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ねこのレーニン  作者: るびー
2章 鉄鋼革命
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魔導杖

 戦場において、魔術師の価値は極めて高い。後方支援は勿論、攻勢の局面のみを論じても、この結論は揺らがない。強力な軍用攻性現象術は勿論、飛翔体妨害術に堅固な物理結界、果ては、感応術を用いた心理戦など、その為し得ることは多岐に及ぶのだ。攻防両面において、基軸を担う存在と言っても過言ではない。列国が魔術兵力の拡充に心血を注いできた歴史には、相応の理由がある。


 もっとも、そんな魔術師にも致命的な弱点がある。魔術発動に必要な予備動作、つまり、呪文詠唱の必要に伴う即応性の低さである。互いの腕が届く間合いに入ってしまえば、大抵の場合、詠唱の完了よりも殴る方が遥かに早い。流動的な戦況下、突発的に生じる遭遇戦で魔術師が蹂躙される例は多いのだ。近接戦闘における対処能力の向上、それは戦闘職としての魔術師に突き付けられた長年の課題なのである。


 結論から言えば、この問題は未だ解決されてはいない。しかし、解決の糸口は幾つか存在している。その一つが、今、同居人が握っている杖である。一定の術式を予め組み込むことで魔術の高速発動を可能とする補助装置、いわゆる、魔導杖である。


「その皮っぽいところを持ってね。そうそう、そこに魔力を注ぎ込むと回路が駆動するんだ」

「何だか区分けされているのです。笛みたいですね」

「力の注ぎ方を調節すると、微妙に変化をつけられるらしいんだけど、まあ、慣れた人向けだね」


 今更論じるまでもなく、同居人がこの種の道具を扱うのは初めてのことである。だから、エリー姫がその取扱いを手取り足取り教えている。鮮やかな草色のドレスのお陰で今や妖精姫その2という装いの彼だが、本職は近衛魔術師隊の見習い要員、つまり、従軍魔術師の卵である。魔導杖の取扱いも多少は心得ているのだ。そんな景色を眺めながら、三毛猫は欠伸をする。


 王立魔術院機材実験棟。『塔』と王立工房の境界付近に位置するこの建物は、平たく言えば、防爆実験室の集合体である。魔術と爆発の縁は深いのだ。真理の探究に伴う付随被害を極小化するには、この種の施設が不可欠なのである。


 その構造は魔術技能の鍛錬に用いる練兵場に似る。地面を掘り下げ、その法面を石垣で補強する手法は同様で、これに実験機材の破片が飛散しないよう、更に石壁と屋根を取り付けている。ちょっとした城塞の趣ようなである。そんな構造物が3つ集まって、1つの棟を形成している。


 どうしてこんな場所に同居人が居るのか。その答えは簡単である。単なる寄り道である。


 あの戦慄すべき茶会も終わりを迎え、ディート姫への顔見せという用事が済んだにも関わらず、この小娘はどうしてか現在の仕事場、海辺の製鉄所に戻ろうとはしなかった。曰く、折角城に戻ってきたので、雑務を片付けてから戻るのだという。久しく留守にしている設立準備室で書類を漁り、それが済んだかと思えば、今度は近所に寄ったからという至極いい加減な理由で、『塔』の魔石学者であるカーライン博士の元を訪ねた。今日は安息日である。本来なら、彼は自宅で暢気に過ごしているところだが、今日は研究室に在室していた。同居人が押し付けた難題、魔石熱風炉の製作を推し進めるためである。


 博士は紳士である。事前の約束も取り付けず、ふらりと赴いた妖精のお姫様を決して邪険には扱わなかった。幾らか気分転換も兼ねているのだろう。自ら関心の的である魔石熱風炉の試作機、その所在まで案内してくれた。それが即ち、この危険物試験用の薄暗い穴倉なのである。


「幾らか不思議なところもあるけど、まあ、仲が良さそうで何よりだね」


 抱えた三毛猫を撫でながら、カーライン博士は穏やかに笑う。エリー姫の有様に関しては、あまり深く立ち入るつもりはないらしい。賢明な判断である。にゃーんと鳴いて、レーニンもこれに応じた。


 不思議といえば、見学に来たはずの同居人が魔導杖で遊び始めているのも不思議な流れだが、これは端的に言って余興のようなものである。魔術装置の実験施設であるこの場所には、試作品の魔導杖も幾らか転がっている。その一つを拝借して、試しに使ってみているのである。


 同居人の手にする杖は、見た目は何の変哲もない魔術師の杖である。木製の棒材の先に、金属の台座で保持された赤い宝玉が取り付けられている。柄に銀線が螺旋を描くように巻きつけられていたり、宝玉を囲むように翡翠のような宝石が配されていたりと、手が込んだところもあるのだが、全体的には装飾を控えた簡素な杖である。いかにも実用品という趣がある。


 その動作機構も至極単純なものである。手元の握りの部分から魔力を送り込み、導魔銀の配線を通じて、杖の先に仕込まれた魔石を駆動させる仕掛けである。握りに用いられる魔物の皮は意識して魔力を送ると導通する程度の魔力伝導素材、或いは抵抗器で、これが一種のトリガーとなっている。一般的な設計では配線と魔石は一対一で対応しており、魔力流量の調整機構は存在しない。技術的には可能だが、伝導損失が激しいため、非実用的なのだ。従って、制御は使用者である魔術師の感覚に委ねられている。


 魔力を知覚し、操作する術を持つ魔術師ならばさほど難しくもないが、取扱に技能が要るタイプの道具なのである。しかも、基本的には兵器なのだから、取扱を間違えると大変なことになる。故に、エリー姫は熱心に安全上の留意事項を説いている。


「聞いてる?」

「聞いてますよ」

「そう? ならいいんだ」


 もっとも、同居人が真面目に聞いているかは定かではない。その長い耳を小刻みに上下させながら、この世界の技術の精華たる魔導杖を観察しているからである。


 やがて、一通りのことは伝え終えたのか、エリー姫が同居人から距離を取る。その姿を確認した同居人はおもむろに杖を掲げて、何もない実験室の隅の壁を指向した。何の予動も必要ないのが魔導杖の売りである。一瞬、杖の先の宝玉が輝いたかと思うと、次の瞬間には猛烈な火炎が吹き出していた。


「うん、問題ないようだね」


 設計製造を担うカーライン博士が小さく頷く。


 辺り一帯を焼き払うエルフのお姫様というのも随分アレな景色だが、そこはそういう杖だから仕方がない。軍用火炎魔導杖、要するに、魔法の火炎放射器なのである。大抵の生物に対して有効で、戦場での使い勝手が良いことから、特殊な機材である魔導杖としては最も普及している代物である。


「これだけの火力があれば、雑草の処理が捗りそうです」

「うーん、それ、一応、武器だからね?」

「軍事技術を民需に転用してはいけない決まりもないでしょう」

「それはそうだけど……」


 正しい森の妖精なら忌み嫌いそうな代物だが、所詮、同居人は耳が長いだけの紛い物である。暢気に雑談を交わしながら、火炎で壁を焦がして遊んでいる。この小娘はこれが草焼きバーナーの類縁にしか見えないようだが、傍から見守る三毛猫には少々理解し難い感性である。エリー姫も呆れている。


「これ、外で使ったら大火事になっちゃうよ?」

「では、火力を絞ってみましょう」


 軽やかに同居人が述べると、安定していた火勢が唐突に揺らぎ始める。魔導杖は術式の効果は規定するが、その威力までも規定しているわけではないのだ。魔力供給を絞れば、当然、火炎は小さくなる。しかしながら、それは言葉ほど簡単なプロセスでもない。


 魔導杖の効果を規定しているのは、無論、杖の先に取り付けられた魔石である。例えば、同居人の振るう杖で妖しく光るあの赤い宝玉は、魔力に反応して熱を生ずる火石の結晶を研磨したものである。その周囲を取り巻く小さな石も、周囲の流体に作用する風石である。これらが魔力によって励起されると、その位相関係に従って、魔石の効果が相互干渉を引き起こす。有体に言えば、単独使用された場合とは若干異なる現象を発現するのである。この作用を利用し、有益な効果を引き出す機構が魔石干渉回路である。火炎魔導杖が火を噴くのも、この恩恵であるといえる。


 杖が所定の効用を発揮するには、当然ながら、所定の干渉パターンを維持しなければならない。ここに問題が隠れている。一般的に、魔石は大きさによって魔力に対する反応の度合いが変わる。魔石干渉回路は大小様々な魔石によって構成されているのだ。パターンを維持しながら出力を変化させるには、その特性に合わせて、印加する魔力の割合を動的に変化させる必要がある。


 扱う魔術師の力量も一定ではない。杖は可能な限りの冗長性を持つように設計されてはいるが、それは一般的な魔術師が相応の出力で使う場合を想定してのことである。設計出力を下回る水準での利用には、必然的に、全ての魔石の繊細な個別制御が要求される。魔術師ならば、魔力の操作それ自体は難しい事ではないが、事が微視的スケールになると、別種の問題が顕になる。例えるならば、針の穴に糸を通すような難しさがそこにあるのである。


「すごいねぇ。流石はエルフってことなのかな」


 大要、そんな技術的背景を説明し終えた博士は、その論述を同居人への賞賛で締め括る。手元の三毛猫はにゃーと相槌を打った。どうやらこの博士、抱えた猫につい話しかけてしまうおばあちゃん気質を有しているらしい。猫に難しい話をしても仕方がないのではないかと思われるが、今この時に限れば、存分にもふもふを許している駄賃として悪くはない。もう一度にゃーんと鳴いて、三毛猫は同居人を見遣る。


 元よりあれは器用な小娘である。最初こそ激しく炎を揺るがせていた同居人だが、早々に制御の勘所を掴んだらしい。滑らかに火力を絞ってみせる。荒々しく炎が燃え盛っていたのも今は昔、杖の先には穏やかな火が揺らめいている。見た目はショボいが、理屈の上では紛れもない高等技能である。


「ちょっと小さくし過ぎたのです」

「これだと、何だか大きな蝋燭みたいだね」

「雑草を燃やすには力不足なのです」


 同居人はどうあっても草を燃やす所存らしい。更に魔力供給量を調節し、幾らか炎を大きくする。しかし、この行為、エルフ設定との整合性は大丈夫なのだろうか。見守る三毛猫は首を捻る。


 そもそも、草を焼きたいのならば、魔導杖に頼る必要がない。魔術師ならば普通に現象術で野焼きすれば足りるのだ。加えて、同居人は元より無詠唱現象術の使い手である。魔導杖の上位互換のような能力の持ち主なのだから、尚更、杖で雑草を処理することに拘る必要はない。


 ようやく草焼きに丁度良い火力を見出した後、この小娘はようやくその厳然たる事実に思い至ったらしい。その長い耳の角度が最大値から最小値へ、一気に垂れ下がる様が見て取れる。


「あれ、どうかした?」

「いえ、扱い方は覚えたので、もう少し試してみようかと」


 魔力供給を絶ち、一度、魔導杖を停止させた同居人は淡々と答える。


 可動部品を持たないソリッドステートな装置である。試すと言ったところで、傍目からは何をしているか判然としない。とりわけ、同居人の場合、その傾向は顕著である。外形的行為に着目すれば、杖を握ったまま突っ立っているだけだからである。何故だか首を傾げている。


「えいっ」


 そんな状態で静止していた同居人は、暫くして、唐突に杖を振る。一瞬だけ、杖の先の火石結晶が煌めくと、次の瞬間には、燃え盛る火の玉が壁に叩きつけられていた。いかにも魔法の杖らしい景色である。しかし、火炎魔導杖にこんな機能はない。


「今のは?」


 エリー姫がカーライン博士を見遣るが、対する魔導杖設計者も真顔でゆっくりと首を振る。そんな二人に委細構うことなく、同居人はもう一度杖を振り、火の玉を発射した。


「ええと、何事?」


 今度は同居人に問いかける。回答は次の通りである。


「魔石に対する入力を個別に制御できるので、ちょっとその時系列情報を最適化してみたのです。シミュレーション上で遺伝的アルゴリズムを適用してみました」

「つまり?」

「適当に弄り回していたら、できちゃったのです」


 平易にしようと努力した結果、今度は要点が全て抜けてしまった。


 魔導杖が魔石の個別制御を要求するのは、流量調整を行う機構が非実用的だからである。代わりに魔術師が安定器の役割を担っている。その構造故に、裏技が存在する。意図的に、魔石に印加する魔力量に偏りを持たせるのである。そうすることで、軌道や指向性などの特性に変化をつけることができる。


 同居人がやってみせたのは、その更なる発展形である。単に偏りをつけるだけではなく、それに時間的な変化をつけたのだ。理屈は単純だが、同居人が幻影魔術で空間投影して見せた入力波形は針山のようにぎざぎざした複雑なものである。存外、制御周波数が高いのだ。


「これはちょっと、常人には真似できそうにないかな」


 一通り同居人の種明かしを聞き終えたカーライン博士は、そのように嘆息する。簡便を旨とする魔導杖において、やはりこれは少々複雑すぎる技術なのである。


「エリー、貴方ならどうですか? 普通ではありませんし」

「その言い方はちょっと引っ掛かるんだけど。それに……」

「まあ、良いではありませんか」


 強引な小娘は有無を言わさず、杖を押し付ける。確かに、彼が非凡な魔術師であることに違いはない。だから、その結果は劇的なものだった。一瞬だけ眩い閃光が迸り、次の瞬間、宝玉がぽろりと脱落した。


「おや」

「おやじゃない。こうなるって何となく見えてたじゃないか!」

「まあまあ、ところで、二人とも怪我はないかい?」


 同居人に詰め寄るエリー姫をそれとなく宥めながら、博士が問う。武器の暴発事故という少々肝の冷える事態ではあるが、幸いにして、誰にも外傷はなかった。魔導杖が壊れたことが唯一の被害である。


「うん、無事なら何よりだ」

「あの、先生、この杖は」


 いかにも気まずそうにエリー姫が杖を差し出す。宝玉を保持していた金属台座は半分ほどが融け落ち、その余の部分も膨大な熱量を受けて、ぐにゃりと歪んでいた。一見して、見事な破壊の様態から、火石結晶が異常加熱したのだと見てとれる。


 それもそのはずである。このエリー姫は決して普通の魔術師ではない。人並み外れた、強大な魔力の持ち主である。それでいて、制御能力は人並みだから、災厄などと渾名されていたりする。そんな出鱈目な魔力が、普通の魔術師を想定して作られた魔導杖に注がれたのである。壊れないはずがないのだ。


「ああ、まあ、それは古い試作品だから、気にしなくても大丈夫だよ」


 博士は例の如く優しく対応してくれるが、その声色にどこか陰りを感じるのは恐らく三毛猫の気のせいではない。魔導杖は高いのだ。使用されている魔石が力を秘めた宝石であることを思えば、当然のことである。しかも、天然鉱石を使用することから量産できず、製品毎に専門技術を要する調律を施す必要がある。そんな代物である。対するエリー姫の、元より色白な顔が更に蒼白となっていることも肯ける。


「見事に融けてしまっています。何か防止措置などは講じていないのですか?」


 ただ一人、こんな事態を引き起こした元凶は、淡々と破損した杖の性状を吟味している。他に言うべきことがありそうなものだが、そういう事柄には特に興味がないらしい。


「うーん、ふつ──いや、その、多くの場合、金具の部分がこんなに熱くなることはないんだ。彼の場合は少々、その、特別な事例ということになるかな」

「なるほど、事情は概ね理解しました。だからこういうことになるのですね」


 ちらりと、同居人は部屋の片隅を見遣る。他の二人もこれに続く。ついでに、三毛猫も釣られた。清らかな心を持つ純粋な猫だからである。何となく、流れには逆らえないのだ。


 同居人の視線を追うと、行き着くのは積み上げられた資材の山である。機材の固定具など使いまわせる物の他、搬出が面倒な使用済み機材が乱雑に放置されている。そこに、一際異様なものがある。淡い魔法の光に鈍色を照り返す金属製の車輪、中央には巨大な赤い宝玉がはめ込まれており、それを放射状に延びる棒状部品が外環構造と接続している。


 これが濃縮魔力印加式火石風石併用型熱風炉、その心臓部とも言うべき熱風装置の現物である。


 最先端魔導技術の結晶ががらくたの山に埋もれているのも不思議な景色だが、その状況を仔細に吟味すれば合点はいく。それは明らかに壊れているからである。限りなく真円を構成するべき外環は一見明白なレベルで扁平に潰れており、中央の宝玉を支持する棒状部品も多くはぐにゃりと歪んでいて、一部は欠損している。高温に曝され、構造強度が大幅に低下した結果である。何のことはない。装置の仮組と調整が終わり、試運転をしてみたところ、自らの生ずる高温にやられたのだ。端的に言えば、自爆である。


「そう、だね。回路の大型化のことばかり考えていて、ちょっと視野が狭かったみたいだ」


 どこまでも怜悧な同居人に、カーライン博士はぽりぽりと頭を掻きながら応じる。そろそろ、この生意気な小娘に怒っても良さそうなものだが、そうしないあたり、実にできた人である。


「しかし、これは朗報でもあります。少なくとも、この装置には十分に鉄を融かすだけの力があると示されたのです。後は本体が融けないように対策するだけとも言えます」

「それはそうなんだけど、結構な難題だよ、それ」


 応じる博士は、力なく笑う。


 熱風装置の構造は簡素なものである。中央の巨大な宝玉は研磨された火石の結晶で、それを支える棒状部品には風石の結晶が仕込まれている。どうにも既視感を覚える配置だが、これは偶然ではない。この熱風装置も魔石干渉回路によって駆動するものであり、その基礎設計は火炎魔導杖に由来する。つまるところ、これは大型化された火炎魔導杖そのものなのである。新技術である魔力ポンプ素子を用いた、一種の外部動力機構を採用しているが、その辺の差異は枝葉末節の問題でしかない。


 それがどうして自壊するかといえば、先程の魔導杖と同様である。大きな魔力が印加されたため、構造の許容限度を超える高温が発生したのである。物質は熱すれば融ける。ごく自然な物理的帰結である。


 もっとも、それをエリー姫のように、規格外とか仕様外ということにして片付けられないところに事案の特殊性がある。この熱風装置は製鉄用機材なのだ。鉄が融けるような温度域で運転できなければ意味がない。少なくとも、一般的な火炎魔導杖よりは遥かに高い温度帯で動作する必要がある。出力を絞るというのは、ここでは有用な解決ではない。


「あの、ええと、熱くて融けるなら、冷やせばいい……のでは?」


 おずおずと声を上げたのは、エリー姫である。彼なりに流れを読んで、状況の打開策を考えたらしい。しかし、その躊躇いがちな態度が実に深窓の御令嬢めいている。単に権威と猛獣の間に割って入るのが怖いだけと理解してはいるが、三毛猫はどうにも錯覚を禁じ得ない。


「素直な解決策だね。悪くない」


 そんな彼に、紳士なカーライン博士は即座に応じる。


「でも、これを冷やす回路となると結構大きなものになりそうだ。熱風を作る主回路と干渉することになれば全部再設計になる。その辺の見極めがつかないと」

「干渉回路を用いなくとも冷却は可能です。表面積を稼ぐための放熱板を取り付けても良いですし、内部に管を設けて、冷媒を循環させても構いません。よくある手法です」


 淡々と述べた同居人は、幻影魔術で幾つかの参考例を展開する。内燃機関、ジェットエンジン、それから、高速増殖炉の模式図などである。何故かNaKの文字が無暗に輝いて眩しい。


「しかし、強力な冷却機構は装置全体の熱効率を下げることに繋がります。やはり、装置自体がある程度の高温に耐えなければなりません。そんな素材に心当たりはありませんか?」

「火竜なんかは溶岩だまりに平気で浸かったりすると聞くけど」

「そういう生物素材は加工性に難がありそうなので却下なのです」


 素敵なファンタジーマテリアルと触れ合う機会だが、同居人は即座に切って捨てる。好奇心というものがないのだろうか。思わず三毛猫はにゃーんと小さく鳴いてしまう。


「うーん、そうなると、他の先生に話を聞かないとわからないかな」

「無いなら無いで構いません。妥当な選択肢か検討の余地がありますが、心当たりがあります」

「というと?」

「ニッケル合金です」


 同居人は凛としてその名を口にする。それが何かといえば、高温耐性や耐食性に優れる特殊合金である。ジェットエンジンのタービンブレードにも用いられる。結局、熱風装置が融けるのは物理の問題である。物理の得意な同居人は、素材技術の暴力によって問題をねじ伏せることに決めたらしい。


「何だか、凄そうだね」

「超合金ですから」


 問題はそんな高機能素材を製造する設備が明らかに存在しないことであるが、その辺は、今度は魔術による暴力でどうにかなる。小ロット生産に限って言えば、任意の比率で異種金属を混ぜ合わせることに困難はないのだ。原料調達も、実験室レベルに留まる限りは『塔』事務局調達部の助力を仰ぐことができる。


 暫く話をした結果、この熱風装置の本体素材に関しては、来週末に改めて協議を行うことが決められた。同居人の提案はそれなりに有望ではあるが、カーライン博士としても他の可能な選択肢を見極めておきたいところらしい。得体の知れない新技術に安易に飛びつかないのだから、堅実な判断である。しかし、彼の休日出勤がまた確定したことになるのだが、その辺は良いのだろうか。三毛猫は首を捻る。


 やがて、真面目な話も一段落する。一通り用も済んだ形である。同居人は話の中で闇雲に浮かべた幻影魔術のスライドを片付け、帰り支度を始める。そんな折である。ついでとばかりに、図々しいこの小娘はこんなことを言い始める。


「ところで、エリーが壊した杖なのですが」

「えっ、僕のせい?」

「貰っても宜しいですか?」


 エリー姫が握ったままの魔導杖をもぎ取ると、同居人はその先端を、地面に転がる火石結晶に押し付ける。すると、融けた金属台座が軟体生物のように蠢き始め、その赤い宝玉を呑み込んだ。魔力に反応して熱を生じる火石は、直接触ると危ないのである。そこを、冶金魔術を用いて強引に回収したのだ。


「壊れたものだし、構わないけれど、一体何に使うんだい?」

「私の方で修理して、来週に備えた予備実験などをしようと思うのです」

「そういうことなら、喜んで進呈するよ」

「ねえ、本当に僕のせいなの?」


 エリー姫ががくがくと同居人を揺さぶるが、海藻のようにゆらゆらと力に身を任せるだけで、この小娘は決して応じようとしない。何とも強情な態度である。


「ところで、僕の方からもお願いがあるんだ。一応、事務局に杖の滅失を報告しないといけないんだけど、ええと、その、ヴィオルが壊した、ということにだね」

「エリーが壊したのです」


 即答である。涙目のエリー姫が「違うから!」と抗議しても、聞く耳を持たない。


「そこをなんとか。君が絡んでいることにしておくと、こう、事務局の対応も甘くなるんだよ」

「そういうことなら、仕方がないのです」

「いやー、ありがとう」


 博士は慇懃に礼を述べるが、その表情は完全に苦笑いである。余計な理屈を持ち出さずとも、明らかにあれは同居人のせいだからである。三毛猫も呆れてにゃーとしか鳴けない。


「流石にちょっと酷いよ、あんな高い物を壊したら怒られるんだから」

「まあまあ」


 濡れ衣を着せられかけたエリー姫は流石にご機嫌斜めであるが、そんなことを気にするような同居人ではない。気安くその背中から抱き付くと、そのまま密着して、身体を預けてしまう。この超然とした態度に、文句を言う気も失せたらしい。エリー姫はがっくりと項垂れる。


「それでは、先生、ありがとうございました」

「また来週なのです」


 散々迷惑をかけたカーライン博士に礼を述べ、実験室を後にする。三毛猫も床に下してもらうと、にゃーと鳴いて礼を述べた。砦のように重厚な建物を出ると、既に日は落ち、天頂では星が煌めき始めている。思えば、長いことあの穴倉の奥で話し込んでいたのである。星空の下、地面に転がった三毛猫はふーっと息を吐いて、身体を伸ばす。


「随分遅くなっちゃったね。ほら、早く戻らないと」


 ただでさえ、動き辛い恰好をしているのである。エリー姫はそれとなく自分で歩けと促してみるが、この駄目な妖精姫はくっついて離れない。流石に、強引に引き剥がす勇気はないらしい。溜息ひとつ、この邪魔な生き物を引き摺り気味に歩き始める。


「そんなに急いでどうするのです?」

「ほら、神父様達が心配するじゃないか」

「ああ、そのことなのですが」

「うん?」

「今日はもう遅いので、一晩ここに泊まろうと思うのです」


 元より、この城内に用意された居室が同居人の本拠地である。気紛れに滞在を決めたところで、特に支障があるわけでもない。しかし、エリー姫には引っ掛かるものがあるらしい。奇遇なことに、後ろを歩く三毛猫も同感である。


「もしかして、謀った?」


 彼なりに低い声色で、鋭く同居人に申し向ける。


「何のことでしょう」

「とぼけないでよ、姫様と一緒に」

「さあ、何のことでしょう」


 常の如く淡泊な応答も、どこか白々しいのは予断のある故だろうか。レーニンはいやいやと首を振る。


 茶会の後、同居人がどうして無為な寄り道をしていたかといえば、単純に時間を空費していたのだ。城内で一晩を過ごす口実を得て、昼間の雪辱を晴らすためである。同居人は、ただ待っているだけで良いのだ。久方振りである妖精姫の逗留に、好奇心旺盛なディート姫の方が必ずアクションを仕掛けてくる。


 この三毛猫としては、犠牲の末に獲得した戦術的勝利を見事に戦略で上書きされた格好である。居室に戻った後、案の定やって来たお姫様の使いを目の当たりにして、この負け猫にはもはやクレムリンの中で不貞寝するほかの選択肢は存在しなかった。


油断していたら季刊になってしまいました……

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