わんこのレーガン
現在の王都メフィルは、古代帝国時代の市域のうち、リーム川南岸部分の市街地を市壁で囲ったものである。そんな歴史的経緯故に、市壁の外にも建物らしきものが散在している。打ち捨てられ、長年風雨に曝された結果、その殆どは崩落してしまったのだが、それでも基礎や地下部分に限定すれば、今なおその原型を留めるものが幾らか存在する。さながら、人工の洞穴である。
そういった場所には、よからぬ輩が巣食い易いのだ。その代表格が盗賊の類である。王都に繋がる街道は、即ち、国内陸上輸送の大動脈に他ならない。それでいて、無数の廃墟によって物陰と死角に困らないこの場所は、実に商隊の襲撃に適している。奥まった場所を選べば、根城にも丁度良い。
勿論、真っ当な商取引に税をかけ、その上がりを掠め取っている王侯貴族からすれば、彼らの存在はあまり愉快なものではない。それ故に、対策がとられる。王立騎士団によるパトロール活動である。
強い日差しが降り注ぐ中、騎乗したニューラがのんびりと市域の外側を散歩しているのも、そんな王国の健全な商取引の発展と租税収入を護持するための治安維持活動の一環である。未だ所属の定まらない見習い騎士ということもあり、研修がてら、警務総隊管轄の巡回任務に駆り出されたのである。
それ自体は退屈極まりない仕事だが、ニューラからすれば願ってもない機会だった。市外の廃墟に設営した拠点から早々に通信機材を回収したかったのだが、下手に見習い騎士などという身分を得てしまったが故に、なかなか王都の市壁をすり抜ける機会を得られなかったのだ。昔のように下水道を使って抜け出せば後始末が大変であるし、市門から堂々と出るのは目立ちすぎるのである。その点、今回は正規の任務として市外に赴けるのだから、何とも有難い事だった。
グレースヴィールとの連絡を回復し、今後の対応に関してお伺いを立てられるようになるまで、あともう少しである。逸る気持ちは何とも抑え難い。しかし、遺憾なことに、その時はもう少し先になりそうだった。理由は極めて単純である。乗馬であるカロテン君がさっぱり走ってくれないのだ。乗馬経験の殆どないニューラでもあっさり乗りこなせる大人しい馬だが、同時に、とてもマイペースなのである。
「カロテン、カロテン。もーちょっとやる気を出して貰えないかな?」
鬣を撫でながら頼んでみるが、カロテンの歩調はさっぱり変わらない。鞭をぺちぺちと入れれば走ってくれるのだろうが、あまり速すぎると今度はニューラが怖くて仕方がないのだ。結局、素直に馬がやる気を出してくれるまで待つほかない。それまでは、他にできることもないため、周囲をきょろきょろと見回しながら、王国の敵の発見と捕捉に勤めていた。
そんな最中のことである。廃墟の只中で、不意にカロテンが足を止める。
その背に揺られるニューラはそっと馬の頭を撫でて落ち着くように促すと、軽やかな所作で飛び降りる。取り出したのは、腰にぶら下げた短剣である。あまり騎士らしくない得物だが、軽くて扱い易いので、ニューラは重宝している。そんな物騒な代物を取り出したのは他でもない、物陰に何者かの気配を察したからである。数こそ少ないが、それは寧ろ、事態の深刻さを窺わせる事実に他ならない。
「カロテン、相手を確かめたら全力で逃げるよ。準備しててね」
ニューラの指示に、馬は暢気に嘶いて応える。のんびり屋さんだが、おバカではないのだ。
忘れ去られた地下の遺構に棲み付くのは、必ずしも盗賊の類だけではない。時として、より厄介な存在のねぐらともなる。いわゆる、魔物である。厳密には、王立騎士団指定有害鳥獣等という。
人間に危害を加えるか否かが指定における判断基準である。下限を見れば、何故か普通の野犬や鴉が含まれているものの、基本的にそのリストは生命の危険を生じるような危険生物で埋まっている。『塔』の学者が興味を持つような、魔術を扱う術を心得た魔物は特に危険である。少数で挑み、返り討ちにされたという話は古今枚挙に暇がないため、一隊以上をもってこれに当たるのが通則とされている。
もっとも、隊を動かすというのは、相応に高コストな行為でもある。そこに確実な脅威が存在すると知れなければ、騎士団が実際の行動を起こすことは難しい。非力な一般市民ならいざ知らず、ニューラは見習いとはいえ、一応、騎士なのである。脅威が何か確認する程度はしなければならない。
幸い、敵情を窺う仕事は得意である。明らかに怪しい地下への入口を見つけると、ニューラは一気に駆け寄り、適当な物陰で身を隠す。小さく呟くのは、呪文の詠唱である。
「顕現」
起動文言を唱えると、左手の掌中に小さな光のつぶてが生まれる。軍用投擲光源魔術、魔術の取り扱いに不慣れな一般兵科でも柔軟な運用を可能とする、ちょっぴり高級な光源魔術である。空気を掴むような、それでいて確かに存在する反発力を確かめると、ニューラはそれを穴倉へと放り投げる。仮想的な重さと手触りを与えられた光の塊は、壁や地面で弾みながら暗闇の奥へと落ちて行く。そして、次の瞬間──
「とっつげきー」
塊が弾け、常闇の地下空間に光が溢れる。投擲光源魔術のちょっと気の利いた応用法、持続時間を犠牲に光量を増し、目潰しとする用法である。突入支援用ということで、教範にも記載がある。
突然の閃光に驚いている隙に踏み込み、相手を確認するというのが今回の作戦である。勿論、その後は全力で逃げるまでである。しかし、短剣を片手に意気揚々と踏み込んだニューラは、そこで思わず固まってしまう。なんというか、ちょっと予想外のものが目に入ってしまったのだ。
地下に居たのは、確かに魔物だった。平たく言えば、巨大な犬である。或いは狼なのかもしれないが、その辺の機微はニューラにはわかりかねた。もふもふの毛並みは銀色で、腹の方は雪のような純白である。
そんな巨体が地下室にみっちりと詰まっている。ニューラは思わず首を捻る。
「えーっと、これは、もしかして、挟まって出られない系?」
「……わふん」
弱々しい鳴き声は、言うまでもなく肯定を示していた。
人語を朧げにでも理解する賢い魔物なのに、何故かその巨体を狭い地下室に押し込んでしまったらしい。お間抜けさんである。ニューラは溜息ひとつ、手にした短剣を鞘に収める。巨大な魔物を屠る好機ではあるが、無抵抗な間抜けを屠る趣味など持ち合わせてはいないのだ。
「しかし、これはどうしたものかなー」
厄介なものを見つけたものである。その処遇は追々考えるものとして、さしあたり、ニューラはその魅力的なもふもふの毛並みに飛びつくのだった。
──それから数時間後、ニューラの姿は意外なところにあった。『塔』C研究棟の屋根の上、明らかに立地がおかしいことで関係者に定評のある、第二常備軍設立準備室棟の前である。
魔王軍の尖兵としては敵の中枢部、その懐に飛び込んだ格好である。しかし、それが2階建てのこぢんまりとした建物となれば、緊張感よりも拍子抜けの感が勝る。それに、ニューラは別に情報収集の目的でここを訪れているわけではない。王立騎士団職員としての、立派な任務があるのである。
「……で、あれは何をしてるところなの?」
「魔術の鍛錬を兼ねて、その辺をお掃除してもらっているのです」
「この衣装には何か特別な意味が?」
「ただの作業着です」
設立準備室棟の隣で展開されている行為について思わず尋ねてしまったのも、単純に好奇心故のことである。聞かなければ、寧ろ怪しいとすら言える。首輪を嵌めた銀髪のちびっ子メイドが、短い杖をくるくると回しながら旋風と戯れているのである。非魔術師の一般人としては、流石に説明が欲しかった。
「そっか。私としてはこの方が違和感がなくていいんだけどね」
エリオ秘書官が男性だという事実は承知しているが、ニューラは女装している状態の彼としか会ったことがないのだ。幸い似合っていることもあり、どうせならばこの小さな幻想を守り通して欲しいというのが偽りのない気持である。そんな感想をさらりと述べると、新米騎士は長耳の勇者様に向き直る。
彼女は、既にしてもふもふに飛び込んでいた。
「簡単に事情は聞いています。この子を保護した貴方の決断は賞賛されるべきでしょう」
「それはどうも。こっちもヴィオルが貰ってくれて嬉しいよ」
「わふん」
鼻先で展開する会話を適当に聞き流しつつ、巨大な銀色の犬が暢気に鳴く。
もふもふの毛並みは七難隠す、とは先程ニューラが思いついた格言である。元より無抵抗な生物を害そうという気概はなかったが、抱き付いてみたら実に心地よかったので、思わず助けたくなってしまったのだ。光源魔術で周囲を照らしつつ引っ掛かっている箇所を探し、慎重に護身用の手刀魔術で破砕することで、どうにか、この間抜けな巨大犬の行動を回復した。情熱に突き動かされたと言ってよい。
正直、その後のことなど全く考えていなかったのだが、大きさの割に大人しいこの犬は、素直にニューラについてきてくれた。自分より巨大な捕食生物の存在に、カロテン君の歩行速度が早歩きになったことは、嬉しい収穫だった。お陰で、道草を食ったというのに、当初予測よりも迅速に通信機材を回収することができた。
大人しい性格のため、道中、その取扱いに関して困るような事態にはならなかったが、いざ連れて帰ると、その処遇を巡って王立騎士団は動揺した。魔物を生け捕りにするなど、過去に前例がなかったのだ。
筋論で言えば殺処分が順当なところだが、その攻撃性の希薄さが当然の帰結を妨げた。最初に頭を抱えたのは市門の警備隊長だった。次に、本部からやって来た警務総隊魔物駆除班の担当者が、更に、対応を検討するために送られてきた法務官が首を傾げた。とりあえず、魔物が暴れて市中に不測の被害を及ぼすことを避けるため、王城に護送されることとなったが、その結果、今度はジンガ団長を筆頭とする騎士団幹部が揃って苦悩する羽目になった。誰も素直にその処分を決断できなかったのである。
そのうち、偉い方々はこの無害そうな生物を殺さずに済む方法を考え始めた。しかし、一応魔物でもあるので、生半可なところに引き渡すと、後日悲しいことになる恐れもある。適格者の条件は厳しかった。
そんな時に、偶然近所を通りがかったサーラが、こんなことを漏らしたのである。
「大きくてもふもふですね。勇者様が見たら喜びそうです」
この厄介者を押し付ける相手として、『塔』の妖精姫が浮上した瞬間である。
かくして、交渉が持たれた。騎士団からこの巨大生物の引取が打診され、長耳の勇者様はこれをあっさりと受諾した。ニューラに与えられた任務は、品物を『塔』にあるオフィスにお届けし、ついでに、第一発見者として必要な情報を提供することである。
「でも、特に説明すべきこともないよね」
眼前の景色を眺めながら、ニューラは微笑む。適当なところで寝そべったこの犬は、その胴にエルフの少女が取り付いても取り乱すことはなく、寧ろ、抱擁するようにそのふわふわした尻尾を丸め、優しく撫でてあげている。その気性は元より穏やからしい。
そんな和やかな景色の影で蠢くのは、勇者様の愛猫、三毛猫のレーニン君である。明らかにおかしなサイズの犬が襲来したのだから、普通の小動物であるこの猫が警戒を強めるのは当然の道理だった。二本ある尻尾をぴんと立て、物陰に隠れながら事態の推移を注視している。
その姿を確認して、急にニューラの悪戯心が刺激された。逆らい難い衝動だった。故に、そろりと情報収集活動に勤しむ三毛猫の背後に回り込むと、そっと胴に手を回して抱き上げる。驚いた三毛猫は、しかし、暴れるようなことはなく、緩慢に相手を見上げてにゃ?と鳴く。ニューラもにゃーと返事した。
「ほらほら、ご主人様、寂しくて大きなあの子に浮気しちゃったよ。貴方が最近冷たいから」
優しく、しかし、逃がさないようにしっかりとガードしながら、ニューラは三毛猫に囁きかける。まるで嫉妬と不和を煽る悪魔の囁きである。囚われた小動物はいかにも怪訝そうにうにゃと鳴く。
「失礼な。大モフと小モフは元より別類型なのです。これは浮気でも何でもないのです」
抗議の声は思わぬところから飛んできた。ニューラは三毛猫に囁いたのだが、妖精姫の長耳は些細な声も聞き漏らさないようである。見事な地獄耳である。ニューラは特記事項として記憶する。
「また、斬新な類型論を展開するね」
「細かいことはいいのです。さあ、レーニンもこっちに来て、大モフと小モフが合わさり最強に見える現象を適当に引き起こすのです」
妖精姫は大きな犬にもたれ掛りつつ、貪欲に三毛猫をも手に入れようと両腕を伸ばす。これに応じて、ニューラも抱えたその身柄を優しく解放してあげた。けれど、レーニンは地面に座ったまま動かない。じっと主人を見つめ、それから一瞬だけ振り返ってニューラの表情を確認すると、にゃーんと一鳴き、逃げるように設立準備室棟の中へと走り去ってしまった。
「やっぱり三毛猫君、ちょっと冷たい?」
「そんなことはないのです。レーニンと私は仲良しなのです」
「じゃあ、最後にもふもふしたのは、いつ?」
「それは、それは……」
珍しく言い淀んだ妖精姫は、ぷいっと顔を背けると、より一層激しく大きな犬をもふもふし始める。どうやら、痛いところを突いたらしい。そんな傷心の姫君を、ふわふわの毛並みは寛大に受け入れる。
何となく流れで突っ込んでしまったが、これは流石に気まずい雰囲気である。故に、ニューラは慌てて問いかける。早々に話題を転換したかったのだ。
「そ、そういえば、その子に名前とかつけてあげないの?」
「うーん、そうですね、では、レーガンにしましょう」
「なるほど。よくわからないけど、いい響きだね」
「冷戦を終結に導いた功労者の名前です。そういうわけで、今日から貴方はレーガンなのです」
妖精姫は大きな犬の鼻先を撫でながら淡々と告げる。犬の方もわふと一鳴き、尻尾を振って応えているので、特に不満はないらしい。もっとも、局外にはまた違った考慮があるようである。レーガンという命名に、ぶみゃと猫を踏みつけたような鳴き声が響く。レーニンの驚きの声である。屋内に逃げ込んだと見せかけて、建物の中からこっそり聞き耳を立てていたらしい。
「何だか三毛猫君、びっくりしたみたいだけど」
「きっと気のせいなのです」
「本当にそうなのかなぁ」
ニューラが慎重に室内を覗き込むと、壁から頭だけを出す三毛猫と目が合う。何となく、ニューラがにゃーと挨拶すると、にゃーと返事が返ってきた。
「しかし、猫ってかわいいよね」
「レーニンはあげないのです」
「だっ、誰もそんなことは言ってないから! 安心して!」
淡々と、しかし、どういうわけかその金色の双眸に涙を湛えて抗議する妖精姫に、流石のニューラも疲れを覚える。とりあえず、この長耳の勇者様の猫好きは尋常ではない。その点を特記事項として記憶する。
どうにかこの困ったお姫様を宥めたこの新米騎士は、早々に残りの仕事を片付けることとする。第一に、魔物の使役と飼育に関する制度は王国に存在しないこと、第二に、それ故に、レーガンが暴れた場合には現場判断で即座に騎士団が鎮圧と駆除に当たることを告げた。どちらも王立騎士団本部からの伝言である。事後に協議する時間などある筈もないため、今予め通告しなければならなかったのだ。
「だそうです、レーガン。暴れてはいけないのです」
「わふん」
幸いにして、心配はなさそうだった。
これで為すべきことは終えた。ニューラは早速撤退しようと行動に移るが、その機先を制するように妖精姫がこんな申出をしてくる。
「ところで、レーガンのもふもふにはまだ若干の余裕があります。貴方も如何ですか?」
あまりにも抗い難い誘惑だった。
言われるがままその柔らかな毛並みを堪能していると、やがて掃除を終えたエリオも隣に加わる。巨大ではあるが、何分致命的に貫禄に欠ける犬である。その緩慢な所作も相俟って、触れ合うことにあまり抵抗は覚えなかったようである。寧ろ、ニューラの存在に戸惑ったらしい。それでも、この新米騎士が「今日もかわいいね!」と自分に偽りのない感想を告げると、苦笑しながらありがとうと礼を述べ、緊張を解いてくれた。
結局、ニューラが実際に帰途についたのは、様子見に来たサーラに怒られた後のことである。厳密には、その前に見回りに来たピエトロにも怒られたのだが、妖精姫にまだ若干余裕があると誘われて、彼もこの巨大なもふもふに囚われてしまったのだ。ミイラ取りがミイラになった格好である。新米騎士と護衛騎士は並んで勇者様警護主任からお説教を受けた後、ちょっと騎士団本部の方まで連行されることとなった。
その道中、ニューラはぼんやりと思考する。流石にレーガン級のもふもふは不可能だが、自分も何か手頃なもふもふが欲しいという衝動に駆られたのだ。あまり期待はできないが、何か飼って良いものがないか、後で騎士団宿舎規則を調べよう。そんなことを心に誓うのだった。
名前:レーガン
種族:魔物(王立騎士団指定有害鳥獣等[野犬])
スキル:
魅了(もふもふの毛並みで人を惹きつける。常時発動)
巨大(大きいので魅了の効果がアップする。常時発動)




