37.『侯爵』シルヴィナの許せないものは一つだけ
王都は由々しき問題を抱えていた。
王都の魔障による悪臭問題、大量に増える聖女候補たち。
神官を殺害した邪視の魔女ベアトリスに至っては、王都を悠々と観光している。
まず、悪臭問題。
聖女マリエラが起こした汚物騒動以上の悪臭だ。
それは、主に教会本部や教会派の貴族たち、聖女マリエラを崇拝した者たちに被害を及ぼした。
どれだけ身体を清めても、バスタブは毎日真っ黒な汚れた水になる程穢れている。
そして次の日には彼らは悪臭と脂に塗れ、シーツは廃棄せねばならない。
更に、備蓄する食糧の腐食が異様に早い。
第二王女に浄化を願おうにも、彼女は心的要因で力を失った。
厚顔無恥にも程があると、宰相らが教会派の貴族を締め出した。
そして、こんな噂が何処からか発生した。
――奔放な聖女マリエラに辟易した教会が、王女を聖女に取り込もうと婚約者を殺した。
――教会で飼っている悪魔が、王女の婚約者を殺すように魔王を仕向けた。
教会は噂を真っ向から否定。噂の出何処を躍起になって探しているという『噂』が更に民衆を猜疑心で満たす。
更に、汚泥のように穢れた寝具の始末に苦戦する使用人の元へ、邪視の魔女ベアトリスがひょっこり現れると、その廃棄用の寝具の穢れを浄化してしまった。――実際は、寝具に付着する呪いを邪視で殺しただけだが――
――魔女というのは言葉の誤りで、邪視の能力者ベアトリスは聖女なのではないか。
――他の聖女なら悪臭の原因が分かるのではないか。
民衆の噂は瞬く間に広まっていく。
だが、悪臭の解決に新たな聖女候補へ浄化を依頼するも、教会本部は頑なに拒否した。
教会本部が定めるのは聖女マリエラだけだと。
そのベアトリスは忽然と王都から消えた。
――教会が聖女ベアトリスを処刑したのでは?
――過去に魔障の民間治療をした者も魔女として処刑した。…冤罪では?
教会は魔女や…墓守や獣人、男の聖女を忌避し、蔑んでいるのだ。
彼らを差別し、選別している。
皆が教会の対応に懐疑的になっていった。
『侯爵』シルヴィナが各都市に展開している結界を解除した。
「ふふッ」
ベアトリスは民衆が疑心暗鬼になっていく感情を堪能し、帰路に着く。
他の魔女たちは民衆の猜疑心をここぞとばかりにかき回すつもりだ。
(あんまりやりすぎると、シルヴィナ達に制裁されるけれど…羽目を外しちゃうわよねぇ)
大きな都市で命一杯遊べるのは何百年ぶりだろう。
「皆悪臭でしかめっ面。美味しいスィーツは食べられなかったわ。
トゥーフルートのユフィの所に行きましょう。あの子なら美味しいパンケーキのお店を知っているでしょうし」
人の猜疑心や人間関係崩壊の感情も美味しいけれど、人間の食事も好きだ。
絵本に出てくるような分厚い3枚重ねのパンケーキに四角いバターとメープルシロップ。
口の中で溶けるメレンゲクッキー、熱々のチョコが流れるフォンダンショコラ。
肉汁溢れるハンバーグに新鮮なホタテも好き。
人間の創意工夫、食を追求する愛の味。
(こういうのを作れる人間を食べちゃうなんて勿体無い)
そういう自分たちの舌を満足させる人間には手を出さない。
いたずらするなら、とびっきり欲深い人間が良い。
「真面目な人間はつまらない。けれど好きよ?魂が綺麗だもの」
+++++
王都の悪臭と腐食問題。
更に、疑心暗鬼に駆られた民衆の暴力沙汰が大量に発生。
国王はこれが諸侯王『中立派』の仕業だと気付いた。
故に、諸侯王『穏健派』シルヴィナ・バーンベルクへ頭を下げて頼み出た。
奴らを止めてはくれまいかと。
だが、彼女はそれを是としなかった。
「大司教に穢れた魔族と罵られても、どうでもいい。
教会派の貴族に国王の愛人と揶揄されても、何とも思わない。
ただ、目の前で我が子が塵になって死んだ。
未来の娘が自死を望むほど追い詰められた。
私ほど、無力で無能な者は要るまいよ。
――有能な聖女がいるだろう。お前も聖女を望み、聖女降臨の儀で先代当主に言ったではないか。
聖女が居れば、バーンベルク侯爵領の庇護も必要なくなるだろうと。
王よ、己の言葉には責任を持ちなさい」
「あれは…あの時は…若気の至りで……」
先代聖女降臨の高揚でつい、戴冠間もない王はそう言ってしまった。
シルヴィナは教会の悪質さに関して、天界がらみもあり傍観していた。
如何に教会の腐敗が強かろうと、一部の人間は真っ当に神に尽くす。
バーンベルク侯爵家を誹謗中傷しようが、今までも今も気にもしていない。
「3回。――私はね、王。3回だけ、君らの愚行を見逃すことにした。
ひとつ、初代バーンベルク女侯爵毒殺事件。
彼女は老齢であり、私も手を尽くしたが浄化しきれず死んでしまった。
ひとつ、人工聖女作り
干ばつや洪水などの天災で、必要に駆られた時期も相まって傍観した。
ひとつ、ゼフェスゾームの山脈での魔王召喚。
我が子の死はショックだったが、神の意志もあるではと。疑念の余地はあった」
魔王というものは寛容であるべきだ。――善王はそうだった。
自身が絶望し、自壊が進もうが受け入れていた。
「4つ目。これは看過しようが無かった。
――未来の我が娘を、自死を望むほどに追い詰めたこと。
お前は私の。魔王の贄として、彼女を私の子に娶らせたね。
聡い彼女の扱いに困ったのかね?王太子は凡人故。
ヒルベルテが無害な軽薄な人間だと誤解して、奢ったのかね?
ただひたすらに人々を愛し、魔王という存在を許容し慈しむあの娘を…絶望の淵に追いやった。…彼女を傷付け、お飾りの聖女に仕立てようとした。
王よ。私はこればかりは許せない。
私は私情を挟まない。ただ、一つだけ。
私は未来の我が娘の為にと十数年掛けて刺繍した、白のウエディングドレスを着た姿を楽しみにしていた。…諸事情で色を染めなければならなくなって、酷く不満だ。
ただの愚痴だ、これは聞き流せ。
私も疲れた。人命に関わりない案件からは手を引いた。
――それでも『過激派』の干渉は防いでいる。あとはお前たち人間が知恵を絞りなさい」
王はただ、頭を抱える。
どうして、この女侯爵を軽んじることが出来たのだろうか。
彼女が陰で成していた事がどれ程重要な事か、何故忘れていた?
冷や汗を流す王に、女侯爵は軽い口調で告げる。
「そうそう、私は寿命だ。3年生きれば良い方だろうね。後継はエヴァンスに任せるが、やり方はあの子の意向を汲む」
エヴァンス・バーンベルク小侯爵。
彼と友好的な関係を築くのは難しいだろう。
侯爵が立ち去った後。王妃が資料を手に王に話す。
「ゼフェスゾーム辺境領では神力減少にもかかわらず、辺境伯夫人の指示にて民間治療を用いて魔障の浄化に成功しています」
「例の聖女候補…、か…」
「ええ。ただし、辺境伯夫人は魔力や神力に頼らずとも民衆の力で自浄作用を強めることを重きに置いています。秩序を正すのは、個ではなく、集団である、と」
「……」
王はその資料を手に取り、深く読み解いた。
そして、高官たちに命じ王都の自浄を人々の手で成すように通達した。
徐々にだが、悪臭問題は緩和されていった。
一点.教会本部を除いて。
教会との軋轢など言ってはいられない。
国王は過去の教会が関わった案件を全て洗い出すように命じた。




