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ねこのレーニン  作者: るびー
2章 鉄鋼革命
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寄り道

 元より、王都の下水道は危険な場所である。今や誰もその全容を把握していないが為に、そこは人目を憚る人や物の行き交う、闇の交易路と化しているからである。それが巨万の富に繋がるとなれば、当然ながら、縄張り争いも生じる。善き市民の暮らす足元、日の光の届かぬ深淵には、常の如く暴力が渦巻いているのである。力なき者にできることは、敏に危難を察知して、巻き込まれないよう努めるのみである。


 ──そういうわけで、弱者筆頭、下水道の住人であるニルは朝から情報収集に励んでいる。抗争の開始を知らせる兆候が、大きくこの下水道を揺るがしたからである。別に、比喩ではない。何者かが爆発物を使用、または、それに類する攻性現象術を発動させたのだ。現場はニルの居所から遠いが、半分はダークエルフである彼女の聴覚は、相応に鋭いのだ。変事の兆候を感じることは容易だった。


 もっとも、その出自が情報収集の手段を著しく狭めていることも事実である。人ならざる者の権利が顧みられないこの地で、いかにも目立つダークエルフの容姿は足枷でしかない。ハーフと知られれば尚更である。ごく稀な例外を除けば、それは従属種族として人為的に作られたものである。自ら奴隷であると宣言しながら歩くようなものだから、迂闊に出歩けば碌な目に遭わない。仕方がないので、寝床を共にする仲間達を知己の元に送った。概要程度ならば、これで程なく判明するはずである。


 一通りの差配を終えて、ニルは一休みである。古ぼけた絨毯の上に転がると、地下室の天井に吊り下げられた魔法装置が目に入る。照明として重宝してはいるが、ニルはその本来の用途をよく知らない。興味もないのが正直なところである。ただ茫洋と淡い灯りを眺め、今後の展開に思いを巡らせる。


 密輸組織間の抗争それ自体はさほど珍しいことでもないが、今回の事態は少々趣が違う。爆発という、あまりにも露骨な手段が用いられたからである。ニルにはこれが訝しくて仕方がない。通常、抗争とは暗闘である。暗がりから忍び寄り、静寂のうちに決着をつける。堂々と事を起こして、地上の官憲を招き入れるのは得策ではないからである。今回事を起こした誰かは、敢えてこの不文律に逆らった。これでは、抗争と言うよりも、もはや戦争である。


 事と次第によっては、暫くこの棲家に籠らなければならない。水はどうにかなるとしても、数日分の食糧を貯える必要が出てくる。または、もっと素直に、この下水道から脱出する展開もありうる。そうなれば、堂々と日の光の下を歩けないニルにとっては辛いことになる。


 段々と思考が憂鬱な方向に傾いてくる。そんな時分のことである。下水道の水音に、その流れに逆らう異音が混じる。誰かが来たのだ。暫く待っていると、ばたんと扉代わりの板が開く。勢いよく転がり込んできたのはここの住人、ジャン少年である。


「あら、おかえり。随分早かったね」

「さっぱりわからないってさ」


 開口一番、ジャンは端的に結論を述べる。


「並木街の裏辺り、ニルの言った通り爆発があった。現場は騎士団の連中が抑えてて、詳しいことはわかんないらしいけど、何人か死んだのは間違いないって」

「やっぱり」

「で、ここからが本題。その死んだ奴らが誰なのか、実はまだわかってないんだ。陰険商人共も、今、慌てて調べてるって。寧ろ、俺が何か知らないかって聞かれた」


 そこまで一気に言い終えて、少年は床に大の字で寝転がる。この報せを持ち帰るべく、全力で駆けてきたのだ。そんな彼を労うように、ニルはその頭を撫でる。ジャンは何故か睨んでくるが、そこはさっぱりと無視した。彼が素直でないのは常のことである。


 それよりも、ニルにとって気懸りなのは彼の持ち帰った話である。案の定と言うべきか、それは恐ろしく不穏な内容を含んでいる。


 暴力の世界を生きる密輸組織にとって、恐怖とは一種の資本なのだ。配下の者を無残に殺されて、黙っているわけにはいかない。何者の仕業にせよ、やられた側は報復を宣言するのが常である。しかし、今回はそれがない。何かの理由で口を噤んでいるか、それとも、本当に今回の一件に無関係なのか。外部の人間の仕業とすれば、余計に恐ろしい。あの爆発は、王都の組織に対する宣戦布告に等しいことになる。


「何が起きたって言うんだ」


 ジャンの口からそんな言葉が漏れる。その響きに含まれるのは、只管に困惑だった。実際、この下水道に住む誰もがこの事態に困惑している。


 或いは、他の誰かが事態に見通しを与える情報を掴んでくるかもしれない。そんな気休めを口にしようとしたニルは、不意に天井を仰ぐ。その鋭敏な聴覚が、再び不思議な兆候を捉えたのである。


「馬車……?」

「んっ、また何か聞こえたのか」

「わからないけど、何かが近付いてくる、みたい?」


 ニルの住まう地下の小部屋は、現在の市域の遥か外側にある。街道の真下というわけでもないから、馬車の音が聞こえるのは珍しい。


「まあ、地上の事だから」


 地下の自分達とは関係ない。そう結論して思考を打ち切るが、どうにも不安感が拭い去れない。先の異変を受けて、精神が過敏になり過ぎているらしい。考え過ぎである。そう自らを落ちつけようとしたニルだが、不意に「えっ」と驚きを漏らしてしまう。重々しい馬車の音が、唐突に途切れたからである。同時に、がちゃがちゃと特徴的な足音が多数発生する。


「兵隊?」

「こんなところに? まさか」


 首を捻るニルに、ジャンはいかにも半信半疑である。この小部屋の真上にあるものは、風化した古代の街の残骸だけなのだ。そんな場所に兵隊が何の用だと言うのか。合理的な説明がつかない。


 それでも、おもむろにニルはジャンの身体を抱き寄せる。ジャンも敢えてこれを拒まなかった。不安なのは二人とも一緒である。身を寄せ合い、息を殺して、得体の知れない事態が過ぎ去るのをじっと待つ。


「行った?」

「まだ。何してるんだろう」

「見て来ようか?」

「それはだめ」


 得物まではわからないが、相手は確実に武装した集団である。不用意に近付けば、それこそ不測の事態を招きかねない。それに、今一人で置いて行かれてしまえば、流石に心細いのだ。ニルは一層、少年の身体を強く抱き締める。


 その直後のことである。ぴしりと何か硬い物の裂ける音が、地下の小部屋に鳴り響いた。



  *  *  *  *  *



 時は早朝、王都市壁外側に広がる旧帝都市街の跡地。街道からも離れ、特に目につくものもない辺鄙な場所に、奇妙な集団が展開していた。皆一様に目を惹く純白のマントを羽織り、その下には朝日を鋭く照り返す白銀の銅鎧を着込んでいる。得物は身の丈よりやや長い程度の槍である。予備として、腰には宝石のついた剣も佩びている。整った身なりと統一された装備は、彼らの素性を雄弁に物語っている。明らかに傭兵ではない。正規の訓練を受け、高度に統率された騎士の一団である。とりわけ、白を基調とした流麗な意匠は、彼らが王族の身辺を守る近衛騎士隊の所属であることを雄弁に語っていた。


 この景色を見た者は、誰もが首を捻るはずである。周囲にあるのは草生した建物の残骸、遠い昔に見捨てられた歴史の残滓だけである。騎士団の花形である近衛が居るのは、あまりにも場違いな場所である。隊を率いる赤毛の騎士、フランコ・ディ・エボリスもその辺は重々承知している。更に言えば、彼自身、どうしてこんな場所に居るか、今一つよくわかっていない。


「マーラフェルト卿、この場所に一体どのような用件で?」

「資産の回収と拡充は目下の最優先課題なのです」


 率直に問うてもみたが、よくわからない返事ではぐらかされてしまった。


 ──全ての発端は昨晩に遡る。王都の地下を通る下水道で、何者かの手による爆発が生じた。詳細は不明だが、騎士団捜査部は地下を根城とする密輸組織間の抗争であると見ている。何にせよ、王都の治安を揺るがせる変事が起きたのである。人心を安定させるために、騎士団は即座に警備体制の強化を打ち出した。具体的には、平民街での巡回を強化することにした。


 ところで、王都の治安を預かる騎士団には別種の任務もある。王都に滞在する貴族の保護である。彼らに万が一のことがあれば、国王の権威に疵をつけることとなる。しかし、担当部署である警務総隊は既に平民街での警戒で忙しい。そこで、彼らの仕事を補助する形で、比較的余裕のある近衛騎士隊が投入される運びとなった。フランコの率いる一隊はその一環として駆り出された。


 結果として与えられたのがヴィオル・マーラフェルト卿、異界の妖精姫の護送任務である。ディート姫の招きに応じて城内で一夜を明かした彼女を、朝のうちに屋敷に送り届けなければならない。貴族街とは真逆の方向、海辺が目的地というのが解せなかったが、仕事自体は普段と大差はない。意気揚々と城を発ち、そして、気付けばこんな辺鄙な場所に連れて来られていた。護衛対象の少女から、どうしても行きたいところがあるとせがまれたのである。相手が幼い姫君だけに、どうにも断りきれなかった。


 こんな寂れた場所に何の用があるのか、フランコにはよくわからない。しかし、確かに目的はあるようで、従者の少女を伴って妖精姫は馬車を降りた。何はともあれ、この不思議なお姫様を守るのが任務である。随行していた馬車から武装した兵員が降車し、彼女を囲うよう迅速に散開する。市壁の外側なので、実際、何があるか知れたものではないのだ。野盗に野犬、先日には魔物が見つかったとも聞いている。不可解な状況に首を捻りつつも、近衛騎士達は職務に忠実である。かくして、この奇妙な景色が完成した。


「ほえー、流石は近衛、見張りをするだけでも絵になるね」

「言っておくが、貴様は自分で身を守れよ」


 そんな景色を暢気に見物しているのが護衛騎士のピエトロである。あまりにも緊張感に欠けていたので、ついフランコは釘を刺してしまう。この不真面目な輩は従前から組織され、運用されている騎士団特務班の勇者警護チームの要員である。こちらはこちらで、今日も平常通り任務についている。


「承知しております」


 凛々しく答えたのは、その主任を務めるサーラである。しかし、どうにも締まらないのは、両手で猫を抱えているからである。珍しい三色の毛並みに二本の尻尾、妖精姫の愛猫であるレーニンである。


「サーラ殿は姫様の用事に心当たりはありませんか」

「ええ。猫のように気紛れな方ですから」


 刹那の後、サーラに抱かれる三毛猫がにゃーにゃーと語気強く鳴き始める。今の発言に、何か気に障る内容が含まれていたらしい。事前に話は聞いていたが、この気難しい飼い猫も含めて、全く容易ならざる相手である。必死に猫を宥める警護担当主任を眺めながら、フランコは努めて表情を引き締める。どんな状況であろうとも、近衛騎士隊の一員として弛んだ姿は見せられない。


 そうしてフランコが気を張っている間に、妖精姫は着々と自らの用事をこなしていく。持参した樫の杖で、ずりずりと地面に線を描いているのだ。簡易の魔法陣──と呼ぶのも憚られる、ただの四角い境界線である。建物の残骸など、杖で線を描けない場所では途切れてすらいる。


 それでも、特に問題ないらしい。一週回って境界線を閉じた妖精姫は、杖の頭でこんこんと閉じた領域を小突く。所作としてはそれだけだった。すぐ後に、みしりと何かが割ける音がして、区切られた領域が隆起を始める。魔術で土地を引き抜いているのである。


「これを置くので、ちょっと避けて欲しいのです」


 そう言って、唖然としている周囲の近衛騎士を退けると、妖精姫は引き抜いた土地を隣に置く。その質量故にゆっくりとしているが、所作自体は鍋の蓋でも置くような無造作なものである。底部に何か光る物体がついているため、わざわざ回転して、横向きの恰好に直された。どすんと重い音が周囲に響く。


 暫く呆然と眺めていたフランコだが、不意に、胸中から湧き上がる強烈な疑問に気付く。結局、この茶番は何だったのか。単にこの術式を試してみたかっただけではないのか。言い知れぬ怒りのようなものを感じて、赤毛の騎士はぽっかりと開いた四角い穴に駆け寄る。


「マーラフェルト卿、これは一体……」


 問いかける声は途中で止まった。穴の底に人影を見つけたからである。ぼろを纏った少年と少女、その色彩から、少女の方は一見して南の大陸の出であると知れる。その尖った耳を見れば、その出自は更に明確なものとなる。逢瀬の最中だったのだろうか。しっかり抱き合った二人は目を丸くして、覗き込むフランコを見上げている。どうにも気まずい雰囲気である。彼は瞑目して大人しく引き下がった。


「邪魔をしたようだ」

「いえ、これは貴方が想像するようないかがわしい場面ではないのです」


 そんな騎士の思い込みを即座に訂正すると、妖精姫は躊躇なく穴の底に飛び降りる。制止する暇はなかった。建物の一階分以上はあろうかという深い穴である。足でも捻っていないかとフランコは慌てて覗き込むが、どうやら魔術で勢いを殺したらしい、ふわりと着地する様が目に入る。


「お久しぶりです、ニル。少々不躾な来訪となってしまいましたが、無作法をお許しください」


 悠然と二人に歩み寄りながら、妖精姫が声をかける。顔見知りらしいが、まるで接点が見えない。


「以前、迷子になった際に手助けをしてくれた方のようですね」


 訝しむフランコに説明してくれたのは、同じく穴の淵で事態を見守るサーラである。騎士団を騒然とさせた妖精姫の出奔未遂事件、その際に知り合ったものらしい。恩義ある相手となれば邪険に扱うわけにもいかない。フランコは部下に、引き続き周辺の警戒を続けるように指示を出す。


「お久しぶりね、貴族様。まあ、なんというか、相変わらず斬新な登場の仕方ね」

「地下に行きたい……などと言うと、方々から叱られてしまうのです」

「当たり前です。マーラフェルト卿、御身の立場を弁えてください!」


 早速フランコに怒られる。眼前で実例を見せられて、これにはニルも苦笑いを禁じ得ない。


「お前、あの無駄に名前の長い新入り、なんだよな?」


 幾らか空気が弛緩したからだろうか、ニルの隣で彫像のように固まっていた少年もぎこちなく動き始める。周囲に護衛の騎士隊が居るためか、明らかに腰が引けている。


「ようやく思い出して頂けましたか。若年性健忘症ではないかと心配していました」

「その癇に障る口ぶり、間違いないな。そうか、お前、本当に貴族だったのか」

「ついでに、魔術師でもあります」

「さらりと盛ってくるな。詐欺師の間違いじゃないのか?」


 無意味に胸を張る妖精姫に、少年は辛辣な言葉を投げかける。察するに、こちらが素なのだろう。明らかに貴族への礼に欠く振る舞いだが、どうにもフランコは止める気になれない。


「試してみますか?」

「そんなことを仰るから貴族と思われないのでは?」


 溜息交じりに釘を刺したのは、従者の少女である。穴の上から怜悧に妖精姫を見下ろしている。その静かな威圧には何か感じるところがあったらしい。超然とした妖精姫も長い耳を垂れ下げて大人しくなる。


「それで、貴方は何のためにここに来たの?」


 その一瞬の隙を突いて、黒い肌の少女が問う。


「俺に復讐するためか?」

「魅力的な選択肢ですが、今日は違います。ニルの身柄を回収しようと思いまして」

「私の身柄を回収?」

「実は、先日、面白いものを見つけたのです」


 そう言うと、妖精姫はおもむろに袖の下から書類の束を取り出す。様式どころか、用紙の大きさすら統一されていない。雑多な印象を受ける紙片である。その中から、妖精姫は一番大きなものを示す。


「これは国内の奴隷商人が締結したハーフエルフの売買契約書なのです」

「何かもう嫌な予感がしてきた」

「そして、こちらが権利譲渡に係る諸々の書類です。輸送船が難破して荷を紛失する事故があったようで、途中から二束三文で点々流通したようですね。最終的にドルニアさんの手元に辿り着いたようです」

「それで」

「先日、ドルニアさんはお亡くなりになり、その積極財産は全て私が承継しました」

「ふむ」

「この契約の売買目的物、きっと貴方のことだと思うのです。つまり、名目上は私が貴方のご主人様ということになります。そこで、責任を持ってお持ち帰りして保護しようかと思いまして」

「嫌だと言ったら?」

「帰るのです」


 妖精姫の至極あっさりとした返答に、身構えていた少女は虚を突かれたらしい。上から見守るフランコも、およそ騎士の精神にそぐわない指示を下されず安堵しながらも、どうにも釈然としない思いを抱えていた。これでは何のための茶番なのかわからない。


「貴族の割に、随分と大人しく引き下がるんだな」


 隣の少年も、いかにも訝しげに妖精姫を睨んでいる。


「無理に連れ帰ったところで、安心して仕事を任せられないのでは意味がないのです」

「仕事って、何をさせるつもりだ? まさかとは思うが……」

「色々あるのです。掃除洗濯、炊事に、そうですね、今なら山羊さんのお世話というのも」

「最後のはともかく、やけに普通だな」

「当然なのです。寧ろ、貴方は一体何をさせると想像していたのですか」


 実に純粋な問いかけだった。妖精姫はまっすぐ少年を見つめ、微かに首を傾げる。この対応には、彼女の邪な意図を追及せんとしていた少年も流石に怯んだ。現代において、ハーフエルフに特有の使途など知れたものである。しかし、こうも無垢を装われると、説明に勇気が要る事柄であることも間違いないのだ。慌てて目を逸らす少年を目の当たりにして、フランコは同情を禁じ得ない。


「大体、エルフの需要自体はもう足りているのです。繁殖以外なら大抵のことができます」


 駄目押しとばかりに、妖精姫はしれっと言い放つ。ぴくりと揺れる長耳が示す通り、彼女自身が純血のエルフなのである。いかにも傲慢な物言いだが、下位互換に過ぎないハーフエルフに特別な価値を認めないのも無理はない。その圧倒的正論に、少年も毒気を抜かれたらしい。


「……貴族なのに、随分と体を張るんだな。何だか俺、お前のそういうところって尊敬に値するんじゃないかって思い始めてきたぞ」

「物の道理がわかってきたではありませんか。特別に私をなでなでする権利を差し上げましょう」

「訂正。やっぱむかつくな、お前」


 大仰に溜息をついた少年は、それからじっとりと妖精姫を睨み付ける。なでなでを御所望のお姫様は、ただ首を傾げて佇んでいた。どうしてそんな反応が返って来るのか、まるで理解できてないのである。


「まあ、良いのです」


 暫しの気まずい沈黙を破り、妖精姫は話を進める。


「特に特別な仕事でもありません。よろしければ、ジャン、貴方もどうですか? 給与は月額10リーン、今なら住居と食事も付いてくるのです」

「好条件過ぎて怖い。本当は一体何をさせるつもりなんだ?」

「最終的には鉄を作るのです。人手が要るので、今からそれなりの条件で囲い込んでいるのです」

「鉄? もしかして、海辺にできたアレって」

「私の製鉄所なのです」

「そうか、頭のおかしい貴族ってお前のことだったんだな」


 曇りのない妖精姫の返答に、ようやくこの少年の中で何かが繋がったらしい。合点がいったとばかりに、頻りに肯いている。頭がおかしいとはいかにも酷い物言いだが、無理はない。市井での妖精姫は単に奴隷を解放して、わざわざ給金を支払っている奇特な貴族でしかないのだ。教会との取引の話が漏れ伝わってくるのは、王城の中に居る者くらいである。


 だから、その奇特さは半ば誤解なのである。しかし、それが困った事態かといえば、そうでもない。


「もしかして、私にもお給金をくれたり、する?」

「勿論なのです」

「なら、私も雇って欲しいなって」

「構わないのです」


 その金払いの良さに惹かれて、ハーフエルフの少女が釣れたのだ。


「いいのか? ニル」

「ちょっと怖いけど、でも、私が真っ当な方法でお金を稼げるなんて機会、滅多にないもの」

「確かにそうだけど、貴族だぞ。本当に信じていいのか?」

「害意はなさそうだし、悪くない賭けじゃないかしら」


 二人は揃って妖精姫を見遣る。不安と期待の入り混じった、値踏みするかのような観察である。これに何か応えないといけないと思ったのだろう。妖精姫は淡々と言葉を紡ぐ。


「信頼には色も形もありませんが、現金には黄金色の確かな実存があるのです。空虚な想念か、実利がもたらす果実の甘みか、どちらを選択するのか、賢明な判断を期待しています」


 控え目に解釈しても、最悪な内容だった。


「小難しい言い回しですが、結局、お金で釣ろうとしているのですね」


 流石に堪らなかったのか、穴の上から冷厳な言葉が飛ぶ。銀髪の従者である。努めて保たれている笑顔が、フランコには無性に恐ろしい。妖精姫の長耳も、目に見えて力なく垂れ下がる。


「エリー、さらりと解説しないで欲しいのです」

「もっとこう、心に訴えかける表現は思いつかないんですか?」

「花より団子が座右の銘なのです。それに、給与支払以上に何をアピールしろと」

「多くは望みません。ただ、民草を導く者として、その器量をお示しください」

「賢明な国民はお金で動くのです。百の甘言より一の財政出動です。遍く世に資金を巡らせ、物質的繁栄を約束することこそ指導者に課せられた第一の責務ではありませんか」


 産業を興し、雇用を創出し、以ってその領民の暮らしを豊かにすることは確かに領主貴族たる者の責務である。その手っ取り早い手段が領主貴族自らによる投資と開発であることも間違いない。しかし、釈然としないものがあることも事実である。貴族がその徳と権威を示すことでもたらされる秩序を、この妖精姫はあまりにも蔑ろにしている。どちらかといえば、品位の重要性を説く従者の方がまだ貴族的である。


 それでも、何が有利に作用するのか知れたものではないのが世の常である。品行方正な装いに潜むその本性を疑うような者からすれは、寧ろ、このくらい思考の明快な方がまだ信頼に値するらしい。


「お前、なんというか、その、貴族なのに恐ろしく即物的なんだな」

「突き詰めて考えれば、信頼に値するのは物質のみなのです。魂の救済などの難しい事柄は、死後、改めて神様と相談してください。大抵の場合それで間に合います」

「冷静に考えると凄いこと言ってるけど、潔いな」

「なでなでしても良いのですよ」

「それは断固として拒否する」


 些か想定外の過程を経たものの、自分を曲げないことで相手との最低限の信頼関係は醸成できたらしい。軽口の応酬を繰り広げる二人を見下ろし、銀髪の従者はやれやれと首を振る。フランコはその素性をよく知らされていないが、この奔放な妖精姫に苦労させられていることは想像に難くない。


「勿体ないなぁ、姫様を撫でる権利。僕が撫でようとすると見事な立ち回りで逃げられるのに」

「下心が見えてるから仕方がないでしょう」

「下心丸出しのサーラの胸には飛び込むのに?」

「人聞きの悪いこと言わないで。親睦を深めてるだけじゃない」

「僕だって親睦を深めたいだけなんだけどな」


 事態を見守る特務騎士も苦労しているようだが、同業者としては、それより真面目に仕事しろと言いたい。妖精姫に危害が及ぶ兆候があれば、即座にこの場を制圧することが護衛の務めである。


 勿論、今となっては、実際に動く可能性はそう高くない。大穴の底では、少年の代理ということでハーフエルフの少女が妖精姫の頭を撫でている。猛獣を相手にしているかのようなたどたどしい手つきだが、撫でられる方はご満悦である。眺めていると気が緩むのも無理はないが、任務は任務である。ダメな特務騎士に範を示すためにも、フランコは一層気を引き締める。


「ところで、上にいるあのおっさん、何者なんだ? その、視線が怖いんだけど」

「王様が護衛にとつけてくれた騎士様なのです」

「本当にさらりと凄いこと言うのはやめてくれよ。なんで王様なんて大物が出てくるんだ」


 おっさん扱いされても揺らぎはしない。騎士たる者、この程度のことで心を揺らすなど言語道断なのである。幸いにして、表情を引き締めているから、引き攣る頬も誤魔化せているはずである。


「フランコってそんなに老け顔かなぁ」


 ピエトロが首を傾げるが、そんな試練にも耐えて見せる。額に血管が浮いているかもしれないが、その程度は容赦して頂きたい。


 フランコが理性の限りを尽くして耐える間も、この特務騎士は近衛騎士の顔を無邪気に覗き込む。しかし、傍若無人の限りを尽くす彼にも、やはり報いは訪れるのだ。


「ねえ、サーラはどう思」

「うるさい」

「ぎょわー」


 勇者警護担当主任はあっさりと特務騎士を蹴り落した。表情一つ変えることなく、いかにも、つまらぬものを蹴ってしまったという趣である。いい気味だと思う反面、この非道な措置には肝が冷える。


 しかも、その後の対応もひどかった。


「おい、今度は冴えない人が降ってきたぞ」

「こっちも騎士様なのです。おじさんは近衛で、こちらは特務なのです」

「何だか面倒臭そうな話ね」

「護ってくれる限り、内部関係には目を瞑るのです」

「ところで、この人どうするんだ?」


 問われた妖精姫は、地面で伸びるピエトロをちらりと一瞥する。しかし、それだけだった。彼女からすれば、眼前の二人と雇用契約を結ぶことが最優先の課題なのである。何事もなかったかのように、正式な契約の締結に向けた段取りなどを話し合い始める。


 この二人としても、金に靡くことにさほど抵抗があるわけではないらしい。それでも、彼らが最後に案じたのは、寝床を共にする他の仲間の処遇である。全員一緒という願いは妖精姫が即座に了承したのだが、契約である以上、相手のある話である。実際に話してみないことには話が進まないため、相手が戻ってくるまで待つことになった。


「なあ、ところで、本当にこの人どうするんだ?」


 進展する交渉の裏側で、この哀れな特務騎士は捨て置かれ続ける。ただ一人、その存在を忘れない少年の優しさから努めて目を逸らしながら、フランコはいつになればこの酷薄なお姫様を無事に届けることができるのか、思案を始めるのだった。


また季刊になってしまいました;;

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