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ねこのレーニン  作者: るびー
2章 鉄鋼革命
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居留地

 製鉄所の建設予定地は王都東部、リーム川がメフィル湾に注ぐ河口の北側一帯に位置している。


 地図を見る限り、そう悪い立地ではない。河川水運を利用して市内と物資のやりとりができるほか、東側には大昔の港湾の遺跡がある。補修や浚渫が必要なことは想像に難くないが、海を行く大型船を横付けさせることができるかもしれない。大量の資源を搬入し、鉄鋼という重量のある製品を搬出する製鉄所にとって、これは荷役作業上極めて有利に働きうる要素である。最寄りの市門からは遠く、陸上交通の便はさほど良くないが、それを帳消しにして余りある可能性を秘めている。


 そんな土地が同居人に下賜されたのである。


 ここが欲しいとねだる同居人の要求を、王国首脳部はほぼ二つ返事で了承したと三毛猫は聞いている。当初は、幾ら気難しい勇者様が相手とはいえ、随分と太っ腹であると感心した。しかし、至極当然の話ながら、旨い話には裏がある。実際に訪れてみると、もふもふ王が微塵も悩まなかった理由がよくわかる。


 現在でこそ川の南側に広がる王都メフィルの市街地だが、記録によれば、本来の中心市街地は川の北岸に存在したとされる。例えば、王立常備軍本部であるアンティアラ城塞も、元を辿れば大昔の帝宮である。水運に便利な製鉄所予定地も、元々は港湾に付属する倉庫街であったと伝えられる。この地が世界の心臓と謳われていた頃、ここには世界中の豊かな物資が溜め込まれていたのである。


 そんな栄華の面影は、現在でも辛うじて窺うことができる。流石に、放棄された建物は崩落して久しいが、それでも頑強に構築された建物の土台や基礎は現在でもその原型を留めている。覆い茂る草花に隠されてはいるが、探せば倒壊した柱や壁材を見つけることもできる。


 ──つまるところ、開発の邪魔になる障害物だらけの土地なのである。本格的な建物を建てるには、まず、更地にするところから始めなければならない。今までずっと放置されていたのも肯ける。建物の頑丈な基礎を取り払うのは、それだけで相応の難事なのである。それが一面に広がっているとなれば、撤去にどれ程の工期を必要とするか知れたものではない。よほど差し迫った事情でもない限り、手出ししたいとは思えない場所柄である。


 同居人はそんな土地を敢えて選んだのである。


 実態を知らなかったなどあり得ない。同居人には、空から人々の暮らしを見守る無人偵察機、あのR3という強力な手駒がある。時折、敷地を囲む壁の建設作業を監視して、その進捗を窺っていたのだから、ついでに土地の現況を確認することなど造作もなかったはずである。


 果たして、この小娘は腹の底で何を企んでいるのだろうか。来る蒼月20日、例の如くクレムリンごと運ばれて、朝から同居人と同道することになった三毛猫は、その辺りを興味深く窺っていた。しかしながら、結論は拍子抜けするほどに単純で、大雑把なものであった。


「魔術って、すごいね」


 そんな素朴な感想を漏らすピエトロに、レーニンはにゃーと鳴いて賛同を示す。


 この三毛猫とその護衛騎士は、現在、製鉄所予定地の中にある背の高い遺跡の上に陣取っている。猫は高いところが好きというサーラの雑な助言を、彼が真に受けた結果である。別にそこまでしなくて良いのに、というのが運ばれるレーニンの正直な感想だったが、ピエトロ自身も周囲の様子を探りたかったのだろう。結果的にそれが幸いして、高所から同居人の所業を一望する機会を得ることになった。


 一体何が見えるのか。端的に述べれば、魔術による極めて単純な力押しである。


 手始めに火炎魔術で敷地に茂る下草を容赦なく焼き払うと、あの小娘は露出した建物の残骸や石組みの基礎をこんこんと杖で軽く叩き、それを風化させて砂に変えていく。その残滓を片付けるのは、急遽、同居人の支援に回ったエリオの仕事である。邪魔な砂山を風の魔術で吹き飛ばし、土地を平らに均していく。埃の飛散を抑えるためか、時折、魔術で水を呼び寄せて、周囲に撒き散らすことも忘れない。その水源は恐らく敷地を通る下水道なのだが、そこに汚水を垂れ流す人間は絶えて久しい。衛生上はさしあたり問題がないようで、散布された微細な水滴は、照りつける夏の日差しを受けて小さな虹を形成していた。


「いやあ、魔術って、本当にすごいね」


 特に大切なことでもないが、二度言いたい心境らしい。そんなピエトロに抱かれる三毛猫はにゃーと応じる。気持ちはわかるのだ。年端も行かぬ子供がたった二人で、ちょっとした重機に匹敵するマンパワーを発揮している。この世界で魔術師が重用されているのも肯ける景色である。


 そこから視線を転じると、文字通りのまじかる☆整地作業の裏側で、もうひとつの事象が静かに進行している。王立騎士団要員による製鉄所職員候補者の移送である。幌付の荷馬車にごとごと揺られて、あの一時収容施設に居た面々が連れて来られているのだ。


 引率の衛兵に誘導され、手頃な広場に集められている彼らもまた、この華麗かつ壮大な力押しの目撃者である。地味な同居人の所業はさておき、エリオが作る壮大な砂煙は否応なく目に入る。その景色に思うところは、廃墟の上の一人と一匹と大して変わるものではないらしい。周囲の衛兵も一緒になって、呆然と騒動の方角を見遣っている。高所より睥睨する三毛猫は、その中で一人慌ただしく動き回る聖職者の存在を認める。フレネル神父である。人心を落ち着けるために、周囲に状況を説明して回っているのだ。傍から見ていると、彼が一番慌てているようにみえるのは御愛嬌といったところか。


 衆目に見守られ、相変わらず唯我独尊を貫く同居人は作業を続けるが、さりとて、荷物が届いたにも関わらず、いつまでも受取人が不在を続けるわけにもいかない。整地済みの領域が相応の面積に広がった時点で、同居人は作業を切り上げる。広い製鉄所の敷地からすればほんの一部だが、それでも校庭付の学校がひとつ建ちそうな規模である。今日のところはこれで十分ということらしい。


「さて、終わったようだし、行こうか」


 同居人に合わせて、ピエトロも動き出す。本来の警護対象はあちらなのである。三毛猫に異論があるはずもなく、にゃと短く鳴くと、大人しくされるまま運ばれる。


 広場に着くと、同居人は例の如く淡々と各種の事務手続を進めていた。王政府側担当者と受領証のやり取りを済ませると、今度は言語グループごとに職員候補者を集め、改めて雇用条件等の概要を説明していく。ライデール人や南方人に対してはエリオの同時通訳を介したものだが、獣人達に対しては、同居人自ら、片言ながら彼らの言語を用いて説明を行った。扱える人間が居ないので、自分で教本を取り寄せて覚えたのである。一朝一夕の付け焼刃だが、どうにかなったらしい。相変わらず器用なものである。


 説明が済むと、同居人は先日作成した契約書を交付し、本契約を結んでいく。元より識字率が悲惨極まりない世界である。書面が読めないどころか、自署すらできない者が大多数を占めるが、そこは文字を解する設立準備室側の要員が代書することで補った。


 この辺りのやりとりは実に円滑なものだった。幾ら相手が貴族で、賢者で、勇者という肩書を持っていても、所詮は単なる小娘である。身分は低いとはいえ、生産年齢人口に属するいい大人達が素直に言うことを聞くものか、時局を眺める三毛猫は懐疑的だったのだが、結局のところ、それは杞憂に終わった。前提からして間違っていたのである。その魔導の御業をもって、この地に刻まれた歴史の一切合財をあっさりと拭い去って見せるような存在が尋常のものであるはずもないのだ。


 彼らが先日の面談で予断を持っていたことも大きく作用したとみえる。単なる変わり者の令嬢かと思えば、意外な化物だったのである。三毛猫が様子を窺ってみれば、表向きは涼しい顔を保ちつつも、同居人の些細な挙動にびくびくしている様がよく見て取れた。唯一、その正体が妖怪しっぽもふりに過ぎないと知る獣人達は落ち着いたものだが、それはつまるところ、この小娘の受け流し方を弁えているからである。そんな彼らに、この恐るべき精霊様と事を構える意思があるわけもない。


 同居人はそんな猛威を以って、声ひとつ荒げることなく当面の主導権を確保したのである。その超然とした振る舞いは今に始まったことではないが、何とも得な性向である。


「あっ、空から金貨が」

「えっ」

「降ってくるわけがないのです」


 大過なく本契約の手続を終えると、最後に、同居人は一計を案じ、職員達に宙を仰いでもらう。いかにも悪戯めいているが、これで上空に待機しているであろうR3にその顔を認識させたのだ。これで事務手続は全て終了し、いよいよ本題である居留地の建設作業に移行する。


 事前の計画によれば、作業の指揮は同居人一人で執るものとされている。他の誰でもなく、同居人がそう決めた。けれども、これはよく考えるまでもなく無茶な話である。上意下達の指揮系統があるならばともかく、相手は今日ここに連れられたばかりの烏合の衆なのだ。その数は実に147人にも上る。ある意味、フラットで効率的な組織かもしれないが、それを動かす指揮官の負担は並大抵のものではない。


 ならばどうするかといえば、勿論のこと、魔術でどうにかするのである。同居人はおもむろに林檎印のまな板を取り出すと、それを眺めながら術式を展開する。相変わらず予動も詠唱もないので正確なところは判然としないが、恐らくそういうことなのだろう。忽ち、虚空にいかにも人工的な虚像が出現する。


『作業工程や部品形状、作業担当の割り当ては私が独断で決めます。よいでしょうか?』


 同居人の問いかけは、至極当然のものとして承認される。少々拙くても、強引に決めなければ話が進まないからである。更に、念のためといった趣で、同居人は重ねて言及を行う。


『何か不都合があれば、辺りを見回っているフレネル助祭か、このエリーにその旨を申し付けてください。少々勇気が必要かもしれませんが……きっと大丈夫なので安心してください』


 妙に声がよく通るのは、これも何かの魔術なのだろう。同じ魔術師でも、隣で同時通訳を務めるエリオには難しい技のようで、彼は必死に大きな声で同居人の発言を繰り返す。小さなメイドが必死に頑張っている絵面である。かわいいと誰かが呟いたのを、耳聡いレーニンは聞き逃さなかった。


「本当に似合ってるよね。まあ、多分、そうでなければ、こんなことになってないんだけど」


 三毛猫を抱くピエトロがしみじみと呟く。設立準備室関係者の中では常識人に属する彼は、勿論、彼の仮装に諸手で賛同しているわけではない。ただ、同居人と、その警護担当主任と、二人の背後に控えるお姫様が怖くて止められないだけである。レーニンはこの護衛騎士の言葉ににゃーんと応じる。すると、君もそう思うかと、優しく頭を撫でてくれた。


 そんなやりとりをしているうちに、説明も一巡し、同居人の指揮による実作業が開始される。同居人がその得意とする幻影魔術で描いたのは、淡い青色に輝く直線で構成される、ワイヤーフレームめいた建物の完成予想図である。部材を必要な形状に加工し、完成イメージの所定の場所に設置すれば、とりあえず建物となるという算段である。


 また、部材加工に関しても、やはり幻影魔術によるガイドがある。穿孔や切削の位置が示される他、加工の手順や道具の使い方に関して、簡単な模式図が宙を漂っている。何とも至れり尽くせりだが、各職員の使用言語が不統一な現状では、こうでもしないと指示できないということでもあるらしい。


 職員への移動指示も、彼らに追従し、周囲に浮かぶアイコンで行う。進め。止まれ。並べ。加工しろ。運べ。組み立てろ。概ねこんなようなものである。移動経路も示されるので、概ね迷わず移動できる。


 ──何とも地味な幻影魔術だが、それを大規模かつ機動的に行使すれば、これくらいの事ができるのである。最早、何かRTS系のゲームが現実世界で行われているような錯覚すら覚える。プレゼンテーション以外に有用な利用法があるというのは、三毛猫にはちょっとした驚きだった。


 もっとも、ここで何よりも驚くべきは同居人の圧倒的な情報処理能力である。この現場一帯に表示されている幻影は、当然ながら同居人がその想念によって顕現させているものである。恐らく、リアルタイムの空撮映像が表示されているのであろう林檎まな板を眺めて位置を決めながら、同じくリアルタイムに表示を刷新しているのである。147人に対する個別の指揮情報は勿論、使用されるその材料すら個別に認識し、その状態をトレースしているのだから、およそ人間業ではない。


 同居人の尋常ならざる器用さは、作業指揮からも見て取れる。作業に従事する職員全員の行動を同居人が逐一指図する構造となっているため、作業の進展は殊の外順調に進んでいる。主要な建材である材木は、釘を用いず、突起や溝の嵌め合せによる継手によって接合されるため、必然的に加工に多くの手間を要するのだが、時間が経つ程に、その作業速度が迅速化しているからである。


 慣れてきたというのが大きいところなのだろう。本来ならば高度な職人芸に属する加工だが、今回は幻影魔術による立体図面のオーバーレイ表示という強力な支援がある。公差すらそれとなく表示されているのだ。素人でも槌とノミでこんこんと作業していれば相応のものが出来上がる仕掛けになっている。

しかし、それだけではない。基本的には『貴方達のお家になるのです。ゆっくり丁寧にお願いします』と念を押す同居人だが、作業速度を全く度外視しているわけではないのだ。人間には得手不得手がある。そこを捉えて、作業割当を粛々と最適化しているのである。


 作業指揮が幻影魔術を媒介とした中央集権的構造をとるからこそ可能な芸当である。最初こそ、加工済み資材がないため、ほぼ全員が材料加工に従事することとなったが、輸送や組立の任務が発生すると、同居人はこれを材料加工の不得手な者に割り当てた。より厳密に言えば、結果の乱雑さを考慮に入れて、それなりに乱数的な試行を繰り返したらしい。最初は目まぐるしく変わっていた材料加工の担当者だが、徐々にその面子が固定されていく様を具に観察することができた。


 当然ながら、生産能力、輸送能力、消費量の均衡をとり、過剰な在庫を作らないことも忘れない。この辺は無駄に数字に強い同居人ならではの配慮である。


 そんな次第で、一人で作業の指揮を執れると豪語したこの小娘は、まさにその言の通りのことをして見せている。寧ろ、他の人間を介在させると非効率だから、体よく排除した雰囲気すら漂う。


 そのような離れ業を続ける同居人の本体が何をしているかと言えば、光線魔術による材料の大雑把な切断作業を終え、現在は現場から少々離れたところでごろごろしている。この壮大な幻影魔術の制御を行っているのである。傍から見ればどうにも怠けているとしか思えない景色だが、その負担を思えば必然的な成り行きである。


 準備の良い同居人は、勿論のことながら、この展開を織り込んでいる。だから、油断なく新装備を開発し、既にこの場に展開しているのだ。洗濯物用の大きな籠にふかふかの藁を詰め、上から布を被せたもの、可搬型猫用寝台クレムリンの大型版であるところのルビャンカである。どうして元保険会社が政府中枢より大きいのかはわからないが、同居人サイズに対応する可搬型寝台である。残念ながら脚を伸ばして熟睡できる程の大きさはないが、ごろごろする同居人は相応に快適そうである。


 そんな彼女は、ついでとばかりに、隣に二人ほど召使を侍らせている。どちらも丸みを帯びた獣耳と房付きの尻尾が特徴的な獅子獣人である。毛並みの白い方が日傘を持ち、金色の方が巨大な扇をあおいで微風を送っている。そんな彼らに恭しく傅かれるその様は、まるでどこかの姫君である。そんな景色を眺めながら、レーニンはうにゃと鳴いて首を捻る。類型論でいえば、同居人も確かにお姫様の一種なのだが、どうにも見ていて違和感しかない。この小娘にそういう趣味はないからである。


 どうして同居人がそう柄にもないことをしているかといえば、一種の救済措置である。肉体的資質に恵まれた獣人、その中でも貴種に位置付けられるらしい獅子獣人だが、そんな彼らはこの居留地建設作業において、一切何の役にも立たなかった。木材加工を任せれば、勢い余って材料を粉砕してしまい、組立を任せれば、その怪力が祟って部品をへし折ってしまう。ならば、資材の運搬を任せてみれば、重量物を抱えて軽快に走り回るが、数分経つとへなへなと地に崩れ落ちて、動けなくなる。情けない有様である。


 もっとも、これは根性云々というよりは、純粋に種族的な筋肉構成の問題である。彼らはとにかく最大瞬間出力に特化した、短期決戦型の生物なのだ。それ故に、とにかく持久力に欠けている。充電池で動くどこかの汎用人型決戦兵器を思わせる程度の連続稼働時間の短さである。これで生物種としてやっていけるのだろうか。同じ猫科の縁戚として、レーニンは思わず心配せざるを得ない。


「何だよ、どうして俺の方をじっと見つめてるんだ、お前は」

「いえ、貴方を売れば、皆のどの程度の期間の食費に充てられるかと思いまして」

「……売るの?」

「財政事情次第なのです。当面は必要ないですし、そうならないように努力します」

「おう」


 視線の先では同居人と金髪君がいかにも心温まるやりとりを交わしている。そういえば、先日の面談の際に彼の名を聞いた気がするのだが、物覚えの悪い三毛猫は当然の如く忘れていた。にゃーんと一鳴き、同居人の認識に合わせて売却目的保有資産甲でいいやと開き直ると、三毛猫は監視を続行する。


 労働力としてはほぼ無価値と断じられるべき獅子獣人だが、市場価格は非常に高い。一応は百獣の王だからである。上手く手懐けられることが前提だが、愛玩または観賞目的で、主として富裕層の需要があるのだ。護衛として貴人の側につけられることもある。何と言っても、素手で岩を砕くようなびっくりファンタジー生物なのである。国家権力が相手ならさておき、一般的な犯罪者が相手ならば無敵に近い。


 見方を変えれば、そんな危険生物が同居人の隣に侍っているのである。彼女の意向もあり、彼らにその行動を戒める枷のようなものは取り付けられていない。まさに放し飼いの猛獣状態である。あの資産甲君が本気を出せば、同居人のような小娘を縊り殺すなど造作もない。当の本人は委細気にせず甲君を煽っているが、それを見守る護衛騎士二人は、勿論気が気ではない。


「大丈夫かな、お姫様」

「大丈夫、何かありそうなら私が切り捨てる」

「それはそれで、お姫様怒らないかな」


 物陰から三毛猫と一緒に様子を窺うこの二人も、どうにも心温まる会話を交わしている。あまりにも心が温まり過ぎてどうにも背筋が震えるので、レーニンは小さくにゃーと鳴き、ピエトロの脚に摺り寄る。何と言っても、周囲の中で彼が一番普通なのだ。頼るなら彼しか居ないのである。


 それから改めて同居人を見遣ると、甲君の忍耐でチキンレースに興じるのに飽きたのか、今度は日傘を持って佇む資産乙君の尻尾をもふもふして、その感触を楽しんでいた。本当に傍若無人な振る舞いだが、乙君としてはそう不満のあるものでもないらしい。お返しとばかりに同居人の頭を撫でていた。お陰で、サーラが膨れた顔をしていたのだが、賢い三毛猫は見なかったことにした。


 そんな不真面目な連中をよそに、せっせと自らの役割を果たしているのがフレネル神父とその助手を務めるエリー……つまりは、今日もメイドの仮装をしているエリオである。一応は労働者の権利を擁護し、使用者たる同居人の専横を制限することが本来の任務だが、同居人が存外上手に立ち回っているため、何か実のあることをしようと現在は仲良く昼食を作っている。適当な厚みに切ったパンに、直火で炙ってどろりと融かしたチーズをかけたものである。濃厚な香りが三毛猫の鼻腔をくすぐる。


 簡易な軽食を挟みながら、建設作業は着実に進められる。幾らか丁寧な作りとはいえ、基本的には仮住まいに用いられるバラックの類である。とりあえず、壁と屋根があれば良いという程度のものである以上、元より形になるのに時間はかからないのだ。


 堕落した同居人の観察に飽きたレーニンは、そんな着々と組みあがる居留地をふらりと散策する。作業員の往来が激しいところでは踏まれる蓋然性が高いので、努めて遠巻きに眺めることに徹した。


 同居人が魔術で強引に整地した敷地には、広場を囲んで環状に配置された建物群が出現しつつある。大昔の環濠集落を思わせるような景色である。基本的には床面積12畳程度、寝台を並べるのがやっとという狭い小屋の群れなのだが、南北には大きな建物も準備されつつある。炊事場と浴場である。後者にはトイレも併設される。この辺の施設は戸別に設置するのも非効率ということで、集中管理する方針らしい。


 浴場を作るというのは、同居人の並々ならぬ決意表明でもある。召喚以来、ずっと設備の整った城内で過ごしてきたレーニンには今一つ実感できないが、この国においては、湯浴みというのは、実のところ貴族にのみ許された贅沢なのである。至極当然の話で、人の漬かる湯を沸かすには結構な設備投資と燃料費が必要だからである。それなりの資産を持つ商人ですら、蒸し風呂で済ませるのが精々なのだ。さほど富裕でもない平民は、濡れた布で体を拭くか、川や湖で水浴びを楽しむより他にない。そういう水準である。


 それでも強硬に浴場整備を進めるのは、公衆衛生の増進などという尤もらしい理由ではない。単純に、彼らの体臭をどうにかしたいのである。恐らく、同居人は忘れてなどいない。あの視察の日に嗅いだ野獣のような臭いは、三毛猫でも辛いものがあった。彼らの雇用者として指揮権を手にした今、同居人はその強権を以って、臭いを元から絶とうと画策しているのである。


 その企みの中核を担う浴場は、木製の大きな浴槽に洗い場、脱衣所から構成される日本在住者には馴染み深いシンプルな構成のものである。圧倒的に男性が多い職員構成もあり、男湯と女湯に分かれてすらいない。なお、コーヒー牛乳はない。豆がない。湯を沸かすかまどもないが、そこは賢者である同居人と、天災級の見習い魔術師であるエリオが居るのである。魔術を用いれば湯の調達は難しくない。


 未だ壁もない浴場の出来形を興味深く眺めていた三毛猫だが、不意に悪寒を感じて、その場を離れる。嫌な経験を思い出してしまったからである。同居人空軍混成爆撃航空団所属1/144スケールのB-29をうにゃっと撃墜したお返しとして、自宅の温水プールに遠投されたことがある。小癪にも遠心力などを活用して射程を延ばそうと試みるものだから、月まで飛んでいきそうな気分を味わえた。こう、広い浴槽を用意されると、また何かの機会に遠投されないかと不安になるのだ。


 ふらふらと歩きまわっていると、やがて、整地済みの領域を外れて海に至る。島国の猫ではあるが、レーニンは実際に海を見るのは初めてである。お約束であろうと海水を舐めてみると、案の定塩辛く、全身の毛が逆立った。こんな過酷な水溜りを魚は泳いでいるのである。おいしいには理由があると納得した。


 それから、この辺に高炉でも建つのだろうかと思いながら未整地領域を散歩していると、遺構の小さな隙間から地下へと続く経路を見つけたりもした。小さな探検の結果、割れた壺のまわりに硬貨が散乱しているのを見つけたので、サンプルとして、その一枚を咥えて拝借しておいた。一見したところ、金貨である。どうやら、誰かのへそくりがこの場に取り残されていたらしい。無事に地上へと帰還すると、丁度よくピエトロと対面する。どうやら、同居人から回収指示が出たらしい。折角なので、硬貨はにゃーんと彼にプレゼントすることにした。護衛騎士が一瞬凍りつくのが見えたが、寛大な三毛猫はそんなこと気にも留めなかった。


 ピエトロに抱えられて居留地の建設現場に戻ると、ごろごろするのに飽きた同居人が抜かりなく自分の家を準備している場面に遭遇した。或いは、巣と形容した方が適切かもしれない。その辺の土と砂に水を加えて泥とし、どんぶりをひっくり返したような形状に成形していた。これから魔術で加熱し、焼き固める算段らしい。焼き物のかまくらといったところだろうか。同居人は木工細工も得意である。だから、普通の小屋を作れば良いのだが、どうやら面倒だったらしい。


「これって、壺とかを作るやつだよな」

「一応セラミックの一種に……なるのでしょうか?」

「エルフって、そんなところに住むのか?」

「住むわけがないのです。常識で考えてください」

「そうだな。じゃあ、目の前にあるこれは何なんだ」

「私のお家なのです」


 同居人は獅子獣人の甲君とすっかり仲良くなったようである。傍から聞いていて頭が痛くなる天然っぷりを露呈しながら、成形された土塊の周囲に赤い光輪を浮かべ、加熱魔術を行使する。こんなことをしていても、幻影魔術による作業指揮には一切の乱れがないのだから、三毛猫としては見事であると感心するより他にない。


 結局、その後も特に波乱もなく作業は進展し、日暮れを待つまでもなく、居留地を構成する建物群は完成を見た。流石に寝台などの調度品にまでは手が回らなかったが、とりあえず、皆、壁と屋根があれば満足なのである。そういう意味では、当地の人間の生活水準の低さに助けられている格好である。冷静に考えれば無茶にも程がある工程を達成して、歓声が沸き上がる。


 流石に、小屋は一人一棟とは程遠い数しかない。同居人が独断と偏見という体裁で割り当てを決めていく。実際には、一時収容施設での部屋割と同じものを利用した。言語や出身集団ごとに綺麗に切り分けられていたため、管理上、実に都合が良かったのだ。


 その事実からも窺える通り、この大勢の職員を真に組織として纏め上げるためには、課題が山積している。今日のところは同居人の極めて中央集権的な作業指揮によって顕在化しなかったが、人種、文化、言語、どれもばらばらなのである。取り扱いを間違えれば、内部で民族紛争を生じかねない。労働力をようやく手中に収めた以上、次なるマイルストーンは可及的速やかに生産設備を建設し、その稼働を開始することである。しかし、それと同じ程度に、この多様な背景をもつ労働者を統合することが急務なのである。


 もっとも、同居人からすれば、目下の課題は別なところにある。


「さあ、お風呂に入るのです。入るのです」


 毅然たる口調でそう要求する。完成したばかりの浴場を早速使いたくて仕方がないらしい。彼らの体臭をどうにかしたいだけに、同居人は必死である。しかし、相手は元より湯浴みの習慣などない職員達なのだ。唐突に風呂に入れと言われても、それが何だか知らないのだから、困惑するより他にない。


 それでも、同居人の意向に逆らうことは事実上難しいのだ。いっそ暴力でもちらつかせているなら拒絶する口実も立つが、結局のところお願いされているだけとなると、断り辛い。その気まずさに耐えかねて、一人二人と浴場へと足を運ぶ。その中で、一番乗りを果たしていたフレネル神父の姿が印象的だった。意外と新しいものが好きらしい。


 いつも横暴な同居人も多少は妥協した。イースタシア的常識に従えば、湯に漬かる前に体を洗うのは当然のことだが、湯を用いた水浴びであると説明して、その手順を省略した。当然の如く水質が酷いことになるが、そこは魔術で強引に折り合いをつけた。次から次へと、新しい湯を足すことにしたのだ。流体操作魔術と加熱魔術の合わせ技である。そうまでしても、同居人は彼らを洗いたかったとみえる。

そんな景色に、レーニンは震える。


 こう強引に風呂に追い込まれる男達を眺めていると、そのうち、自らもついでとばかりにじゃぶじゃぶされるような気がして空恐ろしくなったのである。フレネル神父の補佐を終え、猫の世話係に復帰したエリオも似たようなもので、震える三毛猫を抱いて一緒に震える。彼の場合、お風呂が嫌いなわけではないのだろうが、恐らく高確率であの恥じらいに欠ける同居人がついてくるのだ。その方が施設利用上合理的ということなのかもしれないが、身の処し方に困る。


 しかしながら、その懸念は、今日のところは杞憂だった。問題の同居人はといえば、最後に残された女性職員達と一緒に入浴し、彼女達に正しい湯浴みの作法を教えていたところだったのだ。これには抜け目なくサーラも同道していた。普段は洗うだけの妖精姫とご一緒できる好機と見たらしい。本当にこう、駄目な人である。


 かくして、怯える一人と一匹が危難は去ったと気付いた頃には、既に日は落ちて、空には星が瞬いていた。瞬く星の美しさに、三毛猫はどうにも馬鹿にされたような釈然としない気分を覚えた。


以上、まじかる☆突貫工事の模様をお送りしました。

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