猫の下剋上
不意に目が覚めたのは、夜が明けて間もない早朝のことだった。レーニンは小さくうにゃんと鳴くと、クレムリンの中から転がり出でる。早寝の為か妙に目が醒めてしまい、二度寝に失敗したのだ。
暫くその辺で転がりながら毛繕いなどしていた三毛猫だが、ふと思い至って天蓋付の無駄に大きな寝台を覗き込む。そこには金色と銀色、二人の姫君が一緒になって眠っていた。勿論、片方は姫君ではないのだが、隣の暴君と同じ丈の長い寝巻のお陰か、外観はどうにも少女のそれである。ついでに、凶暴なお隣さんが容赦なく抱き付いてくるものだから、いかにも寝苦しそうにしている。何とも不憫な景色である。
しかし、想定の範囲内であることも事実だった。この少年には、元より同居人相手に我を通すほどの能力などないのである。事態に流されるまま、なるようになるのは必定というべき結果だった。
もっとも、この状況はレーニンからすれば願ってもない好機でもある。小娘の矮小な体躯では、同時に抱えられるオブジェクトは一つまでに過ぎない。つまり、現状ならば、特に危険を冒すことなく、この猛獣のような同居人に肉薄することができるのである。
そっと寝台に飛び乗った三毛猫は、猫らしい身のこなしでそっと同居人に忍び寄る。
目指すはこの少女の長い耳である。昨晩の痴態をもう一度、折角訪れた好機なのである。判明した同居人の脆弱点に痛打を加え、戦略的優位を実現するための行動を起こさない理由がないのだ。
ゆっくりと時間をかけ位置についた三毛猫は、それから静かに舌を伸ばし、同居人の長耳の、尖った先端をそっと撫でるように舐めてみる。
「にゃ?」
反応は迅速なものだった。一瞬その長耳を跳ねあげると、同居人はより一層強く隣の少年に縋りつく。それでも目が覚めたりしないのは、この少女の低血圧の賜物である。華奢な容姿からも想像される通り、同居人はあまり寝起きがよくないのだ。
さしあたり反撃のないことを確認した三毛猫は、それから本格的に耳を舐め始める。
果たして昨日のエリオは何をどう間違えたのだろうか。耳の裏側を丹念に舐めてあげると、同居人はうにゃと鳴いて悶える。実にちょろいものである。それでも容赦なく舐め続けると、次第に鳴き声から角が取れて、甘い響きを含むようになる。親猫に甘える仔猫の趣である。
同時に、その四肢から徐々に力が抜けていることも観測できる。先程まで隣の少年をきつく抱き寄せていた腕も、今ではその位置関係を保持する機能しか果たしていない。昨晩、お姫様が実演してみせてくれた通りの展開である。この同居人を我が意のままに操り、三毛猫の小さな胸は一杯になる。
ここまでの工程は順調だった。しかし、そこから先がどうにもおかしいのだ。
「みゃー」
お姫様の示した標準プロファイルに従えば、更にその長耳を刺激し続けることで同居人を完全に屈服させ、誰が上位者であるかこの小娘に教育することができるはずなのである。確かに、運動機能は既に著しく低下し、同居人は甘く鳴きながら緩慢な動作をすることしかできていない。順調とも思えるのだが、時々、長耳を離して状況を俯瞰すると、単に伸びて寛いでいるだけのようにも見える。どうも舌技の鍛錬が足りないようで、今一歩のところで同居人を追い詰めきれていないのである。
流石に、この同居人を単純に喜ばせるのは癪に障る。結局、何か有用な成果を認められなかった三毛猫は一旦寝台の上を離脱した。そろそろサーラが出向き、朝の準備に着手する頃合いなのだ。この企みを気取られるのは拙い。レーニンは速やかにクレムリンで丸くなり、平穏な朝の情景を作り出す。
それから暫くして、案の定、サーラが居室に入ってくる。
彼女の朝の仕事は、同居人を風呂に放り込み、その身嗜みを整えてあげることである。そのために、まず、例の浴槽に付属する制御装置を操作して、湯を沸かすところから始める。そうした下準備を整えたところで、同居人を起こして、すぐに風呂に入れてあげるのである。妖精姫を存分に愛でることができるし、寝起きのあまりよくない彼女をしっかりと覚醒させられるのだから、上手くできている。
そういうわけで、サーラは寝惚け眼の同居人と、更に眠そうなエリオを強引に寝台から引きずり出すと、手際よく服を脱がせていく。兵は拙速を尊ぶというが、あの少年が事態を認識し、有効なリアクションをとる前に既成事実を積み上げてしまう算段らしい。電撃戦である。寝たふりをしながらちらちらと様子を窺う三毛猫は、その恐ろしい企みに微かに震える。
変事が明らかとなったのは、そんな折の事である。
「あらあら?」
「ふに?」
サーラの驚きの声に、未だ意識が覚束ない同居人も思わず首を傾げる。それでも、この駄メイドに促されて視線を下に遣ると、流石に事態を把握したらしい。その目は大きく見開かれ、ついでに、その長い耳が力なく垂れ下がる。その視線の先を辿ってみれば、ドロワーズ様の下着、その股間の部分がぐっしょりと濡れていた。つまりは、そういうことである。
同居人が何か言おうとするが、その機先を制してサーラは何も言わずに同居人を抱き締める。何も言うな。全て承知している。事後対応は任せておけ。そう言わんばかりの態度である。こうなると、もはや同居人に為す術はない。何か勘違いしているこの駄メイドに、完全に主導権を奪われてしまった。
そんな景色をそれとなく窺っていた三毛猫は、固く目を閉ざして寝たふりを決め込む。思えば、この同居人、弱点の長耳を突くと、運動機能に障害が発生して全身の随意筋を弛緩させるのである。無論、尿道括約筋もその例外ではない。なんという脆弱性だろうか。この同居人、長耳を一定の方法で刺激されると、自動的に失禁するようにできているのである。そして、この脆弱性を突いたのがレーニンの策動である。
三毛猫は震える。意図していなかったとはいえ、明らかにやり過ぎた。
果たして、事態が露見したとき、じゃぶじゃぶされる程度で済むだろうか。正直に述べれば自信がない。庭園の池に遠投される程度は覚悟すべきだろうか。そんなことを考えていると、脳裏に『三味線』という単語が浮かび、背筋が凍る。まさかそんなことしまいと信じたい。しかし、一度浮かんだ疑念を消し去れるほど、レーニンはどうにもこの同居人の正気を信頼できなかった。
そんな間にも事態は着々と進展する。
同居人のせいでよく眠れなかったらしいエリオも、湯に漬けられると流石に覚醒するらしい。この段階に至りようやく状況を認識し、思わず叫びそうになった彼は、即座に同居人によって物理的に制圧されていた。華奢で非力に見える同居人だが、絞め技の心得もあるのだ。器用なものである。その華麗な手並みに、三毛猫も思わず感心せざるを得なかった。




