腰は体のかなめ
腰は体のかなめ
この正月、正月も正月、一月一日に、腰痛になった。年賀葉書の返信を投函しようと歩いていたら、急に腰がおかしくなった。
ぎっくり腰だ。
よりによって正月に。病院に行けやしない。
ぎっくり腰は三回目で、一度目は台風が直撃した日で開いている病院探しで大変だった。
二度目は旅行中で保険証がなくて大変だった。
で、今回も病院行けないし、なんなんだ、呪われているのか!?
ほうほうのていで家に帰って、寝正月を過ごしましたよ、ええ。
ヘルニアがあったのに完治させた友人によると、腰痛の原因は「怒り」だそうだ。
自分の中の怒りに決着がつくと、腰痛はなくなるそうな。
そう言われたら、今、私の中は嵐の野原みたいにぐちゃぐちゃで、ちっとも幸せじゃない。
ただ寝ていることしかできない時間というのは、自分と向き合うには最適だ。
怒りにもさまざまなパターンがある。
爆発的にガーっと言う怒り。
いつまでも恨み続ける怒り。
誰にも話さない静かな怒り。
私の今の怒りは静かな怒り。
それは怒りの形をなさない、不安か悲しみのような姿をしていて、誰も怒りに気付かない。自分でさえ騙される。うっかりすると見失う。
そんな怒り。
自分のことを、昔のことを、未来のことを、憎んでいる。
もういいじゃないか。
ゆるしてやろう。
もういいじゃないか。
眠らせてやろう。
温かく、温かく、包んでやろう。
腰痛は一朝一夕では治まらない。
今日も怒りの中枢に近づかねばならなかったんだ。
腰痛に吐きけに猛烈な怠さ。
私はまだ、怒りをどうにも出来ていない。
いつか出来るのだろうか。
ゆるすことが。
自分を包んでやることが。
腰は体のかなめ。
扇の一枚一枚の羽を留めるためのたった一つの大切なもの。
過去も未来も自他も表裏も束ねてとどめる大切なもの。
いっそ、かなめをはずしたら、すべてをバラバラにして、一から組み直したら、美しい扇になるのではないだろうか。
一つずつ、一つずつ、骨をきれいにしてやるのだ。
曲がりを直し、漆を塗り替え、扇面を一新するのだ。
そのために、今日はまず、腰に電気治療器の赤外線をあてようかね。




