押入れから出たリンゴ
押入れから出たリンゴ
押入れの奥から、iPodが出てきた。
アイパッドではない。アイポッドだ。しかも初期型で縦20センチ弱、横8センチほど、厚さ2センチはある。手の平より少々小さい。それくらい。
しかも、重い。500グラム近くありそうだ。
10年ほど前はこれを持ち歩いていたんだものなあ、としみじみ見つめた。
埃を払ってみても、長年に渡ってしみついた汚れは完全には取れない。まあ、いい。どうせ、もう使えないんだから。
そう思ってボタンを押したら、起動した。
目玉が飛び出しそうなほど驚いた。10数年、充電していないというのに。アイポッドの幽霊を見た気持ち、あるいは南極基地に戻って太郎と次郎に会った気持ちだ。
ヘッドホンを繋いで音を出してみた。動いた。音がクリアに聞こえる。口がポカンと開いた。聞こえた。バカみたいに頭の中は(聞こえた)という言葉に支配されていた。
すぐに充電が切れてしまい、音楽は途中で終わった。驚いているうちに終わってしまったので、なんの曲だったか、わからなかった。
続きを聞きたくて、押入れを大捜索して、iPodの充電ケーブルを見つけた。コンセントに挿すと充電もきちんと行う。なんというタフな機械か。これなら、今でも使えるじゃないか。
私は携帯用音楽プレイヤーを持っていない。カバンに一つ入れておいたら、暇潰しに良いだろう。好きな曲をわんさか入れよう。
そう思ったのだが、いくら探してもパソコンに繋ぐためのコードが見つからない。押入れのどこにも。
仕方ない、今入っている曲で我慢しよう。充電を終えたiPodの収録曲を確認して、また驚いた。
入っている曲を、まったく忘れていたのだ。いや、その言い方は違う。
アーティストの存在も、曲のタイトルも、もう何年も意識に上らせることがなかったのだ。
あんなに好きで、しょっちゅう聞いていたのに。
ヘッドホンをつけて再生する。
初めの音だけで良かった。
ハッキリと思い出した。
歌詞も、メロディーも、大好きな気持ちも。
不思議な体験だった。
頭の中で思い出したのではない。喉の奥から記憶が飛び出してきたのだ。
それは、歌だった。
実際に声を出すことはなかったが、よみがえったものは歌だった。
こんなに深いところに、私の歌は潜んでいたのだ。毎日降ってくる日々の垢や埃に埋もれても、歌は少しも色あせず、錆びもせず、変わらず、心の波間から姿を現した。
名前を忘れ去っていた歌い手もいた。タイトルも意識すらしなかった曲もあった。けれど、今でも、どの曲も好きだった。
むさぼるように音を聞いた。忘れていた苦さや甘さや、散歩した土手のこと、泣きながらハンドルを握った月夜のドライブ、うずくまって動けなかった日々とか、なによりも痛かった思い出たちに、打ちのめされた。
私はあんなにも必死に生きていたのか。
歯を食いしばって日々に耐えていたのか。
その辛さに寄り添ってくれた音たちを私は忘れ去っていたのか。
思い出すことさえ痛かった夜を忘れ去っていたのか。
もう大丈夫。
もう大丈夫だから。
だから、もう一度歌おう。
生きていた、生きていられた、この歌たちを。




