第66話 忌まわしき霹靂のフィクサー
視界の先、灰色の霧が屋台街の一角を覆っている。
風に流されない煙。
爆発。
そして、さっきのAPP捜査員の様子。
材料は揃いすぎていた。
未逮捕の八大怪盗の一人、"東海の黒い霧"こと大怪盗フィクティオが現れた。
「……行け」
短く言う。
「どっちや?」
「霧の方だ。お前が行け」
新田が、わずかに眉を動かした。
「如月君は行かへんのか?」
「本当にフィクティオが来てるなら、俺よりお前の方が勝ち目があるだろ。それに、まだあそこにいると決まったわけでもないんだ。俺達が固まって動くのも時間の無駄だ」
言いながら、舌打ちしたくなる。
認めたくはないが、事実として探偵としての技能は新田の方が上だ。
八大怪盗の逮捕経験もある。
新田が一番可能性の高い場所に向かうのが、この状況でできる最善策だ。
「……へえ」
新田が、ほんの少しだけ笑う。
「素直やな」
「うるせえ。時間がねえだけだ」
吐き捨てる。
「俺は佐々木さんと合流する」
「さっきの警官か。そっちは任せてええんやな?」
「ああ。それと……」
一瞬だけ言葉を切る。
二番目に可能性の高い場所には俺が向かうべきなのだが、こっちに関しては自信を持ってフィクティオがいそうだと言える場所がなかった。
「さっきのAPPのやつ、あれが単なる暴走だとは思えねえ」
「ほう?」
「俺らを引き離す意図でフィクティオが仕組んだ可能性がある。単にこの会場から遠ざけたかったのならお粗末過ぎるし、可能性があるなら、ノーゴールドから引き離す意図だ」
新田の目が、わずかに細くなる。
「……なるほどな」
「だから俺がそっちだ。異論があるなら手短にな」
最後は突き放すように告げる。
フィクティオは用が済めばついでとばかりに会場中を霧で焼き尽くすだろう。話に聞く30年前も、10年前静岡に現れた時もそうだった。
あまり時間は残されていないはずだ。
「ま、他に妙案もないしな。了解や、如月君」
新田はそれ以上何も言わず、踵を返した。
そのまま、迷いなく霧の方へと走っていく。
その背中は、あっという間に提灯の灯の中へと消えていった。
「……」
俺は別方向へ足を向ける。
佐々木さんのいた位置へ。
――それと。
ありさ。
あいつは今、会場のどこかにいるはずだ。
あの霧が本当にフィクティオのものなら、最優先で確認するべきはそこだ。
走りながら電話を掛けてみるが……出ない。
花火が上がり続けていること、爆発のタイミングが絶妙だったこともあって、会場全体ではまだ爆発事故に気がついていない可能性もある。
何事もないからこそ、電話に気がつかない。
その可能性を信じよう。
人の流れを掻き分けながら進むうちも、まだパニックの様子は見られない。
その中を抜けて――
「……は?」
思わず、足が止まる。
そこにいたはずの場所。
佐々木さんと、さっき確保した男。
その二人が、力なく地面に倒れていた。
「おい!」
駆け寄る。
呼吸はある。
脈も問題ない。
ただ、完全に意識を失っている。
ノーゴールドの方も同じだ。
抵抗した形跡も、争った形跡もほとんどない。
「……何があった?」
周囲に視線を向ける。
数人の観客が、腰を抜かしたままこちらを見ていた。
「あ、あの……」
一人が、震えた声で口を開く。
「黒いマントの……人が」
「黒いマント?」
「それと……銀の、仮面で……」
心臓が、嫌な音を立てる。
「二人に話しかけて……」
「話して、それで?」
「そのあと、急に……二人とも倒れて……」
言葉が途切れる。
思い出すのも怖いのだろう。
「……どっちに行った」
「え……あっち……」
指差された方向。
人の流れの向こう。
霧のある方角。
「……」
舌打ちが漏れる。
遅い。
完全に、出遅れている。
時系列から考えると、俺達が銃撃の対処に向かった直後のはずだ。
「……やってくれるじゃねえか」
小さく呟く。
黒いマント、銀の仮面。
そして、風に流れない霧。
ここまで揃えば、疑う余地はない。
間違いなく今対峙しているのは、フィクティオだ。
「新田なら大丈夫だろうが、すぐに向かって……おっと」
スマホが鳴る。
__ありさからの折り返しだ。
「もしもし、ありさか?」
『うん。いろいろ終わったの? 合流する?』
花火の音と、電話の向こうは祭りの喧騒も聞こえてきており、若干聞き取りづらい。
だが、それこそが、ありさの身には何もない証明だった。
「あー……いや、ちょっと時間かかりそうだからさ。七海と一緒にいるなら、合流は無理そうだって伝えといてくれ」
「……それを、七海さんじゃなくて、わたしに電話したの?」
「まあ、いろいろあってな」
「ふうん」
鋭いやつなのか、俺達が兄妹だから察せてしまうのか、俺のごまかしでは、ありさは納得していないようだった。
「何でもいいじゃねえか。とにかく、5人で楽しんで、気をつけて帰れよ。帰るまでが花火大会なんだから」
「なにそれ。真守も一緒に帰ればいいじゃん。そんなにヤバそうなの?」
「ちょっと時間がかかりそうなだけだって。考えすぎだぞ、ありさ。それじゃ、七海と楽しんでくれ」
「ねえ待って。今日やたらと七海さんを気にするのって__」
電話を切る。
ありさはまだ何か言おうとしていたが、時間がない。
爆発事故の現場に、一刻も早く向かわなくては。
確認したいことは全て確認できた。
ありさが無事なこと。
そして、今このタイミングでありさが無事なのであれば、フィクティオの狙いは、戦慄のアーティファクトではないか、少なくともありさがそうだとはバレていないということだ。
息を整える間もなく、新田の後を追ってまた走り出す。
屋台街へ近づくにつれて、空気が変わる。
熱い。
肌にまとわりつくような熱気と、焦げた匂い。
そして__悲鳴。
「……っ」
足を止める暇もなく、その中へ踏み込む。
視界の先に広がっていたのは、祭りとは到底呼べない光景だった。
倒れた屋台。
燃え残る布。散乱した食材と、割れた器具。
その合間を縫うように人が運ばれていく。
「しっかりしろ! 担架こっちだ!」
「水! 水持ってきてくれ!」
警官と、居合わせた客が必死に声を張り上げている。
その腕に抱えられているのは、火傷を負った人間たちだ。
服の一部が焼け落ち、皮膚が赤くただれている。
意識のある者も、ない者もいる。
泣き声と、呻き声が混ざり合う。
「……くそっ」
奥歯に力が入る。
もう止まるわけにはいかない。
ここはもう現場で、怪盗と戦えるのは俺と新田しかいないのだから。
__パン。
乾いた音が、混乱を突き抜けて響く。
銃声。
それに続いて、鈍い衝突音。
何かがぶつかる音。
何かが壊れる音。
正体の分からない異音が、断続的に重なっている。
「……あっちか」
音のする方へ進む。
倒れた屋台を跨ぎ、散乱した物を蹴り飛ばしながら、最短で距離を詰める。
霧が濃くなる。
灰色の視界。
その中に、見えてくるものがあった。
「……っ」
喧騒の中心。
霧の奥。
二つの影が、明確にぶつかり合っている。
黒いマントをなびかせ、宙に浮くフィクティオ。
そして、新田。
その周囲を囲むように、複数の人影。
見覚えのある顔の制服警官たち。
そして私服の、状況からしてAPP。
全員が銃を構えている。
「撃て! 撃てる奴から撃て!」
「動きを止めろ!」
怒号が響く。
引き金が引かれるが__カチ。
「……は?」
乾いた音。
発砲されない。
別の一人が撃つ。
__カチ。
また、同じ音。
「なんだ……!?」
焦りが広がる。
次々とトリガーが引かれるが、どれも不発。
撃てない。
完全に機能していない。
「くそっ、なんだこれ!」
警官たちは舌打ちしながら、銃を確認し、使えないと判断したものから、躊躇なく地面に捨てていく。
その視線の先。
霧の中心。
新田はそこにいた。
だが__
「……おいおい」
思わず、声が漏れる。
状況が、想定の外側だ。
空気が弾け、
__バチン。
白い光。
直後、轟音。
雷だ。
しかも、至近距離で新田の周囲に、断続的に落ちている。
地面を抉り、火花を散らしながら、何度も。
「……っ!」
だが、新田は止まらない。
片手に持った万年筆を、わずかに振る。
周囲に転がっていた鉄材が、引き寄せられる。
崩れた運営本部テントの骨組み。
折れた支柱。
歪んだ鉄筋。
それらが宙を滑るように動き、新田の周囲へ集まっていく。
「……来い」
低く呟く。
次の瞬間、鉄材が突き立つ。
地面へ。
斜めに、無理やりねじ込むように。
即席の避雷針。
__バチンッ!
雷が落ちる。
だが、直撃しない。
周囲の鉄へと逸れていく。
火花が散り、空気が焦げる。
それでも足りない。
次の雷。
新田は一歩踏み込む。
別の鉄材が引き寄せられ、回転しながら頭上を通過しそのまま叩き込まれる。
雷の落ちる先が、間一髪のタイミングで作られていく。
「……はっ」
短く息を吐く。
無駄がない。
全てが反応であり、最適化されている。
落ちる雷を、読み切っている。
新田が睨む先、霧の奥。
黒いマント。
銀の仮面。
微動だにせず浮遊する、一人の影。
大怪盗フィクティオ。
「……」
ここまで踏み込んだ以上、既に奴の間合いにある。
いつでも今以上の地獄をこの場に作ることができるはずだ。
だが、あいつは楽しんでいる。
この状況を。
この混乱を。
そして、この戦いを。
「……ふざけんなよ」
小さく呟く。
足に力を込める。
次の一歩を、踏み出した。




