裏側
勇者とは何か。実のところ、レンブール王国の法制上、その地位には明確な定義も根拠も存在しない。当然の話である。そもそも、勇者召喚それ自体が、隣国ライデールが擁立した勇者への対抗措置なのだ。元より政治的都合で設けられた臨時の役職に過ぎない。しかも、その任務も魔王軍の掃討というような荒事ではなく、広く民衆を啓蒙し、大衆扇動のための偶像となることである。こんな特異な存在に、予め明確なキャリアパスが用意されているはずもない。勇者の道とは常に暗中模索である。
同居人は良いのだ。あれの性根は存外気楽である。近現代の技術史から適当なテーマを見繕ってきては、それをこの世界で再現してみせることで日々の暇を潰している。電力が足りないとか、ネットに繋がっていないといった些末な問題はあるにせよ、関係各所の協力もあり、生活には特に不自由していない。
だから、頭を抱え、胃を痛めているのは役者ではなく、演出家の方である。あの我の強いお嬢様を操縦し、どうにか理想の劇を演じさせなければならない。未だ諦めたわけではないのだ。王国が戦後世界で生き残るためには、今回の戦争における何か顕著な貢献が必要である。せめて、ライデールの成果を希釈する材料を用意しなければならない。王国の軍事力には自ずと限界がある以上、それは成果ではなく印象、勇者という偶像のもつ感銘力に他ならない。
では、それをどのようにして獲得すべきか。この国で上から数えた方が早い要職を占める男達が昼間から王政府庁舎の片隅に位置する小さな物置に籠っているのは、まさにその方策を検討するためである。
「今は静かなものだが、南の連中を抑えるにも限界があるな。それに、いい加減教会も焦れている。幾らなんでも時間をかけ過ぎた。そろそろ手を打たねばまずいぞ」
「わかっている。わかってはいるのだが」
「確かに、切り出し辛いか。あのお嬢さんを怒らせるのは、なかなか勇気が要るからな」
宰相と国王が顔を見合わせ、溜息をつく。釣られてレーニンもうにゃーと重々しく鳴いた。
どうして一介の三毛猫がこんな偉いおじさんの謀議に紛れ込んでいるかといえば、あの合衆国大統領を避けて城内を散歩している最中、このもふもふ王に捕獲されてしまったからである。全くもって不覚だった。けれど、この王様は同居人のように胸骨に耐えがたい圧迫を加えるような無粋な人間ではない。面倒なのでそのまま流れに身を委ねてみたところ、こんなところに連れ込まれた次第である。
埃っぽい空気はどうにも不快だが、彼らの話は色々と示唆に富む。例えば、どのようにして『勇者』を作るのか、その目論見を図らずも見聞できたことは僥倖だった。
偶像の感銘力、或いは、カリスマといったものは、最終的には属人的な資質と能力の問題だが、ある程度ならば人為的に糊塗することができる。例えば、勇者召喚という手続そのものがその手段である。魔法技術の精華たる実体召喚術の秘儀と、世界の外側から招かれた者という出自が、その対象の性質それ自体とは無関係に、ある種の神秘性を定型的に付与してくれる。この物語だけで、勇者という存在は十分に百凡から区別された、特別な存在となれるのである。
もっとも、これでは万人を感化するという水準には至らないため、別の手段を併用する。権力による勇者の承認である。上位の権威から選定された存在は、やはりその対象の性質とは無関係に、ある種の特別な価値を帯びる。人間とは権威に弱い動物だからである。
ここで少々面倒な話が必要となる。勇者を選定する権威の担い手は、実は二人存在するのだ。
その片方はレンブール国王レオーニ、つまり、膝の上の三毛猫を撫でるもふもふ王その人である。彼は世俗権力の長なのだから、当然の成り行きである。そして、もう片方はメフィル教会の長であるペンネ大司教である。五教会首位大司教、厳密な説明を省けば、この世界の宗教権力の頂点に君臨する事実上の教皇である。この二人の承認によって、勇者と言う偶像は真に有効なものとなる。
当初の予定では、勇者召喚後、レオーニ国王が勇者に魔王軍討伐と救世の任を与え、ペンネ大司教がその使命を聖務として祝福するという手続が予定されていた。ところが、呼ばれて飛び出たのは、箪笥の中のプラスチック爆弾で容赦なく城を吹き飛ばす、凶悪なお嬢様である。国王すら恫喝してみせる獰猛さに、これでは儀式の正常な進行は危ういと、手続は一時停止、王国の責任で様子を見ることになった。
幸いにして、その後の同居人は比較的大人しかった。そこで、国王としては手続を再開する意向を教会側に打診したのだ。しかし、その返答は王国側に再考を促すものだった。
「奴隷か。まさか、教会がこれほど神経質になるとはな」
「教会にも色々あるということだな。ニーヴァルンディ大司教への体面もあるのだろう」
「しかし、今更手放せというのも。うむ、どうすればお前のご主人を怒らせずに説得できるだろうか」
もふもふ王が抱き上げながら問うてくるので、三毛猫は首を傾げてにゃーと低く鳴く。あの小娘は報復と処断の権化なのである。約束を反故になどすれば、まず穏便には済まない。そんなレーニンの所見が伝わったのか、国王は深く溜息をつく。
「しかし、奴隷など使って、小娘は一体何をするつもりなのだ。聞けば、軍を作るのではないのだろう? 鉱山でも掘ろうというのか?」
ここまで黙っていた腕を組んだ老軍人が不機嫌そうに問いかける。ずんぐりとした逞しい体躯も相俟って、実に厳めしい風貌である。三毛猫も初めて見る、王立常備軍総長カイラル将軍その人である。
「鉄を作るそうだ。詳しいことは知らん」
「何だそれは。ますます面妖だな」
「まあ、悪い話ではない。教会の意向がなければお任せするのだがな」
そう述べ終えると、もふもふ王は今一度、大仰に溜息をつく。
教会が何を問題としているかといえば、勇者様である同居人が奴隷を所有することである。神の前の平等を説くその建前から、他の人間を道具として酷使し、搾取する奴隷制は許容し難いものであるらしい。実際、どこの教会も、奴隷制には反対の立場を貫いている。
しかしながら、現実をみれば、経過措置や社会的必要の名目で、未だ奴隷制は存在したままである。付け加えるなら、被支配階級たる農民の職業選択や転居の自由に対しては、その制約を肯定している。極めて不徹底な態度である。これが天賦人権論以前の社会における限界と言えるかもしれない。
要するに、奴隷の所有は、倫理上あまり推奨されないが、事実上、必要悪として許容される程度の行為なのである。それにも関わらず教会が噛みつくのは、教会政治の都合が深く関係する。
宗教的権威の面で五教会筆頭の地位にあるメフィル教会だが、こと政治力に関しては、長くニーヴァルンディ教会の挑戦を受け続けている立場にある。大陸をほぼ平定したライデール帝国の威光を受けての策動である。彼らの主張に従えば、世俗の権力の所在に従って、宗教的指導力の所在もまた改められるべきということらしい。何とも乱暴な立論だが、軍事力の裏付けがある故に、その論には説得力がある。
実のところ、世俗君主と教会が一致して勇者を推挙するという構造は、ライデールの勇者召喚を範とするものである。レンブール王国にとって、勇者召喚が帝国との均衡を回復するための措置であるのと同様、メフィル教会にとっても、独自の勇者を擁立することでニーヴァルンディ教会の後塵を拝することを回避したいという思惑がある。つまり、事は面子の問題なのである。
教会とて我慢していないわけではないのだ。亜人の女児を勇者として承認するというのは、並々ならぬ妥協である。勇者が何かと言えば、人類社会を外敵から防衛する武威の象徴なのだ。幾らエルフが人間と対等以上の扱いを受けるとはいえ、それを旗印に掲げることには抵抗がある。女児というのも都合が悪い。能力さえあれば性別も門地も問わない合理主義の気風が漂うこの王国だが、それでも女性や子供は基本的には護られるべき弱者というのが基本的な了解である。それに護られるのだから、快いはずもない。
勿論、物は言いようである。それを逆手にとって、幼い戦乙女を演出することも不可能ではない。だからこそ、教会は世間体の悪い奴隷の使役に対して難色を示すのである。レンブールの勇者を迎え撃つニーヴァルンディ教会にとって、それは格好の攻撃材料である。勇者の権威が失墜すれば、その影響は自然と後援者たる王国と教会へと波及する。ただでさえ、道具として仕立てるのに手間がかかる勇者様なのである。せめて、表向きは品行方正で居て欲しいというのが教会の偽らざる本音である。
「相手は異界の、しかも、エルフだ。我らの神を前に膝を折ってくれるなら助かるが、敬虔さを期待するのは望み薄だ。あのお嬢さん自身には教会の支援など不要だろうから、尚更な」
「しかし、それでは困るのだ」
教会の後援は勇者という偶像を完成させるのに必要不可欠なものである。彼らの承認は勇者に権威を付与するのみならず、反対派に対する威嚇と抑止力になるのだ。そう、厳然として存在するのである、この勇者召喚という茶番に疑念を抱く層が。今まで、三毛猫は特にその存在を感じたことはなかったが、それは単に、第一の貴族としてこの王国に君臨するもふもふ王がその権力によって抑えてきたに過ぎない。
王国の勇者召喚が結局のところ戦後世界を睨んだ保身のためであるならば、反対派の論拠もまた保身である。独自の勇者を擁立し帝国の勇者と並び立たせるというのは、体裁としては戦力の増強、援軍の提供となるが、その実質は帝国への不信任であり、離反である。帝国と境界を接する辺縁部、とりわけ、ロゼニアの帝国遣南軍団に対する南方諸侯からは、不用意な挑発だと水面下で異論が上がっていた。メフィルの暴挙を帝国が正そうとすれば、まず南部が戦場となるからである。
南部における王国の統治基盤はさほど強固なものではない。実のところ、そこは歴史的に見て、レンブール王国ではないのだ。僅か半世紀前、ロゼニア戦争の結果獲得した新領に過ぎない。
そんな土地柄である。国際貿易都市であるメフィルを擁し、国内には他に比肩するもののない王家だが、それでも、いつまでも南部の懸念と警戒を抑えつけられるわけではないのだ。だからこそ、神権を代行する教会の権威付けが必要なのである。
想像以上にこの王様も危ない橋を渡っていたのだな、というのが三毛猫の感想である。
そういう次第で、王国は教会と気紛れな勇者様との間で苦悩を強いられていた。所詮はお子様であり、早晩仕事を投げ出して隠居を決め込むと見られていた同居人だが、何だかんだで技術部門の要人として地位を築き、しぶとくその体面を堅持している。その現実がじわじわと響いてきた格好である。
「さて、どうしたものかな。調整は我々の役目だが」
「やむを得ない。近いうちに大司教とあのお嬢さんを引き合わせることとしよう」
「いいのか?」
「正直気が進まないが、このままでは埒が明かない。直接やり合って貰った上で落としどころを見つけるより他ないだろう」
折衝の機会を与えるというのは、王国側にできるぎりぎりの妥協でもある。そんな配慮をして貰える程度には、同居人の意向は尊重されているらしい。
「とにかく、今癇癪を起されて出て行かれでもしたら大事なのだ。ディートがあのお嬢さんのことを大層気に入っている。勇者という話を抜きにしても、城内に残って貰わねば困る」
お姫様効果も大いにあるらしい。このもふもふ王、娘にはとにかく甘いのである。
懸案について一応の方針が纏まると、後は細々とした近況報告が続く。特に一同の注意を惹いたのは、あの目立つことこの上ない、『塔』の光柱の話題である。その景色の異様さに、王立常備軍は緊急出動の一歩手前まで行っていたのだ。現場の封鎖のために呼ばれた宰相閣下が気を利かせて伝令を走らせたから良かったものの、一歩間違えれば無用の混乱を生じさせるところだった。
「しかし、結局あれは何だったのだ?」
「お嬢さん曰く、明り取りの魔術が暴走したらしい。まあ、あの少年も規格外だからな」
「それであの地獄の釜ができるのか。本当に魔術はよくわからんな」
将軍は首を捻る。厳めしい見目の割に、妙に愛嬌のある仕草だった。そんな彼を穏やかな微笑みで眺めていた宰相は、はたと何かを思い出して、もふもふ王に問いかける。
「そういえば、お嬢さんは自分で首輪を外してしまったようだな。これからどうする?」
「大分反省して貰ったようだから、儂からは何もしない。後のことはディートに任せることにした」
「ほう、姫様に」
「何故かあのお嬢さんが懐いているのだ。まあ、多少のことなら上手く宥めてくれることだろう」
そうあっさりと述べるもふもふ王だが、表情を見れば些か釈然としないものがあることが窺える。やはり、同居人の豹変が理解し難いところがあるのだろう。レーニンにすら今一つよくわからないのだから、当然のことである。
最後にロゼニアの帝国遣南軍団に目立った動きがないことを簡単に確認して、会合は終了となった。帝都が魔王軍に脅かされているというのに、彼らを王国に張り付けて動かさないあたり、ニーヴァルンディのお偉いさん方はやる気満々のようである。これでは、戦後の展開に対して王国が疑念を抱くのも無理はない。最悪の場合、魔王軍との決着がつく前に国境が火を噴きかねない情勢である。
同居人と少年が遊んでいる間にも、情勢は着実に動いているのである。そんなことを思いながら、レーニンは王様に抱えられて運ばれて行くのだった。
たまには政治劇っぽい話をしてみました!




