地雷と地雷
レーニンには苦手なものが3つ存在する。
ひとつは、あの同居人である。糧食の供給源であり、有用な側面もあるのだが、もふもふを搾取するために容赦なく猫の胸骨を締め上げるあの独善性は、どうにも受け入れがたいものである。
ひとつは、製鉄所予定地に野放しとなっている、あの獅子獣人共である。木材をへし折り、岩をも砕くあの膂力で抱きしめられた日には、物理的にさほど強固ではない猫の身体はどうなってしまうのだろうか。想像したくはないし、ましてや、現実に試してはいけないものである。
そして、残るひとつは、先日雇い入れられた、赤毛の姉妹である。
元より、直立歩行猿の幼体とは粗忽で乱暴なものである。しかも、あの姉妹には、猫にまるでいい思い出がないらしい。特に食事時に近寄ると大いに威嚇されるし、そうでなくとも、暇な時分に出会ってしまうと、仇敵を見つけたかの如く執拗に追い回されて難儀する。更に、捕まると最悪な事態が待っている。特に妹の方がもふもふ触感を楽しむために、ぎりぎりと胸骨を締め上げてくるのである。現時点では、これが地なのか、何か同居人に感化された結果なのかは判然としない。何にせよ、その常人並みの運動能力を加味すれば、同居人の上位互換と言うべき深刻な脅威であることは間違いない。
新たな脅威には、新たな対処要綱が必要である。そして、その策定のためには、対象についてより深い知見を得る必要がある。従って、近時レーニンは、安全を確保できる範囲で姉妹の観察を試みている。
さて、そんな重要観察対象たる姉妹が今、何をしているかといえば、骨を煮込んでいる。
先日、同居人が首を刎ね飛ばした鶏の遺骨である。同居人が魔術で冷蔵保存していたそれを、この姉妹は今、ネギやニンニクっぽい野菜と共に寸胴鍋でことことと煮込んでいる。より厳密に言えば、実務を担うのは専ら妹の方である。じっと鍋の中身を睨みつけ、時折、浮かんできた灰汁を掬っては捨てている。姉の方は見張りである。厨房の片隅、積みあがった荷物の上から様子を窺う三毛猫を睨みつけて、接近を抑止している。全ては彼女達の煮込む黄金色の液体、鶏の旨味を濃縮したスープを護るためである。
要するに、料理をしているだけに過ぎないのだが、どうにも妖しい雰囲気が漂うのは、漆黒のローブにとんがり帽子という、二人の極めて特徴的な装いのためである。種明かしをすれば何でもない、同居人が支給した普段着なのだが、選定を妹の趣味に委ねてしまったのでこうなった。お陰で、傍から見ると、何か邪悪な儀式が進行しているようにしか見えない。殆ど異端審問官マターである。
勿論、姉妹が進んで誤解を招くような行為をしているわけではない。骨を煮込んでいるのは、同居人の指示によるものである。年頃は少々早い感もあるが、例の病気に罹患していると思しき妹は、暗黒錬金術を操る同居人にある種の憧憬を抱いているらしい。その好意を逆手に取って、体よく雑務を押し付けたのである。詐欺師の師弟と思えば、健全な関係なのかもしれない。
姉の方は、妹の補助としてついている。日頃、妙な帝王学を垂れながらえげつない行為に及ぶ雌であるが、その実、近親者に対しては面倒見が良いのである。幼い妹を一人にすることを良しとせず、同居人もこの姉の意向を妨げるようなことはしなかった。最初から織り込み済みだったのだろう。
レーニンがのんびり観察を続けられる理由もここにある。火の番を務める妹から離れるわけにはいかないので、睨みつけるという消極的手段に頼らざるを得ないのである。何の制約もないならば、もっと直接的かつ物理的な手段で三毛猫の排除を図ってくることだろう。この姉は敵手には本当に容赦がない。この数日、三毛猫は身をもってそれを思い知った。
ところで、敵手に容赦のない輩と言えば、レーニンにはもう一人だけ心当たりがある。同居人である。何といっても、あれには化学剤で無力化した相手を拳銃で丹念に始末していった実績がある。その丁寧な仕事ぶりと躊躇のなさは、この姉とも別格の凄みがある。頭の螺子が飛んでいると言い換えても良い。
思えば、最初から地雷はそこに埋まっていたのである。その危険性が、赤毛姉の登場によって俄かに顕在化しつつある。
端的に言えば、浴場でのあの一件が未だに尾を引いているのである。経緯そのものを見れば半ば事故、同居人の自業自得と言うべき出来事ではあるが、有形力の行使による問題の解決を図った姉の選択は、結果として非常にマズかった。殴ることに慣れていても、殴られることには慣れていないのがあの同居人である。心無い人間に腹を蹴り飛ばされた子犬の如く、姉を見かけると怯えて逃げるようになってしまった。
つまるところ、同居人は姉を脅威として認識したのである。そして、驚くほどに器の小さい同居人は、決して脅威の存在を許容しない。文字通り、存在を抹消しかねないのである。プラスチック爆弾は既に費消したが、同居人の箪笥にはまだ拳銃と、大人買いしたP90がある。殺ろうと思えば殺れるだけの準備があるのである。勿論、流石の同居人にも多少の理性はあるから、未だ惨劇には至っていない。しかし、それは現状に基づく刹那的な判断の帰結に過ぎない。大局は未だ流動的である。
何といっても、理不尽な殺意を向けられて、不快に思わない者など居ない。能天気な妹に対して、姉の方は敵意に鋭いのである。食卓をこっそりと見守る三毛猫がおいしそうと羨むだけで、的確にその位置を検出して睨み返してくるのだから、相当なものである。そんな彼女が、同居人の危険性に気付かないはずもなく、同居人と接する際にはそれとなく身構えている様子がみてとれる。表向きは恭順を示し、先手を打たないのは、権力と武力に優越する同居人相手に勝ち筋を見いだせていないからであろう。不用意な手を打たないあたり、実に聡い。
勿論、同居人も無駄に聡いから、姉の動向を認識しているとみるべきであろう。疑念は恐怖へと転じ、蓄積されていく。かくして、地雷が地雷を刺激し、互いに敵意を募らせる無限連鎖が完成したのである。
最早、事は最初の銃声を待つところまできているのだが、表面的には平穏を保っているのも恐ろしい。同居人は当然のこと、姉の方も電撃戦、相手の対応を許さずに勝負を決めることの重要性を認識しているのである。お陰で、一派の首魁、意外と鈍いダークエルフなどは、この状況に全く気付いていない。唯一、同居人の側仕えに抜擢されてしまったジャン少年だけは危機的状況を察しているようだが、下手を打つと大爆発するので、最早身動きがとれない状況にある。不憫というほかない。
状況を俯瞰すると、思わずにゃーんと声が漏れる状況である。その声を誤解して、姉からの威圧が強まるが、レーニンは努めて気に留めない。胆力が試されているのである。敢えて優雅な仕草で顔を洗って見せると、ぎりりと歯ぎしりの音が聞こえる。効果は抜群なので、離脱の機会は見誤らないようにしたい。
ところで、その命綱たる離脱経路は健在なのだろうか。今更ながら不安を覚えたレーニンは、脅威目標たる姉の動向を警戒しつつ、それとなく周囲を探る。微かに鳴るベルの音に気付いたのは、この時である。
レーニンは全身をぶるっと震わせる。この地で鳴るベルとは、同居人の首輪についた迷子防止用のアレと相場が決まっている。注意深く耳を澄ませば、この厨房に段々と近付く足音も聞こえる。音の高低、異なるテンポが入り混じって雑然としたその響きは、来訪者が複数人であることを伝えている。兵隊を引き連れて、同居人は遂に事に及ぼうとしているのだろうか。まったく、嫌な予感しかしない。
色々と勘違いであって欲しい展開だが、足音は着実に大きさを増す。
「うむ? 誰か来るのか。アリア姉、相手は頼んだ」
「わかった」
忙しい妹の頼みに応えて、その辺にあった麺棒を構えた姉はきつく入口を睨みつける。相手の意味合いが何か違うが、情勢を思えば返って適切な感もある。姉の方も同居人との決着を決意したとみえる。
そうするうちに、足音は入口に到達する。緊張の瞬間である。来訪者は躊躇なく厨房へと踏み入り、その先鋒が顔を覗かせる。意外な、けれど、レーニンの見知った相手である。同居人を助けたことで騎士の地位を押し付けられた小娘、あのニューラである。
「こんにち……」
何の危機感も感じさせない朗らかな挨拶は、しかし、赤毛姉の盛大な歓迎を前に、途中で掠れて消える。後に残るのは沈黙である。ニューラはそのまま固まってしまい、そして、麺棒を構えた姉もまた固まってしまう。何かただならぬものでも感じたのだろうか。続けて入ってきたジャン少年も、エリーも、その背中にぺっとりと張り付いている同居人さえも口を開くことはない。
どうしてここで黙るのか。そう思いつつも、レーニンも釣られてにゃーんと嘆くのを自粛する。骨を煮込む音だけが響き渡る厨房には、ただただ、何だか微妙な空気が流れ続けるのだった。




