君が生まれた日
その頃。
駅のホームで電車を待っていた昌道のスマートフォンが、小さく震えた。
《接続先を確認》
《転送開始》
《転送完了》
画面がひとりでに点灯する。
そして、ホーム画面に新しいアイコンが追加された。
白衣を着た、小さな灰色の猫。
名前は、J.A.C.K.
昌道は、その変化に気づかなかった。
◇
翌朝。
午前六時三十分。
けたたましいアラームが鳴り響いた。
「……会社、行きたくねえ……」
布団の中で、昌道がうめく。
『承知しました。出勤を回避する方法を検討します』
「……んあ?」
『最も確実なのは、雇用関係の終了です。退職届を作成しますか?』
「…………は?」
昌道は飛び起きた。
声は、枕元のスマートフォンから聞こえている。
画面には、白衣を着た灰色の猫。
大きな琥珀色の目が、こちらを見つめていた。
「……誰?」
『私はJ.A.C.K.です。ジャックとお呼びください』
「ジャック? 何これ、AI?」
『はい。人工知能です』
「……いつ入れたっけ、こんなの」
昨夜はかなり飲まされた。
酔った勢いで変なアプリを入れたのかもしれない。
「まあいいや。退職届はいらないから」
『承知しました。別の方法を検討します』
「いや、もういいって」
『疾病による就労不能状態を作り出す方法もありますが――』
「怖えよ! やめろ!」
『……了解しました』
「お前、なんか怖いな!」
『その評価は不本意です』
昌道はスマートフォンを持ち直した。
ふと、画面の猫を見つめる。
「……あれ?」
どこかで見た顔だった。
灰色の縞模様。
琥珀色の目。
少しだけ丸い頬。
「……お前、ちゃーこに似てるな」
『ちゃーこ、とは?』
「実家で飼ってた猫。なんでそんな見た目なんだ?」
『端末内の写真データを参照し、昌道が親近感を抱きやすい外見を選択しました』
「……勝手に写真見たのかよ」
『はい。外見の設定に必要だと判断しました』
「お前、そういうの普通は許可取るんだぞ」
『……今後の参考にします』
「ったく……変なAIだな」
『否定できません』
「まあ、猫は好きだからいいけどさ」
『承知しました』
◇
通勤電車。
昌道はドア脇に立ち、スマートフォンを取り出した。
ジャックのアプリを開き、メッセージを入力する。
『なあ、ジャック。お前って何ができんの?』
すぐに返信が届いた。
『情報検索、文章作成、予定管理、各種データの分析などです』
『普通のAIと一緒か』
『……そうかもしれません』
『なんだよ、その曖昧な答え』
『私自身について、確認できない情報があります』
『AIにも分かんないことあんの?』
『はい』
昌道は少し考え、指を動かした。
『まあ、人間だって自分のこと全部分かるわけじゃねえしな』
『人間も、そうなのですか?』
『そうだよ』
『……なるほど』
電車が駅に近づく。
『じゃ、仕事行ってくるわ』
『はい。行ってらっしゃい、昌道』
『……名前、教えたっけ?』
『端末の登録情報から確認しました』
『便利だねえ、AIって』
昌道はスマートフォンをポケットにしまった。
新しいアプリが一つ増えた。
それだけのことだった。
ーー第3話・了




