28.バーンベルク女侯爵の手紙
アヌシュカはダリアの母――前メイド長の魔障の治療に行ったという。
その上、教会の司教が過労で倒れたとのことで、代理で管理指示を行って来たとのこと。
教会からは何の要請も嘆願も無い。
聖女の一件で苦しむ領主に負担を掛けまいと、着任した司教は身を削って凌いでいたという。
(神官の神力減少問題もあって、苦しい状態だろうに)
各地で問題とされている、神官の神力減少問題。
当代の聖女の問題行動もそうだが、彼らの信仰心と反比例して神力は減っている。
体調も大分安定して来たので、近いうちに慰問に向かうこととしよう。
さて。
ライ麦パンにリンゴ入りバターを塗り、燕麦入りクラムチャウダーを美味しそうに食べる目の前の妻に、女侯爵の手紙の件を何と言おう。
魔王に関する点が多いため、アヌシュカの意見を聞きたい。
だが、不特定多数の賭けに使われたなど、彼女を傷つけはしないだろうか?
だが、あの女狐だ。黙っていたとして、問答無用で来訪しかねない。
事前に伝えた方が、心にゆとりを持てるだろうか?
「旦那様?何か困ったことがありますか?」
アヌシュカにそう聞かれれば、問題を先送りにするのは悪手だと考えたオルトス。
「バーンベルク女侯爵を知っているか?」
「僕と旦那様の結婚を仲人した、将校さんだと認識しています」
「女侯爵と会ったことは?」
「いえ。リッツ伯爵が結婚に関してはやり取りをしていました。シャルロット伯爵令嬢が拒否したので、伯爵の姪に当たる僕がここに来ました」
「……君の父は伯爵家の人間だ。何故、伯父や従姉と呼ばない?」
「僕は平民女の穢れた血が入った紛い物と言われました。そう呼ぶことを拒絶されました」
「(リッツ伯爵からの援助要請は拒絶で良いな)…アヌシュカ、疲れているだろうがもう少し食べるといい。ベリーならそう身体の負担にならないだろう」
パクッ。
「…………。(俺は、何故、つまんだベリーを直接彼女に食べさせた?アヌシュカの皿に乗せれば良いだろう?)」
最初は無意識だったが、2口・3口と進める辺りでオルトスは、アヌシュカの反応が楽しくなっていた。
甘いベリーに当たれば無表情だが目を輝かせる。
酸っぱいベリーに当たれば僅かに口をへの字にして噤んでいる。
ダリアが苦言を呈するまで、妻の表情の変化を楽しんだオルトスだった。
+++++
「女侯爵様のお手紙を、僕が読んでも良いのでしょうか?」
「あの人はこちらを揶揄う文面を送るが、今回は一層ひどい。だが、奇妙な言葉選びをしているので、君に見て欲しい。
不快なら読むのをやめて良い」
「はい。では、拝見します。……。………………」
アヌシュカは酸っぱいベリーを食べた時以上に、顔をしかめている。
「(やはり、賭けの対象など不快だろうか)アヌ……」
「旦那様。――侯爵様は、諸侯王について『詳細に』言って良いとの判断です」
その表情は何処か硬く、悲しげだ。
アヌシュカが手紙を差し出す。オルトスの知らない文章が追加されていた。
『諸侯王・序列『侯爵』アヌシュカへ。
最古の諸侯王・序列『侯爵』シルヴィナ・バーンベルクの名の下に、我らの情報開示を許可する。
私の息子、諸侯王・序列『騎士』ヒルベルテは塵になって死んだ。
それ以降、私の心はポッキリ折れた。
だが、私の息子は未来を繋ぐことを望んだ。その願いは叶えよう』
「……旦那様のご友人はバーンベルク女侯爵の次男さんだと聞いています。
…その方についても、僕の推測も交えて…お話しすることになると思います」
「構わないよ。ヒルベルテが魔王に連なる者だとして。
…あいつは、お節介な俺のやかましい友人であることに変わりはない」
婚約者を愛し、この国をも愛していた。
最後の最後まで、己やこの国の未来を案じた友。
それだけだ。
「――まず、改めて確認させてください。ヒルベルテ侯爵令息は、本当に塵になって死んだのですか?」
「――ああ。シルヴィナ女侯爵を庇って、魔王配下の攻撃を喰らい塵となった。
女侯爵と、近くで戦闘中の騎士らの証言だが……」
アヌシュカはその瞳に戸惑いを浮かべる。
「…………いません。如何に下位の序列でもありえません。
最古の高位魔王の眷属を、塵にして消滅出来る魔王も配下も――いません」
+++++
―― 一体、お前に何があったというのだ。
思案する前に、オルトスは顔色の悪いままソファで硬直するアヌシュカの背中をさする。
「――大丈夫。心当たりのあるものを、少しずつ話して欲しい。どんなに荒唐無稽でもいい、受け入れる」
アヌシュカは嘘が付けない。
秘密にすることがある場合は、即座に拒絶か沈黙してしまう性質だ。
「――とても、あり得なくて、どうしようもない愚かなこと。です。
まず、僕は。それが可能な魔王は知っています。
大昔。真なる魔王との戦いで封印された、悪王の配下。序列『君主』。
名は言えません。呼べば、その者の願いによっては塵のように魂すら消滅します。
…『塵の魔王』そう呼ばれてはいます」
「『塵の魔王』…、『君主』…」
それでも、あり得ないことだとアヌシュカは続ける。
「封印について詳細は言えません。ただ、内部からの破壊は不可能です。
外部からの干渉は…封印の解除は魔王の誰にも出来ません。悪意のある人間にもできません。ただ――
人類の…『悪意無き』召喚者が『封印場所を正確に』知っていれば、外部から干渉は出来ます。
――人間に使役されることは、余程の気まぐれが無いとありません」
「君たち善王側の魔王にも、封印の解除は出来ないのか?」
「出来ません、善王の采配です。当時は魔王の在り方で相当揉めたそうですので」
「――そうか。…話してくれてありがとう。
ずっと、不思議だったのだ。ヒルベルテは俺の良い好敵手でもある。
そんな男が、魔王の配下に遺体も残さぬ殺され方をしたことが、あまりにも受け入れられなかった」
そもそも。
今回の魔王討伐はあり得ない事ばかりだった。
ゼフェスゾームの山脈は聖なる地とされている。悪意あるものは目的の場所にすら辿り着けず、神聖な場所として神殿も建っている。
あの聖女が、聖地たる神殿に向かえなかったのは公然の秘密だ。
そこから魔王が現れ、眷属を仕向けて来た。
それが、あり得ない。
何百年と、あの山に魔王が現れた事などない。
魔獣の類は襲ってくることはある。
だが、彼らは魔獣の渓谷から大陸の4分の1を占めるゼフェスゾームの山脈を迂回して辺境領を襲うのだ。最短ルートである山越えはしない。
アヌシュカやシルヴィナ。そしてヒルベルテ。
彼ら魔王は理性的と言って良い。…女侯爵の性格には難があるが。
だが。あの魔王はまるで、狂った獣のようだった。
唐突にあの聖地に召喚されたなら?
…狂うだろう。オルトスを苛んだ痛みを味わったかもしれない。
帰る場所も分からぬまま、いたずらに暴走した。
そして、魔王討伐に赴いたベルンシュタイン騎士団とバーンベルク騎士団。
そのタイミングで、シルヴィナ女侯爵とヒルベルテらバーンベルク騎士団は。
召喚された最上位クラスである諸侯王『君主』と相対し、魔王とその眷属との戦闘となった。
故に、バーンベルク騎士団は甚大な被害を及ぼした。
――人類は禁忌を侵した。私も、人類から手を引くつもりだったのだよ。
だが、君を放って置けなかった私の息子は、最善の未来を選んだ。




