第59話 仄暗い老齢のコマンダー
河川敷の喧騒から、少し外れた場所。
屋台の列も途切れ、足を止める人間もほとんどいない。
風の音と、遠くから聞こえる呼び込みの声だけが届いてくる。
「……ここか」
視線の先。
やはり先に来ていた男が一人。
「遅かったなあ、如月君」
聞き慣れた声。
振り返りもせずに言うあたり、気配は最初から掴まれている。
「お前も気づいてたか」
「そらな。あれだけ堂々と見られとったら、嫌でも気づくわ」
新田成秀。
相変わらず気に食わない顔をしているが、その視線はすでに一点に向いていた。
その先。
河川敷の端。
少し崩れたベンチの横に――もう一人。
「……」
思わず、視線を細める。
老人だった。
くたびれたシャツ。
色の抜けたズボン。
足元は擦り切れたスニーカー。
どこからどう見ても、ただのホームレスにしか見えない。
だが――
何かが根本的に違う。
背筋は伸び、視線はぶれない。
こちらを見ているというより、測っている。
その違和感だけで、十分だった。
「……あんたか」
声をかける。
老人は、ゆっくりと口元を歪めた。
「これだけあからさまに視線を送っても気がつくのは二人か」
低い声。
年齢にしては、妙に張りがある。
「最近の探偵も、まだ捨てたものではないな」
新田が、肩をすくめる。
「褒め言葉として受け取っとくで。で、おっちゃんは誰や?」
老人は答えない。
代わりに、一歩だけこちらへ歩み寄る。
距離は、ほとんど詰まっていないのに、その一歩だけで、迫力が伝わってくる。
「名乗る前に、一つ確認しておこう」
静かに言う。
「この会場で、怪盗ノーゴールドの気配を感じているか?」
唐突な問い。
俺は、少しだけ考えてから答えた。
「今のところはない」
新田も同時に口を開く。
「同じやな。妙な動きは見えへん」
二人分の返答を聞いて、老人は小さく頷いた。
「そうか」
短く、それだけ。
だが、その反応はどこか――納得しているようにも見えた。
「ふむ。やはりここは素直に、使えるものは使わせてもらおう」
視線が、こちらへ向く。
「私の名は岸辺義正」
一拍。
「警視庁怪盗対策本部長。および__APPの総指揮官だ」
風が、わずかに強く吹いた。
遠くの喧騒が、一瞬だけ遠のく。
「……なるほどな」
思わず、息を吐く。
ただのホームレスに見えた男が、日本全国の対怪盗戦力の頂点。
笑えない冗談だが、この凄味ではむしろそれくらいの肩書の方が納得がいく。
新田が、低く口笛を吹いた。
「こりゃまた、大物が出てきたなあ」
だが、岸辺はその反応にも動じない。
ただ、まっすぐこちらを見据える。
「君たち二人に、少し協力してもらう」
命令でも、依頼でもない。
前提であるかのように、淡々と言葉を紡いでいった。
「なんや、偉そうやな。オレらはあんたの部下とちゃうで」
新田が嚙みついた。
俺も、そこまで強く言う気はないが、大物だからといって大人しく従う性質じゃない。
「祠島の探偵、新田成秀だな。そっちは北園寺の如月真守」
岸辺は意にも介さず、自分の話を続けていく。
「我々がここにいる目的は、大怪盗モルスの逮捕だ。これに協力してもらう。報酬は、警察が保管するアーティファクトから好きなものを持っていくといい。悪い条件ではなかろう」
「……本気で言ってるのか?」
「ああ、本気だとも。どれでも好きなものを選ぶといい。君たちを相手に、警察にあるはずのアーティファクトが隠せるとも思っていない」
無茶苦茶だ。
警察保管のアーティファクトをどれでも、だと?
その言葉が意味するところはつまり__
「八大怪盗の使っていたやつでも、ってことでええんやな?」
「ああ。知らないわけがあるまい」
逮捕された八大怪盗は4人。それとは別に、病死した1人からの押収品もあるはずだ。
その5人全員が、街を丸ごと支配できるようなアーティファクトを抱えていた。
そんなものを報酬として、一探偵に渡すだと?
「どんな倫理観してんだよ、爺さん」
「ボケとるんちゃうんか」
俺も、新田も、あまりにぶっ飛んだ話に段々口調が強くなっていく。
だが、岸辺は全く動じることなく、
「よいのだ。モルスさえ捕まえられたなら、それで全てが終わる」
岸辺から目を離せずいるが、気配で誰か近づいてきているのを感じた。
おそらくAPPだ。
「わけのわからんことを言いよって。説明する気ないならオレは降りるで。胡散臭くてかなわんわ」
「まあ待て。単純な話だ」
新田も近づく気配を感じたようだ。
俺達にとって、あまりうれしくない来客と判断し、早々に話を切り上げる方向に持っていこうとしていた。
「私はな、八大怪盗はもう、モルスしか残っていないと踏んでいる。だからモルスさえ逮捕できるのなら、その後のことはどうにでもなる。だから君たちにアーティファクトを渡しても構わん。そういう判断だ」
「モルスしか残ってないやと?」
「どういうことだ岸辺。門倉秀樹に逮捕されたのがスキエンティア、カンドール、ミラビリス。病死後に正体が確認されたベアータ。で、こいつが捕まえたエンシス。5人しか行方が分かっていないはずだ」
残る八大怪盗は、モルス、フィクティオ、ウーティスの3人のはずだ。
無論、活躍していた時期から考えて寿命を迎えていてもおかしくはないが、その場合でも遺品から大量の凶悪アーティファクトが発見され特定に至る。ベアータという実例もある。
彼らは常に探偵を警戒し、同業者を警戒し、強いアーティファクトは手元に置いているはずだからだ。
「フィクティオとウーティスは死んだ。それがAPPの捜査見解だ」
「根拠は?」
「教えてやる義理はない。協力するというなら考えてやらんこともないが」
考えてやる、ねえ。
教えるとは言わないわけだ。
「その話を聞いて、オレの答えは決まったわ。協力はできへん。オレはウーティスもフィクティオも生きとるって推理しとるからな。考えが合わへんわ」
新田がきっぱりと断り、続いて俺に視線を向ける。
お前はどうするのだと促している。
「俺は……」
俺は、八大怪盗の行方については推理してこなかった。
だから即答はできない。
仮にフィクティオとウーティスが既に死んでいて、遺品からアーティファクトが出なかったとしよう。
そうなれば、その正体は永遠に闇の中だ。
だがその場合、彼らの所持していたアーティファクトはどこに行ったのか。
モルスだけが生存している場合における最悪のケースがある。
それは、探偵・怪盗問わず殺害を繰り返したことから死神と呼ばれたモルスが、フィクティオとウーティスを殺害し、彼らのアーティファクトを持ち去った場合。
八大怪盗3人分のアーティファクトを抱えた存在が、今、北園寺周辺に潜伏しているということになる。
「もう少し__」
話を聞いてから考えたい、と伝えようとした時だった。
「所長!? どうして現場に__ぐっ!?」
警官が一人、おそらくAPPであった男が岸辺に駆け寄ろうとし、そのまま気を失い倒れた。
「愚か者が。話しているのが新田と如月だから良かったものを。何のためにこのような姿をしているのか、考えられんのか」
岸辺は左目に不自然な琥珀色の火花を瞬かせながら、生ごみを見るかのように倒れた警官を見下ろしていた。
「おい、あんた! 自分の部下じゃねえのかよ!?」
「殺してはおらん」
「そういう問題じゃ……」
「よいのだ。どのみちあの程度の頭しか持ち合わせん輩だ、何の役にも立たん。君たちがそうでないことを期待している。……場所を変えようか」
倒れた部下を放置し、ついてこいと目線で語るその男に、どうしても協力できる気はしなかった。
その背中に、はっきりとNOを突きつけてやる。
「俺も協力はお断りだ。あんたみたいな人間とは関わりたくないね。新田の方がいくらかマシだ」
「最後の必要やった? なあ、如月君? オレ、この爺さんと比べて、いくらかマシなだけなん?」
「うるせえ。今バシッと決めたんだから空気読めよ」
岸辺は振り返らず、歩き去っていく。
「どちらかとは、協力することになると思うがね」
__そう一言だけ残して。
その後。
「脈もあるし、呼吸もしてるな」
残された俺と新田は、倒れた警官の様子を念のため確認していた。
「ほな……放置でええか。腐ってもAPPやし、まあ頑丈やろ」
「俺も同意見だ。気絶しているだけだし、そこまで面倒みるつもりもないね」
なかなかの薄情者コンビだとは思う。
だが今は怪盗ノーゴールドという正体不明の相手を探している最中だ。足手まといは連れていけない。
「しかしあれやな」
「ん?」
新田が空を見上げる。
「ちょい曇ってきたけど、花火大丈夫かいな」
「お前……何を気にしてんだ」
「ええやん。花火好きやねん。派手好きやからな」
なんて緊張感のないやつ。
普通に楽しみにしてんじゃねえよ、まったく。
「愛嬌のない七海だな、まるで」
「酷いなあ。ま、でもオレは男やから度胸だけあればええねん」
こうして無為に過ごす間にも、時はゆっくり進んでいく。
打ち上げまで、あと5時間。




