ウクレレ
昨夜私は某有名サブスクサービスを使い、あるアニメを見た。
「ぼっちの軽音楽!」だ。
このアニメは極度のコミュ障が故にずっと友人ができなかった主人公が、家で一人磨いてきたギターのスキルを武器にバンドを始め徐々に生活を変えていく青春ストーリーだ。最初は人見知りでアルバイトすらろくにできなかった主人公が徐々に社会に慣れていく様を目にし、所詮フィクションと嘲笑した私だが、なぜか頭の中はそのアニメのことでいっぱいだった。
「もしかしたら私にも」
正直、こんなこと考えたくはない。何かに期待したところで成功したことはない。才能のなさに打ちひしがれる毎日。努力しろなんて安っぽいありふれた説教は聞きたくない。努力も才能だ。私が何かに挑戦した時も数だけはこなしてきた。しかし私よりも遅くに始めた者に追い抜かれて心が折れてしまう。効率的な方法を考えることができないし、他人の何倍も習得するのに時間がかかる。もう頑張るなんて行為をしたくないのだ。
なのに私は今、ウクレレを握っていた。
このウクレレは、小学生の頃母がクリスマスにプレゼントしてくれたものだ。「何か夢中になれるものを見つけろ」というメッセージだったのかもしれない。当時音楽に全く興味がなかった私は少し音を鳴らした後物置に捨て置きその後触ることはなかった。
そんな埃にまみれたウクレレをウェットティッシュで丁寧に掃除し、弦を1本ずつ弾いてみた。購入してから10年以上の月日が経っているにも関わらず「ジーン」と全身に染み渡る優しい音を鳴らすウクレレ。沖縄の風を感じ感動に浸った私はいろいろな箇所を押さえ、響きの違う多様な音を耳と手で楽しんだ。
ウクレレを弾き始めて20分。私は楽器を置き物置にしまった。
飽きた。
楽器の特性上手が痛くなるしコードとか難しそうでよく分からない。動画サイトで弾き方を見てもインストラクターと同じ響きにならない。正直、私と同じような考えで楽器を始める人なんて山のようにいるだろう。しかし、音楽で食っていける人などごく僅か。多くの人間が才能と金の壁に阻まれ夢を諦めていく。成功した人間にも精神を病み幸福を手放す者が後を絶たない。
昨今よく言われる言葉に「好きなもので生きていく」というものがある。私から言わせれば「クソ食らえ」だ。綺麗事はやめておけ。好きなものだけで一生生きていけるだけの収入を稼ぐのは難しいし、仕事にしたことで嫌いになる場合も多い。耳障りのいい言葉で大衆を騙し金をむしり取り多くの人間を地獄に落とすだけの悪徳業者が。
私は最近のビジネスマンに腹を立て楽器への挑戦をやめた。正直に白状すると、最初から楽器を練習する気などなかったのだ。ただアニメを見て楽器に挑戦したくなったからして、風だけ味わってやめる。この一連の流れをしたかっただけなのである。
路上ライブで弾き語りをしている人を見て多くの人はどう思うだろうか。おそらく「よくやるなぁ」とか「すげー」といった冷めた感情を抱くことだろう。夢のために生きている人間は普通に生きることを投げ捨てている人間だ。多くの人は夢を投げ捨てている?いや、そもそも夢なんて持っていない。それなりの仕事についてそれなりのパートナーを見つけ何も考えず平凡な人生を送る。それが現代日本のありふれた幸福論なのだろう。
この考えに悪い所なんてない。この幸福を馬鹿にする人間は違いを受け入れられない排他的な人間だ。視野の狭い人間は何をやらせても成功しない。夢みがちなまま夢を掴めなくても努力する自分に酔い一生を終えるだろう。
私は、平凡な人生を送るという現実的な夢すら掴むことができなかった。もしかしたら掴んでいるのかもしれない。働かずにだらだらして生きるというキャリアは多くの子供が憧れる姿かもしれない。小学生に人気な職業ランキング上位が動画投稿者である現状も根拠に挙げられるだろう。だが、今私は本心から幸せを味わうことができていない。そう考えられることが幸せなのかもしれないけれど。
ただ楽器を弾くだけで多くのことを思索できる。やっぱり挑戦することは良いことなのかもしれないな。まぁ私には向いていない。「挑戦しなければ」という気持ちを抱えながら今日もだらだら過ごすことにしよう。
俺も小説書くの飽きてきたわ。
別に好きなもので食ってもいいと俺は思いますよ。




