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インサイダー幕引き 〜ダメ怪盗の少女と、名探偵の街〜  作者: 日高 純
第四章 ダメ怪盗ノーゴールドの湿った逆恨み
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第56話 悲しい僻みのエコーチェンバー

 午前十時。


 カドクラ探偵事務所は、今日も静かだ。客は来ない。


 窓から差し込む日差しはすでに強く、夏の終わりとは思えないほどの熱気を帯びている。

 それでも朝のうちはまだマシで、風が入ればそれなりに過ごしやすい。


 俺はソファに腰を下ろし、新聞を広げていた。

 片手にはコーヒー。

 淹れたての湯気が、ゆっくりと立ち上っている。


「……このまま平和でも、俺以外は困らないんだろうな」


 小さく呟く。

 紙面をめくる音だけが、やけに大きく感じられた。


 ここ数ヶ月、連続して怪盗騒ぎに巻き込まれているが、本来うちの事務所はこれくらい静かなのだ。

 怪盗都市として悪名高い過去を持つこの北園寺では、何も起きていないということにはそれなりに価値があることだが、それでも仕事がないのは死活問題だ。


 もっとも――


「嵐の前の、ってやつかね」


 ぼんやりとした予感は、消えていない。

 モルスのサイン。

 あれがただのいたずらで終わるとは思えなかった。


 新聞の地方欄に目を落とす。

 目立った事件はない。


 現代アート家の神代楽しんだいがくが、病気のため亡くなったというニュースが小さく記事になっているが、これは怪盗とは関係ないだろう。

 神代といえば、怪盗エトワールが美術館で大暴れしたときも特別展示をやっていたし、今夜の角川つのがわ花火大会の総合演出も担当していたはずだ。


 名探偵・門倉秀樹かどくらひできに継ぐ北園寺の有名人。まだ若かったはずだが、残念なことだ。


「……まあ、何もない日の多いんだ。モルスの手がかりを新聞で得るようじゃ、探偵として終わりだしな」


 考えても仕方ない。

 こういう時間に頭を休めるのも、仕事のうちだ。


 コーヒーを一口。

 苦味が、ゆっくりと広がる。

 その時だった。


 ――ガチャ。


 事務所のドアが開く音。

 続いて、錆びたベルが鳴る。


「如月さん!」


 聞き慣れた声。

 俺は新聞を半分だけ下ろした。


「……来たか」


 七海が、いつもの勢いで中へ入ってくる。

 夏の日差しを背に受けて、やたらと元気そうな顔をしていた。


「おはようございます!」

「……まだ朝か?」

「朝です!」


 即答。

 こいつの中では、昼飯までは全部朝なんだろう。


 俺は新聞を畳み、テーブルに置いた。


「で、なんだ。今日は何しに来た」

「なんか最近リアクション薄くないですか?」

「ほとんど毎日来てるやつに反応してるだけ優しいと思え。見ろ、シェルナなんか振り向きもしない」


 七海が頬を膨らませる。


 だが、その目はどこか楽しそうだった。

 ……まあ、どうせろくでもない話だろう。


 そう思いながら、俺はコーヒーをもう一口飲んだ。


「花火大会、行きましょう!」

「俺は行かん。勝手に行ってこい」

「はっや!」


 いかにも七海が興味を持ちそうだし、おおよそ予想はついていたからな。

 意外だったのは俺を誘うことくらいだ。


「年に一回しかないんですよ、花火大会」

「角川ではな。他でいくらでもあるだろ」

「どうせそれも行かないでしょう、如月さん」

「まあな。北園寺でやってたら見に行くかもしれんが、隣町だし」


 対怪盗専門の警察特殊部隊APPもいるとはいえ、モルスが近くに潜伏している可能性が高いこの状況で、探偵が街を離れるなんて論外だ。


「隣町くらいすぐそこでしょう? どうしてそう、広めの引きこもりみたいな考え方なんですか」

「ものすごく失礼だな、その言い方。お前は知らないだろうが、探偵ってのは、基本的に自分の街から離れないんだよ。いつ怪盗が現れても対応できるようにな」


 実は、最近はそうでもないらしいが、まあどちらにせよ七海には分りようがない話だ。


「新田さんはもうひと月も祠島ほこらじまに帰ってませんよ!」

「しまった、あいつがいるんだった」

「さすがにわたしでも、それくらいの嘘は見抜くんですからね!」


 新田の野郎め。つくづく面倒なやつだな。

 というか、もうそろそろ帰れよな。


「ありさとか、マユミさんたちと行けよ。ネオンライオットで行くって聞いたぞ」

「浴衣でね!」


 七海が突如キレる。

 なんだ? なんの地雷を踏んだんだ……?


「わたし最近まで知りませんでしたよ。ありさちゃん達って、みんなお金持ちなんですね。浴衣が買えるくらいに!」

「まあ……全員私立の学校らしいしな」

「私立って、わたしみたいに公立落ちた子が行くところじゃないんですね!」

「何に怒ってるのかわからんが、少なくともネオンライオットのメンバーが行ってるような私立の中高一貫は、金持ちの行くところだな」


 七海、静岡の高校受験落ちたのか。

 まあ、バカだもんな。


「浴衣、見せてもらいましたよ。ええ、ええ、見せてもらいましたとも。なーんにも知らなくても、見たらわかります。高いやつですよ」

「そろそろ怒りの理由を教えてくれよ。怖えよ……」

「如月さんは! わたしに! あの集団にTシャツで混ざれと言うんですか!? さすがに惨め過ぎますって!」

「あー……それは確かに」


 冷房代をケチるために事務所に入り浸るようなやつが、金持ってるわけないもんな。

 最近はレンタルとかもあるらしいが、それでも七海の手の届く金額ではないのだろう。


「なのでわたしは、一緒にいて惨めにならない服装の人を探してるんです」

「ギリ悪口じゃないか? 誘っておいてその理由付けは」

「別に貧乏くさいとは言ってませんよ。でも、探偵のコスプレなら、まあ……」

「コスプレじゃなくて探偵なんだよ」


 七海はなかなか引かなかった。

 おそらく、NEON RIOTの面々との経済格差がトラウマになりつつあるのだろう。


「とにかく、俺はこの街を離れられないし、ネオンライオットじゃなくてもバイト先の人とか誘えよ」

「もうわたしは隠れお金持ちがこわいんです!」


 そんな堂々と言い切られると、いっそ清々しいな。


「大丈夫だよ。御影みかげ家は北園寺でも有数の名家なんだ。自宅なんかもうほぼ屋敷だし。あと俺も最近知ったんだが、キョウカも内裏山だいりやまに住んでいるらしいな」


 北園寺有数__というより東京都全体でも有数の高級住宅街、内裏山。

 ありさを孤児院から引き取った御影の家は、そこで一番大きな屋敷を構える本物の金持ち。

 次いで二番手が三国みくに家、三番手が藤浦家。

 この三つは、地元民なら御三家なんて呼んで、誰もが一度は聞いたことがあるほどだ。


 以前本人から聞いたが、キョウカもそこに住んでいるらしい。

 本名、三国鏡華みくにきょうか

 そういえば、バイト先では三国って名乗ってたな。


「あの二人は例外中の例外だ。あんな金持ちはそうそう出会わない」

「……わたし、惨めになったのマユミさんのとこお邪魔した時なんですけど。あれ以上なんですか、ありさちゃんとキョウカさん」

「いや……なんかすまん」

「あーこわい! お金こわい!」

「やめろ、みっともない。まんじゅうと違ってその方法で金は寄ってこない」


 シェルナが冷めた目で見つめる中、七海はしばらくの間わめき続けていた。




「……純粋な疑問なんですけど」


 落ち着きを取り戻した七海が不意に言った。

 あまりその前置きで純粋な疑問を口にする人間は見たことがない。


「隣町で怪盗が出たら、如月さんはどうするんですか? 北園寺に籠ったまま?」

「さすがに逮捕に向かうわ。そんな薄情者じゃない」


 とはいえ、現実にはほぼ起こりえないことだ。

 アーティファクトが発見される地域というのは、どういうわけかかなり狭い地域に限られている。

 そうなれば必然的に、それを狙う怪盗が現れる地域も同様に限られる。

 3年間の探偵生活で、近隣の街で怪盗が出たことは一度もないのがその証左だ。


「じゃあ、花火大会で怪盗が出たら?」

「まだ諦めてなかったのか。万が一出たら、そりゃ行くよ。あくまで仕事でな」

「そうですか」


 隣町でも怪盗は出ないのに、今日ピンポイントで花火大会に怪盗なんか出るわけないだろう。

 どんな確率だよ。


 ……いや、待て。


「お前、何を考えている?」


 本人が怪盗の場合は、どこで活動するかは自由に決められるな。

 まさかとは思うが。


「いえいえ、念のための確認ですよ」


 目が爛々と輝いている。

 いかん、完全に余計なことを考えている。


「わたしも花火大会は怪盗とかなしに楽しみたいですし。こっちに来てから、怪盗騒ぎばっかりでしたしね」

「そうだよな? 怪盗とかそういうのは、花火大会に必要ないもんな?」


 七海の倫理観というか、怪盗としての線引きに関してはある程度信頼はしている。

 結局マリンランタンは何も盗んではいないし、その活動は今のところ他の怪盗を捕まえるために必要な行動に限られている。


 だが、猫の集会所を探すために沼尻公園を跳びまわったのも事実。

 自分の欲望のため、他人に迷惑をかけない範囲でなら何をするか分からない。


 例えばそう……


「予告状とか来たら、行かなきゃいけなくなっちゃいますよね? 花火大会でお宝をいただくーみたいな」

「おい縁起でもないことを言うな」


 事務所に直接、マリンランタンの予告状を送り付けるくらいはやりかねない。

 まあ事務所だけなら無視すればいいか……?


「さすがにないですよね」


 七海を少し考え、観念したようだった。

 くるりと回り、出入口へと向かっていく。


「他に誰か誘ってみます」

「おう、そうしろ」


 一件落着、と思ったのも束の間、スマホが鳴り響いた。

 

 画面を見ると、着信元は__源さん。

 いや、まさかな……?




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