凍結処理法
アリアと喧嘩したので、仲直りのために仲裁をして欲しい。
妖精姫のお願いは拍子抜けするほど可愛らしいものだったが、状況の方はそう優しいものではないらしい。案内されるまま薄暗い厨房に踏み込んだところ、濃密な殺気で歓迎された。相手の素性に気付いたアリアが探るように動きを止めてくれたのは僥倖と言えるだろう。そうでなければ、ニューラの脳天は西瓜のようにかち割られていたはずである。
麺棒を構え、凍える瞳で威嚇してくる友人の動向を窺いながら、ニューラは状況の打開策を思案する。とりあえず、何か会話を始めて、雰囲気を和らげる必要があるが、何を話せばいいのか、まるで話題が浮かばない。一体どんな軋轢があればこんな風に拗れるのだろうか。今一番聞きたいのはその辺だが、準備なくその話題に踏み込めば不測の事態を生じることになる。結局のところ、うまい言葉が見つからない。
せめて誰か何か言ってくれれば解決への光明も見えるのだが、眼前のアリアは勿論、背後の妖精姫御一行も、厨房の片隅で様子を窺っている三毛猫すらも、この気まずい空気に一様に押し黙っている。特にこの猫など、両方の前脚で口を押さえて、絶対に鳴かないという固い決意を示している。保身、圧倒的保身の構えである。ここで一声にゃーんと鳴いて欲しいというニューラの願いは通じてはいるっぽいのだが、受理される見込みはない。
もう、どうしようもないのだろうか。心が折れかけたその時、救いは唐突に訪れた。
「うん? ニューラか。久しいな」
熱心に何かを煮込んでいて、それはそれで話しかけ辛かった妹のイリスが、ニューラの存在に気付いたのである。良くも悪くも周囲に流されない娘である。こんな状況でも、普通に会話ができる。
「お久しぶり。ところで、何を煮込んでるの?」
「我も良く知らぬが、骨と野菜だ」
「やっぱり、黒魔術の供物?」
「うむ? どうしてそうなる」
そう応じながら、イリスは鍋から灰汁を掬って捨てる。黒ローブに三角帽子という雰囲気抜群な衣装については、どうやら自覚がないらしい。改めて思えば、イリスはそういう子である。
「ただのスープだ。黄金妖精曰く、結構おいしいらしい」
「骨の奥に秘められた鶏の旨味を引き出す、濃厚スープなのです」
「うむ? 黄金妖精も来ているのか。どこにいる?」
「小さいメイドさんの、後ろに隠れてるよ」
ため息ひとつ、答えたのはアリアである。どうやら、どうやら、暢気な会話に幾らか意気を削がれたらしい。じっとニューラを睨みながら、それでも、構えた麺棒を下ろして、口を開く。
「お久しぶり、ニューラ。今日はまたこんなところに、どんなご用かな」
「お久しぶり。そうだね、喧嘩しちゃったから、仲裁をして欲しいと頼まれたんだけど」
「仲裁? 仲裁ねぇ。そもそも、喧嘩をしているつもりはないんだけど、一体何をするつもりなの?」
「とりあえず、お話を聞かせて欲しいかな。一体何があったの?」
「それは、振り返ってみるといいと思うよ」
要領を得ないが、素直にニューラは背後を振り返る。目につくのは何か憔悴している感のあるジャンと、我関せずというか、どこか遠くを見て精神の平衡を守るエリー、そして、その腋の下から顔を出す──
「えっ、なにこれ、こわい」
いけないものを見てしまったような気がして、反射的に目を背けてしまう。
がっちりと抱き着き肉壁と化した従者から、頭だけ出して様子を窺う妖精姫。その良く言えば人形のように均整のとれた、悪く言えば非人間的な相貌がじっとこちらを見据えるその絵は、なかなか精神にくるものがある。特に、その瞳が恐ろしい。宝石のように美しく、それ故に一切の感情を窺わせないその両の瞳は、何かの光を反射しているというわけでもないのに、ほんのりと金色の燐光を放っている。
「でしょ。喧嘩というか、こう、命の危険を感じるというか」
「失礼な。殺しはしないのです。殺しは」
「嘘つかないでよ。この前だってジャンが危ないところだったんだから」
「いや、あれ、直接的にはお前らのせいじゃ……」
「とにかく、この子は恐ろしい魔術の使い手なんだから、警戒しないわけにはいかないんだよ」
何か重要な事実がさらっと糊塗された気もするが、こう魔術的に威嚇されるような状況では、確かに身の危険を覚えるのも無理はない。もう一度振り返り、瞳の光る妖精姫にそっと視線で訴えてみるが、
「魔術師が魔術を使って何が悪いと言うのですか」
と、首を傾げられてしまった。どうやらこのお姫様、この種の恐怖心をまるで理解できないらしい。
しかし、逆もまた言えるのである。アリアはアリアで、自らがどれだけ強烈に相手を威嚇しているか、まるで自覚していない節がある。知己であるニューラでさえ怖いのである。コンフリクトの相手である妖精姫に至っては、従者の背中に籠って頭しか出してこない。完全に怯えてしまっている証拠である。
結局のところ、発端が何であったのかまるでわからない。しかし、徐々に明らかになってきたのは、最早、発端など問題ではないということである。相互に威嚇をエスカレートさせる、この負の連鎖をどうにかして断ち切らなければならない。それがニューラに求められている役割である。
果たして、それは可能なのだろうか。思案してみるが、どうにも望みは薄い。
強いて言えば、アリアに関してはまだ望みがある。基本的に、彼女は自身と、自信を取り巻く小さな世界を守りたいだけである。どれほどの時間を要するかは定かでないが、脅威が取り除かれたなら、事態は緩やかにでも改善の方向に向かうことだろう。
だから、どちらかといえば、問題は妖精姫の方である。
「ねえ、ヴィオル、一応確認したいんだけど、貴方の言う仲直りってどういう意味?」
「そうですね。とりあえず、殴りかかろうとするのをやめて頂ければ」
「そのためには、アリアを脅かすのをやめた方がいいと思うのだけど」
「特にそういうつもりはないのですが」
妖精姫の応答は常の如く淡々としたもので、特に何か取り繕う様子もない。本当に相手を威嚇している自覚がないのである。アリアも似たようなものだが、こちらの方がより重篤である。
そこで、ニューラは視線を向ける。姫君の肉壁として粛々と役割を果たす、彼女の従者に。
アリアに関する限りはニューラの領分だが、事の本質が妖精姫にあるとなれば、専門外も甚だしい。この不思議なお姫様の扱いに関しては、彼の方が先任である。ならば、事態の突破口を開けるのは、このエリーだけなのである。努めて虚空を眺めて背景に徹しようとしているが、この鉄火場にあって、現実から目を背け続けることは容易ではない。想いは通じる。そう信じて、ニューラは目で訴える。心底嫌そうな視線が返ってきたのは、ややあってからのことである。
それはもう嫌に違いない。ニューラのしていることは、この解決の見えない難問を丸投げしているだけである。先刻取り付けられた魔法のつけ尻尾を大きくぶわりと振って、エリーは苛立ちを表現する。
「ふみゃ?」
それに伴って、後ろに張り付いていた妖精姫が声を上げた。もふもふ尻尾アタックが直撃したらしい。
何かを察したエリーは、もう一度、その銀色の尻尾を振り上げる。狙うのは、妖精姫の長い耳である。ぽふんと当たった尻尾が、それからわさわさと長耳を撫でるように動くと、「みゃみゃ?」と一鳴き、妖精姫は膝から崩れ落ちる。相変わらず金色に光るその瞳は、不可解に動く従者の尻尾を茫洋と眺めていた。
これで良いだろうか。問いかけるようなエリーの視線に、ニューラは小さく頷く。これである。これしかない。期せずして、妖精姫に隙が生じたのである。これを利用するしかない。
「ねえ、アリア」
未だ硬い表情で成り行きを見守るアリアに、ニューラは囁くように問いかける。
「これを見て、まだ、このお姫様が怖い?」
「それを今聞くの?」
「今だからこそだよ」
「それは、その、いつもこんな調子なら別にいいんだけど」
「いつもこんな調子ですよ。姫様は耳が弱点なんです」
そう怜悧に告げると、エリーは駄目押しとばかりに、もふもふ尻尾で長耳を撫でる。床に座り込んだ妖精姫は抗拒不能である。時折「にゃー」と鳴きながら、されるままにもふもふされている。
「ね? 怖くないでしょ?」
正直、後が怖いという本心をひた隠しながら、ニューラはアリアとの距離を詰める。現実は何も動かせなくとも、当事者の認識は操作しうるのである。妖精姫は怖くない、そういうことにしてしまえば良い。最悪でも言質さえ取ってしまえば、今回の依頼を形式上達成したとの口実ができる。強引でも何でも、ここで押し切ってしまわなければならない。
「怖くないよね?」
「どちらかというと、ぐいぐいくる今のあなたの方が怖いよ」
「つまり、怖くないんだよね?」
「う、うん」
「もう一声!」
「怖くない。怖くないよ。今はね」
アリアが見つめるその先では、気分が高揚してきたらしい妖精姫が白銀の尻尾に抱き着いている。猫じゃらしの誘惑に耐えられなくなった猫の如き景色である。威厳も何もあったものではない。更に、わさわさと揺れる彼女に尻尾には、いつの間にか移動していた三毛猫のレーニン君が興奮のあまりにゃんにゃんと飛びついている。実に牧歌的な景色である。ふさふさ尻尾には猫を惹きつける魔力があるらしい。
そんな景色に、流石のアリアも毒気を抜かれたようである。この先、本当に関係が改善するかは当事者次第だが、きっと大丈夫だろう。まさに全身全霊、ふさふさ尻尾と戯れる妖精姫を唖然として見守るアリアの姿に、ニューラは当面の危機が回避されたことを確信する。
事態が一応の決着をみた以上、もはや妖精姫がこの場に留まる理由はない。尻尾の感触を楽しむうちにふにゃふにゃになってしまった彼女を、従者のエリーが引きずるようにして退散させた。少々慌てていたようにも見えたが、ニューラは特段気に留めなかった。もっと別のことが引っ掛かったからである。
「そういえば、今日はサーラ先輩居ないんだね」
そういえば、という程度の素朴な疑問である。華奢で軽そうな妖精姫だが、同年代の人間が運ぶとなると流石に厳しい。こういうのは大人の出番のはずだが、どうして姿が見えないのか。
「あの騎士の人か? なんか朝からどこかに出かけて行ったぞ」
「冴えない方の人なら牧場で大きな犬と遊んでた。堅物な方は……」
「フランコ隊長なら今頃ヴィオルと一緒かな。警護担当だし」
流石は近衛と言うべきか、フランコ隊長は忠実に職務を遂行している。実は、先程の交渉の間も、すぐに駆け付けられる程度には近くに居た。席を外していたのは、子供の喧嘩に大人が出張るべきではないと慮った結果である。アリアが実力行使に出た場合には、すぐ取り押さえる手筈になっていた。
改めて思えば、指揮系統を異にする特務と近衛が同時に妖精姫の警護にあたる現在の体制は、異例というか、奇妙なのである。頼りになる後任を得て、近衛に警護任務を引き継ぐという話が進んでいるのかもしれない。勇者様だから当然という感もあるが、そうなれば、国賓か王族に準じる扱いである。本庁分析部に報告を送れば、どんな反応が返ってくるだろうか。
本業の思索もそこそこに、折角会えたのだからと、アリア達と近況などを話し合う。そこで今回の発端となった浴場でのいきさつを聞いて、スケールの小ささな話に愕然とした。
もっとも、そういう残念な一件を除けば、新生活は概ね順調のようである。算術を教えて貰ったとか、読み書きの練習をしているとか、微笑ましい話も聞くことができた。
本当ならばもう少し話していたかった。しかし、早々に話を切り上げなければならなかったのは、まだ公務の最中だからである。妖精姫の用事も済んだ今、城に戻って確認すべき案件がある。
──思いがけずして、判明してしまったのである。探し物のダガーは旧ペルセリア王国王立造兵工廠製、末端の兵員に支給するために量産された安物で、それが旧王国滅亡後、市中に流れたものである。特別な価値はまるでない。その製造数の多さからペルセリア、つまるところ、ライデール帝国東部一帯で流通している代物で、その他工房の廉価品と同様に、日常生活の中で使われている。
そういう事情を、ふぉっふぉと笑う、あの雑貨店の老店主が教えてくれた。妖精姫を待つ間、折角だからと、聞き込み用の紙面を提示して情報提供を求めてみた結果である。かの老店主は昔、『塔』の事務局で資材調達の仕事をしていたそうで、思いがけず重要な情報を握っていた。
かの老店主の見立てに従えば、問題のダガーはレンブール国内では流通していない。輸入したところで、売れるものではないからである。国内の鍛冶工房でも同等の安物を生産している以上、輸送費がかかるだけ不利である。精々、旅人や傭兵が持ち込んで、路銀の足しに処分するくらいしか流入経路がない。
「難しい顔をしてるんだな。まだ何かあるのか?」
待たせているカロテン君の元に向かう道中、案内を買ってくれたジャンに心配される。どうやら、思考が表情に出てしまっていたらしい。
「うん? まあ、お仕事のことなんだけど、ちょっと解せないことがあってね」
「一体どんな?」
「ほら、このダガー。この国では手に入らないものだよね。探しても見つかるのかなって」
ひらひらと、例の紙面を示して見せる。
「爺さんと話してたやつか。まあ、どこかにはあるんだろ。見つかるまで探せばいいんじゃないか?」
「それでも見つからなかったら?」
「そのときは、うん、まあ、どこにもないんだろうな」
「本当に?」
ニューラは意地悪く笑う。不存在のような消極的事実の証明は、殊の外難しいのである。存在するという無数の可能性を、尽く否定しなければならない。微かな希望すら残してはいけないのである。
「煽るなよ。人が真面目に答えたのに」
「まあまあ」
むすっとするジャンを、ニューラは素早く宥める。何かあっても長々と尾を引かないのは、アリアや妖精姫とは違う、この少年の美点である。
騎士団捜査部から要請を受けている以上、ニューラが今後も件のダガーの捜索を続けることは間違いない。捜索の継続を判断するのは向こうの領分である。下っ端はそれに従うほかない。
しかし、捜査部はどれだけ事態を把握しているのだろうか。遥か異邦から持ち込まれた場違いなダガーは、最早、単なる遺留品ではない。何か販路が見つかるならともかく、このまま捜索が打ち切られることがあれば、どうしてその場にあったのか説明すらできなくなる。
果たして、自分たちは一体何を探しているのだろうか。釈然としない思いを深めながら、ニューラはもう一度、手にとった紙面を見つめた。
*****
「ペルセリア人傭兵団、ですか」
一通り書面に目を通したサーラは、眉を顰める。王城、王立騎士団本部内の団長室。わざわざ海辺から呼び付けられて一読を求められた内容は、なるほど、面倒極まりないものである。
「現在、警務総隊の助力を仰いで確認を進めているところだが、恐らく相違なかろう。その線に沿って、現在、我々が裏付けを進めている」
事前情報のインプットが済んだところで、痩せぎすの男が話始める。王立騎士団捜査部、ディ・フラステロ部長である。王国における刑事警察の統括者であり、防諜部門の重鎮でもある。
「どこまで聞いてよろしいのでしょうか」
「全部聞いて構わんよ。我々も尻尾を掴めていない。ただ、感触としては黒だ。事件の前夜、酒場で外部の男と接触した形跡がある。基本に忠実で、結構なことだ」
傭兵団は金で雇われた実行犯、彼らと接触したのも、末端のメッセンジャーに過ぎないのだろう。誰かの意向で動いているが、その誰かを知ることはない。指令が幾人もの仲介者を経て伝わるからである。王侯貴族や豪商、体面ある権力者が後ろ暗い事柄に手を染める、その際の作法である。
捜査部長が、別の書類を差し出す。
「倉庫の荷崩れに巻き込まれたそうだ。どこの誰ともわからん」
手早いことに、尻尾切りは既に済んでいるらしい。
「これはこれは。確かに」
「誰かが何かを企んだ。その道具が傭兵らしい。わかったのは、結局、その程度だ」
手掛かりは既になく、この後に待っているのは、人心を安堵させる快い物語の制作作業である。それが統治者の責務であり、騎士団の任務である。往々にして、特務騎士の職分でもある。
しかし、どうしてそれを、勇者警護専従の自分に話すのか。サーラは視線で続きを促す。
「まだ考えるべきことがある。誰でもいい。何を企み、何を遂げなかった」
「仰る意味がよく」
「並木街という場所に意味はない。現場の状況をみて、我々が導入した、ひとつの仮定だ」
何かの爆発によって散乱した肉片。何かの戦闘を窺わせる遺留物は、捜査部が当初、地下組織間の抗争という見解に走った原因でもある。死んだのが問題の傭兵団なら、それを殺した者が居る。
しかし、そこには触れずに、捜査部長は話を進める。
「仮定を重ねる。傭兵の使い道など知れている。体制に敵対的な性向を持つ者ならば、今、どこを狙うことで、最大の果実を得る。それも、酒場で買える傭兵で足りる場所だ。そんな場所がどれだけある」
「まさか」
「そのまさかだ。だからこそ、君を呼んだ」
呻くサーラに、窓の外、遠くに広がる海を眺めていたジンガ団長が沈黙を破る。
「仮定に仮定を重ねた上での憶測だ。元より確証などありはしない。しかし、常に最悪の事態を想定する必要もある。だからこそ、一度、考えなければならない」
一呼吸おいて、団長は振り返る。
「本当に安全なのか? あの妖精姫は」




