29.ヒルベルテの死の解明と余命僅かなバーンベルク女侯爵
(ヒルベルテを殺した元凶は、人間……)
魔王を故意に召喚した者がいる。それが『善』だと確信し実行した者がいる。
もしかしたら、そそのかした魔族が居るのかもしれない。それでも、その人間の意志で最悪の存在を解き放った。
国内外へ影響力の強いバーンベルク女侯爵と、第二王女の婚約者であるヒルベルテを疎む者は多い。
国内に絞るならば筆頭は、未だに第二王女を聖女としてその庇護下に置きたい、――教会。
純潔の聖女を欲するならば、第二王女の婚約者もその後ろ盾となる侯爵家も邪魔者だろう。
実際、聖女の権威の在り様を抗議した、現辺境領支部のあの司教は左遷されてここに来た。
証拠はまだ無い。だが、調べる価値はある。
オルトスはアヌシュカをそっと抱きしめる。
「……俺は何と狭量なのだ。君になんの咎も無いのに、怒りをぶつけようとした過去の自分を殴りたいよ」
「旦那様は僕に何もしていませんよ。拳を振るう相手は他にいます」
アヌシュカは疑念が晴れない様子だ。
「…それに、正確に塵の魔王の封印場所――或いは真名を当てたことも気掛かりです。
真なる魔王の封印場所は、魔塔の魔術師さんも確信が無いようでした。僕も、先代魔王の母ですら、おおよそしか知らない場所なのです。
正確に言い当てたのは誰なのか、分からないのです」
「…そう、か。アヌシュカ、……塵になって死んだ者は、永劫消滅したままなのだろうか」
アヌシュカは暫し考えを巡らせているようで、沈黙が続いた。
「不思議なことはあります。魂も全部消滅したなら、タッセルの魔力も消えます。てっきりヒルベルテ様のい……その、毛が編み込まれているからと思いました」
「…人毛の護符か」
術者の血や髪が触媒としては有効なのは知っている。だから組紐が赤なのか。
なあアヌシュカ、髪の毛だろう?何だ『い』って。
「その、あの、髪を主に触媒にしています」
主って何だ。『い』って何だアヌシュカ。
「うう…、……………」
「うん、そうか、効率重視か。……おてて綺麗にしような、アヌシュカ」
取り敢えず、ハンカチでアヌシュカの手を拭いておく。
「…旦那様の魔障の呪いに誘われて、他の悪い魔族が来ないようにするには……。諸侯王・序列『侯爵』の眷属『騎士』の匂いは凄く有効なんですぅ、生命力が強いところに近い部分は効果があって、その」
あいつも武人だ。そして狡猾な一面もある。確実な手段で活路を切り開く。
…化けて出てくれるなら、『い』の件で小突いてやりたい。
知らずに妻に直させたぞ、あの野郎。
ヒルベルテがここに居たなら、『ゴメンてー』としょぼくれて、オルトスに小突かれただろう。
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しおしおな表情のアヌシュカの頭を撫でる。
「いい。そういう奴だと俺が良く知っている」
「は、はい。その、魂の件ですが。
ヒルベルテ様のお身体が消滅する前に、誰かが魂を引っこ抜いて夢の世界に移動させれば、完全に消滅はしていません。
虹の橋を架けると女侯爵様は書いています。それは死の世界と夢の世界の架け橋なのです」
「それでも、強者との戦いの最中でそのような芸当など……」
「高位の魔王と対決した時、精神や夢の世界から不意打ちを掛けます。
そして、高位の魔王の精神を分断して、それぞれの世界で戦います。
――狡猾なお方なら、協力者はいると思います」
「ふむ……」
次元の高い戦いだが、女侯爵が古参の魔王ならば、その戦法を取ってもおかしくは無い。
ただ、ヒルベルテの救出が出来たとして、激しい戦闘の最中だ。
負傷した兵を担いで、戦場のど真ん中から脱出するようなもの。何かしらの弊害はあるだろう。
それでも、ヒルベルテは生まれ変わる可能性がある。そう思うだけで幾らか救われる。
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「死者を連れ戻すとは、女侯爵の手紙に書いていない。そんな場所で何をするかは……、期待半分としておこう」
「はい。ただ――、女侯爵様は寿命が尽きる前に、色々手を尽くしたいようです」
「何だと?」
以前来た時は、己も魔障の痛みで朦朧としていたが、異常を感じなかった。
いや、感じさせなかった?
「お手紙に。じきに寿命が尽きるとありますので……」
アヌシュカはその文字をなぞる。
――私の息子、諸侯王・序列『騎士』ヒルベルテは塵になって死んだ。
それ以降、私の心はポッキリ折れた。
「諸侯王には寿命の概念はありません。僕は半人なので、人の寿命に準じた感じです。
女侯爵様のような純粋な魔王の場合……。生きる希望が無くなった時。
――本当の絶望をした時。魔王は、死にます」
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「……」
シルヴィナ女侯爵は、どのような想いなのだろうか。
何時も飄々と人を食ったように揶揄うあの女侯爵が、じきに死を迎えることの想像がつかない。
ヒルベルテは時々、まるで未来が見えるような行動を取ることがあった。
知っていたのだろうか。自分自身の死を。
…或いは、母やオルトスが諸侯王達に殺される未来を見たのだろうか。
(ヒルベルテ。…確かに、最善だったのだろう)
甚大な被害を被ったバーンベルク騎士団を速やかに取りまとめるのに最適なのは、シルヴィナ現当主だ。
魔王出現後、魔障の激痛で己が倒れた。混乱する我が領へ、隣領たるバーンベルク侯爵領から何かと便宜を図れたのも。
聖女の必要性を説く教会を黙らせるのも、女侯爵であり戦いの当事者たる彼女の発言は大きい。
オルトスは魔王の事情に疎いが、真なる魔王の封印から醒めた『君主』の存在は魔国を大いに混乱させただろう。――それを、取り締まることが可能なのは?
第二王女の婚約者では自領を動かすには立場が弱い。序列『騎士』では諸侯王たちをまとめられない。
魔障に苦しむオルトスでは、彼の後ろ盾になれない。
アヌシュカが直してくれたタッセルを見つめる。
(お前は…何と聡く……冷酷なのだ………)
彼が大切にしている者たちの心が引き裂かれんばかりに悲鳴をあげても、成し遂げた。
――己の命と引き換えに。
ヒルベルテは、人間の国と魔族の国の双方の混乱を防ぐ、最善の行動に出た。
シルヴィナを知るからこそ、彼女なら混乱を鎮めるに適していると判断した。
「シルヴィナ殿は……見たかっただろうな。
お前が王家の一員として、伴侶と国を盛り立てる姿を」
人を愛するがゆえに、国を育む我が子の姿を見守りたかった。
『母上の意外な秘密。あの人、エルルの花嫁衣装を作っているよ。刺繍やら超繊細で、問題ないか針子やデザイナーに毎回確認してもらって、デザイナーが出来の良さに失神したわ。でもマジで綺麗でさ、結婚式が超楽しみ』
我が子とその伴侶の晴れ舞台を、待ちわびていただろう。
――人間の手引きで、最愛の息子が目の前で塵になって死んだ。
どれ程絶望した事だろう。どれだけの憎しみを押し殺していることだろう。
それでも。
最後の最後まで、人を。友を。国の行く末を案じた我が子の想いを汲んだ。
悪趣味な賭けだと思った。しかしそれは彼女なりの、息子に殉じた賭けだった。
――我が子が命を賭したものを守るに値するか。
それを見極めた。
「――絶望して、寿命が尽きるまで…どの位の猶予がある?アヌシュカ」
「これは、個人差があります。……女侯爵様の場合、次の後継者に全ての引継ぎを済ませるまでは、気持ちが張っていると思うので…数年は猶予があるかと。…ただ。
会ったことのない僕にこのようなお手紙を書く辺り、後継者の件…不安なのではないでしょうか?」




