愛しい君よ、死の先で一緒になろう(1)-sideクラウス-
困惑を宿した若葉色の瞳が、目の前に立つ男の姿を認めて驚愕に見開かれるのを、黙って見ていた。
信じられないというふうに揺れた瞳に、自分が与えてしまった傷と、悲しみの深さを思う。
湧きあがる歓喜と、抱きしめたい衝動を押し殺して微笑むと、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「……エヴァン」
隠しきれない激情に掠れた声で名を呼ぶと、彼の顔がぐしゃりと歪む。
「クリストハルト……っ!」
激突するような勢いで飛びつかれてたたらを踏んだが、なんとか踏みとどまって受け止める。鼻孔をくすぐったエヴァンの匂いに、ああようやく会えたのだと実感できた。
ひとしきり抱きしめあって、再会の喜びを分かち合った後。
じわりと目に涙を溜めながら、エヴァンがゆっくりと顔を上げた。
「それで、どうして君はここにいるの。……もしかして本当に生き返ったとか?」
記憶にあるより少し削げてしまった頬を撫でて、そっと首を振る。
「……いいや。死者は戻らない。クリストハルト・ヘインズは死んだ」
目を瞠ったエヴァンの額に口づけて、もう一度頬を撫でた。
「ここにいる俺は……クラウス・シュタイナーだ。貴族でもなければ、この国の国民ですらない。たった一つの目的のために、自分の持っている全てを捨てた、ただの男だ」
つい先日、ラッセル・モ-トンがアイリスに言っていた言葉が蘇る。
恋に溺れて何もかもを投げ出した、愚かな男。
エヴァンと一緒にいたいばかりに、クリストハルト・ヘインズという存在をこの世から抹消し、新たにクラウス・シュタイナーとして生きることを選んだこの行動は、確かに愚かで、狂っていると評されるべきものだろう。
それでも、クリストハルト・ヘインズである限りは決してエヴァンを手に入れることができないというのなら。
わずかでも可能性のある方に賭けるのは、当然のことだった。
―遡ること、一年前。
アイリスが持ちかけてきた提案を前に、クリストハルトは正直、これしかない、と思っていた。
リドメイソン侯爵令嬢との茶会を機に、自分に婚約の打診が来ていることを知ってから、なんとか回避する術はないかとずっと考えていたが、なかなか周囲を納得させる良い案が浮かばなかった。それが、向こうから提示されたのだ。飛びつかないほうがおかしい。
アイリスにはエヴァンの手前、今一度考えるように言ったが、彼女はこうと決めたら梃子でも動かない頑固者だ。まず意見を翻すようなことはしないから、そちらは心配しなくていい。
―問題は、エヴァンだ。
彼は、自分の問題は自分で解決しなければと考える性格だ。いくら向こうから首を突っ込んできた形になるとはいえ、アイリスが自分たちのせいで傷ついたりするのを見るのは嫌なのだろう。
エヴァンの言う通り、アイリスを利用することになるのは心苦しかったが、彼女がそれでいいと言うならそれに甘えようではないか、と言いたくなるのをぐっとこらえる。いくらなんでも薄情だし、無責任な台詞であることは自覚していた。
一瞬、自分に婚約の打診が来ていることを打ち明けてしまおうかとも考えたのだが、それを言って、じゃあ別れよう、と言われるのが怖くて、結局何も言えないまま。
『アイリスの気持ちは、どうなるんだ。この提案に乗るってことは、アイリスの好意にあぐらをかくようなものじゃないか。いつまでも彼女の気持ちを踏みにじって、辛い思いをさせることを、君は良しとするの?』
その言葉に、いいや、と返すことしか、できなかった。
帰り道、ぽつぽつと雨が降る中、不意に行きつけのクラブに行くことを思いたったのは、天啓か、はたまた悪魔の啓示か。
いずれにせよ、この選択をしたことで、クリストハルトの運命が大きく変わったことは紛れもない事実だった。




