会談
一度方針が決まってしまえば、事を進めることにさほど時間は要しない。あの物置での密談から数日後、同居人は早速もふもふ王からの誘いを受けて、近所の教会へとお出かけを強いられることになった。レンブール教会のボス、ペンネ大司教との面談のためである。
実のところ、同居人はこれを非常に嫌がった。元より同居人の側には会談の理由などありはしないし、平素の言動通り、この小娘は科学体系の合理性のみを尊ぶ完璧な無神論者なのである。宗教とか信仰といったものとはあまりにも縁遠い。政治的にも大した価値を見出していないようで、それならば、自らの城である第二常備軍設立準備室に籠って工作に励んだ方が良いと駄々を捏ねたわけである。
そんな次第なので、困ったもふもふ王は秘密兵器を投入した。同居人に問答無用で言うことをきかせる魔法のカードを切ったのである。すなわち、ディート姫である。
もふもふ王が娘のお願いを無下にできないように、同居人もまた、お姉様の意向を無視し得ないのである。あのお姫様が「お父様を困らせてはいけませんわ」とやんわり窘めると、同居人はあっさりと折れた。かくして、この日、同居人と王国宗教界の頂点が会談する段取りが整えられたわけである。
大イベントである。しかし、正直なところ、レーニンはその場に立ち会いたいとは思わない。空気の読めない凶悪な小娘と、当地における神学論争の専門家との対話など、精神衛生上良いものとなるはずがないからである。内容自体に興味がないわけでもないが、結果さえ聞けば十分なものである。
それなのに、今、その戦場へと向かう馬車に揺られているのは果たしてどういうわけなのだろうか。丸くなったレーニンは思案する。どう考えても、この同居人に嵌められたのである。その悪辣な手口に、うにゃーと三毛猫は低い声で鳴く。
三毛猫が丸くなっているのは、麦藁で編まれた素朴な籠の中である。その中にふかふかの麦藁を敷き詰め、最後に肌触りの良い布を敷くことで居住性を確保している。可搬型猫用寝台、クレムリンである。レーガン閣下のホワイトハウスと並び立つ、猫の牙城である。同居人が約3分で組み立ててくれた。
同居人もたまには良い物を作るものである。その登場の当初、無垢な三毛猫はそう素朴に信じてしまったのだ。だから、遠慮なくその中で丸くなった。厚い藁の層がふかふかを実現し、籠の適度な狭さと相俟って心地よい。今朝もその中で暢気に丸くなり、無警戒に居眠りしてしまった。そして、目覚めてみれば、既にこの馬車の中だった。
「何だか機嫌が悪いように見えるが」
「寝ている間に移動したので状況が掴めていないのでしょう。暫くすれば落ち着くはずなのです」
もっともらしいことを言って、同居人は三毛猫の頭を撫でる。この小動物にとって幸いなのは、今日は余所行きの衣装であるため、この小娘が猫を抱くことを戒められている事だろうか。白を基調に、金糸の刺繍で彩った神聖な趣を湛えるドレスである。猫の毛がつけば大いに目立つのだ。お陰で、この状況にあっても、レーニンがいつも大切にする自身の胸骨はしっかりと守られている。
そのうち、同居人のなでなで攻勢が一段落すると、うにゃんと一鳴き、三毛猫は顔を上げる。
一見して高貴な姫君という装いの同居人だが、よく見ると、ひとつ明らかにおかしなアクセサリをつけている。首輪である。カウベルのような大きな鈴がとりつけられている。
これが何かといえば、ディート姫が同居人に贈った魔法器である。一応、名目としては迷子防止のためのアクセサリということになっている。鈴にちょっとした仕掛けがしてあって、対となるハンドベルを鳴らすと、首輪の鈴も同期して鳴り始めるという代物である。事実上、ブザーを首からぶら下げているに等しい。同居人が迷子になった場合、これを全力で鳴らすことで、捜索の一助とするわけである。
要するに、同居人が逃亡してもすぐに見つけられるようにするための道具である。勿論、勝手に外したりしないように施錠もされている。お姫様が管理する鍵を使わなければ外せない。
当初は奇矯な贈り物だとしか思わなかったこの首輪だが、今にして思えば、もうちょっとその意味合いを考えるべきだったのだ。同居人が逃げても簡単に追えるようになった以上、従来型の逃亡阻止策を実施する必要もない。つまり、この三毛猫を猫質として城に抑留する意味もなくなったのである。だからこそ、レーニンは今、こうして同居人と一緒に馬車に揺られているのである。
既にして空気は悪い。もふもふ王と対面する同居人は殆ど口を開かない。相手側も似たような状況だが、こちらは話すきっかけを掴めないだけのようである。その豊かな髭を撫でながら思案している。そんな最前線に、三毛猫は希望しないのに送り込まれたわけである。
「そういえば、未だに何も食べていないというが、その、大丈夫なのかな?」
「水と光があればさしあたり大丈夫なのです」
「エルフというのは、そういうものなのか?」
「そういうものなのです」
「そうなのか……」
時々、もふもふ王が果敢なアプローチを試みるが、やはり話は広がらない。それにしても、仮にも一国の最高権力者を相手に、同居人はよくここまで非友好的な態度を貫けるものである。傍で丸くなる三毛猫としては、その胆力に驚嘆を禁じ得ない。
同居人がまたしれっと新たなエルフ設定を盛ったが、もはやこの辺に関して、三毛猫としては特に思うところもない。最近、この小娘をただ耳が長いだけのホモ・サピエンスだと思うことに限界を感じていたのだ。一緒に居る時間の長いレーニンですら、この同居人が水か茶以外のものを口にしたところを見たことがない。これはもう、霊長類に関する生物分類学的知見に対して喧嘩を売るため現世に舞い降りた妖精さんと解釈する他ないのである。三毛猫が地球に戻って最初にやりたいことは、然るべき研究機関に対し同居人の生体サンプルを提供して、その鑑定を依頼することである。
そんな気まずい時間を過ごすうちに、いつしか馬車は目的地である教会、メフィル大聖堂へと到着していた。立地としては王城のご近所である。物理的距離は大したことないはずだが、ここに至るまでの道程は永遠にも思える程に長かった。
予め待機していた教会騎士団の誘導に従い、馬車は大聖堂の奥まったところへと進んでいく。あくまでも非公式の会合である。どうやら、会談は教会行政部門の庁舎でひっそりと行われるらしい。職員通用口と思しき扉に馬車を横付けして建物に入ると、一行は護衛に囲まれて、更に薄暗い奥へと進んでいく。
無駄に天井の高い権威主義的な廊下を進むこと暫し、案内されたのは会議室である。やはり、扉が無駄に大きい。そんな扉を衛兵の人に開いてもらうと、中には既に、一人の老人が佇んでいた。
今回の会談の相手方、王国教会最高幹部であるところのペンネ大司教である。
事前情報に従えば、彼は教会内部における『古典派』の首領である。よりわかりよい言葉を使えば穏健派である。神の最後の被造物たる人間の優位を肯定しつつも、同じ神の被造物たる他種族の善導と保護を掲げている。所詮は人間用の宗教なので独善的な印象は否めないが、ニーヴァルンディ教会を中心とする『正統派』が人間の優越と支配の肯定、つまり、ライデール帝国の苛烈な亜人政策を精神的に支えていることと比べれば、穏健と呼ぶに足りる考え方である。
更に言えば、ペンネ大司教はその中でも改良主義的な進歩派である。博愛主義者とでも呼べば良いのだろうか。高位聖職者の家系に生まれ、教会監察局や聖務局といった教会行政の中枢部局で経験を積んで大司教にまで上り詰めた人物だが、その割には亜人や異教徒に穏健な姿勢をとる。世間的には一応エルフ、つまり、亜人の一種ということになっている同居人が勇者などという大役を任されているのも、この老人の寛容によるところが大きい。ある意味で、勇者ヴィオル擁立の真の功労者である。
巨大で保守的な教会組織の中にあって、それだけ我を通すことができるのだから、間違いなく傑物の類である。しかし、レーニンの眼前に佇むのは、そういった前評判をさっぱり感じさせない、人好きのする笑みを浮かべる小さなおじいちゃんである。銀糸が眩しい純白のマントと、大きな宝石が輝く帽子がその地位を教えてくれてはいるが、正直なところ、三毛猫は拍子抜けしてしまう。
「これはこれは、ようこそ国王陛下。本日は御足労頂きありがとうございます」
大司教は帽子をとると、ゆっくりともふもふ王の方へと歩み寄る。対するもふもふ王も会議室の奥へ進み、大司教と固く握手を交わす。流石に同居人は大きいものの、大きなもふもふ王と比べると、頭一つ分小さい。別に権力と体躯は全く次元の違う問題だと承知してはいるが、不思議な景色である。
「こちらこそ、無理を言って申し訳ない。大司教猊下。この場を設けて頂き感謝します」
それにしても、一見していかにも親密な間柄である。実際、彼らは同居人を丸め込むという目的で共闘する同志なのだから、当然の事理なのだろうか。そんなやりとりが一巡すると、二人の視線は会議室の入口に佇む同居人へと向けられる。
「そして、彼女が我々の希望というわけですか。なるほどなるほど」
大司教は同居人を見遣ると、すっと目を細めて穏やかに笑う。眩しい物を見るような、そんな趣でもある。果たしてそこにどんな含意があるのか、油断なく三毛猫は思索を巡らせる。しかし、そんな策動を看破されたのだろうか。老人がじっと同居人の手元、クレムリンに鎮座する三毛猫へと視線を向けてきたので、レーニンは思わず尻尾をぴんと立てて固まってしまう。穏やかながらも、硬質な意思を湛えた視線に、相手はやはり権力者なのだと認識を新たにした。
「王立第二常備軍設立準備室室長、ヴィオル・マーラフェルトです。以後お見知りおきを」
「この教会を預かっているペンネです。お会いできて光栄ですよ、マーラフェルト卿」
そんな間に、同居人と大司教の挨拶も恙なく終了する。とりあえず、最初から喧嘩を始めることは回避された格好である。横でもふもふ王が安堵の溜息をついていた。白獅子のようなこの雄大なおじさんも、同居人に関することでは色々と気苦労が絶えないようである。
大司教の勧めに従い同居人が着席すると、早速本題である会談が始まる。ちなみに、三毛猫のポジションは机の上である。どうして鉄火場の最前線に放り出してくれるのか。仕方がないので籠の中で小さく丸まって、大人しく事の成り行きを窺っている。
元より同居人に奴隷解放を促すのがこの会談の趣旨である。大司教は穏やかかつ丁寧に、当地における奴隷制度の非違を指摘する。大陸の全ての人間は神の被造物であり、神の前に平等なのである。それにも関わらず、力で他者を抑圧し、道具として酷使することでその労働力を搾り取る奴隷の使役は忌むべき行いなのである。大要そんな内容の事柄を、大司教はこの困った幼子に告げて行く。
予防線を張ることも忘れない。宗教上の建前はどうあれ、世俗の法において奴隷の売買や使役は合法であり、教会もその現状を事実上黙認している。鉱業、海運、大規模土木事業などにおいてその存在が必要だからである。しかし、そんな現実は、同居人に奴隷の使役を認める理由とはならないと大司教は説く。何故ならば、同居人は勇者様だからである。
同居人は自らの地位を軍事顧問か産業技術政策アドバイザーという程度にしか思っていないだろうが、少なくとも、教会からしてみれば、勇者とは当地における人類の抵抗意思の象徴なのである。ある意味では善性の体現者でなければならない。大司教は説く。人の上に立つ以上、どんなにつまらなく思えても、建前を蔑にしてはならないと。上位者が範を示さなければ、下の者がついてくるはずがないのである。だからこそ、勇者である同居人は、人倫を重んじ、世に正道を示さなければならないのである。よって、奴隷を解放すべきである。大司教はそのように言葉を結ぶ。
これに対して、同居人の反応は極めて明快だった。
「では、可能な者については奴隷身分から解放し、適当な条件で雇用契約を結びましょう」
「えっ?」
まさかの受諾である。これには、思わず三毛猫もにゃ?と首を傾げてしまった。
しかし、思い直せば道理なのである。さしあたり同居人が欲しいのは労働力なのであって、それが得られるならば、その形式はさほど重要ではない。しかも、ここには労働基準法どころか、工場法すら存在しない。その気になれば、どんな労働条件でも設定可能なのだ。ある意味で資本家の楽園のような環境である。どうやら同居人は体よく看板を掛け替えて、教会の批判をすり抜けることにしたらしい。
何にせよ、これにて問題の半分は解決である。勿論、実質的には何も解決していないのだが、政治的駆け引きの経験は豊富であろうペンネ大司教も、この種の法律構成の話に持ち込むと咄嗟には対応できないらしい。聖職者の限界なのだろうか。流石に胡散臭いものを感じて大司教が口を開こうとするが、同居人は機先を制し、畳みかけるように話を切り出す。残りの半分の問題を片付けるためである。
「問題は、解放しようがない方々の処遇をどうすべきなのかなのです。放逐すれば良いのでしょうか」
「これはこれは、また難しいところを突いてきますね」
しれっと問いかける同居人に、大司教は努めて笑顔を作りながら応じる。
同居人が何を言い始めたかといえば、『当然の奴隷身分』に属する者の取扱いに関する事柄である。
一般に、奴隷には負債を原因とする債務奴隷、刑罰の一種である犯罪奴隷、戦争捕虜の後始末である戦争奴隷の三種類及び、これらの者を親に持ち奴隷身分を承継する承継奴隷の計四種類が存在すると説明される。しかし、実のところ、この説明には不足がある。神の下の平等という教会の論理が通用しない異教徒、そして、そもそも人間ではない亜人の取扱いに関しては、更に別異な考慮が働くのである。これがいわゆる『当然の奴隷身分』と呼ばれるものである。
四類型の奴隷身分が『人』の取り扱いを定めるものであるならば、こちらは『家畜』の換語表現に他ならない。社会通念上、『人』として認められる範囲が狭い故に、どうしてもそういう類型が登場してしまうのである。そして、そんな人々は自律的な個人として存在することが想定も許容もされないために、奴隷身分からの解放という概念がそもそも成立しないのである。
存在構造に違いはあれども、取り扱いに特段の差異があるわけでもない。特に東方には獣人が多いこともあり、そこから二重の意味で気兼ねなく使える奴隷が粛々と輸入されている。当然ながら、同居人が強引に横取りしたドルニアさんの財産にも、そのような東方出身者が少なからず含まれている。同居人が問うているのは、その処遇の如何である。
強引に解放しても、別の誰かに拾われるだけである。
換価するにしても、奴隷取引で利鞘を稼ぐのは、勇者の廉潔性との関係で如何なものか。
故国に送り返すことなど論外である。誰がその送料を負担するというのか。
いっそ、亜人差別を撤廃して奴隷解放を実効あらしめるものとするという超解決法もないではないが、それをするにはあまりにも銃も薬も秘密警察要員も足りていない。
そんな事情である。残り半分の問題の帰趨は存外、袋小路なのである。
「結局、彼らに関しては、このまま私の管理下に置くことが最もその身分と生活を安定させる術であると見るべきでしょう。法令上、奴隷であることに違いはありませんが、実質的には私の庇護民のようなものです。奴隷の所有と使役を白眼視する風潮があることは理解しますが、そのような事情を明かせば、些かなりとも市井の理解を得られるのではないでしょうか」
「いやいや、しかしですね」
「では、より良い方策がおありになるのでしょうか。大司教猊下」
淡々と迫る同居人に、いよいよ大司教は答えに窮する。
実のところ、隣で神妙に成り行きを見守っているもふもふ王が身銭を切って奴隷の返送を請け負うとでも言えば一件落着なのだが、既にしてその道は封じられている。経済合理性を無視して同居人の提案を妨げる真意を問われうるからである。この小さな勇者様の機嫌を下手に損ねると面倒なことになるのは、召喚初日の一件で既に証明済みのことである。
一瞬、大司教ともふもふ王が目を合せる。もふもふ王は小さく首を振り、大司教も小さく頷いた。
「うーむ、なるほどなるほど、貴卿の言にも一理あるようですね」
穏やかに大司教が同居人の提案を肯定する。戦線後退の狼煙である。
「しかし、こう申し上げては何ですが、貴方が裏で非道な行いをしないとも限らない。私ども教会としては絶対にそのようなことがないとの確約が欲しいのです」
「つまり、監視役を置きたいと?」
「お話が早くて助かります」
大司教は同居人の提示したスキームを呑む代わりに、その運用を実効的に監査することにしたらしい。醜聞があっても揉み消せば足るのではないかと心の汚れた三毛猫は素朴に思うのだが、博愛主義者の面目躍如といったところか、勇者と呼ばれる存在にそのような非道な振る舞いを許すつもりはないらしい。
「手隙の時間に私の事業を手伝って頂けるのなら、受け入れに異存ありませんが」
同居人はちらりともふもふ王を見遣る。それに応えるように、国王は首を縦に振った。
「勇者の清廉さが教会によって証立てられるというならば、王国としても願ってもないことですが……」
「ふむふむ、では、決まりですね」
そんな次第で、関係者の胃を害すると危惧されていた同居人と大司教の会談は、あっさりと合意に達した。同居人は確保した労働力をさしあたり維持し、教会側は国王の賛同のもと、新たにこの不穏な勇者様にお目付け役をつける権利を得た。そして、同居人はこのお目付け役を労働力へと転化する心算である。内容的に見て同居人の勝利と言って過言ではない。
実のところ、こんなにあっさりと事が片付くとは誰も想定していなかったのだ。予定していた会談の時間が大幅に余ったため、同居人のお目付け役を選定する余裕すらあった。ついでに、大司教としても、これから教会の命運を託す勇者様の人柄について知っておきたいという思いがあったらしい。結局そのまま無為な歓談が続けられる運びとなった。
内容は努めて当たり障りのないものである。同居人の郷里やこれから手がける製鉄事業の概要、それから、王城での生活といった事柄である。幸い、同居人の堕落した日常やお姉様との爛れた関係はさほど関心を惹くものではなかったらしいが、同居人の首で光る鈴に関しては若干思うところがあったらしい。
「お姉様が迷子防止用につけてくれたのです」と淡々と語るこの小娘を、大司教は何か可哀想なものを見るように優しく見つめていた。
それから、当然ながら、火の粉は三毛猫の方にも飛んできた。会談の最中、どういうわけか、ずっと机の上に佇んでいたのである。気にならないはずがない。
「さてさて、そういえば、猫がお好きなようですね」
「もふもふでにゃーにゃーで素敵なのです」
平生の如く淡々とした同居人の回答はもはや人語の体を為していないが、意図は伝わったらしい。大司教も、もふもふ王も、安堵したように穏やかな表情を浮かべている。どうやらこの得体の知れない小娘にも人間性の端緒が存在すると確認できて、ほっと一息といったところらしい。
レーニンはふと、悪寒を感じて振り返る。
同居人はと言えば、どういうわけか、もふもふ王の方向を静かにじっと見つめている。それに気付いたもふもふ王がゆっくりと首を振るが、同居人は微動だにしない。根負けしたのだろうか、やがて、もふもふ王が諦めたように首肯する。彼らは一体何のやり取りをしているのか。急速に嫌な予感が膨れ上がる。
「猫の毛がつくと手入れが大変なのだが」
「まあまあ、素直なことは良い事です」
やはりそういうことか。理解した時にはもう既に何もかも手遅れだった。腹に背に、忍び寄る冷たい感覚に、思わず三毛猫は身を硬くする。今日は高級そうなドレスだからと油断していたのだ。大司教との会談が概ね纏まった今となっては、体面を取り繕う意味もなくなったらしい。我慢できなくなった同居人がついに抱き付いてきたのである。
結局、こうなってしまうのか。容赦なく締め上げられる胸骨の軋みを感じながら、レーニンは地の底から響くような声色で、うにゃーと低く、長く鳴いた。




