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愛のカタチ  作者: 夕崎まほろ
<IFル-ト>
38/56

夜明けの悪夢

人によってはグロテスクと思える描写がありますので、ご注意ください。苦手な方のために、次回の前書きにあらすじを書くことにしましたので、スキップしてくださっても問題はありません。

 ざあざあと、雨の音が聞こえる。

 あの葬儀の日のような、聞く者を陰鬱な気分にさせる、重たく暗い雨音。


 その中を、一台の馬車が走っていた。


 突然馬が立ち止まったかと思うと、棹立ちになって嘶く。必死で抑えようとした御者を振り落として、馬は駆け出した。

 馬車の車輪が、ぬかるみに足を取られて、大きく傾ぐ。それに引きずられるようにして、馬は民家に激突した。客車は横転し、家の側面にめり込んでいく。瓦礫を巻き込みながら、馬車は凄まじい音を立てて大破した。


 気づけば馬車の残骸が間近にあって、地面にじわりじわりと黒い染みが広がりはじめていた。鉄錆のような独特の匂いが鼻を突く。

(……ああ)

 それが何なのか理解した途端、叫び出したいくらいの悲しみと恐怖が胸を貫いた。


 どれくらい、そこで固まっていただろう。

 ちり、と音がして、視界の端で光が揺れる。

 粉々に砕けた硝子の欠片の間から、小さな炎が顔を出していた。馬車の一部であっただろう飴色の木片を養分に、火はどんどんと燃え広がっていく。


 このままでは、クリストハルトが燃えてしまう。


 そんなことを思い、震える手で瓦礫をどけると、泥と血に塗れ、力なく投げ出された手が現れた。

 その爪の形と、骨ばった長い指は、まぎれもなくクリストハルトのそれで。

 そして、その少し向こうに見える、歪にひしゃげた金色の懐中時計は、彼の成人の祝いにと、彼の祖父から贈られたものだった。

 クリストハルトがいつも肌身離さず持ち歩いていたものだったから、よく覚えている。


「クリストハルト……クリス、クリス」


 掠れた声で呼びながら、温度を失った手を握りしめる。

 何度となく触れ合った、あの温かくて優しい手の感触の残滓に、心臓のあたりが引き裂かれそうに痛んだ。

 まだ命の温度がわずかに残るそれを両手で覆って、エヴァンは喘ぐように息を吸い、きつく目を閉じた。


 目を開けると、薄暗い室内だった。

 夜明けが近いのだろう、しっとりした清涼な空気が、悪夢に圧し潰された心を少しだけ癒してくれる気がした。

 窓の外から聞こえてくる雨音に、小さく息をつく。—たぶん、夢で雨が降っていたのはそのせいだ。クリストハルトが亡くなった日、雨は降っていなかったから。

 ベッドから身を起こす。あんな夢を見た後で、寝直す気分にはさすがになれなかった。


 クリストハルトがどのように死んでいったのか、エヴァンは知らない。

 炎の中、熱と苦しみに文字通り身を焦がしながら死んだのか、それとも馬車が激突したときの衝撃で、夜闇の中で孤独と痛みに苛まれながら逝ったのか。

 そんなことを考えるたびに、彼が味わったかもしれない悲嘆や苦痛を思って、あまりの悲しさと苦しさに、息が止まりそうになる。

(どうかせめて、何も感じることなく、眠りの中で逝ったのであってくれ……)

 見つかったときは、焼け焦げてぼろぼろになった状態で、顔すらも確認できなかったと、クリストハルトの父が言葉少なに話してくれた。

『体の大部分は炭化していたが……肉や骨が見えているところもあって、とてもではないが見られたものではなかった。妻は悲鳴を上げて気絶してしまって……私も、息子の遺体だというのに、ろくに目も向けられなかったよ。エリオットとルイスには、見るのを禁じたくらいだ。さすがに兄のあんな姿を見せるのは、不憫すぎる……』

 瓦礫の中から掘り出された、熱で溶けて動かなくなった金の懐中時計だけが、死体の身元を証明する、唯一の手掛かりだったという。


「クリス……」

 体を丸めて、呻くように彼の愛称を呟く。

 愛称で、その上呼び捨てで彼を呼ぶことを許されたのは、エヴァンの知るかぎり、彼の両親を除けばエヴァンだけだった。

 二人きりの特別な時間だけ、宝物の名前のようにそっと囁くたびに甘く胸をしめつけたその響きは、今では茨の蔓で絞め上げられるよう。

 悲しくて苦しくて、この身を苛む痛みは鋭いのに、どこか鈍い。

 胃の底に石でも詰まっているかのように重くて、それを吐き出そうとするように、深く息を吐いた。


(君がいないと、寒くてたまらない)


 今はもう、夏に近いはずなのに。

 冬の日の朝、二人で身を寄せ合って眠った日の暖かさを想う。

 あのときのクリストハルトの温もりが、恋しくて仕方がなかった。


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