境領にやって来た。
+++++
「さあ、愛らしい奥様。我が領で採れるスミレの砂糖漬けをどうぞ?」
至急とは何だったのか。
シルヴィナ・バーンベルク女侯爵は居間のソファに腰掛け、何故か膝にアヌシュカを乗せて餌付けしている。
「シルヴィナ殿、妻を返してください。あと、至急の要件は?」
「おや、君の夫は狭量だね、アヌシュカ。…さあ、こちらのマカロンもどうぞ」
力づくで奪えないことも無いが、欠損した左腕の為だらりと垂れ下がる裾を見て、どうにも行動に出来ない。
「ヒルベルテの魂の復元は成功した。が、不純物が多すぎる」
口が甘くなったアヌシュカはシルヴィナの言葉を聞いて、アールグレイの紅茶を飲む手を止めた。
「……僕が頑張るので、旦那様は連れて行かないで下さい」
「ダメだ。あの子の戦いの癖は一番知っているだろう。適任だ」
「その…旦那様の、お友達なので、その」
ヒルベルテの魂の復元で不具合が出たという。
半壊した魂の補填に使ったのが悪王側の魔王の核。
いくら呪いを浄化したとて、根本的なものがこびりついていたようだ。
だから、呪いを鎮めるという。
以前アヌシュカが言っていた、『相手の呪いが黙るまでボコボコにぶん殴る』やり方で。
アヌシュカは己がヒルベルテを大切にしているが故、祓いの場へ連れて行きたくないらしい。
「アヌシュカ、ありがとう。俺は平気だ。…これでも『伯爵』を倒したのだ、それなりの力は保証しよう」
「でも」
「ヒルベルテは、友の妻を傷付けることを一番嫌がるだろう。ずっと俺に伴侶が出来る事を期待していたのだ。その妻を守らなければ、俺はあいつの友達でいられなくなる」
アヌシュカにも、優しくやかましい友を一番に記憶へ留めて貰いたい。
「大丈夫。……友として、あいつに言わないとならない事もあるのだ。もしも、届かぬとしても、言っておきたいことがある」
「…はい。無理はしないで下さいね」
「『君主』だろうと、生まれたてならば何とかなる。行こう、虹の橋へ」
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「どういうことですか」
オルトスは虹の橋を架けたその階層の光景に呆然としていた。
「旦那様?」
「教会で同じ絵を見た。何度も」
「え?」
肉体を失った諸侯王が住まう夢の世界は、あまりにも美しい。
「絵描きというのはこういうものを描きたがるらしいね」
そこには王都の大聖堂に描かれた、神が住まう天界の光景が広がっていた。
「何故」
「さあね。お前はバカ息子を起こすのを手伝ってくれるだけでいい」
アヌシュカもここが天界の光景として描かれていたことは初めて知ったそうだ。
「余計な詮索は聞かない。お前はあの子の心を揺さぶって起こせ。
それだけに集中しなさい」
スタスタと進むシルヴィナに付いて行く二人。
透明な結晶体の中でヒルベルテは眠っていた。
その結晶体に幾重もの結界が張り巡らされていた。
――結晶体の上に不遜に座る、銀髪の紅い双眸の女性に既視感を覚える。
「あ、母です」
ひらひらと手を振るのは先代の諸侯王エレシュカだという。
「魔王討伐戦。もしもの時に、彼女に待機してもらっていたのさ」
『公爵』クラスの善王側の諸侯王は常に悪王側の『公爵』らと戦い続けており、自由に動けるのは『侯爵』以下数名だそうだ。
エレシュカは地面に降り立つとアヌシュカの顔に手を触れる。
「アヌシュカ、久しぶりじゃのう。愛らしくなったものじゃ」
「はい」
「母子の再会を喜びたいところじゃが…。『侯爵』、早う出せ」
「相変わらずせっかちだな。――オルトス、アヌシュカ、構えろ」
苦笑交じりにシルヴィナはパチンと指を鳴らす。
結界が解けていくのと同時。
エレシュカの爪は伸び、獣の尻尾が複数顕現する。
その尾は炎を纏い鞭のようにしなり、幾重もの打撃を『ヒルベルテ』に叩きつける。
刹那。
『ヒルベルテ』の展開した黒い錐がエレシュカの胸を貫いた。




