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ねこのレーニン  作者: るびー
2章 鉄鋼革命
48/60

面談実施

 同居人からすれば、散々な形で始まった一日だが、この後に控えているのは存外重要なイベントである。教会の回し者、フレネル神父と一緒に哀れな奴隷商人から巻き上げた戦利品を確認しに行くのだ。先方への連絡は前日のうちに済ませてある。後は堂々と収容施設へと赴けば面談を実施できる手筈となっている。


 身支度を整えた同居人とエリオは、あの顔の怖い神父と落ち合うため、一旦、設立準備室へと向かう。

約束の刻限より随分と早かったが、それは同居人が官邸に籠るレーガン閣下と戯れたかったからに過ぎない。相変わらずわふんと鷹揚に全てを受け入れるこの巨大犬に、エリオと一緒に抱き付く。


 この小娘、内心ではこのレーガン閣下も面談に連れて行きたかったらしいが、その企みは流石に周囲からの猛反対を受けて断念に追い込まれていた。割合無茶を押し通してきた同居人だが、流石に通らない案件もあるのである。そんなうちに神父も設立準備室に出頭し、出発の運びとなる。


 市内における王侯貴族の交通手段は、基本的に馬か馬車である。例によって騎士団の要人輸送用馬車が回されており、一行はそれに乗り込む格好となる。同居人としては徒歩でも構わなかったらしいが、そんな寝言は当然の如く無視された。


 面談に赴く面子はそれなりの大所帯である。珍しく本業の騎士らしい恰好をしたサーラが普段着に近い真っ白なローブを羽織る同居人を膝に乗せ、その脇に護衛騎士であるピエトロが控えている。そんな三人と対面する形で、相変わらず厳めしい表情のフレネル神父と世話役兼事務補佐担当のエリー──という設定になっているエリオが座席に並んで座っている。今日は同居人のお下がりではなく、後宮に勤めるメイドと同じデザインの衣装を着用している。実に邪な思惑を感じさせる手並みの良さだが、果たして誰の意向なのだろうか。レーニンはといえば、そんな薄幸な少年にクレムリンごと抱えて運んでもらっている。


 馬車には当然の如くサスペンションのような気の利いた機構はないが、間に人間という緩衝材が挟まっているため、乗り心地はそう悪くない。面談の狙いや段取りを話す同居人と神父のやりとりを聞き流しながら、三毛猫はこの大仰な名前の籠で丸く寛ぐ。ふと窓に目を向ければ流れゆくのは異国情緒漂う通りの景色である。人間共の気分はともかく、暢気な三毛猫からすれば、ちょっとした観光旅行である。


 そんな小さな旅路の行き着く先、奴隷一時収容施設は王都東部の港湾区に位置する。


 元より、その種の施設が港の周囲には点在しているのである。国際貿易港を擁するこの王都は、同時に国際奴隷貿易における結節点の一つでもある。日々、多くの商品が行き交い、必然的に在庫を一時的に保管するための施設も必要となる。そんな施設を、王政府がひとつ丸ごと借り上げているのだ。


 がたごとと揺られること暫し、いつしか華やかな喧騒は去り、代わりに灰色の景色が窓を埋める。

やがて行き着いたのは、大きな倉庫のような建物である。やけに物々しいというのが三毛猫の素直な感想である。それ自体は石造りで堅牢そうに見えるだけだが、敷地を取り囲む石壁は無暗に高く、その頂上には乗り越えを防ぐためか、刺々しい鉄製の返しが並べられている。敷地に入るための扉も無駄に重厚である。分厚い木材を金属で補強したそれは、手斧程度では破れそうにない貫禄を湛えている。そんな門の隣には、とどめとばかりに、長い槍を構えた衛兵が二人、周囲に睨みを利かせている。王政府の要請を受けて施設警備にあたっている王立騎士団の要員である。


 彼らは同居人の来訪を確認すると、その重厚な扉を開いてくれる。体格の良い衛兵が全体重をかけて押し開いているあたり、相当に重いらしい。そうして開かれた門をくぐると、同居人の訪問を聞きつけたのか、現場責任者らしき役人のおじさんが出迎えにやって来た。彼の案内に従い、一行は建物の中へと進む。


 施設内部は、職員が詰める管理区画と、奴隷を詰め込む収容区画に大別される。自らの資産、その現物を確認しに来た同居人が向かうのは、さしあたり後者の区画である。薄暗い廊下を進み、吊り下げ式の鉄格子の扉をくぐると、左右に檻の並ぶ大空間に出る。そこが今回の目的地だった。


「万が一暴動のような事態になると実力で鎮圧せざるを得ないため、このような檻に小分けにして管理しています。互いの不幸を避けるための予防措置といったところでしょうか」


 探るように辺りを見回す同居人に、役人のおじさんはそう簡単に説明する。暴動の鎮圧とは、即ち、財産たる奴隷の消耗・損失を意味する。財産管理を代行している格好の王政府としては、同居人の財布を護り、その不興を買うことを避けるために必要な配慮ということらしい。


 もっとも、同居人の関心はまた別のところにあった。


「どうにも、危険な臭気が漂っているのですが、衛生状態は大丈夫なのでしょうか」

「確かに、御令嬢には少々刺激的に過ぎるかもしれません。努力は惜しんでいませんが……」


 唐突な同居人の問いかけに、役人のおじさんも思わず肩を竦める。漂う動物のような臭気に関しては、言い繕う方策を見出し難いようである。


 努力の跡は確かに窺える。話だけ聞けば陰気な印象を禁じ得ない収容区画だが、実際にはそれなりに広く明るい。高い天井にある天窓から光を導入し、それを床に置かれた硝子の置物で拡散させることで、日光を内部に導入しているのである。そのお陰で、檻の中の様子を窺うことも容易い。敷かれた藁の上でごろりと転がり寛ぐおじさん方の、裸よりはましと纏うぼろ生地の質感まで仔細に見て取ることができる。それが嬉しいことかはさておき、暗がりに押し込まれているよりは、幾らかは健全な景色である。


「掃除は小まめにしていますし、時々、桶と布を渡して体を拭かせています。換気も心がけています。できることはしているつもりなのですが、これ以上はなかなか」

「事情は承知しました。壁の建設工事も大詰めです。もう間もなく移動を開始できると思いますが、長引くようなら私の方で消毒液を用意しましょう。化学の力を思い知ると良いのです」

「それは心強い話です」


 妙な方向に気勢を上げる同居人を、おじさんはさらりと受け流す。できる男である。


 それから、同居人一行は案内に従い収容区画をさらりと見て回る。檻はたっぷりとあるので、出身や性別に従い細かく仕切られているとのことである。言われてみれば、檻毎に中の人の外見的特徴はくっきりと分かれている。肌の白い者、褐色の者、黒い者、無駄に彫りの深い濃い顔に、選り取り見取りである。さらに言えば、身体の作りがそもそもどこか普通の人間と違う者も居た。いわゆる獣人というやつである。


 字面からは二足歩行する獣を想起したくなるが、残念ながら、そこまで本格的なものではない。基本的な骨格は直立歩行猿人をベースとしていて、それに獣っぽい耳と尻尾がついただけである。個体によっては手足の先や首回りが毛で覆われていたり、鼻の頭が黒かったり、細長い髭が生えていることもあるが、結局はその程度である。クレムリンから頭をもたげて様子を窺う三毛猫は、思わずうにゃーんと困惑の鳴き声を漏らす。猫耳と尻尾を生やしたおじさんに同じ猫科動物としてどう対峙すれば良いのか、この小動物にはさっぱり見当がつかなかったのだ。


 しかしながら、このいかにも温い感じが同居人の琴線に触れたらしい。その金色の双眸をくっきりと見開いて、獣人のおじさん方を丹念に観察している。対する彼らは、元より得体の知れないこの生物を横目でちらりと眺めて警戒していたが、この小娘の放つただならぬ気配にいよいよ恐怖を感じているようである。悠然と構えているように見えて、その実、そわそわしている。特に猫耳おじさんはわかりやすい。耳をぺたんと畳み、尻尾は丸く縮まっている。完全に怯えている証左である。


 無邪気な行動で獣人奴隷を一通り怯えさせた同居人は、間もなく、サーラに抱えられて強制退場の運びとなる。この後にも予定が詰まっているため、あまり時間をとってはいられないのである。一様に怪訝な表情を浮かべる檻の住人に見送られ、一行は更に先へと歩を進める。


 それから説明を受けたのは、主に福利厚生面の説明である。役人の語るところによれば、諸般の事情で収容が長期化しているため、健康促進のために裏庭で運動などさせたりもしているとのことである。


 高い壁に囲まれた広場を抜け、別の入口から管理区画へと戻ると、今度は給食体制に関する説明があった。施設据え付けの調理施設は貧弱なため、外部で調理したものを持ち込み再加熱する形で、朝昼二食、日替わりのスープと雑穀入りのパンが供されているそうである。食べ物に縁のない同居人に代わり、味見役に選任されたエリオが素直においしいと評していたので、品質としても十分なものであるらしい。同居人の威光が作用したのか、大変な厚遇であることが窺える。


 そうして収容体制の説明が一巡すると、次は今日の本題であるところの面談を実施することになる。大雑把な状況は先刻の視察で確認したが、同居人は個人単位で労働力たる奴隷を把握したい意向なのである。


 実のところ、これは当地では珍しい類の要求である。通常、労働力としての奴隷の使途は、鉱山役務か、櫂船の漕ぎ手に限られる。後は精々、治水工事や道路工事における労働力の足しとして、応時に投入される程度である。年齢や健康状態で分類はされるが、基本的には一山いくらと数量をもって取引されるものなのだ。それだけに、奴隷の個性に着目する事例はそう多くはない。


 この意向は先立って先方にも伝えられていたようで、役人のおじさんは速やかに面談実施の準備に入る。丁度いい場所があると案内されたのは、管理区画と収容区画の間にあるらしい小部屋である。中央が頑丈そうな鉄格子で仕切られていて、双方の区画から1つずつ出入り口が設けられている。要するに、面談室である。本来は出庫前に商品を確認するための部屋なのだろうが、何にせよ、好都合だった。


「では、連れてきますので、マーラフェルト卿は暫くここでお待ちください」

「わかりました。私の方でも準備があるので、丁度良いのです」


 役人のおじさんが人を呼びに退出すると、同居人も粛々と準備を始める。とはいえ、その内実は拍子抜けするほど簡単なものである。肩掛け鞄から林檎印の電話を取り出すと、その電源を投入し、静電容量式液晶タッチパネルをなぞることで何らかのアプリケーションを立ち上げた。それだけである。


「それは何ですか」

「職員名簿作成支援アプリを起動したのです」


 問いかける神父に、同居人は率直な答えを返す。しかし、電子計算機に馴染みのない当地の住人がそんな説明で理解できる筈はない。少しだけ首をひねり、同居人は付け加える。


「技術的細目は省きますが、これで、写真──機械生成の似顔絵と、名前を対応させて管理することが可能になるのです。後々、王政府から提供されたリストを組み合わせて、完全なものを作る予定です」

「機械で似顔絵? そんなことができるのですか」

「試してみましょうか」


 そう言うと、同居人はおもむろに電話をフレネル神父の方向に向けて、液晶画面をつんつんと突く。すると、電子音がして、写真が撮影される。


「フレネル助祭」

「はい」

「音声認識なのです。喋ることによって名前を登録するのです」


 同居人が画面を示すと、そこには神父の顔写真と『10001 フレネル助祭』という文字列が表示されている。何故か名前に肩書までついてしまっているが、その辺は後で編集できるので良いのである。

「全く読めませんが、なるほど、こうなるのですか」

「これは、確かに便利かもしれませんね」


 感心したサーラはおもむろに同居人の頭をなでなでする。それがちょっと嬉しかったのだろうか。調子に乗ったこの小娘は、その勢いのままに他の面子も登録し始める。サーラとピエトロは満更でもなかったようだが、エリオだけはどうにも複雑そうに、曖昧な笑みを浮かべていた。メイドの仮装をしているところを撮られて、エリーという名で登録される羽目になったからである。


「レーニンなのです」


 果たして猫に何を求めているのか定かではないが、当然の如く、クレムリンに籠る三毛猫も登録された。液晶画面にちらと目を遣れば、『10005 レーニンなのです』との文字列が躍っている。音声入力は確かに便利だが、もう少しどうにかならなかったのだろうかという感が漂う。


 そんな遊びも一巡した頃、不意に、鉄格子の向こう側の扉が開かれる。


 施設警備や監守を担う衛兵が、奴隷を連れてきたのである。屈強な彼らに促されて、みすぼらしい身なりの男達が3人ほど部屋に入ってくる。力ずくで連れられたわけではないため落ち着いた様子だが、同時に、一様に困惑している様子も見て取れる。当然である。鉄格子の向こう側に居るのは、軽装の騎士が2人に神父が1人、銀髪の小さなメイドに金髪の見習い魔術師という、統一感のない集団なのである。そんな相手を一目見て、自らが呼ばれた趣旨を悟れと言う方が無理なのである。


「あの、これは一体どういうわけで?」


 必然的に、疑問の声が上がる。


「貴方達の身分と、その今後に関して説明する場を設けたのです。ところで、その」

「ああ、彼らはこの大陸の出身です。例の第1分類ですね」


 横から割り込んできたのは、遅れて部屋に入ってきた役人のおじさんである。親切にも、連れられた奴隷の出身を教えてくれた。そして、それこそが、言い淀んだ同居人の知りたい事柄だったのだ。小さく頷き、同居人は話を切り出す。


「では、端的に要件を申し上げましょう。第一に、主人として、貴方達を奴隷の身分から解放します。第二に、その上で、私の製鉄所建設運営事業に従業員として参加しないか、その意思確認をしたいのです」

「ええっと、つまり?」

「私の下で働きませんか、ということなのです」


 同居人はそうさっくりと纏めると、その金色の双眸でおじさん方を見据える。この種の局面では、同居人の視線は実に恐ろしいものなのである。注意深く事の成り行きを観察する三毛猫は、いい年をしたおじさん方がぶるりと震えたのをしっかりと確認する。


「か、解放ということはだ、俺達は自由ってことなんだろう。どうしてあんたの下で働かないといけないんだ。おかしいだろう」


 そう声を上げたのは、連れられた3人の中で最も筋骨逞しい大男である。むき出しの腹が当然の如く割れている。そんな彼が、勇気を振り絞ったと言わんばかりの声色で同居人を詰問する。


「お望みなら今日ここで身柄を解放しても構いません。裸一貫で身を立てるその覚悟は素晴らしいものです。しかし、先立つものがなければ、その前途は厳しいと言わざるを得ないのではないでしょうか」

「うう、それは」

「私は事業への協力への見返りに、真なる自由へ繋がる原資を提供しようと申し出ているのです」


 淡々とした口ぶりで、同居人は畳みかける。結局のところ、労働の対価として賃金を支払うというだけの話だが、よくぞここまで恩着せがましく脚色できるものである。レーニンも思わず感心する。


 続けて同居人が提示した条件は月給10リーン、一日8時間労働というものである。製鉄所の中核を担う高炉は一度動かすと止められないため、いわゆる安息日の存在は無視することになるが、休日についても検討を約束している。工場法制定前夜のような条件を見込んでいた三毛猫からすると、驚くほど穏当な条件である。同居人も所詮は文明人に過ぎなかったということなのだろうか。


「さて、お返事は如何でしょうか」

「ぐぬぬ」


 単に条件を並べただけだが、それでも、何故か大男が小娘に追い詰められていくのだから愉快なものである。同居人が淡々と決断を迫ると、大男はついに唸るだけになってしまった。


「ところで、その、お嬢ちゃんは一体何者だい? 俺達を解放するとか、雇うとか」


 そんな調略が大詰めを迎えた頃、戸惑い気味に別の人物が口を挟んでくる。土気色の肌をした、健康状態が慮られる男である。いかにも恐る恐るといった様子だが、疑問の内容は至極正当である。確かに同居人は見目麗しく、外見を取り繕う余裕のある高貴な出身を推測させはするが、そんなものは判断材料のひとつに過ぎない。彼の眼前に居るのは得体の知れない偉そうな小娘に過ぎないのだ。


「そうですね、申し遅れました。私は王立第二常備軍設立準備室室長、ヴィオル・マーラフェルトなのです。紆余曲折ありましたが、私が正式な貴方達の主人ということで間違いないのです」


「彼女の言に間違いはありません。更に言えば、貴方達の解放という話も、我々教会と王国の合意に基づくもので、それ以上の裏は特にありません」


 素直に自己紹介する同居人を、後で事態を見守っていたフレネル神父がすぐさま補足する。同居人の外見的な説得力のなさを、この神父が厳つい容姿から滲む説得力で補ってくれた格好である。


「ええと、じゃあ、その首輪と鈴は?」

「迷子防止用に姉様がつけてくれたのです」

「一度、行方がわからなくなって大変なことになりまして……」


 今度は警護主任であるサーラが補足する。あれは迷子というより、同居人が積極的に護衛を振り払った結果だが、あの種の事態を防ぐために首に鈴をつけられたことそれ自体は間違いない。


 皮肉なことに、この鈴には身分保障の意味合いもある。同居人が顔を上げて鈴を示すと、そこには舵輪に留まる海鳥の紋章が刻まれている。レンブール王家の紋章である。特に何かの権能や職分を表象するわけではないが、少なくとも、王家と繋がりがあることをはっきり示すことができる。


 同居人の身分が一応証明されたことで、3人も拒絶の理由を見失ったらしい。同居人の提示した条件を受けることに同意する。後は簡単な事務処理の時間である。林檎印の電話で顔を撮影すると、音声入力で名前を登録していく。時間的に余裕があったらしい。参考程度に前職を聞いてみると、見事に強盗、窃盗、横領が揃っていて、この国の奴隷制度の実態を窺わせた。


 3人が退出すると、入れ違いに、衛兵が今度は4人の男を連れてくる。あの小分けされた檻を単位として、全員を連れてきているのである。


 同居人のすることは特に変わりはない。再び端的に彼らの奴隷身分からの解放を告げ、雇用契約締結の意思確認をすると、簡単な質疑応答を交えつつ、彼らの顔と名前を控えて行く。概ね波乱もなく同意を得ることができた。ちなみに、前職は商人と職人で、破産したので引っ張られたとのことである。


 王国出身者は3組目で打ち止めになり、その次にやって来たのは、同じ大陸出身者でもライデール帝国から売られてきた奴隷である。ここでエリオが意外な活躍を見せた。今でこそ同居人の世話役の振りをして、メイドに扮装しているが、この少年の本業は魔術師である。年齢の割に語学が堪能で、広いとはいえ隣国なのに、どういうわけか日本語ではなく印欧語族を思わせる未知の言語を扱う彼らに対し、彼が通訳を務めてくれたのである。この特技に、エリオの素性を明かされていない神父は大変に驚いていた。


 異国の地、しかも、潜在的な敵国であるレンブールで放り出されることを避ける心理が働いたのか、言語的障害の存在にも関わらず、交渉は極めて簡潔に進んだ。


 前職に関する回答にもお国柄が見て取れた。大半を債務奴隷が占めることは王国とさほど変わらないが、その残余を構成する犯罪奴隷に変なものが混じっていたのである。財産犯や粗暴犯なら良い。しかし、叛乱の容疑をでっちあげられて奴隷にされた、領内労役に駆り出されたと思ったら売られていた、無暗に高い税を払えないので売られた──そんな事情が次々と出てくるのはどういうことだろうか。


 その他、領主所有の奴隷身分の生まれであるという人物も混じっていた。少なくともレンブール教会では身分承継による奴隷の解放を呼びかけているらしいのだが、ニーヴァルンディ教会の管轄ではまた事情が異なるようである。あちらは何をしているのかと、フレネル神父は怖い顔をして呆れていた。


 そんな帝国組も4組ほどで打ち止めとなる。遅めの昼食と休憩時間を挟み、次に連れて来られたのは褐色から黒色の肌を持つ、南の大陸の出身者である。退屈したピエトロがこっそり役人のおじさんにあと何組居るか聞いてみたところ、9組ほどが存在するとの回答を得ていた。人数にして40人ほどである。


 神の下の平等というフィクションを共有できない大陸外出身者に関しては、奴隷解放というシナリオは存在しない。故に、エリオに通訳して貰い、粛々と取扱い条件を通告する。折角人種が違うのである。待遇格差を設けて大陸出身者と争わせることが常道であろうと、列強の植民地統治に学ぶ三毛猫は考えるのだが、同居人にそういう発想はないらしい。解放できないが、月給10リーン、一日8時間労働、不定休ありと大陸出身者と同一の条件を提示した。


 続く質疑応答の局面では、とにかく同居人の首輪と鈴に質問が集中した。どうやら、同居人の取扱い方針には特に不満がないらしい彼らだが、それだけに、主人である同居人の属性が気になって仕方がないらしい。やはり、この不思議なアクセサリは大きな突っ込みポイントなのである。これが王族から渡された迷子防止用装置だという筋の説明で納得してもらうには、酷く手間取ることになった。


 かくして、多少の苦労はあったものの、ここまで面談は大過なく進行していた。同居人の弁舌の賜物である。しかしながら、次なる相手、獣人に関してはそう簡単には行かなかった。


「一体彼らはどうしてしまったというのですか?」

「怯えているんじゃ……ないでしょうか。先刻、牢屋で彼らを驚かせてしまったばかりですし」


 同居人の素朴な問いかけに、エリオが答える。同居人の世話係という設定に沿って懸命にキャラを作っているのだが、あまりの事態に、早速メッキが剥がれそうになっている。


 彼らの眼前では、筋骨隆々たる長躯とふわふわの犬耳を併せ持つ獣人の男が5人、揃いも揃って同居人に背を向けて、ふるふると蹲って震えている。耳を澄ませば、何かをうわ言のように呟き続けている様も窺える。流石のエリオも、獣人達の母語である東方系の言語には明るくない。だから、一体何を呟いているのか正確には把握できていないが、概ね想像がつくことも事実である。クレムリンから事態を傍観する三毛猫には、獣人達の姿が生贄に捧げられる哀れな供物に見えて仕方がない。


「彼らがこんなに怯えるのを初めて見ました。移送の時でももっと落ち着いていたのですが」


 奴隷の管理責任者である役人のおじさんも、この見事な怯え様には困惑顔である。


「納得いかないのです。まだ何もしていないのです。どうして怯えられなければならないのですか」

「何かされると予期しているからではないでしょうか」

「後で少々、その尻尾をもふもふさせて貰おうと思っていただけなのです」


 同居人は淡々と言い放つ。恐らくそんな下心が獣人達の恐怖を喚起しているのだろうと三毛猫は思慮するのだが、この小娘は到底そのような考えには思い至らないらしい。自らを欲望の対象にされるというのは、それはもう恐ろしい事なのである。日頃から同居人の欲望に曝されているレーニンにはよくわかる。


 もっとも、それが恐怖で身を竦ませる程のものかというと、また疑わしいものがある。確かに同居人の眼力は大したもので、あれに睨まれると背筋が凍る感覚を味わえるのは事実だが、結局はその程度のものに過ぎない。客観的にみれば華奢で非力な小娘なのだから、筋力に優れる獣人ならば、容易にこれを制圧できるはずなのである。


 何にせよ、これでは正常に面談を進行させることは難しい。同居人は「大丈夫なのです。食べたりしないのです」と宥めてみたり、時が問題を解決すると信じて落ち着くのを待ってみたりと、その場で思いつく程度の打開策を講じてみたのだが、大した効果は見られなかった。唯一、同居人が退室することで、彼らを幾らか落ち着けさせる手法が見つかったが、それでは面談が進まない。


「マーラフェルト卿、これは出直した方が良いのではないでしょうか」


 ここに至り、監督役であるフレネル神父は撤退を勧告する。今日中に事態を収拾する見込みが立たないからである。同居人の所有するところとなった奴隷のうち、実に半数が彼ら獣人なのである。役人のおじさん曰く、この5人を片付けても、他に17組、66人も控えている。こんな大人数をこの調子で処理することは、量的に不可能と言わざるを得ない。


 それでも、同居人はその長い耳を垂れ下げながら、神父の勧告を拒絶する。


「出直したところで解決する問題とも思えないのです」

「それはそうかもしれませんが、しかし、ここに居たところでできることは」

「あまりやりたくはなかったのですが、奥の手があるのです」


 何やら不吉なことを言い残して、同居人はそろりと面談室を退出する。流石に、独行を許すわけにもいかないので護衛役である騎士2人はすぐさまこれに続くが、エリオとフレネル神父は悠然とその姿を見送る。レーニンもこちらに倣った。どうせ、すぐに戻ってくると踏んだのである。


 実際、同居人はそう間を置かずに戻ってきた。ただし、鉄格子の向こう側の扉を開いて、である。


 反射的に扉の方向を振り向いた獣人達は凍りついた。もはや、目を背けることすら叶わなかった。彼らと脅威を隔てていた鉄格子は既になく、今まさに、恐怖の化身が猛威を振るいつつあったからである。


「貴方達があくまでも私に楯突くというのなら、こちらにも考えがあります。格の違いを思い知り、存分に後悔するがいいのです」


 怯える獣人達に、同居人は怜悧に告げる。露骨に悪役のような台詞だが、それがよく似合うのだから始末に負えない。三毛猫は考えを修正する。やはり、彼らの感性の方が正常なのだ。


 この小娘が何をしようとしているのかは概ね想像がつく。問答無用で獣人達をもふもふしようとしているのだ。その細い十指が忙しなく動いていることから察することができる。


「さあ、服従か、もふもふか、好きな方を選ぶのです」


 同居人に慈悲などない。無防備に曝された尻尾を掴むと、心行くまで撫で回し、その毛並みを堪能する。抗おうと身じろぎしようものなら、その猛獣を思わせる双眸で容赦なく睨みつけてくるのだから手に負えない。抗拒不能となった彼らは、同居人の思うまま、ひたすらに蹂躙されていく。


 やがて一人、また一人と、獣人達は床の上に力なく崩れ落ちる。鋭敏な器官を無遠慮に責められて、足腰が立たなくなったのだ。その無残な景色を目の当たりにしたレーニンは、うにゃーと鳴いて記憶を辿る。この景色、何かに似ていると思えば、長耳を責められてお姫様に蹂躙される同居人に酷似しているのである。悲劇は伝播し、繰り返されるのだと思うと、この三毛猫は悲しくて仕方がなくなった。


「えっと、それで、何をしてるの?」


 誰もが唖然として事態を見守る中、ようやく、エリオが口を開く。その傍若無人な振る舞いを目の当たりにして、呆れるあまり体面を取り繕う余裕も失ったらしい。すっかり平素の様子に戻っている。


「戦略を変更してみたのです。和解できないなら、恐怖で圧倒してみようかと」

「なるほど。でも、どちらかというと、困ってるように見えるんだけど」


 頭を押さえながら、少年は指摘を続ける。執拗に尻尾を責め続ける同居人に抵抗せず、されるままの彼らだが、その視線にはやめて欲しいという懇願の情と、それを言い出せないもどかしさがありありと見て取れる。この残念な長耳をどう処遇すべきか、判断がつかないのだ。強制排除を試みないあたり、恐怖心が拭い去られたというわけでもないようだが、当初の恐慌状態とは明らかに様相が変化してきている。


「細かいことはいいのです。私の要求が聞き入れられるならそれで構いません」


 淡々と、しかし、傲然と言い放つと、同居人は獣人達に向き直る。


「さあ、もふもふをやめて欲しいならば、素直に吐くのです。一体私のどこがどう怖いというのですか。何を言っても怒らないので安心してください。精々、もふもふをやめない程度で済みます」


 怯える相手に一定の配慮を示しつつも、同居人は粛々と脅迫的言辞を紡いでいく。実にこの小娘らしい行動である。鉄格子越しに見守るエリオからは深い溜息が漏れる。


 この同居人の要求を受けて、獣人達は互いに顔を見合わせる。同時に、何やら協議しているようでもある。大方、誰がババを引くかで揉めているのだろうと三毛猫は看破する。やがて、その交渉は一定の妥結を見たらしい。最も年嵩と思しき獣人が、意を決したように口を開く。


「わたしたち、せいれいが、こわい」


 いかにもたどたどしい単語の羅列だが、彼らにしてみれば、王国の言語は外国語である。それだけに、適切な意味合いの単語を並べるのが精一杯ということらしい。


「精霊?」

「せいれいに、よいも、わるいもない。おおきな、ちからのかたまり。それが、わたしたち、みてる。どうなるか、わからない。それはもう、こわい」

「東の民は自然の中に霊威を見出し、畏怖の対象としていると聞いたことがあります。どうやら、彼らはマーラフェルト卿の中にも、その種の霊威を見出してしまったようですね」


 今一つ要領を得ない論述に、フレネル神父がすぐさま補足を加えてくれる。エルフ設定の賜物なのだろうか。一体何をどう解釈したのか定かではないが、同居人を精霊と誤認したらしい。「なるほど」と呟き、同居人も納得した様子を見せる。


「でも、しっぽ、さしだせば、やりすごせる。なら、なんとかなる。すこし、がまんすればいいだけ。ちょろい」

「ちょろい」


 思わず同居人が復唱する。なかなか刺激的な表現をするものである。


 三毛猫はうにゃんと鳴いて思考を整理する。つまるところ、獣人達は得体の知れない超常存在に目を付けられて怯えていたが、その正体が妖怪しっぽもふりであると理解して、幾分落ち着きを取り戻したというのが現状らしい。敏感な場所を容赦なく責めたてられて愉快であるはずもないが、特に生命の危険を生ずるわけでもない。彼らはこれを許容すべき犠牲であると学習したのである。


「事情は概ね理解しました。では、為すべきことを済ませてしまいましょう」


 同居人はようやく尻尾を解放すると、林檎印の電話を取り出す。後は先例に倣い、淡々と写真を撮影して、名前を聞き出していくだけのルーチンワークである。当初の混乱が嘘のように、事は円滑に進む。

これでようやく、面談を正常に進めることができる。


 恐らく他の誰もがそう考えたのだが、同居人だけは違った。記録が終わり、今度は獣人達のぼさぼさの頭を撫でて困らせていたこの小娘は、淡々と、役人のおじさんに後続を呼ばなくて良い旨を伝える。


「遅れを取り戻す必要があるのです。幸い、危険もないようなので、直接出向こうと思います」

「構いませんが、大丈夫なのですか?」

「ここに至り、やりとりを明らかにする方が有利な状況に至ったのです」


 そう朗かに宣言すると、同居人は獣人達と一緒に退室しようとする。しかし、それではフレネル神父がお目付け役の任務を果たせないのである。この強面の神父は平坦な口調で「少々お待ちください」と告げると、鉄格子の向こう側、収容区画への移動を始める。エリオも慌ててこれに続いた。


 二人と合流した同居人は、一同を引き連れて獣人達の檻がある区画に出向く。


「ところで、この中で一番強い獣人というと、どなたになるのでしょうか」


 その道中、同居人はいかにも不穏なことを同道する犬耳獣人達に問いかける。すっかり素直になった彼らは、少し考え込むと、異口同音に「しし」と答えた。


「確かに、腕力で言えば彼らが一番でしょう。しかし、どうして」

「こういうのは、頭を押さえるのが定石なのです。その、会わせて頂いて構いませんか?」

「勿論、構いません。ええと、こちらです」


 役人のおじさんの案内されたのは、奥まったところにある少々狭い檻である。そこには、2人のやや丸みを帯びた耳を持つ獣人が囚われていた。体毛の色は褪せた金色とふわふわ雲のような白色、どちらも少年の面影を残す若い個体である。その日に焼けた肉体は筋骨逞しいというよりは寧ろ細身だが、無駄なく引き締まっていて、鋭利な刀剣を思わせる鋭さがある。


 平たく言えば、人型をした猛獣そのものなのである。その瞬発力、筋力は凄まじく、騎士団の衛兵ですら致命的な事態に遭いかねないということで、彼らの手足は金属製の頑丈な枷で戒められている。他の檻の住人が中で寛ぐ余裕くらいは与えられていたことと比べると、明らかに異例の措置である。


 彼らは不躾な来訪者を、その琥珀色の瞳で威嚇している。一瞬だけ、レーニンとも目が合った。獰猛な肉食獣の武威に、温厚な三毛猫もあてられた。たまらず聖域であるクレムリンの中で丸くなり、震える。そんな怯え様をみてとったのだろうか、エリオが背中を撫でてくれる。その手が微かに震えていたあたり、彼も何かの救いを求めていたのかもしれない。何にせよ、レーニンはそれで幾らか落ち着いた。

そんな凡人と凡猫に対して、どこまでも揺らがないのが同居人である。


「開けて頂けますか?」


 淡々と、役人のおじさんに問いかける。ついでに、2人の獣人を睨みつけることも忘れない。こちらは耳が長いだけの華奢な小娘だが、少なくともその中身は猛獣なのである。


「不用意に彼らに近付くことはお勧めできないのですが……」

「無力化措置は講じていますよね?」

「しかしですね」


 施設管理責任者であるおじさんは、ちらりと護衛の騎士達の方を振り向く。しかし、二人は揃って首を振り、特に何か言おうとはしなかった。諦めたように溜息ひとつ、彼は鍵を外し、檻の扉を開いた。


「さあ、もふもふの時間なのです」


 緊張感も何もない同居人の宣言に、激烈な反応を見せたのは対手たる獣人の側である。視線による威嚇も虚勢だったのだろうか。少女がゆっくりと歩み寄っているだけだというのに、声にならない悲鳴を上げ、緩慢な動作で後退する。やがて部屋の隅に至り退路がなくなると、仲良く並んで震え始めた。やはり精霊とやらが怖いらしい。非力な小娘など暴れるだけで退けられるはずだが、何故だかそうしようとしない。


「お、お前は、一体誰だ」

「おや、案外気骨があるようですね」


 じわじわと距離を詰める同居人に、金髪の獣人が問いかける。吠えるような荒々しい声色に、思わず三毛猫はビクっと震える。しかし、そんな獰猛な威嚇も実質的には恐怖心の裏返しに過ぎないのである。全てはお見通しと言わんばかりに、同居人は悠然たる歩みをやめない。やがて十分に接近すると、腕を伸ばしたのは、元気の良い金髪君の特徴的な獣耳である。一切の容赦なく、その感触を楽しむ。


「ひあ、ちょっと、触るな。というか、質問に答えろ」

「ヴィオルといいます。貴方達の新しいご主人様なのです」

「主人? それがどうして俺の耳を」

「もふもふですから」


 意味不明な理由で一通り金髪君の獣耳を弄り終えると、今度は恐怖のあまり隣で放心していた白髪君の獣耳も弄り始める。強情な金髪君に対して、こちらは実に素直だった。同居人の与える刺激に「あふん」と鳴くと、そのまま床の上に崩れ落ちる。後は流れである。姿勢を崩した際に、大きな房のついた白い尻尾が顕となったことを奇禍として、こちらも丹念に撫で回した。


「ええと、お前は一体何をしに来たんだ」


 その鮮やかな手並みに狼狽しながら、それでも金髪君は気丈に問いかける。


「話が早くて助かります。職員名簿を作るので、名前と、それから、前歴などを聞きに来たのです。折角なので、そのついでにもふもふしている次第です」

「ついでかよ!」

「まあ、良いではありませんか。減るものでもありませんし」

「良くねえよ! 心の中の大切なものが減るんだ」

「そんな形而上的な議論には付き合いきれないのです」


 金髪君の魂の訴えを一蹴すると、同居人はしれっと林檎印の電話を取り出す。このタイミングで職員名簿用の記録をとるつもりらしい。特に頃合いという情勢でもない。単純に、この小娘の気が向いたというだけの話である。


「さあ、名前を吐いて楽になるのです」

「俺はスィール、こっちはフォスだ。名前は教えたんだからもういいだろう、あっち行けよ」

「それから、貴方の尻尾ももふもふしたいのです」

「い・や・だ! 何かするならこいつの尻尾にしておけ」


 苦し紛れに金髪君は負担を相方に押し付ける。なんと酷いやつなのだろうか。同居人は手早く電話を操作して記録を作成すると、言われた通り、素直に白髪君の白い尻尾を撫で回し始める。その関心は、特にもふもふ感に溢れる先端の房に集中している。同居人がそこを撫で回したり、頬ずりしたりする度に、白髪君は床の上を転がり、身悶えしていた。


 ──そんな檻の中で繰り広げられる悪夢は、当然ながら、他の檻にも駄々漏れになっている。音波とは即ち、空気の振動であり、すかすかの鉄格子はそれを妨げたりしないからである。お陰で、同居人の残念極まりない性癖は、もはや周囲の檻の獣人達にも筒抜けである。三毛猫がちらりと周囲を窺うと、檻の中の獣人達が明らかに困惑している様子が窺えた。


「そろそろ頃合いでしょうか」

「何がだ?」

「こちらの話です」


 暴虐の限りを尽くして、同居人もようやく満足したらしい。白髪君の尻尾を解放すると、おもむろに踵を返し、悠然と檻から退出する。その扉を潜る間際、同居人は何かを思い出したかのように振り返ると、唐突にぱちんと指を鳴らす。


「順調に行けば、数日中に、もう少し広々とした場所に移動できるのです。それまで、是非、大人しく施設管理者の方々の言うことを聞いていてください。何かあると厳しい措置をとらざるを得ませんので」

「お、おう?」


 金髪君が首を傾げると、何か重いものがごとりと落ちる音がする。床に目を転じると、頑丈な金属製の枷が外れて転がっていた。ぶるりと背筋を震わせて、彼は同居人をきょとんと見つめる。


「それは備品らしいので、後で監守の衛兵さんにでも渡してください」


 対する同居人の返事は、どこまでも淡々とした事務的なものだった。


 それから後の面談は、極めて迅速に進んだ。やはり、同居人が内に秘める何かが獣人達の本能的な恐怖心を喚起しているらしいが、かといって、妖怪しっぽもふりごときに恐慌状態に陥るほど、彼らも暇ではない。二人の獅子獣人の尊い犠牲により、尻尾さえ触らせておけばどうにでもなると学習したのである。


 更に、目端の利く獣人は、尻尾を捧げることに積極的な意味を見出し始めた。同居人の調略に使えると気付いたのである。強大な精霊を手懐けることができるとあって、彼らの態度は畏怖から歓迎、或いは、崇拝とも呼べるようなものに転化した。無論、やりとりも円滑化し、当初のトラブルにも関わらず、時間的には予定よりも幾らか早く職員情報の取得を終えることができた。


 そうこうするうちに、いつしか日は傾き、天窓から差し込む光はうっすらと赤みを帯びていた。流石にそろそろ帰りたい時分なのだが、同居人は未だに帰れない。獣人達との面談を終えても、未だ全てが片付いたわけではないからである。激しいもふもふ行為を繰り返し、すっかり疲弊してしまった同居人は、それでも役人のおじさんの案内に従い、それとなく隔離された領域にある次の檻へと向かう。


 最後に残されたのは女性の奴隷達である。男性奴隷とは異なり過酷な重労働には向かないが、貴族や富裕な商人の世話役、または、娼婦として一定の需要がある。商品の個性が重要なため取引の難度や手間は大きいが、一山いくらで取引される男性奴隷よりも単価が高く、利鞘も大きいのが特徴である。商売人として知られたドルニア氏がこの美味なる市場を見逃すはずもない。彼は特に利鞘を稼ぎ易い高級奴隷取引にも手を出していたようで、その在庫が、紆余曲折の末、同居人の手元に転がり込んだのである。


 この種の商品で高級ということは、要するに、その容姿が美麗という事である。今は亡きかの奴隷商人の目利きが確かだったのか、檻の中には出身を問わず様々な美女が詰め込まれている。なかなか背徳的な景色である。煩悩溢れる護衛騎士のピエトロなどは思わず鼻の下を伸ばしていて、気味悪がった同僚に容赦なく蹴られていた。


 更に言えば、この環境は先方の側にもある種の誤解を招来する形となった。


「あら、新入りかな?」

「あのオヤジ、こんな小さい子まで」


 エルフ設定が通るだけあって、同居人の容姿は美麗な部類に属するし、実際に、今は亡きドルニア氏に売られかけた事実もある。そのお陰で見事に、他の施設から移送されてきた奴隷と勘違いされたのだ。


「いえ、私は貴方達の主人なのです」

「またまた。じゃあ、貴方の首についてるそれはなあに?」

「姉様がつけてくれた迷子防止装置なのです」

「それは、騙されてるんじゃないかなぁ?」


 しかも、例によって何を言っても信じて貰えない。


 勿論、同居人の地位に関してはすぐさま後ろに控えるフレネル神父とサーラが補足してくれたのだが、この小娘が主人というのは、理屈はともかく、実感として甚だ理解し難い話なのである。結局、彼女達からすると、同居人は愛玩動物の類にしか見えないようで、職員名簿作成用の撮影と聴取の合間、撫でられたり抱き締められたりと、散々な扱いを受けていた。先刻まで獣人達を相手に猛威を振るっていた妖怪しっぽもふりの威容は、もはやそこには存在しなかった。


 どうにか2組10名の面談を終える頃には、すっかり日も落ちて、茜色の引いた天頂には既に幾多の星々が瞬き始めていた。これでようやく、全行程が終了となる。この長丁場に付き合ってくれた役人のおじさんに感謝を伝えると、一行は来た時と同様、要人輸送用の馬車に乗り込み帰路に着く。流石の同居人も疲れたらしい。例の如く世話役を兼務するサーラに抱き付くと、すやすやと穏やかな寝息を立て始めた。


 かくして、同居人の製鉄所建設計画はここにまた一歩、具現化に向けた進展を見たことになる。大分茶番めいた催しではあったが、現状把握のついでに顔見せもできた。同居人が人心掌握についていかなる見通しをもっているかは判然としないが、手始めとしてはそう悪くはない。


 しかしながら、次なるマイルストーンである製鉄所敷地内での居留地建設作業は、もう間近に迫っている。王政府としても、いつまでもあの倉庫のような施設を丸ごと借り上げておくわけにはいかないのだ。故に、製鉄所敷地を囲う壁が完成し次第、人員の移送が開始されることになっている。工程は既に最終段階に入っており、異常がなければ、それは数日中にも行われる見通しなのである。


 クレムリンで丸まる三毛猫は、にゃーと鳴いて同居人を見遣る。


 居留地の建設は第二常備軍設立準備室の責任で行うものとされている。それはつまり、同居人の指導力が早速試されるということでもある。ここまで大過なく事を進めてきたこの小娘ではあるが、その無防備な寝顔を眺めていると何とも不安が募る。身分制度の建前はともかく、同居人の実態は単なる小娘に過ぎないのだ。果たして、今日面談を終えたあの大人数を適切に指揮統制できるのだろうか。


 疑問は尽きないが、かといって、考えたところで何か気の利いた答えを導けるわけでもない。なるようになるだろうと気楽に結論した三毛猫は、聖域たる籠の中で転がると、より現実的な問題──今日の晩御飯の予想について考えを巡らせるのだった。


やっと続きが書けました。何だか無暗に長くなりました;;

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