対面
あのお姫様も相当に頭のネジが緩い手合いらしい。茶会の会場たる円卓から幾らか離れた安全圏、大きな蛙らしき生物を象った石像の上に陣取った三毛猫は、観測事実を踏まえつつ、そのように結論する。
一体何が楽しいと言うのか。嫌がる相手を制し、その衣を剥いては着せるというサイクルを繰り返すこと幾数回、対する銀髪の姫君は、今は緋色を基調とした子供用のドレスという装いを強いられている。やはり、無駄に長い裾と大きく広がった袖が邪魔そうだが、若干時季に合わないケープなども付属していて、露出が控えめなところが幸いだろうか。今までの衣装の中では大人しい部類に入る。しかし、本来白いその頬は真っ赤に染まっていて、やはり恥ずかしいのだという事実を厳然と物語っていた。
「うーん、いいですわ」
「一体何が良いって言うんですかっ!」
うっとりと呟く姫君に鋭い突っ込みが飛ぶ。エリオの忍耐もここに至っていよいよ限界に達しているらしい。無理もないことである。三毛猫は宙を仰ぎ、天頂で瞬き始めた星々を見遣る。
当初は大した手間をとらせないという説明だったが、蓋を開いてみればこの通りである。一応、少年は事ある度に帰りたい旨を表明しているのだが、温和な微笑みを浮かべるお姫様は勿論そんなことを聞く耳など持たない。そんな次第である。昼から現在に至るまで、拘束は継続している。
もはやご愁傷様としか言いようのない状況ではある。しかし、傍観を決め込む三毛猫からすれば、好都合な点もある。漫然と引き延ばされる事態、その合間に交わされる言葉は格好の情報源なのである。故に、三毛猫は眼前の景色を注視する。それは、この三毛猫が内に秘める好奇心の発露であるが、同時に、油断の証でもあった。一方に集中すれば、他方への注意は否応なく散漫となるのだ。そんな当然の事理に気付かされた時、事態はもはや取り返しのつかないところまで進行していた。
「こんなところに居ましたか。貴方が賢明で助かりました」
涼やかな声で唐突に話しかけられ、思わず三毛猫は硬直する。危うく石像の頂から転げ落ちるところだった。そうなる前に気を持ち直せたのは僥倖という他ない。無意識にぴんと二本の尻尾を立てながら、恐る恐る、レーニンは背後を振り返る。身を隠すように石像の陰で縮まっているのは、案の定、見慣れた金髪の小娘である。小さくにゃーと挨拶すると、「にゃー」と返事が返ってくる。間違いなく本物だった。
三毛猫は首を捻る。不可解な点は数あるが、特に引っ掛かったのは在るべき者の不在である。同居人の手綱を握っているべきサーラがどういうわけか見当たらないのだ。首輪に繋がれた太い鎖はだらりと垂れて、地面に引き摺られるままとなっている。まるで逃げ出した猛獣である。
ふと、嫌な可能性が脳裏を過り、三毛猫は同居人の手を注視する。実力を以ってあの駄メイドを害したのではないかと懸念したのだ。幸い、返り血や抵抗による引っ掻き傷といった凶事の痕跡を見出すことはできなかったが、安心とは言い難い。そんなレーニンの不安が伝わったのだろうか。同居人は淡々と、独白めいた弁解を始める。
「サーラは私を謀ろうとしていたのです。素知らぬ顔で私をここに連れ込み、あの茶番に放り込もうと企んでいました。だから、軽く眠ってもらうことにしたのです」
眠るという言葉が妙に物騒に響くのは、単に同居人の人徳の賜物である。レーニンも一瞬、緊張で固まったが、よくよく聞けば字義通り、導眠魔術とやらで眠らせただけらしい。
あのお姫様も何度か名前を口にしていたサーラは、やはり、この茶番の背後で暗躍していたのである。何とも不可解なこの茶会だが、本命が同居人ということなら色々と納得できるところがある。
近時の堕落した同居人は、世話係を兼務するサーラに甘えっ放しである。それ故に、あの駄メイドが同居人を恣に操れると踏んだのも無理はない。しかし、この種の謀ではこの小娘も負けてはいないのだ。言明こそしなかったが、サーラが水面下で何か策動を繰り広げていることを薄々察知していたらしい。内覧からの帰りを遅らせたのも、一種の対抗手段としての意味合いがあったようである。
そんな暗闘の余波を食らったのがあの少年である。ちらりと円卓を窺ってみれば、熱烈な抗議も今は昔、お姫様に丸め込まれて今では淑女の嗜みに関する講義を受けている。もう、やりたい放題である。欲望の赴くまま、着せ替え人形にされている彼こそ今回の最大の被害者なのだが、同居人からすれば、これは織り込み済みの犠牲であるらしい。この件に対する態度はひたすらに冷ややかである。
「秘書官が主君のためにその身を犠牲にするのは日本政治の美しい伝統です。全ては秘書がやるのです。被害担当を務めてもらってもいいではありませんか」
何気に酷いことをしれっと言ってみせる。どれだけこの同居人の現代政治に対する認識は歪んでいるのだろうか。勿論、良いわけがないのだが、所詮、レーニンはただの猫である。同居人に説示すべき言語など持ってはいない。
それに、あらゆる手段を講じてあの死地に踏み込むことを回避する同居人の気持ちがわからないでもないのだ。胸骨を大切にする三毛猫と概ね同じ心境のはずである。時折、円卓の様子を窺っては、微かに震えている同居人を眺めて、レーニンはうにゃぁと歯切れの悪い鳴き声を漏らす。
しかし、解せない点もある。そんなに恐ろしいのならば、何故、こんな鉄火場の最寄り領域まで足を運んでいるのだろうか。同居人らしからぬ、無用のリスクである。サーラを眠らせたのはこの庭園の手前だというが、この位置にも必然性はない。同居人は油断なく、あの得体の知れない空の瞳すら呼び寄せているのである。同居人の握る林檎印の携帯機器、その液晶画面には、誘導の終着点たる茶会の模様がしっかりと映っていた。つまり、同居人は危険の所在を承知の上で、この場所に接近しているのである。
そんな三毛猫の疑問を氷解させたのは、同居人の所作である。猫相手に事のあらましを切々と語り終えた後、おもむろに石像の頂、レーニンに向かって手を伸ばし始めたのだ。いかにも、その胸に飛び込んでこいと言わんばかりの格好である。ここに至り、ようやく三毛猫は彼女の目的が自らの身柄であることを悟った。珍しいこともあるものである。石像の頂で身を低くし、三毛猫は思案する。
まさに、前門の茶会、後門の同居人である。気付けば、レーニンは進退窮まる状況に置かれていた。
胸骨の保護という観点から、同居人の胸に飛び込むのは論外である。しかし、精神衛生の観点から茶会に踏み込むのも戸惑われた。あのお姫様に万が一にも関心を持たれたら、何が起こるか知れたものではない。あの少年のように生贄として捧げられるのは御免被りたい展開である。
故に、レーニンは奇策に打って出た。石像の頂で身を持ち上げ、二本の尻尾を高く掲げて、暢気ににゃーと鳴いてみせたのである。努めて声量を確保するように留意した。
最初に反応を見せたのは、あの魔窟で巧妙に立ち回り、心の平穏を維持していたsubject Charlie──あのニューラである。突如その存在を誇示し始めた三毛猫に、いかにも不思議そうな視線を送る。それにエリオが釣られた。二人の異変に、ディート姫も振り返る。
「あっ、レーニン、あんなところに居たんだ」
「へー、あれがレーニン君なんだ。確かに尻尾が二本だね。珍しい」
何やら自分のことを話しているので、もう一度、三毛猫はにゃーんと鳴いた。
注目を一身に浴びたところで、次の手順を開始する。気紛れに石像から飛び降りて、庭園に植えられた低木の陰に消えて見せたのだ。同居人とは適切な距離を維持し、捕まらないように心掛ける。
幸い、賢い同居人もレーニンの計略を察したらしい。服が汚れるのも構わず、匍匐前進でこの場を脱出しようと動き始める。もはや、猫を捕まえている余裕などはない。金色の双眸が鋭く三毛猫を見据えるが、この小動物は涼やかににゃーと鳴いて、これに応じた。
何にせよ、同居人はもう終わりなのである。終焉の始まりを告げたのは、少年の言葉である。
「ああ、もう、またどこかに行っちゃって。姫様、申し訳ありませんが、ちょっとあの子を捕まえてきますね」
「早く行ってあげてください。お城も広いですから。迷子になる前に保護してあげた方がよいですわ」
「ありがとうございます」
「私も手伝うよー。猫とか犬を捕まえるのは得意なんだ」
円卓の方から二つの足音が近づいてくる。片方は三毛猫の予想を超えて速い。ちょっとした番狂わせだが、レーニンからすれば都合の良い展開である。
地を這う同居人は、ここにきて逃げられないと悟ったらしい。今度は魔術によって身を隠すことを試みる。恐らくは光の歪曲による光学迷彩である。その姿がふわりと掻き消える。流石は賢者様という一手であるが、三毛猫は慌てない。光の操作では隠しきれない音と匂いを手掛かりに、位置のトレースに努める。
「ほらほら、いい子だからこっちにおいでー」
その間にも追手は迫る。庭園の生垣をひょいと飛び越え、颯爽と現れたのはあの新米騎士である。レーニンはその呼びかけににゃーんと応じつつ、ふらふらと移動を繰り返す。そんな三毛猫を刺激しないように、ニューラは一歩一歩、静かに近寄ってくる。
そうして、その瞬間は訪れたのである。
「ふみゃん」
「あれ、何か踏んだ……って、あれ、ヴィオルがなんでこんなところにいるの? あれ?」
踏まれた衝撃なのか、迷彩魔術が解けてしまったらしい。いつの間にかそこに居た王国の勇者様に、ニューラが狼狽える。それ自体は順当な反応なのだが、大ぶりな所作に合わせてぐりぐりと相手を踏み躙っていることに、彼女は気付いているのだろうか。気付いていないのだろうなぁ。そう思わせる困惑ぶりが傍から眺める三毛猫には面白い。
「とりあえず、その足を除けて頂けないでしょうか」
「えっ、ああ、ごめんねー」
淡々とした同居人からの要求を受けて、ようやくニューラも落ち着いたらしい。足を除けるついでに、地面に転がったまま動かない同居人を起こしてあげる。
「あれ、ヴィオル? 屋敷を見に行っていたんじゃ……」
横から声をかけてきたのは、衣装のお陰で動きの鈍いエリオである。長い裾を摘み上げて、同居人へと駆け寄って来る。対する同居人の返答は、やはり淡々としたものである。
「それはもう片付きました。現在はレーニンの回収作業中なのです」
言うや否や、少女は三毛猫に飛びかかる。もはや隠密に事を運ぶ必要もないと、全力の構えである。しかし、所詮は鈍い小娘なのだ。三毛猫は難なく飛び退き、これを回避する。結果として、同居人が地面にハードランディングしただけに終わった。
「ありゃりゃ、何やってるのー」
慌てて再度、ニューラが同居人を起こす。何とも手間のかかる小娘である。そのまま勢いで再び飛びかかろうと身構えるが、これは気配を察したニューラに制止された。
「離してください。もふもふを補充するためには手段を選んでなどいられないのです」
「いや、選ぼうよ。そんなことするから、レーニンがびっくりしてるよ」
呆れたエリオが淡々と事実を指摘する。厳密には驚いているわけではなく、ただ粛々と危険を回避しているだけなのだが、外形的にはそう大差のある話でもない。レーニンは適当ににゃーと同意を示しておく。
猫に襲い掛かる同居人とそれを制止する二人は尚も問答を繰り広げる。レーニンからすればどうでも良い話である。こっそりと植生の陰に移動して、この場を辞去する。そろそろ、最後の仕上げの頃合いなのだ。しっかりと隠れておくことが肝要だった。
最後の待ち人は、そう時間をおかずにやってきた。
「あらあら、これは勇者様、こんなところで奇遇ですわ」
背後からかけられた言葉に、同居人が硬直する。振り返れば、そこに居るのは微笑みを浮かべるお姫様である。その優しい表情とは裏腹に、立ち回りには全く油断がない。繰る者の居なくなった鎖をしっかりと握り、確実に同居人の逃走を防いでいる。
「れ、レーニンの回収作業中なのです。終わったら帰るのです」
「ふふふ、そうですか。でも、折角ここまで来たのですもの。お茶など如何かしら」
「いえ、私の最優先目標はレー……って、あの、その?」
お姫様は勿論、同居人の言うことなど聞いてはいない。猫への横暴を制止していたニューラから身柄を引き取ると、そのまま同居人をぎゅっと抱きしめて、強引に円卓の方に連れて行く。その後ろ姿は何とも幸せそうで、三毛猫の胸中にも達成感が広がる。実際のところ、レーニンの構想は同居人とお姫様という二つの害悪を対消滅させ、無力化するという実にプラグマティックな着想に基づいたものである。故に、誰かに喜んでもらえるというのは望外の報酬だった。
後に取り残されたのは、真っ先に猫の捕獲に来ていたニューラとエリオである。
「結局、何だったんだろう」
「さあ。ところで、あの猫君はどこに行っちゃったんだろう」
「そういえば……居ないね」
二人は互いに顔を見合わせて、首を捻る。よく探せばちゃんと足元に潜んでいるのだが、ここで見つかってしまうと結局同居人と一緒に地獄へと招かれてしまうので、三毛猫は必死に隠れているのである。騎士と姫君は暫くきょろきょろと周囲を見回していたが、やがて諦めて円卓へと引き上げて行った。全ての災禍が過ぎ去ったことを確認し、レーニンは再び石像の頂に陣取り、観察を再開する。
同居人の末路はなかなかにお気の毒なものだった。実際の意図はともかく、体裁として、同居人は紛れ込んだ珍客なのである。当然ながら、あの円卓を囲む席に彼女の席など用意されていない。故に、非常の措置がとられた。茶会の主催者たるお姫様が、服が汚れることもなくしっかりと同居人を抱き締め、その膝の上に乗せたのである。ついでに、首輪に繋がった鎖もしっかりと左腕にぐるぐると巻きつけている。これでは、流石の同居人も逃げることは難しい。
「ふふふ、これでゆっくりとお話できますわ」
「一体何の話をしろと言うのですか」
不敵な笑みを浮かべるお姫様は、満足げに同居人の頭を撫で回す。対する同居人は、その長い耳を力なく垂れ下げ、されるまま身を任せている。問い返す声は平生の如く淡々とした調子だが、その声色にはどこか物憂い響きが含まれていた。やはり、精神的に堪えているらしい。
「うーん、面白ければ何でもいいのですわ」
「ディート、そういう方向性を定めず結果責任だけ負わせる要求が一番厄介なのです」
「でも、私は勇者様を信じていますわ」
「ならば、原子力発電の話をしましょう。人類が到達した究極の湯沸し技術の話です」
「その話は興味深いけど、今は別の話にした方がいいんじゃないかな」
同居人の斜め上な選択に、勇気あるエリオが苦言を呈する。恐らく、彼が秘書官として最も同居人の役に立った瞬間である。早速、幻影魔法でシカゴパイルの模式図などを浮かべていた同居人も、その諫言には思うところがあったらしい。図表を片付けて首を傾げる。
「うーん、火力発電の方がいいのでしょうか」
「とりあえず、電気から離れようよ」
「まあまあ、お題は追々考えることとして、とりあえずはお茶でもいかが?」
「ふむ、では、そうしましょうか」
同居人が同意を示すと、姫君は新しいお茶を手配する。しかし、同居人の分については、事実上ただのお湯になった。普通のお茶は濃すぎるというので、思いっきり希釈したのである。実に奇矯な要求だが、これは同居人なので問題なく許された。エルフとはそういうものだと言えば、大抵のことが通るのである。
「普通のお茶はまるで海水を飲んでいるかのような濃さなのです。流石に耐え難いのです」
「エルフの味覚って随分変わってるんだねー」
新たな博物学的知見を得て、通常濃度の香草茶を啜るニューラが感嘆を漏らす。傍から見守るレーニンからすれば、同居人をサンプルにエルフという種族を語ることに疑問を覚えるところだが、何にせよ、話のタネにはなったらしい。同居人の薄味趣味を起点として、この小娘の特殊な食の嗜好に話が広がる。
結局、物事は落ち着くところに落ち着くものである。いつの間にか始まったのは、同居人を交えた、ちょっとした雑談だった。味気ない食べ物の話もそこそこに、同居人が始めたのは旧ドルニア邸における内覧の顛末、そして、家探しのコツに関する言及である。とりあえず、本棚は押す、箱は二重底を疑う、壁は叩いて空間の有無を確認すべきであるらしい。絨毯も見つけたら捲ると良いという。流石、お茶の間の床下にUAVを隠し持っていた同居人は言うことが一味違う。
一歩間違えれば重大問題に発展しかねないあの駄メイドの強制排除も、同居人はネタとして消費するついでにあっさりと片付けた。曰く、日頃の激務が祟ったのか、突然立ったまま眠りこけてしまったらしい。そういう筋書きである。実際、サーラは後宮の片隅で同居人の証言通りの器用な格好で眠っており、確認に赴いたお姫様の従者によって回収、王立騎士団宿舎への移送が行われている。これは同居人の依頼に基づく措置でもある。疲れているところを起こすのは悪いというのがその名目だが、真意がどこにあるかは考えるまでもない。
逆に、同居人の側から説明を求める事案もあった。エリオの衣装についてである。
「今更、それを問うんだね。君は興味ないものだと思っていたよ」
「流石にそれを見なかったことにはできないのです」
「ふふふ、似合いそうなので、無理を言って子供の頃の服を着てみて貰っているのですわ」
暢気な二人のやりとりに、諸悪の根源たるお姫様が割って入る。実に穏やかな微笑みだが、三毛猫は段々それが怖くなってきた。同居人とはまたベクトルの違う凄味が感じられる。
「なるほど、あれは動き辛いですが、確かに似合っています」
「それは、喜んでいい類の話なのかな?」
同居人の賛辞に、少年は思わず苦笑いで応える。彼からすれば、成り行き上、やむを得ずそういう格好をしているだけなので、褒められたところで困るのである。しかし、同居人は淡々と続ける。
「考えてみてください。レオーニが同じ格好をして似合うと思いますか。そういう衣装が似合うということは、実は素晴らしい事なのです。当然に喜ぶべきことなのです」
淡々と、残念なことを言いきった。
「おお、いいこと言うね。でも、そんな王様の姿を想像するのは何というか、不敬罪の香りがするよ」
「なかなか勇気が必要な景色だね。僕にはちょっと……」
レーニンだって同感である。もふもふ王の女装など、おぞましいの一言に尽きる。しかし、それは極論であり、結局は詭弁である。似合わないよりは似合う方が良いが、真に問われるべきは、そもそも似合う必要があるか否かである。そんな冷静な思考を極論のインパクトで吹き飛ばしながら、同居人は更に力強く論を紡ぐ。
三毛猫としては首を捻らずにはいられない展開だった。お姫様や新米騎士とは異なり、同居人にそういう趣味はない筈なのだ。しかし、少年の仮装を肯定する一連の立論からは、単なる賞賛を超えた、明白な作為を感じるところである。どうあっても、同居人はエリオに女装をさせたいらしい。
そんな同居人が次に持ち出したのは、二次性徴に伴う性差の顕在化である。どうして彼が違和感なく女装できるかといえば、そもそも、そこまで性差が明瞭ではない年代だからである。故に、同居人は嘯く。もとより、これは期間限定なのだと。今しかできないなら、存分に楽しむべきではないのかと。
末恐ろしい小娘である。特別とか限定という言葉に弱い人間心理を突いて、悪魔のように自らの秘書官に囁いているのである。
「とりあえず、髪を伸ばしてみましょう。業務命令です」
「どうしてまた。まあ、いいけど」
最初は恥ずかしがっていたエリオも、同居人が詭弁を駆使して理詰めで肯定するものだから、段々気にならなくなってきたらしい。着実に影響が出始めている。
そんなどうしようもない話をするうちに、いつしか完全に陽は沈み、天頂には星が瞬き始めていた。
思えばこの連中、昼過ぎからずっとこんなことをしているのである。途中で同居人の参加があったとはいえ、よく飽きないものである。三毛猫はそう感心しながら事態の推移を見守っていたが、流石に潮時を迎えたらしい。話が一段落したところで、お姫様が散会を告げる。身軽なニューラはふらっと辞去し、着替えが必要なエリオもマルタに連れられて庭園を退出する。
しかし、これは同居人にとっては、真の受難の始まりに過ぎなかった。
流れに乗って同居人も私室に引き上げようとするのだが、お姫様は許してはくれなかった。首輪に繋がれた鎖のせいである。これを握られているせいで、勝手には離れられなかったのである。
「私はお部屋に帰りたいのです」
「あらあら、だめですわ。サーラが倒れてしまったのですもの。勇者様を放ってはおけませんから、今日のところは私が面倒を見て差し上げますわ。汚れた服もどうにかしなければいけませんし」
「いえ、別にそういう配慮は……」
「まあまあ」
そういう次第で、同居人は強引にお姫様に引っ張られていく。一応、同居人は抗議の声を上げてはいるが、お姫様は勿論聞いてはくれない。どうやらこの同居人、話を聞いてくれない相手には滅法弱いようである。結局、そのままお姫様と一緒に後宮の奥へと消えてしまった。
残されたレーニンはそっと石像の上から撤退すると、にゃーんと一鳴き、同居人の居室へと歩を進める。同居人すら意のままに動かすあのお姫様に畏怖を覚えたのである。安全を確保できる自信がなかったので、後を追うのは諦めた。
果たして、同居人に待ち受けるのはいかなる運命か。何となく空を見上げ、月ににゃーと問いかけてみるが、天駆ける丸い岩石の塊は、当然ながら、何の答えも返すことはなかった。




