30.遺された時間、女侯爵は『悪魔』となる
初代バーンベルク女侯爵は、燃えるような赤い髪をしていた。
教会の異変に気付いた、初めての人間だった。
当時、教会の権威が強かった中、王家の力を取り戻すために奮起した女侯爵。
諸侯王シルヴィナは好奇心を持って見ていた。
彼女に向けられる悪意に関しては、大抵は彼女が自身の力で乗り越える。
その姿が美しいと思った。
彼女に足りない、悪王側の諸侯王に関しては、シルヴィナが知恵を授けた。
彼女と彼女が守るものは美しかった。
「シルヴィナ。貴女はいつだって変わらないのね。私はもうしわくちゃのおばあちゃんだわ」
「どれだけ年を取っても君はあの頃のままだよ。生命力に満ち溢れ、国を愛する美しい人さ」
「…私の代で我が領を、国を荒らしたくは無いの。――シルヴィナ。私の娘。この国を守って頂戴」
「私の正体を知って尚、そう願うの?」
「ええ。――貴女は私と同じ場所を向いているから」
初代バーンベルク女侯爵の養女シルヴィナ。
彼女は当主亡きあと、正当な後継者としてその手腕を振るった。
時に表舞台から消し、後継者を見守りながら。
今の代で現れたのは後継者が天災で死んだからだ。
生き残った末の息子は赤毛でそばかすの平凡な少年だった。
剣も領地経営も徹底的に扱いたが、根を上げなかった真面目な子。
領主として申し分なかったのに、熱意に負けて結婚した。
また女侯爵の爵位を得た時、先代国王と久しぶりに会って会話が弾んだ。
次男は髪色も瞳の色も。やる事成すこと、初代女侯爵によく似ていて驚いた。
彼女の輝かしい意志が再び芽吹いたようで少しむずがゆい。
そんな次男は。
目の前で、己を庇って塵になって死んだ。
何もかもがどうでもよくなる中、左腕の感覚が失せた。
その時。
彼女が、夫が、我が子が愛したものが想起される。
そして、彼女らと同じものを愛する未来の娘の顔が浮かんだ。
このままにしておけないと、踏みとどまることにした。
+++++
ゼフェスゾームの山脈での魔王討伐から二月後――
シルヴィナは王宮を足早に進む。
目当ての部屋に着くと、王女の部屋の前で侍女たちが叫ぶように声を掛けドアを叩く。
――まずい。
「失礼」
シルヴィナはその重厚な扉を肘で穿ち貫通させる。
「…!?バーンベルク女侯爵様……?」
未来の嫁の愛らしい声が聞こえた。
「すまないね、エルル王女殿下。ノックをしようとしたが、躓いてドアを壊してしまった。……腕を外すのを手伝ってくれませんか?」
「――はい」
エルルは知っている。
シルヴィナ女侯爵の左腕が欠損していることを。
それは、目の前で彼女の愛する人が塵になって死んだ絶望から来るもので、自壊が進んだことを示していた。
決心が揺らいだのか、エルルはシルヴィナを部屋に入れた。
その机には、拳銃が置かれていた。
「私はまだ貴女を義理の娘だと思っているよ。――自殺しては、あの子の元へ行けないかもしれない。死ねないかもしれない」
「ええ、存じています、…お義母様。――銃声で治療術士が集められ、致命は避けるかもしれません。
ですが、教会が望むお飾りの聖女は美しい方が良いのでしょう?」
エルルが拳銃を掴むその手を止めた。
欠損した腕でその小さな身体を抱きしめる。
「エルル!」
「治癒も浄化も!わたくしが望んだわけではない!あの人に遺体も残さぬ死に方をさせる力何て、捨ててしまいたい!彼を救えない力何て要らない‼
返してよ!どうして空の棺しか戻らないの!ヒルベルテを返してぇええええ‼」
少女のあどけなさを残す王女は分かっている。
この魔王討伐が作為的なものだと。
己の力を欲する教会が仕組んだのだと。
シルヴィナはその慟哭を、彼女を抱きしめて聞き続けた。
拳銃をようやく離した王女はひとしきり泣いた。
「ごめんなさい…あの戦いで一番傷ついたのは、お義母様の方なのに。――いいえ。
お義母さまたちの…永劫とも言える辛苦労苦を思うなら…幾千もの感謝を述べねばなりませんのに……」
この時。
シルヴィナは人間たちが忌み嫌う『悪魔』になろうと決めた。
この娘を救うならば、それで良いと。
「エルル。…私の娘。――その怒りも悲しみも、私に預けて貰えないだろうか」
「え…?」
「死者を生き返らせることは出来ない。私を厭う貴女の為にも、それだけは出来ない。
それでも。――貴女が望むなら、あの子との婚姻の契りを結ばせよう。
貴女と貴女が愛する者を…地獄に落とした連中が、最も嫌がる方法で」
「…わたくしも、あの者たちと同じ人間です。よろしいのですか?」
「極悪を娘にする程、耄碌しちゃいないさ。…ただ、準備に時間が掛かる。
結婚準備と同じ期間は覚悟していてくれ。
貴女は貴女の成すべきことをして欲しい。あの子に、最高に綺麗なあなたを見せてあげて」
エルルは黒の十字架を握りしめ、泣きながら頷いた。
「ヒルベルテに恥じないように、頑張ります」
+++++
「エルル・ティア・シェレンベルクとヒルベルテ・バーンベルクの婚姻関係は継続させる。未来の娘に苦労を掛けるので、王家の後ろ盾として以前より条件もそちらの有利となるように条件を変更しよう」
「は…はい」
「オルトス・ベルンシュタイン辺境伯と聖女マリエラの婚姻だが、白紙にしろ。たかが『伯爵』の魔障で逃げる聖女に務まらない。
…リッツ伯爵家に娘が居たな。そちらの娘と即座に結婚させ騒ぐ連中を黙らせろ」
「バーンベルク女侯爵…」
「王太子殿下、如何された?」
ヒュっ。
出掛かった言葉を恐怖と共に吞み込んだ。
隠居した先代国王の話を思い出した。
――王家の危機。否。国の危機に守護精霊が現れる。だが、我々を姫のようにあやすことは無い。
机に腰掛け足を汲むバーンベルク女侯爵。葉巻を燻らせている様は王家に対する不敬にあたるが、その言葉を出すことが出来ない。
我々は、虎の尾を。否。
竜の逆鱗に触れた。
「教会の意向を汲みたいならば、各地の聖女候補の神力の測定に注視しろ。
魔障被害において民間魔法を用いて治療した術者を何故処刑するに至ったか精査。
それと、聖なる山で魔物がどの程度活動可能かの調査もだ。
――疎ましい妹婿がどうなったと思う?」
シルヴィナは王太子の肩に触れる。
自身の見た光景、無念のまま息絶える騎士たちの感情。――全てを王太子に送った。
ガクガクと震え、その場に崩れ落ちた。
失禁したが、知ったことではない。
無知な馬鹿には身体で覚えさせる。
「じゃあ、辺境伯へ結婚の承諾をさせる。立会人になれ」
王太子の額で葉巻を消すシルヴィナ。
「ギッ!?」
「愚王はわたくしが躾け直しますから」
「任せる、王妃」
(さて、諸々叩き直しと行くか)
ガクガク震える王太子は辺境領までの旅路、生きた心地がしなかった。
聖なる山に放り込まれ、シルヴィナの言っていた魔物の活動記録を付けさせられ、何度も遭難し死に賭けた。
+++++
教会の深部で密かにそれは起きた。
「酷いことをするのねぇ。神の遣いである天使を殺そうとするなんて」
「……」
「私は主の命ずる通りに人間に恩恵を与えただけ」
「人間の都合の良いおとぎ話を聞き続けて、本質すら忘れたか。精霊」
教会の求心力が伸びたのは百年前。
それ以前は、決まった周期に天使――否、高位精霊が舞い降りていた。
ある時を境に、人間の欲に縛られ自重で天に帰るのが億劫になったこの精霊は、神を信仰する最も高貴な者の願うままに祝福を与え続けた。
シルヴィナは人間の欲を吸収し、ぶよぶよの肉の塊となった元高位精霊へ幾重もの槍を穿ち固定する。
「何故、『君主』の封印場所を教えた?」
「彼らの望みを叶えただけ。いいじゃない、穢れた魔族が死んだくらい」
「そう」
シルヴィナは静かに剣を抜いた。
「…!?なんで!?どうして魔族がそれを使えるの!?」
「私も人間に絆されたよ。けどね。――己の本分を忘れたことは一度もない」
神の剣で貫かれた高位精霊は消滅した。
教会の連中は大騒ぎになるだろうが、知ったことではない。
「魔族、ね。一括りにされたんじゃあ、溜まったものじゃあない」
――お義母さまたちの…永劫とも言える辛苦労苦を思うなら…幾千もの感謝を述べねばなりませんのに……。
「我が娘。君の言葉で私は救われるよ」
諸侯王・序列『侯爵』シルヴィナ。
天界に居た頃、神に反逆した神の腹心を止めるべく自らも堕天し、真なる魔王となり悪王を封じる善王の配下。
「元は神の遣いなのさ、魔王も。まあ、覚えている連中何て殆どいないがね」
堕天した事も気付かない、哀れな精霊の居た場所でそう呟く。
天界の怠慢に関しては、敢えて保留にしてもらった。
当分は神力減少で混乱してもらうとしよう。
シルヴィナは精霊の核を拾い上げ、呑み込んだ。
…吐き気はするが、神からコレの処遇は一任されている。その力をどう行使するかも。
「――さあ、花嫁を待たせるわけには行かないね」
冥婚の準備を始めようじゃないか。




