アングラー、森河直美
直美の父は渓流釣りを趣味にしていた。
直美の兄は、父に渓流釣りを仕込まれた上でフライフィッシングにのめり込んだ。
そして、小さかった直美を連れて渓流に通い込んだ。
直美がフライロッドを振り始めたのは小三の時だ。
まだ身長も120cmそこそこの少女が、7ft11inchの竿をブンブン振り回していた。
五年生になる頃には、一人で渓流へ出ようとして怒られた。
そして、家の近所の海岸で釣りすることを覚えた。
中学一年生の時に兄のお下がりの#8フライロッドを貰った。シングルハンド9ftのアメリカ製だ。
これを持って近所の海岸に通い詰めた。
ちょっと頑張ると、フライフィッシングでクロダイが釣れる!
この素晴らしい環境に直美はのめり込んだ。
しかし、海で使うにはシングルハンドの#8ロッドは短かった。
海岸から30m圏内程度が限界射程距離だ。しかし、わたしはもっと先を狙いたい。あの岩の、裏側を撃ちたい!
最近話題の魔法とやらで、なんとかならないかな?
例えば、シュートの時だけ追い風が強く吹くとか、この巨大なポッパーフライが風に負けずに吹き飛んでいくとかっ!
来る日も来る日もやり方を変えて、呪文を作ったり祈ったり……そしてある日、いきなりフライが吹き飛んでいった……。
♦︎
「もともと、攻撃魔法なんて使う気無かったのよ。わたしも」
「へぇ、魚釣りしたくて魔法覚えたのかぁ、やるなぁ」
直美と尚子が仲良くお話ししている。
尚子の背中にはおんぶお化けのセトルリが張り付いていた。
たぬきは日直で職員室へ。
うさやと響は連れお花摘みに出かけている。
「もっともね、それで楽しいかって言われると微妙だったんだけどね。自分の技術で送り込んでる訳じゃないから」
「いや、魔法だって自分の技術だっぺ?」
「なんだけどね……」
♦︎
小美玉市には海がない。
ちょっと南西に行けば日本で二番目に大きい湖、霞ヶ浦があるが、湖の釣りは経験したことがなかった。
「え? 霞ヶ浦って遊漁証いらないんですか?」
釣りが趣味だという百里の補給課のお兄さんに教えてもらった。
ならば試してみるか……
日曜日、愛用の釣り道具をアイテムボックスに放り込んで霞ヶ浦まで行ってみる。
基地の自転車を借りて、湖岸線沿いに走り始めた。
普段、直美が海で使っている道具で釣りをするとなると、霞ヶ浦ならオオクチバス、いわゆるブラックバスになるだろうか。
特定外来生物規制法で厳重に管理されている魚だ。正直、釣ってるだけでも苦言を呈する人が出るレベル。
まぁ、生体のまま連れ帰ったり移植したりしなければ、茨城県内ならばそうそう罪には問われないが……
「あ、障害物……あーゆーとこかな?」
直美はこの魚のことは詳しくないが、スズキっぽい生態と聞いてはいる。なので何となくそれっぽい場所を見つけて自転車を止めた。
湖の縁までゆっくり近づき、姿勢を下げる。足音を立てずに、水面に姿を映さずに、アイテムボックスからセット済みの竿を取り出した。
ジー、ジー、ジー、ジー、ジー、ジー
必要な分の糸を引き出し、竿を振り上げる。
一回……二回……三回目の振り出しで目的の場所までフライを送り込んだ。
このぐらいの距離なら魔法は必要ない。水面についたフライが落ち着いたところで、糸を手繰り寄せる。
ぽこん……ぽこん……ぽこん……
フライが立てる水音が、静かな湖畔に聞こえてきた。
「お魚、いないのかな……」
何となく目を瞑って集中して……視えてしまった……
「あ、ああ……水の中の様子、見えちゃうのか」
一度視えてしまうと、もうダメだ。魚がいるのかいないのか、気になった瞬間にわかってしまう。
「あー、これ、あんまり楽しくないかも……うー、どしよ。魚釣れば変わるかなぁ……」
意識すれば、今狙っている障害物には魚が付いていないことが判る。
むしろ、その反対側。駆け上がりと呼ばれる水深変化が大きい部分に魚群が有る。まだ30cmにも達してないようなバスの群れ。
とりあえず、そちらに向けてフライを打ち直す。2mほど奥にそっと落とし、数拍置いてから、ぽこん……あ、一匹反応した……ジャボっ!
直美の人生初バスは、こうしてあっさり釣れた。
ただ、まだまだこの能力が楽しくなるのか、楽しさをスポイルするのかがわからない。
この群れの魚は小さいっぽいので、大きな子を探して少し歩き出す。
自転車はアイテムボックスへと収納し、湖岸から湖に意識を伸ばしながらゆっくり歩き……いた!
霞ヶ浦のお水は、透明感なんて無縁だ。水深50cmも見えるかどうか……そんな中で、20m先の水深2mに沈んでいる岩の陰、そんな場所の魚を見つけられてしまう能力。
「やっぱ微妙かなぁ?」
そう思いつつ、フライを送り込む。
ぽこん……ぽこん……ぽこぽこん……
反応しない。
「ちょっと深いなぁ。今は上がってくる気無さそうかなぁ……」
他に魚は……あ……れ……何この感じ……何か大きなものがこちらに……
脅威を感じた直美は、道具を収納しつつ数歩下がった。
脅威はまだ近づいてくる。水の中、もうわかった。こいつは魔物だ!
ヘルメットを取り出し装着、時間がないので顎紐締める前に電源を入れる。
「百里対策理沙さん、美智子さん、聞こえますか?」
相手もヘルメットをかぶってないと、魔法通信は使えない。
今は地上にいるので百里タワーのレーザー通信塔も死角に入ってるっぽい。
もうそこまで迫った魔物が水面を割り飛び出してきた。緑色した人型の何か。
背は低い。1m有るか無いか。貧相な体つきで、手足が細い。水で濡れ、何か嫌な匂いがする。これはあれだ! 河童だ!
茨城県には河童の伝説が多数残されている。
そして、百里基地脇にも『河童死骸漂流の地』なんて場所があったりする。
『ギギャッ、ギョギ』
河童が何か喋った! と、ペタリ、ぺタリと近づいてくる。
直美は今までに魔物を倒したことはない。
魔物を倒すところは、何度か授業で見てきた。最初の一回こそ東京ドームで酷いことになったが、それ以後は安全な見学をすることができている。
ただ、見ただけだ。
射撃訓練や体術の訓練、飛行訓練など、様々な訓練も受けてきているが、今まで魔物と正対することなんてなかった。
ペタリ、ペタリ、ペタリ
河童が近づいてくる。
この魔物がどんな脅威なのかはわからないが、無害ということはないだろう。
ペタリ、ペタリ、ペタリ
「うん、小波先生と比べると、ミリも怖くないな。これ」
いや、アレと比べたら河童が可哀想でしょ?
『なんか言ったか? ナレーション!』
な、何も言ってないであります!マム!
やばい……なんで榊原三佐まで呟きが届くんだよ……っとと、直美の話直美の話っと。
イグナイト! 直美は小さく囁くように魔法を発動する。
河童はビクッと体を反らせるような姿勢になり、そのまま倒れ込んだ。
「あー、連絡入れなきゃ……あ、飛んでレーザー使えばいいのか」
百里は近いので、そこらの民家の屋根より上がれば届くだろう。
未だに轟々と風が吹き荒れるタイプだが、空を飛ぶのは確実に上手くなってきている。
『百里コントロール、森河です。霞ヶ浦で河童に遭遇しました。対策室に回してもらえますか?』
『森河さん、百里コントロール了解。対策室呼び出します……ガピッ……直美ちゃん? 美智子です。魔物は危なそう? 場所は?』
『美智子さん、直美です。魔物は河童一匹、駆除済みです』
『河童ぁっ⁉︎ 今まで河童の魔物は聞いたことないわね。駆除済み了解。あ、魔法通信に切り替えるわね。場所送って』
魔法通信に切り替わったために高度を稼いでおく必要がなくなった。
場所の情報を送りながら地上へと戻る。
河童は先ほどと同じ姿勢で倒れていた。
それから二分で、ヘリコプターの音が響いてきた。
♦︎
調査の結果、直美の倒した魔物は水棲のゴブリンらしいと判明した。
しかし、以後の公式文書を見ても、この魔物は全て河童として記載されている。
直美の最初の報告が、後の全ての研究に影響してしまった事例だ。
もっと言えば、英語圏でもこのタイプのゴブリンはKappaと呼ばれることになった。
正直、クトゥルフ神話から命名されそうな生態外観なのだが、なぜかKappaが採用された。
河童論文が出された時に、直美の写真……オリエンタルミステリアスプリティ学級委員長の写真も掲載されたのが原因だなんて、誰にも予想できなかった。
翌週の一年六組。
「さっすが腕利きの釣り師! これはなんていう釣りかな……カッピング?」
「お願い、やめてください……」
涙を流しながら懇願する直美が可愛すぎて、ついついいじってしまう尚子だった。
実は夏々湖、フライでバス……フラデバでの釣りが専門だったりするのでした。
決して物理屋でも飛行機屋でも無かったりするのです。と言うわけで、取材もシミュレータも無しで書けるお話しでした。
あ、河童については調べましたが……
それではまた、お会いいたしましょう。




