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ねこのレーニン  作者: るびー
2章 鉄鋼革命
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書類

 勇者の本質が何かと言えば、それは民衆を善導するための偶像に他ならない。


 そんなものに、本来、独自の意思も権能も必要ないのだ。勝手に動き回る道具など、事態を複雑化させるだけで何も旨味がない。第二常備軍設立準備室なる仰々しい名前の部署が、しかし、空疎な中身のままに放置されているのも、要するにそういうことである。もふもふ王がこの組織に求めているのは、魔王軍の撃退などという壮大な英雄叙事詩ではないのだ。単に、この気難しい同居人に相応の機会を与えたという体裁、王国と勇者様の関係を安定させる優しい嘘が欲しかっただけに過ぎない。


 だからこそ、同居人は奴隷など欲しがったのである。労働力を所望したところで、尋常の手段では要求が通るはずもない。質を問わず、せめて頭数だけでも確保しよう仕組んだ茶番が、あの奴隷商人を巡る騒動である。少なくとも、三毛猫はそのように確信している。


 勿論、形式的な所有の問題と、実質的な占有の問題は位相の異なる話である。首尾よく奴隷を含む財産一式を下賜された同居人だが、その引渡しは遅々として進まなかった。実際に事務処理に時間がかかったという事情もあろうが、相当程度、王国首脳部による時間稼ぎの意味合いがあったことは疑う余地がない。恐らく、機を見て同居人に翻意を促すつもりだったのだろう。ただ、同居人の機嫌を損ねるのが怖くて、国王ですら話を切り出せなかっただけである。


 思えば、そんな逆境を押しのけて、ここまできたのである。


 同居人の財産管理を代行する王政府は、「蒼月20日、奴隷の身柄を製鉄所建設予定地に移送し、現地にてヴィオル・マーラフェルト卿に引き渡す」旨を正式に通知してきた。あの面談の翌朝のことである。当地の暦法で表現されるとよくわからないが、これは要するに3日後という意味合いである。これには棚の上から時局を傍観するだけの三毛猫も、思わず感慨深い気分になる。


 もっとも、同居人の方はといえばこの種の情趣を解さない。当然の如く平常運転である。あと2回眠れば引渡しという急な日程も相俟って、付随して生じる細々とした雑務を淡々と片付けている。


 面談の際に撮影した職員情報の整理は既に終えた。元より機械の扱いに慣れている同居人である。音声入力の粗を取り除くのみならず、何か得体の知れない魔術で書類を中空に張り付け、参照しながら、圧倒的な打鍵速度で王政府提供の資料とマージするところまで済ませた。見事な早業だった。


 移送当日の段取りに関する確認も済ませた。居留地建設の陣頭指揮はこの種の作業に明るい同居人がとり、聖職者であるフレネル神父は苦情の受理や相談を受け付けつつ、人心掌握に努めるという分掌を決めた。エリオはその補佐に着く。魔術を扱えるメイドという設定なので、雑用の役には立つだろうという見込みである。ごく少人数の零細部署のため、これ以上は臨機応変とせざるを得なかった。


 携行品の準備もあっさりと終わった。元より資材は王政府が業者を通じて現地に搬入するため、さほど多くの物を準備する必要がない。工具についても必要量が確保されているが、念のため、補修用の鉄を持参する程度である。丁度、旧ドルニア邸から持ち帰った鉄塊が2階の物置に眠っている。金属変成魔術の使い手たる同居人にかかれば、これを即席の工具に加工するなど造作もない。


 そして、現在何をしているかといえば、書類の文案を検討している。製鉄所建設作業員であり、完成後はその職員となる奴隷達に交付する雇用契約書である。


「しかし、解せませんね。奴隷に契約書など渡して、一体どうなるというのですか」


 様式集を捲りながら、チュチーリア女史が首を捻る。


 どうしてこの『塔』事務局の猛者が居るのかといえば、同居人が呼んだからである。現在の設立準備室に、この種の法律文書の扱いに長けた者は居ない。教会官僚であるフレネル神父も、主として部内で用いる行政文書の作成が任務であり、外部との契約関係締結は管轄外である。だから、応援を頼んだのだ。特に誰と指定したわけではないが、同居人の相手ということもあり、彼女がやって来た。


 多少引っ掛かるものを覚えなくもない物言いだが、その疑問は正当である。比喩ではなく、本当に身分としての奴隷なのだから、彼らには私法上の権利能力が存在しない。つまり、誰かと契約を結ぶことなどできないのである。勿論、雇用契約締結の体裁をとることを非難されるいわれはないが、法律上無意味なことも事実である。訝しがられるのも当然だった。


 それでも、対する同居人の返答は淡々としたものである。


「法律上の意義に乏しいことは事実ですが、かといって、この種の関係を口頭で結ぶというのは、どうにも根拠が薄弱すぎるのです。何か証となるものがあった方が良いかと思いまして」

「教会としても、この姿勢を好ましく見ています。鞭を振り翳して、奴隷を使役する勇者などあまり快い光景とは言えませんからね」


 続けて、フレネル神父も口を挟む。彼の発言は、同居人の酔狂の本質を雄弁に語っていた。つまるところ、これは世間の目を気にする教会に向けた配慮の一環なのである。ついでに、主人としての寛容さを示す見せ札ともなるから、労働者の人心掌握に向けた一助となるという算段だろうか。棚の上から見守る三毛猫は、飴ばかりで大丈夫かと不安に思わないでもないが、チュチーリア女史はこれでひとまず納得したらしい。「なるほど」と肯いて、おもむろに様式集のとあるページを示す。


「では、こちらで如何でしょう。調達部嘱託職員用の様式ですが」


 様式集に書かれていたのは、契約内容を列挙し、最後に「以上の内容で甲と乙は契約を結ぶことに合意した」式の文言が記されているらしい体裁の雛形である。調達部が協力者を一時雇用する際に用いるものだという。察するに、仕事の内容や報酬、契約の終了条件、違約金の定めなどを事細かに列挙しているのだろう。ページ一杯に、細かな文字がびっしりと書き連ねられている。


 無論、これは概ね憶測である。実際に何が書かれているか、細かいところは三毛猫にはわからない。そもそも、文字を解する猫など居てたまるかという話である。それでも、賢いレーニンは「カリカリ」とか「原料:魚肉」とか、「(遺伝子組み換えでない)」といった文言に反応する自信があるのだが、この書面は全くダメである。書きつけられているのが流麗な筆記体で綴られた未知の線形文字で、馴染み深いあの漢字仮名交じり文の面影が全くないからである。


「違約金とかはいいので、もう少し優しい文面のものはないのでしょうか」

「『塔』の常勤職員になると、採用通知書を交付するだけですから、簡単な書類一枚になります。待遇や規則については、別に宮廷魔術師総監布告がありますから」

「そちらの方も見せて頂いて良いでしょうか。どのみち、規則も作らないといけませんから」

「そうですね、抄録であれば……こちらに。必要なら全文を取り寄せるよう手配しましょう」


 粛々と進む話を聞き流しながら、棚の上の三毛猫は鋭い視線で下界を睨む。その先にあるものは、チュチーリア女史が抱える様式集である。これがどうにも気になるのである。


 ここは異世界である。仮に音韻が共通するとしても、それを記述する記号体系までが一致するとは限らない。当然の如く日本語を扱う彼らが、しかし、見慣れない線形文字を使用するのはそういう事情であろう。そこまでは無理なく理解できる。


 けれども、そこから先がさっぱり呑み込めないのである。表記と発音の関係を今一つ掴めないのだ。


 相手は筆記体である。あの絡まった毛糸のような曲線からパターンを抽出する作業は困難を極めたが、暇と好奇心の塊である三毛猫はどうにかその仕事を為し終えた。文章を作るのに必要な文字は、精々30種類にも満たない程度である。五十音ではなく、母音と子音を組み合わせて表現する、ローマ字に近しい表記体系であると推察できる。


 そういう仮説をもってこの三毛猫は分析に臨んでいるのだが、どうにも状況は芳しくない。にゃと短く鳴いて、棚の上に陣取る三毛猫は下界の営みに目を向ける。


 文案の検討は着々と進んでいる。チュチーリア女史がとりあえず様式集から雛形を抜き出し、これを同居人が自らの都合に合わせて改変し、フレネル神父が時折、教会の視点から修正を求める形である。最近、すっかりメイドの振りをするのが基本となっているエリオはといえば、特にできることもないので、水差しなどを準備していた。本当にメイドのような役回りである。


 どうやらこの同居人、契約書の中に懲戒処分に関する規定を盛り込むことにしたらしい。三人の間では、戒告とか、減給とか、解雇といった、何だか切ない気持ちにさせる単語が飛び交っている。その種の言葉に全く無縁な三毛猫も何だか意気を削がれる思いだが、語の意味合いを仔細に吟味しながら文言を詰めてくれているおかげで、単語のサンプリング自体は捗っている。


Kaikoku.


Genkyu.


Kaiko.


 どれも、ローマ字表記ならばこの程度で片付く単語群である。多少、子音表記の規則が異なるとしても、対照してその関係を吟味すればあっさり解読できるはずである。そう思っていた時期が三毛猫にもあった。


 しかし、現実は非情だった。結局のところ、三毛猫は頻出するKの音に当たる文字すら特定することはできなかった。どうやら、単純な対応ではないらしいのだ。戒告と解雇、共通する"kaik"の綴りすら全く異なっている。エニグマめいた周期換字暗号でも記法に組み込まれているのだろうか。


 更に言えば、より根本的な問題が存在する。減給だけ、何故か途中にスペース区切りが存在しており、あたかも二つの単語から構成されているような体を為しているのだ。しかも長い。あまりにも解せないので、レーニンはうにゃーと低く鳴く。すると、耳の長い同居人が何事かと振り返り、じっと見つめてきたので、この三毛猫は実に気まずい思いをした。


 もっとも、忙しい室長閣下はいつまでも余所見をしていることなどできない。否応なく文案の検討に引き戻される同居人の姿に安堵して、三毛猫は思考を再開する。


 ローマ字との対照比較によって記法を探ろうという試みは、ここに完全に頓挫した。事ここに至り、レーニンはもうひとつの可能性を真剣に取り上げざるを得なくなった。即ち、彼らが本当は、日本語とは全く異なる言語を用いている可能性である。あまりにも日本語からかけ離れた書き言葉の存在は、この結論を強烈に支持している。


 何を馬鹿なと自らに言い聞かせるが、思えば、ここは魔法のある世界なのである。実際、脳神経系に作用する類の術式は実在する。ならば、全自動で翻訳を実現する超常の技があっても、驚きはするが不思議ではない。神話に登場する、ソロモンの指輪のようなものである。何を呼ぶか知れたものではない召喚魔術の行使に伴って、言語的障害を緩和する措置を講じていたと考えるのは、さほど不合理な話ではない。


 勿論、呑み込めないことは色々ある。


 翻訳というのは高度に知的な作業である。直訳ならばともかく、自然な翻訳には、翻訳元と翻訳先、双方の言語と背景となる文化に関する深い理解が必要不可欠である。単なる写像ではないのだ。元より、機械的処理には困難がある。人間か、技術的特異点の向こう側に到達した演算基盤でも存在するのだろうか。


 更に、この世界の住人がどうやって異世界たる日本の言語体系と文化を知り得たかにも疑問がある。少なくとも、イースタシア帝国などという冗談を真に受ける王国上層部が、異世界事情に通じているはずもない。平仄が合わないのだ。どこかに便利なアカシックレコードでも存在するというのだろうか。思わず、そんな馬鹿なと一蹴したくなる類の話である。


 得体の知れない力で精神を弄られていると思うと背筋が震えるが、そこはそれである。合理的な三毛猫は、便利だからまあいいやと、この点に関しては問題にするつもりがない。朧にも言語が理解できなければ、日常が暇で仕方がないのである。それを思えば、寧ろありがたい話だった。


「やはり、戒告では表現として少々厳しすぎるので、注意というくらいに改めるべきでしょうか」

「しかし、処分ですから、厳しげな方が威嚇力に優れるのでは」

「下手な寛容は、時に大きな悲劇を招来しかねません。ここは厳しく行くべきです」

「そうですか。ならば戒告のままで行きましょう」


 レーニンが思索を続ける間にも、討議は着々と進んでいる。紙は高級品である。同居人は手持ちサイズの黒板に、検討中の文案をこりこりと綴って行く。今更ではあるが、この小娘の方は読み書きともに不自由はないらしい。実に器用なものであると、上から見守る三毛猫も感心せざるを得ない。


 結局のところ、当地の言語を巡る問題は謎が多い。恐ろしく煩雑な日本語表記に過ぎないのかもしれないし、不思議な力で脳を弄られているのかもしれない。どちらも一長一短で、容易には確定できない。


 幸いにして、翻訳魔術の可能性を検証する術はある。いかに絶大な処理能力を誇るソロモンの指輪であろうとも、その能力には限界があるはずなのである。過負荷をかけてみれば、きっと破綻するに違いない。例えば、歌などどうだろうかと三毛猫は考える。単に言語的な対応関係のみならず、メロディやリズムを考慮しなければならない歌謡のリアルタイム処理は極めて困難な仕事となるはずである。計算資源の暴力で押し切られる可能性もあるが、破綻を検出できれば、魔術的翻訳機構の存在を確信する材料になる。


 そういうわけで、週末は教会にでも行ってみよう。レーニンはそう心に決める。安息日の習慣があるらしいので、きっと、教会では日曜礼拝もどきで讃美歌のようなものを歌っているはずなのである。ストレステストに格好の素材であるに違いない。


「そういえば、契約は設立準備室との間で行う形になっていますが」

「後々、別な法人を用意することになりますが、当面、製鉄所は第二常備軍直営で行くのです」


 そんなやりとりを交わすうちに、徐々に契約書の文案が仕上がってくる。結局、調達部嘱託職員用様式から違約金の定めを削除し、雇用主の指揮権とその限界、懲戒処分の内容を限定列挙したものが盛り込まれることとなった。職務内容や報酬、契約期間に関する定めも適宜弄った。同居人はそんな最終的な決定事項を下書きとして手元の用紙に綴って行く。


「ところで、これを複写したいのですが」

「そうですか。頑張ってください。心より応援申し上げます」

「やはり、そうなりますか」


 文案ができれば、後は人数分の契約書を作成するだけなのだが、これが意外と難事である。元より雇用者側と被用者側、双方に1通ずつ作成する必要のある書類である。製鉄所職員の予定者は現状で147人も居るので、つまりは、それに倍する数が必要なのである。


 コピー機さえあれば簡単な話なのだが、勿論、そんなものはこの世界に存在しない。プラスチック爆弾は入っていた箪笥にも、流石に、モバイルプリンタは入っていなかった。それに、用紙があまり印刷に向いていない。植物原料由来の紙も存在するのだが、契約書や証書の類は、より丈夫な羊皮紙を用いるのが通常なのである。結局、完成した下書きを元に、一枚一枚丁寧に書き写すほかに道はないのである。


 『塔』事務局としては、煩雑で細々とした雑事の手伝いはするが、この種の消耗戦めいた案件には流石に関知しない方針らしい。チュチーリア女史の冷厳な態度は、その体現である。当然の話だった。あちらはあちらで忙しいのである。他部局の膨大な枚数に及ぶ書類作成など、知ったことではないのだ。


 それでも、書類作成用の羊皮紙くらいは融通してくれるとのことなので、文句が言えるはずもない。一旦、事務局に用紙を取りに戻るチュチーリア女史を、同居人は大人しく見送る。手伝いが欲しいというので、その後ろにはエリオを随伴させた。荷物持ちになるらしい。


「まあ、私も手伝いますから、気長にやりましょう」


 相変わらず真顔のフレネル神父が、そう同居人に声をかける。励ましているものと理解しうるが、傍目から見るとサボるなと遠回しに脅しをかけているようにしか見えない。


「待つのです。まだ正攻法に打って出るには早いのです」


 幸いにして、相手は超然とした同居人である。その迫力に怯えるわけでもなく、淡々と神父を制止する。相変わらず物言いは静かだが、その言葉からは何か毅然たる決意のようなものが滲み出ている。どうやら、意地でも手書きは避けたい所存らしい。そこまで嫌かと三毛猫は感心する。


「何かお考えが?」

「まだ、我々には魔術という最後の希望が残されているのです。諦めてはいけないのです」

「書類を作る魔術ですか。そんなものがあるのですか」

「まだないので、これから作るのです」


 面倒な書類処理を片付けてくれる魔法は事務屋の夢である。教会官僚であるところのフレネル神父もこれには興味津々とみえる。しかし、同居人は詳しいことを語らず、ちょっと休憩とレーガン閣下のところへ遊びに行ってしまう。詳細は現場でのお楽しみということらしい。


 事務局から二人が戻ってきたのは、それからややあってからのことだった。


 大量の契約書を用意するということで、二人は両手いっぱいに原紙のロールを抱えていた。これを適当に裁断して、実際に交付する用紙とするのである。とりあえず、切り分けてしまおうと、チュチーリア女史が最初の原紙を机の上に広げたところで、折よく同居人も戻ってきた。


「そういう形式なら、一度にやってしまう方が好都合なのです。作業は少し待っていただけますか?」

「構いませんが、何をするつもりですか」

「この難局を打開する最後の希望を試してみるのです」


 そう宣言すると、同居人は用紙に皺などできないようにしっかり伸ばしておくように指示する。首を傾げながらも、この事務職員は手早く作業を終えた。用紙の平滑が確保されたことを確認して、同居人は全員に机から離れるように指示をする。最後に、この小娘はじっと契約書の下書きに目を通すと、机に向けてその右手を翳す。


 そして、次の瞬間、机の上で闇が弾けた。


 虚空にイカ墨でもぶちまけたかのような景色だった。机はのっぺりとした不定形の闇に覆われ、視界からその姿を消す。眺める三者は一様に驚いたようだったが、特に神父の表情は怖かった。かっと目を見開いて、これから殺し合いにでも望むかのような気迫を湛えていたからである。


 もっとも、それも刹那のことである。闇はすぐに霧消し、残された羊皮紙には規則正しく、一定の文様が並んでいる。輪転機から出てきたばかりの紙幣みたいだというのが三毛猫の感想である。短辺方向に4枚分、長辺方向に5枚分、合計20枚分の契約書が大きな羊皮紙の原紙に転写されていた。


「書面にその意思を記載するために、インクを使わなければならないという道理はないのです。読めるならいいではありませんか。そういうわけで、ちょっと強い光の魔術で羊皮紙を焦がしてみました」


 ただ一人、冷静を保つ同居人がさらりと解説を述べる。


 種を明かせば単純な仕掛けである。光を打ち消す緩衝領域で用紙をマスキングし、物を焼き焦がす強烈な熱線を瞬時に浴びせたのだ。元より、日頃からプレゼンテーションに幻影魔術を常用し、魔術で図形を描くことに馴れた同居人である。下書き通りにマスクパターンを形成することなど、造作もないとみえる。周囲を闇で覆ったのは単なる安全対策である。たとえ反射したものだとしても、そんな高エネルギーな電磁波が目に優しいはずもない。当然の配慮だった。


「しかし、便利な魔術ですね」

「でも、普通の紙に使うと穴だらけになりますよね」


 見開いた目を丸くして成果を湛える神父に、事務職員が無粋な指摘で水を差す。実際、厚くて頑丈な羊皮紙だからできることである。フレネル神父の表情が途端に曇る。


「その辺は追々、改善策を考えて行きたいところなのです」


 それでも、幸いにして、同居人はまだまだやる気満々である。そんな前向きな姿勢は、些かなりとも、この神父の慰めになるのだろうか。


 何にせよ、後はこれを必要数に達するまで繰り返すだけである。相変わらず出鱈目な手口だが、手っ取り早い解決には違いない。チュチーリア女史が大きな羊皮紙の原紙を机に広げると、闇が爆ぜて文面が転写される。20枚1組となった契約書を切り分けるのは、フレネル神父とエリオの仕事である。ご丁寧に転写されている切り取り線に従いナイフを入れていく。見事な流れ作業だった。


 更に、同様の手順で、大司教との会談で合意された奴隷解放に関する証明書も作成する。法律上は所有者の宣言だけで足りるらしいが、これも何か形あるものがあった方が良いだろうという同居人の配慮である。対象であるこの大陸の人間はさほど多くないため、こちらは僅か32通を作成するだけで足りた。文言もごく簡素なものであるため、何も苦労するようなことはなかった。


 かくして、一時間も経たないうちに、室長席には出来上がった契約書と証明書が積み上がる。


「後は、第二常備軍の公印を押せば完成なのです」


 もう完成で良いようにも思われるが、同居人曰く、まだ工程は残っているらしい。それ自体はどうでも良い話なのだが、不意に嫌な予感がして、レーニンは身構える。理由は他でもない。何故か彼女の金色の双眸が、じっと棚の上の小動物を見据えているからである。先程、レーガン閣下からもふもふ分を補充したばかりである。禁断症状を起こすにはまだ早い。


「フレネル助祭、レーニンの確保を」


 同居人が指示を下すのと、三毛猫が棚を蹴って飛び出すのは、ほぼ同時のことだった。背の低い同居人が相手ならば絶対の堅牢性を誇る棚の上の安全地帯だが、成人が相手となると、そういうわけにもいかない。同居人が本気で手を回して進退窮まる状況に陥る前に、さっさと脱出することにしたのである。


「あっ」


 間抜けな声を上げる神父の頭上を抜け、レーニンは弾道飛翔する。突然の出来事に、彼は咄嗟に対応できなかったらしい。後は着地して、開かれた扉から外に駆け出せば完全勝利である。


 しかし、結局のところ、三毛猫の脚が床に着くことはなかった。飛翔の途中で優しく受け止められてしまったからである。たまたま軌道上に居合わせた、チュチーリア女史の仕業だった。


「御指示とは異なりますが、私が捕まえても構いませんよね」

「感謝するのです」


 にゃーにゃーと暴れて脱出を試みてみるが、この同居人と平然と遣り取りができる猛者だけあって、その手並みには隙がない。懸命な抵抗を軽くいなされると、三毛猫の身柄はそのまま恐るべき同居人に手渡しされる。当然ながら、胸骨が軋む。思わずその口からはうにゃーと低い鳴き声が漏れた。


 このように強引に身柄を押さえようとするのだから、同居人にはもふもふ以上に三毛猫に求めるところがある。公印の押印作業である。実のところ、同居人は未だ自らの組織を示す印章を作成してはいない。だから、手っ取り早く使える、それらしい代用品に目を付けたのである。つまりは、猫の手形である。


 そんな次第で、レーニンは粛々と作業を進める。肉球を朱肉に押し当て顔料を補充すると、軽快な動作でぺたんと書類に手形を残すのである。新しい用紙は同居人が補充してくれるので、この動作を機械的に繰り返すだけで作業が進む。お陰で、最初は面倒で仕方がなかったこの作業も、途中から段々と楽しくなってきた。ぺたぺた、ぺたぺたと猛烈な勢いで押印を繰り返す。


 ──そんな見事な仕事ぶりのせいで、後日、レーニンは第二常備軍設立準備室決済係なる謎の肩書を拝領する羽目になるのだが、そんな超展開を察することなど、現時点の三毛猫に期待できるはずがなかった。


そういうわけで、地味なことこの上ない事務処理のお話でした。

印刷機材がないって不便ですね!


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