第61話 見えない秋空のスモーク
時刻は午後二時を過ぎた頃。
角川河川敷は、すっかり祭りの顔になっていた。
人の流れは途切れることなく続き、屋台の前にはそれぞれ小さな列ができている。
笑い声と呼び込みの声が重なり、さっきまでよりも一段、音の層が厚くなっていた。
「うわ……人、多いですね」
七海が感心したように呟く。
「まだピークじゃないぞ。夕方にはこの倍は来る」
「倍……」
軽く引いた顔をしている。
そのわりに、足取りは軽い。
完全に楽しんでいるな、こいつ。
「次、あれ行きましょう」
指さした先は金魚すくい。
水面に反射した光が揺れて、小さな赤い影が泳いでいる。
「……やらんぞ」
「なんでですか!?」
間髪入れずに食いついてくる。
「持って帰る気か?」
「……あ」
言葉に詰まる。
「ほらな」
「いや、でも! やるだけならいいじゃないですか!」
「やるだけってのは、一番タチが悪いんだよ。お前、冷房代をケチって普段事務所に来てるだろ。そんなヤツのやりそうなことは相場が決まってる。うちに押し付けるだろ」
七海はむっとした顔をしたが、すぐに視線を逸らした。
納得はしていないが、諦めた顔だ。
……珍しい。
「まあ、シェルナちゃんのいるところで金魚は飼えないですね」
「ちょっとは否定しろよ。本当に押し付ける気だったのかよ」
「じゃあ、あっち!」
今度は迷わず別の屋台を指さす。
輪投げ。
「だからやらんって」
「まだやるとは言ってないです!」
「他にどういう意図で指さしたって言うんだよ。クラーク博士ごっこか?」
「くらーく?」
「すまん、今のは俺が悪い。知能ってのは高い方が合わせるしかないよな」
「単に滑ったのをわたしのせいにしてません!?」
……そんなことねえよ。
七海は足元を駆け回るちびっ子たちに負けないくらいはしゃぎながら、周囲をきょろきょろと見まわしている。
まるで最初から遊びに来たような動きだ。
その横を、俺は一定の速度で歩く。
こいつ、忘れてないだろうな。
一通り奢ったら、その後は気がついたことを全部俺に教える。
そういう約束で、仕方なく付き合ってやってるのだ。
「……如月さん」
「なんだ」
「今、全然楽しんでない顔してますよ」
横から覗き込まれる。
この顔も、すっかり見慣れてきてしまった。
相手は、怪盗マリンランタンだというのに。
「仕事中だからな」
「それはそれです。今のところ何も起きてないんでしょう?」
「まあな」
「じゃあ、仕事しながら楽しめばいいじゃないですか。こーんなかわいい女の子と花火大会ですよ? 如月さんの人生で、もう二度とないかもしれませんよ」
「余計なお世話だ。街が恋人になるくらい、北園寺の探偵を全うしてやるからいいんだよ」
探偵なんかしてなければ、普通に楽しめたのかもしれない__なんてセンチメンタルな考えは、とっくに俺にはなくなった。
他の生き方なんて、選べる立場じゃなかったのだ。
……まあ、こいつも本来、怪盗として北園寺に来て、フィクティオを探している身なんだが、それでもこうやって普通に祭りを楽しんでいる。
単純に性格の違いなのかもな。
「……」
七海は急に黙って、少し驚いたように目を見開きじっと俺を見ていた。
「なんだよ。俺の顔に何かついてるか?」
「いえ、かわいいのは否定しないんだなって」
「……はあ!?」
何を勘違いしてるんだこいつは。
バカだバカだと思っていたが、ここまでバカだったとは。
「まあまあ、ちょっと気がつくの遅かった気もしますが、灯ちゃんは優しいので許してあげましょう」
「ニヤニヤするな気色悪い。そんなとこわざわざ否定する男はいねえってだけだ。ありさの方が10倍かわいい!」
「如月さんのシスコンっぷりでありさちゃんの十分の一なんですか!? それはけっこうかわいいって思ってますね!」
「一文にツッコミどころは一つまでにしてくれるか? 頭痛くなるから」
人混みの中でなければ、俺は膝から崩れ落ちていただろう。
どこまでもふざけたヤツだ。
「ま、いろいろ奢ってもらったし、そろそろ教えてあげましょうか。わたしが気づいたもう一つの違和感」
呆れる俺に構わず、満足気にふんぞり返る七海。
否定するのも面倒だし、必要な情報が聞けるならそれでいいか。
「あれ、見てください」
そう言って七海が指さしたのは__空。
よく晴れた青空に、いくつかの大きな雲。
快晴とは言い難いが、暑すぎなくてちょうどいい花火大会日和だ。
「空が……どうした?」
「なんか飛んでるんですよ。あの雲の、その、下らへんに」
再度七海の指先を丁寧にたどるが、特に何も見えない。
「鳥くらい飛んでるだろ」
「でも、ずーっとあの場所に何かいるんです。見えませんか?」
言われてみれば、何か黒い影が見える気もするし、気のせいだと言われればそんな気もする程度だ。
「わからん。お前には見えてるんだな?」
「はい。なんだろうなって思って。まあ、都会の人は目が悪いって言いますしね」
「あんまり聞いたことないけどな。日本人同士でそんな違うかね」
仮に、七海の言う通り何かが飛んでいて、それが鳥でないとしよう。
次に考えられるのはドローンの類だが、肉眼で見えるか見えないかの高度まで飛んでいるとすると、民間に合法で出回っているものの性能ではない。
APPの監視用という線も、なくはないか。
そして最後に考えるべき、もっとも薄い可能性として、何かしらのアーティファクト。
飛んでいるもの自体がそうなのか、ものを飛ばすアーティファクトなのか。
「どうです? 焼きそば代くらいには役に立ったでしょう?」
「まあな。他に情報がない以上、そんなんでもありがたいのは事実だ」
しかし、そんな高さのものをどうこうしようもない。
強いていえば、誰かが意図をもって飛ばしているものだとすれば、その誰かは飛行物体を見ているだろうという推測は成り立つ。
花火が始まってしまえば、誰もが空を見上げるが、今この時間ならぼーっと空を眺めている人間はほとんどいないはず。
ギリギリ探せるか……?
「一応、お前みたいにアホ面でその飛んでるやつを見上げてる人間が他にいないか。見ながら歩いてくれ」
「わたしは賢そうな顔で見上げてましたけど、了解です」
「そういうところだぞ」
双眼鏡か何かで見ているなら、というかその方が普通なんだが、この会場にいるとは限らない。
北園寺のバカ怪盗ノーゴールドなら、直接出向いてきてる方がしっくりくるが。
「会場に来ているのなら、屋台村の外だろうな。一旦離れるか」
「これ以上奢りたくないってことですか?」
「もちろんそれもそうだが、この人混みと、低いとはいえ屋根もある。常にあの飛行物体が見える位置って考えたら、ちょっと離れたところだろう」
「じゃあ、たこ焼きとチョコバナナ買ってから行きましょう」
「奢りたくないのもあるって、言わなかったか?」
ちょっとは役に立つかと思ったら、すぐこれだ。
こちらを見る七海は、真剣そのもので、あまりにバカらしくて吹き出してしまった。
「あ、ようやく笑った」
「お前がバカ過ぎてな」
「最近なんか落ち込んでるみたいだったから、ちょっと安心しました」
「……別に落ち込んでねえよ」
見透かしたようなこと言いやがって。
……七海の癖に。
たこ焼きの屋台の前に着くと、鉄板の前に立っていた店主が、妙な動きをしていた。
丸い型に流し込まれた生地は、すでにいい具合に固まりはじめている。
だが__手が止まっている。
「……どうかしました?」
七海が、遠慮なく声をかけた。
店主は、少しだけ驚いたように顔を上げる。
「ああ、いや……悪いね、すぐ焼くから」
そう言いながらも、視線は鉄板ではなく、屋台の奥__上の方へ向いていた。
つられて、俺も目をやる。
簡易的に取り付けられた換気扇。
煙を外に逃がすための、小さなファンだ。
問題なく回っていて、音もしている。
店主が気にしていなければ俺もスルーしていただろうが、確かにどこか違和感がある。
「……?」
店主は、手にしていた串をくるりと回しながら、首をひねった。
「壊れて……ないか?」
独り言のように、ぽつりと呟く。
「さっきから、妙に煙の抜けが悪い気がしてなあ」
店主はそう言うが、鉄板の上に立ち上る煙に不自然な点はない。
屋台だとまた勝手が違うのかもしれないが、北園寺のたこ焼きチェーン店の光景と違いがあるようには見えなかった。
「でも、回ってますよね?」
七海が、少しだけ背伸びして覗き込む。
「おう、回ってはいるんだが……」
店主は納得いかない様子で、もう一度だけ換気扇を見上げた。
「まあいいや。気のせいかもしれん」
そう言って、ようやく手を動かし始める。
生地を返す音が、軽快に響いた。
俺は、何も言わずその様子を見ていた。
煙はきちんと換気扇に吸い込まれている。
その先、簡易的な屋根の裏から、しっかりと煙を逃がして……ない。
屋台のどこからも煙が立ち上っていない。
まるでどこかに消えてしまったように。
さっき七海が言っていたことが、頭の中で重なる。
「……」
視線を、ほんのわずかに上へ向ける。
雲の下を飛行する何か。
そして、屋台の上で回る小さな換気扇。
「……おい」
小さく呟くと、七海が振り向いた。
「なんです?」
「さっきの話、もう一回聞かせろ」
七海は、少しだけ不思議そうな顔をして――それから、にやりと笑った。
「りんご飴で手を打ちましょう」
「どんだけ食うんだよ」
打ち上げまで、あと3時間。




