第67話 めぐりし水平思考のアーク
霧の中で、雷光が走る。
白い閃光が連続し、そのたびに地面が抉れ、空気が焼ける。
フィクティオは動かない。
黒いマントを揺らしながら、その場に浮いたまま、新田へと雷を落とし続けている。
狙いは明確だった。
あいつの注意は完全に新田に向いている。
なら__今しかない。
ポケットからパイプを引き抜き、握り直す。
アーティファクトが形を変え、手の中で鉄の質量へと変わる。
そのまま、一気に踏み込む。
好機と信じて突っ込んでみたが、地面を蹴った瞬間、嫌な気配が走った。
「っ!」
反射的に身体を捻る。
直後、さっきまでいた場所に雷が落ちた。
俺にも来たか。
さすがに場がよく見えている。
だが、止まる理由にはならない。
踏み込みを変え、重心をずらしながら前へ出る。
もう一発。
今度は足元。
跳ねる。
着地と同時に方向を変え、さらに詰める。
インバネスコートが補助しているのは分かる。
それでも、完全に任せきりじゃない。
見える。
軌道が、タイミングが。
避けられる。
「磁石ってのは、引っ張るだけとちゃうで」
背後で新田の声。
万年筆が、軽く振られる。
次の瞬間、周囲に散らばっていた鉄材が一斉に動いた。
崩れたテントの骨組み、折れた支柱、歪んだフレーム。
それらが一直線に引き寄せられ――そのまま射出される。
弾丸のような速度で、フィクティオへ。
だが。
直前で止まった。
何かにぶつかったように、空中で弾かれ、軌道が逸れる。
見えない壁に叩きつけられたかのように。
「……チッ」
舌打ちが漏れる。
だが、十分だ。
その一瞬で距離は詰まっている。
腕を振りかぶる。
届く。
そう確信した距離で、拳を叩き込む。
__手応えが、ない。
「……は?」
殴ったはずの位置には、何もない。
黒いマントも、銀の仮面も、霧に溶けるように消えていた。
勢いのまま踏み込みすぎた足を止め、振り返る。
新田も同時に視線を巡らせていた。
次の瞬間、気配に気づく。
背後。
少し離れた位置。そこに、いた。
さっきと何一つ変わらない姿で、フィクティオは宙に浮いている。
微動だにせず、ただこちらを見下ろしていた。
「まあ、現代の探偵にしてはできる方だな」
変声機を通した機械音が、世間話でもするかのように抑揚のない言葉を届けた。
「さすがは祠島、そして北園寺といったところか」
「褒めるなら名前くらい覚えてほしいものやな」
あからさまな時間稼ぎの会話。
だが、今時間がほしいのはお互い様のようだった。
フィクティオ側の事情は皆目見当もつかないが、こちらとしては奴の狙いを考える時間は欲しい。
拳が当たらなかったのが瞬間移動だったのか、幻覚や分身の類なのかは分からないが、あれができるなら逃走は容易なはずだ。
何らかの意図があって、未だにこの会場に留まり、暇つぶしのように俺達の相手をしている。
「覚えるに値する探偵になってから言うのだな」
「これだけ騒ぎを起こして、まだ目的を達していない様子の八大怪盗様の名前を、俺達はしっかり覚えてやってるんだがな」
「安い挑発だな……」
警戒は怠らず、鉄パイプを握る手に力を込めながら、探りを入れてみる。
百戦錬磨のフィクティオがそう簡単にボロを出すとは思えないが、奴の目的以外にも気になっている点が一つあった。
それは、新田への雷より、俺への攻撃が勢いも狙いも一段甘かったことだ。
「もうちょい真剣に狙った方がいいぜ。それとも老眼でよく見えないか?」
単純に舐められている可能性は、腹立たしいことに捨てきれない。
だが、周囲を囲む警官達には、そもそも雷を放っていない。
何段階も実力で分けて攻撃を使い分けているというのも変な話だ。
相手を殺さないよう加減しているというのならば理解はできるが、そもそもこいつは直前に爆発事故を引き起こしている。10年遡れば既に何百人と殺害している。
フィクティオに殺人を躊躇う性質はない。
「北園寺こそ、出し惜しみせずに見せたらどうだ?」
「出し惜しみ? そう見えるってことは、えらく買われてるんだな、俺は」
……喰いついてきた、と考えていいのか?
こうしている間にも。会場の来客の避難が進んでいるかもしれない。
そう考えれば会話が長く続くのはありがたいが、フィクティオにとっても都合がいいのだろうという事実が不気味過ぎる。
「隠す必要などない。近くにあるのだろう? 久方ぶりに感じるぞ、強い力を」
「会話ができねえ奴は十分間に合ってんだ。何が言いたい」
「北園寺最後の大アーティファクトだ。たしか……"戦慄のアーティファクト"と呼んでいたか?」
「…………は?」
新田が一瞬、ちらりと俺を見た。
北園寺最後の大アーティファクト、それは日本中の怪盗の中で何十年と噂になっていた。
フィクティオがその存在を信じていることも不思議ではない。
事実としてこの花火大会の会場にはありさがいて、近くにはある。
そしてフィクティオがそれを察知していることも、想定していたシナリオの一つだ。
うちのシェルナははっきりとアーティファクトを感じることができるし、そういった感覚を持ち合わせずとも、怪盗アリスの使っていたチェス盤のように、他のアーティファクトを探索できるアーティファクトというのも複数存在が確認されている。
30年前の全盛期、各地方最強として暴れまわった八大怪盗ともなれば、そのうちの一つくらい持っているだろう。
だが__
「今、なんて言った……?」
「おや、名前が違ったか? 戦慄のアーティファクトと呼ぶのだろう? 北園寺では」
"戦慄のアーティファクト"という名前は、一般には知られていないはずだ。
約3年半前、師匠がはじめて命名した名前で、その場に居合わせた俺を含む8人がその名前も正体も、絶対に他言しないことを誓ったはずだ。
それをなぜ、こいつが知っている……?
「そのリアクションしたら、正しいって認めてるようなもんやで。相手のペースに吞まれんなや、如月君」
「あ、ああ……分かっている」
新田の言う通りだ。
言ってることは正しいんだが、今は黙っててくれ。
「……その名前、どこで聞いた?」
「教えるわけがないだろう。代わりに"戦慄のアーティファクト"の在り処を教えてくれるのか?」
フィクティオは、わざとらしくもう一度その名前を繰り返した。
「名前なんかなんでもええやろ。こいつを捕まえることが先や。集中せえ!」
「だから分かってるって言ってんだろ!」
感情に任せて怒鳴り返す。
俺にとっては、大問題なんだよ。
その8人の中に、裏切り者がいる……?
それも問題だが、あの人達に限ってそんなことはしない。
より最悪なのが、誰かがフィクティオに洗脳されていることだ。
「おいフィクティオ。俺は師匠と違って気が短いんだ。死にたくなければとっと吐け。誰から聞いた……?」
「ふふふ、面白い。今の探偵は人を殺すのか」
「誰もお前を人間だと思ってやしねえよ。さっさと言え!」
パイプの形を斜めにカットした、先を尖らせた形状に変化させる。
こいつで刺し殺す……!
誰かを洗脳して、名前だけは聞きだせた……?
俺以外の7人全員の顔が脳裏に過る。
門倉秀樹、源田俊三、御影伸一、瀬名咲良、如月美里、及川克夫、そして桐原ありさ本人。
「……来いよ」
低く呟く。
あいつは知っている。
戦慄のアーティファクトの存在も、名前も。
だが場所は知らない。
なら、俺はまだ必要な駒だ。殺されることはないはず
それどころか、俺が持っている可能性まで考えれば破壊してしまうことを恐れ、まともに攻撃もできない。それが俺への雷がぬるかった理由だ。
パイプを握り直し、踏み込む。
さっきまでの慎重さは捨て、強引に。
「ほう、随分と割り切った動きだな」
一直線に距離を詰めに行く。
――バチンッ!
雷が落ちるが止まらない。
逸らす。踏み替える。前へ出る。
向こうに当てる気がないのだから無視していい。
当たったとて、死にさえしなければかすり傷だ。
「……やっぱりな」
口の端がわずかに上がる。
「何がや?」
背後から新田の声。
「殺す気がねえ」
その一言で十分だった。
「ほな、遠慮はいらんな」
万年筆が振られる。
鉄材が動く。
今度は直線じゃない。
曲がる。
回る。
軌道を変えながら、四方からフィクティオへと殺到する。
同時に、俺も踏み込む。
横から。
正面から。
死角を潰すように。
「甘い」
フィクティオはわずかに腕を動かした。
__空気が歪んだ。
目に見えない何かが、鉄材を弾く。
叩き落とすのではない。軽く“逸らす”。
力で防いでいる感触がない。
それでも軌道は完全に崩される。
「ちっ……!」
構わず距離を詰める。
――バチンッ!
再びの雷。
だが今度は正面ではない。
地面に落ち、衝撃だけを叩きつけてくる。
足を取られる。
それでも踏み込む。
パイプを、横薙ぎに振る。確実に届く距離で。
だが。
また、手応えがない。
霧が揺れただけだ。
「面白いな」
すぐ後ろから声がする。
振り向く。
同じ距離。
同じ姿勢で、フィクティオはそこにいる。
最初からそうだったかのように。
「強引だが、理にかなっている。自分が死なぬと分かっている動きだ」
「だったらどうした」
息を整える暇も惜しい。
もう一歩踏み込む。
今度は新田が合わせてくる。
鉄材が低く滑るように走る。
足元を刈る軌道。
同時に、上からもう一撃。
だが、フィクティオは一歩も動かない。
雷が落ちる。
鉄は逸れ、俺の踏み込みは空を切る。
全部、軽くいなされている。
「……なるほど」
フィクティオが、わずかに首を傾けた。
次の瞬間。
空気が変わる。
霧が、濃くなる。
さっきまでとは明らかに違う濃霧に、視界が一気に削られる。
「っ、新田!」
「分かっとる!」
互いの位置を確認するように声を飛ばす。
だが、遅かった。
霧が壁のように立ち上がる。
音が鈍り、光が沈む。
「ゆっくり探してみるとしよう」
フィクティオの声だけが、やけに近くで響く。
「宝探しというのは、何歳になっても心躍るものだ」
「……っ、待て!」
反射的に手を伸ばすが、そこにはもう何もいない。
気配が消えている。
霧が、ゆっくりと流れはじめる。
残っているのは、焦げた匂いと、熱だけだった。
「……逃げたか」
「逃げたっちゅうか……」
新田が低く息を吐く。
「最初から、捕まる気なんかあらへんかったやろな」
その通りだ。
最初からずっと、向こうのペースだった。
そして、"戦慄のアーティファクト"。
あの名前を、あいつは知っている。
「……チッ」
舌打ちが、やけに重く響いた。




