第60話 厚かましい焼きそばのソムリエ
新田と別れて、俺は再び屋台の並ぶ通りへと足を向けた。
さっきまでいた河川敷の端とは違い、祭りの空気が満ちはじめ、人の密度も、一段上がっている。
焼きそばの列は伸び、たこ焼きの鉄板は休む間もなく回り続けている。
呼び込みの声も、さっきよりずっと大きい。
「……賑わってきたな」
足を止めずに、周囲を見回す。
人の流れは相変わらず自然だ。
人だかりになるような、ちょっとしたハプニングもなく、陽気に穏やかに流れていく。
これでまだ1時過ぎ。半分の出店のオープン前だ。
岸辺のようにあからさまに強い視線を投げられなければ、この中で特定個人の不審な行動に気がつくというのは困難だろう。
同じ屋台の前を何度も往復する人間。
買うでもなく、立ち止まっている人間。
ずっと同じだ。
何人か目に留まるが、怪盗の疑いがあるというわけではない。
「……やっぱりこんなもんか。岸辺も新田もいるが、この人の多さではどうにもならないな」
呟いて、歩き続ける。
無理に探しても意味はない。
こういうときは、流れの中で違和感を拾うしかない。
屋台の列を抜け、少しだけ人の少ない通路へ出る。
その時だった。
「……あ」
聞き覚えのある声。
反射的に顔を向ける。
人混みの向こう。
こちらを見て、気まずそうに立ち止まっている影が一つ。
「……何してるんだ、お前」
七海だった。
いつも事務所で我が物顔のくせに、妙におとなしい顔をしている。
そして、周りを見れば__一人だ。
「……いや、その」
七海は視線を泳がせる。
「まあ、いろいろあって……一人です」
「見たまんまだな」
短く返す。
わざわざ言われなくても分かる。
「お前、結局誰も捕まえられなかったのか」
「違います! わたしが選ばなかっただけです!」
「嘘つけ。まだ1時過ぎだぞ。あてが尽きたから諦めて来たんだろう」
七海はむっとした顔をしたが、すぐに視線を逸らした。
ほんの少しだけ、居心地が悪そうに見える。
……珍しいな。
「で?」
俺は歩きながら、隣を通り過ぎる。
「どうするんだ。一人で回るのか?」
一歩遅れて、足音がついてくる。
「……回りますけど」
「そうか」
それ以上は何も言わない。
七海も、少しだけ間を置いてから口を開いた。
「如月さんは?」
「仕事だ」
「ですよね」
納得したように頷く。
そのまま、並んで歩く形になる。
屋台の喧騒の中、言葉は途切れる。
だが、不思議と気まずさはない。
人の流れに紛れながら、二人で同じ方向へ進む。
ただ、それだけの時間。
「……」
ふと、七海が足を止めた。
「なんだ」
「……あれ」
指さした先。
射的の屋台。
子どもが景品を狙って、真剣な顔で銃を構えている。
その横で、親が笑っている。
「……やります?」
七海が、少しだけ遠慮がちに言った。
ほんのわずかに、期待が混じっている声。
「やらん」
「こっちが気使って誘ったのになんですかその言い方は!」
すぐに騒ぎ始める。
……やっぱり、こいつはこっちの方がいいな。
そのまま、また歩き出す。
人の流れは、さらに濃くなっていく。
「あんまり匂いがしてきませんね。東京だとこんな感じですか?」
「は? 匂い?」
そしてまた、いつも通り訳の分からないことを言い出した。
「焼きそばとか、たこ焼きとか……そういう匂いです」
「どんな話題のチョイスかと思ったらそういうことか。奢らないぞ」
「違いますよ! 単純にちょっと不思議に思っただけです。東京だと香水付けてる人が多いからとか、そういうことなのかなと」
一応、気にしてみるが、祭り特有のソースの匂いはする。
何も不思議なことはない。
「気のせいじゃないか? それか、15時にオープンする店もある分、匂いの密度は低いのかもな」
「そう……ですかね? うーん、そうかも」
首を傾げ、納得しきっていない様子の七海。
「お前がそう言うなら、ちょっと気にして嗅いでみるけどな」
「あれ? なんか素直ですね。射的のときにそれくらい素直だったら可愛げもあったんですけど」
「うるせえ。男は度胸だけあればいいんだよ」
言ってすぐ、新田と同じセリフだと気がついて自己嫌悪に陥る。
いや、今はそんなことを気にしている場合じゃないな。
会場を周り始めて約2時間。なんの手がかりもないまま歩きまわっていただけだったのだ。
どんな小さな違和感でも、仮に的外れだったとしても、何もないよりはありがたい。
それに、だ。
七海と初めて会った時を思い出す。
たしか、こいつはプロを思わせるキッチンを自室に構えた料理好きだった。
俺よりは嗅覚に信用を置ける。
「他に気になったところはないか? 七海」
「スーパーボール掬いのプールが大きかったです。あとで寄ります」
「そうじゃねえよ」
「あーはいはい、わかってますよ。仕事だって言ってましたもんね」
「お前の場合、素とボケの区別がつかないんだからやめてくれ」
言いながら、チョコバナナ屋の前を通り過ぎ、ちょっと匂いに集中してみようかと思ったがやめた。
もともと大した匂いのするものじゃないな。
「うーん……あとは、そうですね。フィーリングでいいですか?」
「最初からお前にロジカルは期待してない」
「失礼な! あーなんだったけなー、わたあめ食べたら思い出す気がするなー」
……こいつ。
視界の端に、おおきなわたあめを子供に手渡している屋台が見えた。
白く膨らんだそれを、子どもが両手で抱えるように受け取る。
そのまま顔を埋めて、無邪気に笑った。
「ほら、あれですよ」
七海が、さりげなく指を向ける。
「見てくださいよ。あれ食べながら考えたら、いいアイデア出る気がしません?」
「しない」
即答する。
「冷たいですねえ」
「仕事中だからな」
「何にも手がかりないんじゃないんですか? 匂いを気にしてみるって言ってたあたり」
「……変なところで勘がいいな、お前は」
七海は肩をすくめて、それ以上は食い下がってこなかった。
だが、視線だけはしっかりわたあめ屋に残している。
……わかりやすいやつだ。
「一個だけだぞ」
「え?」
ぱっと顔を上げる。
「話の続き、ちゃんとするならな」
「しますします! ちゃんとやります!」
食いつきが早い。
俺は軽くため息をついて、屋台に向かった。
わたあめを一つ受け取る。
七海はそれを受け取るなり、すぐには食べず、少しだけ匂いを確かめるように鼻先を近づけた。
……そこはちゃんとやるのか。
「で?」
俺は横目で様子を見ながら促す。
七海は一口だけ食べて、少しだけ考える顔になった。
「……やっぱり、変です」
「何がだ。匂いか?」
「匂いはちゃんとしましたよ。いいわたあめです。一口食べます?」
「いらんわ」
わたあめを持ったまま、七海は周囲を見渡す。
「屋台の匂いが弱い気がするのもそうなんですけど、なんか嫌な空気を感じません?」
「嫌な空気?」
「はい、あっちの方から。すごく嫌な空気を感じます」
七海が指さす先__それは先程岸辺と会ってきた方向だった。
俺はもう視線を感じないが、七海が感じているのは恐らく岸辺の存在だ。
「お前、案外長生きするかもな」
「え、早死にしそうに見えてたんですか?」
「そうじゃないけどさ」
怪盗として、な。
岸辺は別格のオーラが出ていたとはいえ、やはり七海はいい勘をしている。
普通の警察程度には捕まらなそうだな。
「なかなかいい情報だ、と言いたいところだがそっちはもう調べたんだ。怪盗じゃなかった」
「そうですか。けっこう寒気のする感じがあったんで、もしかしたらと思ったんですが」
……寒気か。
APPと敵対する怪盗だからこその感覚なのだろうか。
だとすれば、この会場での犯行をノーゴールドが諦めてくれるというオチも、少しは期待していいのかもな。
「じゃあ、次は焼きそば食べたいです」
「おい待て。それに見合うだけの気づきが、他にあるんだろうな?」
「……ギリ」
「ギリってなんだよ。あるかないかだろ」
こいつ、さては単純に花火大会を俺の金で楽しみたいだけじゃないのか?
俺の疑念が顔に出たのか、七海は早口で持論をまくしたて始める。
「いやいや、如月さん。屋台の匂いが薄いって話をしたじゃないですか。それを確かめるにはやっぱりソースの匂いが一番ですよ。そう、お祭りの定番焼きそばなら、そこを確かめるのにぴったりでしょう?」
「いや、別に買わなくても……」
「いいえ如月さん。味わわなければ、単にソースが薄いのか、それとも匂いだけが薄いのか分からない。それでは探偵として、情報収集として落第です。そうでしょう?」
「焼き方とかによるだろそれは」
「あー、わかってない。わかってないですよ如月さん。わたしがどこの出身だかお忘れですか、静岡です! そう、焼きそばの国、静岡出身のわたしが? 焼きそばの評価を? ミスるとでも?」
「…………」
あまりにもうるさいので、買ってやった。
俺も腹は減ってたし。
「で、どうなんだよ」
「おいしいです! 地元のには負けますけど」
「そんなこと聞いてねえ」
花火大会用に特設されたであろう簡易ベンチに腰掛け、脚をプラプラさせながら七海は勢いよく麺を啜っていく。
「この味で、あんなに屋台から匂いがしてこないことは、やっぱり変です」
「……そうか」
俺には正直言って理解できないが、ここは七海を信じるとしよう。
こいつの言うことが正しくとも、怪盗ノーゴールドと関係があるかは別問題なのが難しいところだが。
「あー、あとそうですね」
ふと空を見上げる七海。
つられて見上げるが、新田も言っていたように少々曇ってきているな。
「りんご飴食べたら思い出すかも」
「…………もう面倒だから食いたいだけ食え。で、気がついたことは全部教えろ」
打ち上げまで、あと4時間。




