愛しい君よ、死の先で一緒になろう(3)-sideクラウス-
とりあえず、処分しなければならないものだけこっそりと処分して、あとは軽く部屋を整理するにとどめた。ある程度の生活感は残さないと、さすがに家族に疑われてしまう。
一月ほど経って、実は夢だったのだろうかと思い始めたとき、モ-トンから連絡が来た。
“明日の夕方に、遺品になるものを持って、この間会った店に来い”
内容はそれだけだったが、ああ、本当に自分は死ぬのだ、という実感がすとんと胸に落ちた。
家族も、友人も、身分も、金も、何もかもを捨てて、誰も自分を知らない場所で。
今までのような後ろ盾もなく、たった一人で生活していかなければならない。
(本当に、できるのだろうか……)
そうして自分は、エヴァンにも同じことを迫るのだ。
冷静になって考えてみれば、あまりにも身勝手な話だ。
恋人と一緒にいるために、家族も友人も捨てて散々悲しませた挙句、その恋人にも同じことをしろと強要する。エヴァンはそんなこと、望んですらいないのに。
これほど身勝手な男では、エヴァンに幻滅されたとしてもおかしくないし、幻滅されなかったとしても一緒に来てくれる可能性は低いのではないだろうか。
そこまで考えて、クリストハルトは首をひねった。
(ん……?よく考えれば、これはモ-トンにばかり利がある話だな)
彼にしてみれば、絶対に裏切らない駒を手に入れたようなものだろう。
衣食住と職場を用意してやることで、自分で仕事を探して働く力のない貴族出身の若造に多大な恩を与えられるし、男性同士の恋という禁忌を犯していた事実を盾に、どんなことでもさせられる。クリストハルトがもしエヴァンを手に入れられなくても、終身で自分の手足として働かせることができるし、エヴァンを手に入れられればその身を質にすることができる。これほど話が早く進んだのも、そのことに気づかせないためか、気づいたとしても引き返せない状態に持って行くためだろう。
(さすがだな……)
気づいたからといって、引き返す気は特にないが、手のひらの上で転がされるというのはなんとも複雑な気分になるものだ。
商人の計算高さを甘く見ていたな、とほろ苦く笑って、クリストハルトは鞄を手に取った。
形見になりそうなものとして、祖父から贈られた金の懐中時計を選択した。
ヘインズ家の紋章入りだし、肌身離さず持ち歩いているものだから、遺品としては最適だろう。愛着はあるが、ずっと持っているわけにもいかないので、ちょうどよかった。
三日後の夕方、普段通りを装って家を出ると、先日会ったクラブに向かう。
通された部屋には既にモ-トンがいて、クリストハルトを認めると、にやりと笑った。
「お、ちゃんと来たな。ここで尻込みして逃げられたらどうしようかと思ってたよ」
「はは、信用されてないんだな。心配しなくても、今更逃げたりしないさ」
逃げたら逃げたでかなりえげつない報復をされるのが目に見えている。どちらにしても、この道を選んだ時点でモ-トンからは逃げられないのだ。
「じゃあ、この契約書にサインよろしくな。それと、この契約書にサインした時点で、あんたはクリストハルト・ヘインズじゃなくなる。新しい名前を考えておけよ」
「ああ」
頷いて、ペンを手に取る。丁寧に書類を読みながら名前を記入していって、最後の空欄でペンを止めた。
『あなたの新しい名前は?』
少しだけ考えて、ペンを動かした。
『クラウス・シュタイナー』
北方の国から嫁いできた、信心深い母が名付けた、クリストハルトという名前。
神に背いたこの身で、神の子の心を表す名前を名のることに、ずっと罪悪感があった。
けれど、母がつけてくれた名前に愛着があったし、何よりエヴァンが呼んでくれる愛称を、響きだけでもいいから残しておきたいという欲がはたらいた。
苗字はわりとよくある名前を選んだ。珍しいものは記憶に残りやすい。モ-トンに何をさせられるか分からない以上、目立つ名前を名のることははばかられた。
全ての書類にサインを終えると、モ-トンがざっと内容を確認し、ぱちりと指を鳴らす。
すると、今までクリストハルトが着ていた服をまとったモ-トンの部下が、静かに部屋を出ていった。
モ-トンの話によれば、彼はこのまま酔ったふりをしてクラブにいる人々の注目を集め、用意していた馬車に乗り込むという。そして、馬車を暴走させ、川に落とす算段だそうだ。
死体はすでに用意されているそうで、馬車が川に落ちてからクリストハルトの着ていた服を着せて、川に投げ込むという計画を立てているらしい。
(父上、母上。エリオット、ルイス……)
目を閉じて、残していく家族を思う。
ヘインズ家の跡取りとして、期待をかけて育ててくれた両親と、疎遠になりつつあるすぐ下の弟に、よく懐いてくれた末の弟。
皆を悲しませてしまうだろう。弟二人には、望まない道を歩ませてしまうかもしれない。
自分の身勝手のせいで苦しむ人が、きっと何人もいるに違いないのだ。
(……だが、それでも俺は)
やり直しの機会を与えられたとしても、クリストハルトは何度でもこの選択をするだろう。
エヴァンとともにこの先の人生を歩める可能性があるのなら、他の何を捨てることになったとしても、それを選ばないという選択肢はあり得ないのだから。
某年の、秋の日の朝。
ざあざあと、号泣するような激しい雨が降る中、国外へ出港する船の乗船所に向かう馬車に揺られながら、モートンから無言で手渡された新聞を開く。大きな事故があったことを報じる記事にざっと目を通してから、丁寧に折り畳み、鞄の中にしまった。どうやら多少の予定の変更はあったようだが、無事に工作は完了したようだ。
「こりゃ、船が出るかも怪しいな。出たとしても、相当揺れるぞ。大丈夫か、クラウス?」
「……さあ、どうだろうな。もしも船酔いしたら、君に看病をお願いしよう」
耳慣れない名前に、一瞬反応が遅れたが、考えていたふりをして誤魔化す。
「は?絶対嫌だね。絵面を考えてみろよ、地獄だろ」
言われて、モ-トンに看病される自分を想像してみると、いろいろな意味で最悪だった。顔を歪めたクラウスの横で、モ-トンも口を押さえている。
「……それもそうだな。自分で言っておいてなんだが、俺も、君に看病されるのは、ちょっと……」
「だよな。じゃ、そういうことで」
そんな軽口を叩きながら、今頃泣いているであろう恋人を想う。
(……すまない、エヴァン。なるべく早く、帰ってくるから)
全てが整ったら、君に会いに行こう。
-だから、どうか、愛しい君よ。
クリストハルトの死の先で、クラウスと一緒になろう。




