災厄の魔術師
昼食の後、同居人が赴いたのは『塔』と呼ばれる所以であるところの暁の塔、その麓に鎮座する王立魔術院事務局である。同居人が使用を申請したのは実技練習に利用する練兵場なのだが、どうやら先方にも色々と事情があるらしい。まず担当者と合流して欲しいと指示されたのである。
もっとも、指示通り窓口に出向き用件を伝えてみれば、今度は担当者不在のため暫くお待ちくださいと告げられるのだから、何とも見事な手並みだと言わざるを得ない。暇を持て余した同居人が甘えてくれるので、付き添いのサーラは何とも嬉しそうだが、名目上護衛としてついてきたピエトロは口をへの字に結んで順当に不機嫌オーラを漂わせている。普段はとぼけた所作に紛れて気付かないが、一応、現職の特務騎士だけあって、真面目にしていれば、野武士のような野性味と精悍さが漂うのだ。その圧力を最前線で受ける窓口職員の人が明らかに狼狽えている。
「まあ、魔術師って変な人が多いし、事務局もこのくらい横暴じゃないと務まらないんだよ」
一人冷静に事態を論評するエリオに、その頭上に陣取った三毛猫はにゃーと相槌を打つ。元々は近衛魔術師隊の所属だけに、事務局の所業についてはよく承知しているらしい。その言葉の端々から諦観が滲み出ている。年端も行かぬ少年に何を達観させているのだろうか。油断ならぬと三毛猫は気を引き締める。
その間にも事態は進展する。どうも優しい同居人は怯えた窓口の人を慮り、その眼力を以ってピエトロを抑止しようとしたらしいが、肝心の窓口の人がその金色の深淵を覗き込み、遂に泡を吹いて倒れてしまったのだ。コラテラルダメージというやつである。流石の同居人も長耳を垂れ下げて押し黙る。
待ち人が現れたのは、そんな悲劇のすぐ後のことである。
「申し訳ありません、マーラフェルト卿。コレを確保するのに少々手間取りました」
つかつかと無遠慮に歩み寄るのは、鮮やかな赤毛と黒縁眼鏡が特徴的な女性である。長い髪はお下げに纏め、妖しい光を湛えるレンズの向こうに覗くのは、知性と意思を湛えた栗色の瞳である。一見すると魔術師に見える丈の長い黒衣は、実のところ、ただの制服である。王立魔術院事務局職員、チュチーリア女史。事務局における同居人のカウンターパートにして、今回の担当者である。
そんな彼女が強引に引き摺っているのは、こちらも女性の魔術師である。後ろで束ねた髪は青みを帯びた銀色で、そこはかとなく露出度の高い法衣から覗くのは日に焼けた小麦色の肌である。
「コレとは何だ、コレとは!」
「黙りなさい。まだ口答えするなら、今後一切、始末書は全部自分で書いてもらいます」
「くっ、卑怯だぞ、チュチーリア!」
卑怯なのだろうか。三毛猫は首を捻るが、別に考えるまでもなかった。
「さて、その残念な生き物は何ですか?」
「残念とは何だ、この性悪エルフ!」
「近衛魔術師隊のエレオノーラ・ローエル副長です。施設保全のため必要なので、事務局の権限で確保、以後、実験の間は同行させます。ご了承ください」
副長といえばそれなりに偉そうなものだが、この魔術師にそういう貫禄はさっぱりない。狼のように牙を剥き、その青い瞳で鋭く同居人を睨みつけている。対する同居人も、その凶悪な金色の瞳で応戦するものだから、もはやちょっとした怪獣大戦争である。そんな景色を目の当たりにして、エリオが溜息をつく。
「師匠、何やってるんですか」
「ええい、うるさいっ。今ここで退けばこの小娘に舐められ続けるだろう。止めてくれるな」
ローエル師はきっぱりと残念な台詞を言い放つ。まるで犬のような理屈である。
そんな睨み合いは長くは続かなかった。溜息ひとつ、チュチーリア女史が蹴りを入れて、この残念魔術師を黙らせたのである。露出している下腹部の辺りに容赦のない一撃を貰って、ローエル師は崩れ落ちる。その景色に、三毛猫の背筋も凍る。
「貴方達の仲などどうでも良いですが、面倒事は私の仕事が終わってからにしてください」
「ふ……ふぁい……」
「解ればよろしい」
毅然と言い放つと、チュチーリア女史は蹲って動けなくなったローエル師の肩に手を回し、強引に立ち上がらせる。それから、無防備に曝された腹部に更に三発程フックを叩き込んで、追い打ちをかけた。どうやら、大人しい方が扱い易いので、状態を調整しているらしい。何とも鬼畜な所業である。居た堪れなくなって三毛猫が視線を逸らすと、素直にドン引きしているピエトロと目が合った。
「お……ぼえて……ろ……」
「では、出発しましょう」
それでも、チュチーリア女史は揺らがない。その淡々とした物言いに促され、一行は出発する。
「あれでも、隊では上から数えた方が早いくらいの現象術の使い手なんだ。その他はさっぱりダメだけどね。資料を探したり、部屋を掃除したりするのは僕の仕事だったよ」
三毛猫の冷たい視線に気付いたのだろうか。容赦なく引き摺られるダメ魔術師について、エリオが解説を加える。フォローのつもりなのだろうが、その意の通りになっていない辺りに、彼女の人柄が感じられて仕方がない。しかし、師匠がアレで、今の上司は同居人である。上役に恵まれない少年だと思うと、途端にレーニンは悲しい気持ちになる。
「しかし、師匠、いつの間に副長になったんだろう」
「……先日の一件で随分減ったからな。頃合いなのが居ないと押し付けられた」
何気ない弟子の疑問に、どうやら若干回復したらしいローエル師が絞り出すような声で答えてくれる。
「ところで、久しいなエリオ。息災か。そこの性悪に苛められふげっ」
「喧嘩は後にしてください」
無慈悲な打撃がローエル師の腹部を襲う。今回の打撃はよく効いたようで、そのままぐったりして動かなくなった。この展開に、少年は苦笑いを禁じ得ない。後ろから事の成り行きを見守っていたピエトロも同様である。外見こそ騎士らしからぬだらしなさだが、中身はサーラより遥かに常識的なのである。
故に、彼は問わずにはいわれなかったのだ。
「しかし、そこまでしてローエルさんを引っ張る意味ってあるんですかね。エリオ君の師匠筋とはいえ、ただ術を試すのに魔術師隊の副長を持ち出してくるのは、少々大袈裟すぎないかと」
三毛猫もにゃーと鳴いて追随する。どうにも話が繋がらないのだ。エリオの能力を確認するだけなのに、どういうわけか、施設の保全がどうという大きな話になっている。
しかし、これはチュチーリア女史には意外な問いかけだったらしい。目を泳がせ、何かを思案する。それでも、すぐ何かに思い至ったようである。特に険もなく、ピエトロの問に淡々と答える。
「まあ、騎士団の方には奇異に見えるのも当然のことでしょう。しかし、『災厄の魔術師』が出るとなれば、この程度の対応は必要不可欠です。御理解頂きたく思います」
「何です? その、『災厄の魔術師』って」
「彼のことですよ」
どうやら、エリオのことらしい。
何とも物騒な二つ名で呼ばれた少年は、特に不快感を示すことも、反論することもなく、ただ曖昧な笑みを浮かべている。そんな様子に、溜息ひとつ、チュチーリア女史が更に言葉を紡ぐ。
「彼の才能は本物です。誰もそのことを疑っていません。ただ、それだけに、誰もどう指導していいのかわからないのです。そのせいで時々酷いことに。まあ、その辺はもうすぐ直に確認できるでしょう」
「はあ」
「きっと、大成すれば稀代の魔術師として歴史に名を残すのでしょうが、その時まで施設がもたないと言いますか、ナイゼル総監閣下がマーラフェルト卿の研究開発活動を援助するよう指示されているので断れないのですが、できれば国軍の演習場でやって欲しいと言いますか……ああもう」
どうやらこの事務職員、エリオをフォローしてあげたいらしいが、その血潮に滾る事務局精神が災いして部署の本音も一緒に漏れ出てしまうらしい。照れ隠しなのか何なのか、首を振りながら、担いでいるローエル師の腹に更に何発かパンチを叩き込む。何とも不条理な景色である。仕方がないので、レーニンが二本ある尻尾でぺちぺちと少年の肩を叩き、慰めてあげる。
ちなみに、サーラの方は、少年のこの何とも言えない評判を事前に承知していたらしい。警護と監視の対象たる同居人の周辺事情として、事前にきちんとブリーフィングを受けていたのだ。そうなると、ピエトロが知らない方がおかしいのだが、その辺の事情はサーラの一言が明瞭に説明してくれた。
「ほら、ピエトロ、難しいことは苦手だし、いいかなって」
この護衛騎士の立ち位置がよくわかった瞬間である。彼はその扱いに少なからぬ衝撃を受けたようだが、酷薄なサーラと同居人は勿論フォローなどしてあげない。結局、三毛猫がその肩に飛び移って、慰めてあげる羽目となった。
そんな調子で進むこと暫し、目的地である練兵場に到着する。
通常、練兵場といえば、軍隊が集団行軍や陣形転換を練習するためのだだっ広い土地を意味するが、魔術師の牙城であるところの『塔』では些か事情が異なる。それは、要するに魔術訓練施設を意味する語なのだ。規格と安定を志向する軍や騎士団とは異なり、『塔』が尊ぶのは純粋な個人技能だからである。その辺は組織の色が出ているとも言える。
そんな事情を反映して、『塔』の練兵場は独特の形状をしている。僻地に住む魔術師なら気兼ねなく無人の原野に魔術をぶっ放せば足りるだろうが、ここは研究棟の上に建物が建つ程に混沌としているのだ。地面を円形に掘って、その法面を石垣で補強することで、魔術によって生じる衝撃が遠くに行かないよう工夫されている。狭いところで訓練を可能とするための苦肉の策といったところだろうか。
「ここが我々の用意できる中で最も大きな練兵場です」
案内されたのは、チュチーリア女史の言う通り、幾つか並んでいる中で一際大きな練兵場である。直径は50m、深さは10mといったところか。戦術級軍用攻性現象術、対集団戦を念頭に置く高位術式にも対応できる施設とのことだが、外観は完全に干からびた貯水池である。
壁際に設置された階段を下ると、この事務職員は担いできたローエル師を揺さぶり、起こし始める。何か恨みでもあるのだろうかと思わせるほど荒っぽい取り扱いである。頭が前後に激しく動くたび、頚椎は大丈夫だろうかと心配にならざるを得ない。
「師匠……」
「大丈夫、コレは驚くほど頑丈です。目覚め次第、練兵場に結界を貼らせますので、暫しお待ちを」
「では、その間に打ち合わせを済ませてしまいましょう」
そう言って、エリオに近付くのは同居人である。
「それで、僕は何をすればいいの?」
「難しいことはありません。中心に向けて簡単な魔術、そうですね、光の球を作ってみてください。細々としたことはこちらで受け持ちますから、お気軽にどうぞ」
「そう言われてもなぁ」
エリオは何とも釈然としない様子だが、要求自体は特に難しいものではない。早々に話は終わり、少年は練兵場の中央へと歩いて行く。その間、チュチーリア女史の懸命の努力が実を結び、ローエル師を目覚めさせることに成功する。勿論、彼女が最初にとった行動は、この暴力的な事務職員に掴みかかり拳を交えて熱烈に抗議することである。
しかし、彼女の弟子がもうすぐ魔術を使うのだと伝えると、態度は一変する。慌てて飛びあがると、何やらぶつぶつと呟いた後、「とりゃぁ」とか「えいやぁ」とか「うおぉ」という掛け声と共に、腕を振り回す。傍から見て間抜けと言う他ない景色だが、推察するに魔術の行使である。五感で感じ取れる変化がないので三毛猫にはさっぱり実感がないが、恐らく結界魔術なのだろうと理解する。
力尽きたのか、ローエル師がぱたんと倒れ伏したところで準備は完了である。チュチーリア女史の合図を受け、同居人がエリオに実施の指示を出す。始まるのは、光源魔術の呪文詠唱である。朗々と、詩吟の如く紡がれるのは、明らかに日本語ではない未知の言葉である。詠唱用の魔術言語とみえる。
あらゆる魔術を予動なしで行使する同居人のせいで、今一つレーニンには実感が湧かないのだが、聞くところによれば、光の球、いわゆる光源魔術はあらゆる魔術の中でも最も簡単な部類に属するものであるらしい。それ故に、魔術教育カリキュラムの最初に位置付けられる、基礎中の基礎術式とされている。
理由は幾つかある。第一に挙げられるのは、その安全性である。光源魔術が形成するのは完全な冷光源なのだから、およそ、人に害を与えるような暴発の心配がない。故に、教える側にとって安心なのである。
これはまた、魔術実技の重要な要素である試行錯誤を試し易いという特性にも繋がる。一言で光球と括っても、色、形状、指向性、光度、持続時間、光源力場の併進運動および回転運動制御、その時系列変化を考えれば、その実態は極めて多様なものであることが容易に推察できる。たかが光の球ではあるが、それでも、高等魔術と通底する要素をきちんと具備しているのである。故に、教材として申し分ない。
更に言えば、単純に日常生活上便利な魔術であることも理由である。夜道を照らし、戸棚の奥を照らし、煩わしい薄暗闇を取り払ってくれるのだ。下手な攻性現象術などよりよほど使用頻度が高い。
──結局はその程度の術式なのだが、エリオの詠唱が進む程に緊張が高まる。概ね、この事務職員の伝えた不穏な言説が原因である。その帰結を確かめるべく、三毛猫は護衛騎士の肩から少年を見据える。
初歩の術式であるため、必要な詠唱は短い。習熟した魔術師ならば、一瞬で終わる程度のものである。それでも、少年がたっぷり1分程かけたのは、万が一にも失敗してはいけないと、きっちりと完全な形式に則ったためである。宣言、定義、効果、結合の四節により形成された形而上の歪みは、最終節である起動文言に従い現世に顕現し、世界の事象を書き換える。詠唱の終了は、術式の構築が最終段階に至ったことを端的に知らせるものである。
そして、一瞬の間を置いて、その時は到来する。
「光よ!」
少年の起動文言。その導きに従い、差し出した両手の間に眩い光球が生まれる。仄かに照らすというよりは随分と光度の高い代物で、故にちょっと目に痛いが、取り立てて不都合な点は見られない。
「ってあれ?」
しかし、それはほんの刹那のことだった。
間抜けな声と共に、どういうわけか光球から闇が溢れ出す。黒い物質というよりは、のっぺりとした闇で領域の一部を塗り潰されている雰囲気である。それは瞬く間に光球を暗黒に染め上げ、暴力的な勢いで周囲に拡散する。エリオの姿が呑まれた次の瞬間、黒い暴流は三毛猫の眼前にまで迫っていた。
それから、不意に、空気の壁にぶつかるような衝撃を覚える。吹き飛ばされてはいけないと、レーニンは爪を立ててでも、護衛騎士の肩にしがみ付く。視界は真っ暗である。衝撃に目を閉じたのか、それとも、闇に視界を塗り潰されてしまったのか、思わず判断がつかなかった。
「何だ、これは」
ローエル師が思わず叫ぶ。どうやら、これは、エリオの師匠である彼女にも未経験の状況らしい。そんな中、常の通り淡々とした声が響く。相変わらず、揺らがない同居人のものである。
「申し訳ありません。被害抑止のためアブゾーバを展開しました。直ちに健康に影響はないので、ご安心ください」
自白だった。ならば、揺るがないのも当然である。
「何だそれは。というか、その言い回し、逆に不安になるんだが?」
「人は誰しも、そのうち直ちに健康に影響のある現象に直面します。気にしたら負けなのです」
「嘘でもいいから安全と言え、安全と」
「貴方は、それで本当に安心できるのですか?」
そんな無駄な言い合いを続けるうちに、闇は静かに引いて行き、徐々に視界が回復する。それに従い、周囲の状況も段々と明らかになる。
「ああ、もう、びっくりしたよ。何が起きたの?」
辺りを見回しながら、少年が立ち上がる。練兵場の中心に居た筈の彼は、どういう因果か、壁際にまで移動していた。吹き飛ばされたらしい。それでも、特に外傷がなさそうなのが幸いである。
「宣言通り、細々としたことを私の方でやっておきました。実験はひとまず成功です。後は、何が起きたのか、ゆっくりと観察することとしましょう」
淡々と述べると、同居人はゆっくりと練兵場の中央を指し示す。
そこには、眩い光球が浮かんでいた。少年の行使した光源魔術である。
日食時の太陽を見ているようだというのが、三毛猫の正直な感想である。同居人の小細工の影響である。地面には赫々と邪悪な輝きを放つ魔法陣が浮かび上がっており、円周部には『緩衝領域展開中。関係者以外立入禁止。』という何とも締まらない漢字が躍っている。緩衝とは、光を打ち消すことを意味しているらしい。お陰で、魔法陣の内側に広がる半球状領域は、遮光ガラスを通したかのように暗くなっている。
そんな領域に、眩い光球が浮かんでいるのである。
何も遮るものが無ければ、果たしてその眩しさはどれ程のものとなるだろうか。基本的には人畜無害な光源魔術だが、流石にこれは失明の危険性を考えずにはいられない。
だが、そんな危険も、真の問題と比べれば些末なものに過ぎない。
「えーっと、何か地面が融けてるんだけど、これってどういうこと?」
「大抵の物質は温めたら融けるのです」
「いや、そうじゃなくって……」
練兵場の床に敷かれた石材は、強烈な輻射を受けて融けている。表面には時々泡が浮かんでおり、耳を澄ませば、スープが沸き立つようなこぽこぽという穏やかな音が響いてきている。
「結果を見る限り、特に不都合な点はないようです。結論として、貴方の側に目立った問題はありません。非違があるとすれば、寧ろ、術式設計の側であるというべきです」
やはり淡々と述べると、同居人は常の如く、幻影魔術で図表を展開する。周期の異なる正弦波を並べたもの、説明のために簡略化された光のモデルである。本来ならば二重スリット実験等を示して光の波動性を論じるところから始めるべきだろうが、同居人はその辺をさっぱりとすっ飛ばす。強調するのは、光が波動であることを前提として、その周期によって『見えざる光』が存在するという事実である。可視領域外の電磁波のことである。これが可視光線と連続的なものであることが、同居人の論の要点である。
電磁波はその波長によって性質が変化する。代表的なものは、そのエネルギーをもって物質を破壊してみせる放射線の類だろうか。通信に欠かせない電波、電子レンジでお馴染みのマイクロ波も重要なものである。しかし、今回同居人が取り上げるのは、波長15~1000μmの電磁波、熱線とも呼ばれる遠赤外線である。焚火やストーブからも出ている暖かいヤツ、輻射熱の正体である。
「要するに、それが僕の光球から溢れ出してるの?」
「理解が早くて助かります」
同居人は少年をなでなでしてあげる。しかし、帰ってくるのはどこか疲れた笑みである。同居人も色々とすっ飛ばして簡略化に努めているが、類型的に面倒な話には違いない。実際、大人たちは涼しい顔で同居人の話を聞き流している。ローエル師に至っては、居眠りを始めている。自由な人である。
もっとも、そんな反応を気にするような同居人ではないから、淡々と話は続く。次の論点は光源魔術の構造と、その欠陥の指摘である。
一般には冷光源を形成する術式として認識される光源魔術だが、その本質は単なる電磁波発生魔術である。魔術だけにその作用機序は明らかではないが、同居人の示すところによれば、その実現形式は異なる周波数に強度的ピークを持つ電磁波を重ね合わせることにより、任意のスペクトルを持つ電磁波源を作り出すというものである。例の緩衝領域とやらを格子状に配置し、強引に回析格子を作って明らかにした事実である。地面に投射されたスペクトルは、自然光源のような連続なものではなく、十数個の強度的ピークの間を、相対的に薄暗い領域が繋ぐムラのあるものだった。
果たして、これが信頼できる観測結果なのかと言われれば、三毛猫としては躊躇を禁じ得ない。しかしながら、証拠は論より強いのである。さしあたり、認めないわけにはいかなかった。
「光の魔術は、基礎関数を変形しながら重ね合わせるだけの術式なのです。余計な成分を排除するような、気の利いた機能は存在しません。それ故に、演算の結果に熱線が含まれるならば、そのまま盛大に熱線が吐き出されてしまうのです」
「……それで、どうして熱線なんてものが混じるの?」
「それは基礎関数の性質の問題なのです」
今一度、強引に形成した回析格子が示す、光源魔術のスペクトルを見る。七色が連続して移り変わるその帯は、その強度においてどうにも凸凹しているが、しかし、輝線スペクトルのような離散的なものでもない。これは同居人が基礎関数と呼ぶ、原型たるパターンを持つ電磁波の性質を暗に示している。鋭いピークを持つことには違いないが、同時に、ある程度の分散も有しているのである。
魔術における入出力系の構造は全く明らかではないが、より強い魔力を与えれば、より強力な魔術効果が得られるという関係性は、経験的なものとして、広く魔術師の間で共有されるところである。全くの推測だが、その理は基礎関数にも同様に及ぶ。十分に魔力入力が低い時、この基礎関数は実用上問題ないインパルス応答として機能するのだろう。しかし、入力がより強大なものとなれば、状況は変わる。基礎関数の分散部分、通常は微小な誤差として無視される部分まで増幅されて、その影響が顕在化するのである。
つまり──
「大魔力で初歩的な光の魔術を使えば、自ずとこうなるのです」
この少年、力加減が全くできていないだけなのである。
「ええと、それで、僕はどうすればいいの?」
「もっと力を抜いて、気楽に魔術を扱うよう心掛けるべきなのです。術式それ自体に入力制限を組み込むのもよい考えです。フェイルセーフ設計は魔術においても採用されるべきなのです」
正論と言えば正論だが、果たしてそれでどうにかなるものなのだろうか。三毛猫は首を捻ってうにゃんと鳴く。常のことながら、同居人の立論はなかなか性急で、ついて行くのが大変なのである。そんな小動物の疲労を察したのか、護衛騎士が顎のあたりを撫でてくれる。ぶるぶるするのが心地よい。
「力加減で解決するなら苦労しないよ……」
「そういうことなら、もっと即物的な解決方法があるのです」
「えっ?」
驚きの声を上げるエリオを無視して、同居人はどこからともなく棒状の器具を取り出す。ダイヤルのような、回転する装飾部品のついた代物である。それを暫く指で弄ぶと、手を後頭部に回し、手探りで器具を首輪に押し込む。どうやら、対応する穴があったらしい。
「あっ、鍵、見つかったんだ」
「正確には、解錠コードの入力装置のようです。このダイヤルを正しく合せないと外せないとか」
「そのコードって、見つかったの?」
「いえ、恐らく何処にも残っていません。仕方がないので、総当たりで突破します」
「なるほど、豪気だね」
気楽なやりとりを交わすうちに、準備が完了したらしい。同居人が手を放すと、首輪の周囲に青い光のリングが出現する。首輪か鍵の機能かとも思われたが、それにしては見覚えのある代物である。記憶を辿り、レーニンはすぐにその正体に思い至る。いつか同居人がアイスクリームを作った時に展開した、冷却魔術の行使を示すシンボルである。
「その光は?」
「この首輪には、間違ったコードを入力すると首を焼く丁寧な仕掛けが仕込んであるのです。どうしようかと思いましたが、発熱するなら冷やせば良いと気付きました」
驚くほどの脳筋発想だが、確かに道理である。
コードの入力はダイヤルを回すことで行うが、手で回すと疲れるので、その辺の作業は魔術任せである。賢者の称号は伊達ではないのだ。かくして、試行は完全に魔術的に自動化され、後は待っているだけである。ダイヤルは1個12入力で、そんなダイヤルが5列あるから、とりうる解錠コードの数は約25万通り、結構な数なのだが、自動化されたアタックの前には風前の灯である。
かくして、待つこと数分、邪悪な意匠を施された魔封じの首輪は、あっさりと外れる。
「あっ」と悲しげな声を上げたのは、サーラである。思えばこの駄メイド、もふもふ王との約定による行動管理をいいことに、好き放題やってきたのである。その物理的な統制力の根拠が失われて、少なからず衝撃を受けているらしい。しかし、レーニンにはどうでも良い事である。
同居人自身には特に感慨などはないらしい。外れた首輪を掲げると、そろりとエリオの側に歩み寄る。そして、おもむろに、外したばかりのそれを少年の首に嵌めると、棒状の解錠コード入力装置を取り除く。
「えっ……ええっ?!」
「一見すると単なる照明機能付の首輪ですが、それは一応、魔術の発動を阻害する魔法器なのです。それを付けておけば、過剰入力対策になるのではないでしょうか」
「いや、そうかもしれないけど」
「まあ、とりあえず、試してみるのです」
同居人に勧められるまま、エリオは再び呪文の詠唱を開始する。今度はやけに短いのは、実践的な簡易詠唱の体裁をとるからである。準備を整えた少年は、小首を傾げながら起動文言を呟く。
「光よ?」
すると、掌中に仄かな光を放つ光球が生まれる。今度は、一般的な水準の光源魔術である。
「うーん、できた、できたけど、何か納得がいかないよ」
「こういうものは、総じて動けば何でもいいのです」
清々しいほどきっぱりと、同居人は言い放つ。この小娘にしてみれば、魔術とは問題解決のための道具に過ぎないのである。所定の結果が得られる限り、原理や過程などどうでも良い。それは、一応、真理の探究者である魔術師の端くれである少年とは相容れない態度だが、結果を出しているのは、現段階では同居人の方である。長い方に巻かれるほかなかった。
「さて、用は済みました。そろそろ戻りたいと思うのですが、その前に一つ片付けなければなりません」
「というと?」
「これは、どうすれば良いのでしょうか?」
淡々と問いかける同居人の視線の先には、半球状の緩衝領域に囚われた、致命的な熱量を吐き出す光球が存在する。名前の通り、照明用途に使われる光源魔術は、発動後、術者の制御を受けない撃ちっ放し型の現象術である。魔術師の作り出した理の歪みが拡散し、掻き消えるまで、その現象が消えることはない。
通常ならば数分で霧消する儚い光なのだが、この光球は相変わらず燦然と輝き、周囲を強熱し続けている。少年のちょっと恵まれ過ぎた魔力を考慮に入れるなら、当分消えることはないとみて間違いない。災厄の名に相応しい、何とも後始末に困る代物である。
「流石に、この緩衝領域を長時間展開し続けるのは苦しいのです」
「水を掛けたら消える……のかなぁ」
「それは、水蒸気爆発の恐れしかないのです」
特に有効な手立てを思いつかないのは、残りの大人達も同様だった。サーラとピエトロは元より騎士であって魔術師ではないし、チュチーリア女史も魔術の心得はあるらしいが、本分は事務屋である。唯一、現象術の専門家たる近衛魔術師隊のローエル副長のみは、術式の無力化や妨害を担う対抗魔術による光球の直接破壊というシナリオを提示してくれたが、これは失敗に終わった。「うりゃーっ」と掛け声ひとつ、光球に猛打を加えたのだが、元より単純な光源魔術は耐障害性が高いらしく、びくともしなかったのだ。
結局、その場ではどうしようもなく、事務局を通じて応援が要請された。やって来たのは枯れ木のような老魔術師、レンブール王国宰相レヴィナ閣下その人である。今でこそ王政府を預かる国政の重鎮だが、元々は恒久結界術の分野で顕著な業績を挙げた魔術師なのである。本業の仕事は久しぶりだと笑いながら、さっくりと術式設計を完了し、魔法陣を敷設、牛を一頭生贄に捧げて術式を起動し、練兵場ごと光球を封じ込めてくれた。お陰で、どうにか惨事を招かずに済んだ。
かくして、『塔』の中に期間限定の観光名所が出現することとなった。大地が融解、蒸発し、煤と埃が舞う地獄の釜である。閃光と微粒子の乱反射が作る光の柱は高く聳え、その不気味な姿は昼夜を問わず、また、城の内外を問わず確認することができた。幸い、光球は一週間ほどで消滅し、それに伴い事象は終結を迎えるのだが、その驚異の景色は、長く人々の記憶に焼きつくこととなった。
ということで、魔術のような、エセ物理のような話でした。
もう少しきちんと科学的方法論を導入したいところですが、現状、作者の能力が追い付いていなくて苦しいところです;;




