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ねこのレーニン  作者: るびー
2章 鉄鋼革命
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招待

 約束されていたのは、穏やかな一日であるはずだった。


 偉大なる勇者様にして賢者様、第二常備軍設立準備室室長ヴィオル閣下は護衛の騎士二人に連れられて所用を片付けるために外出である。もう一人の職員であるところのエリオ秘書官は、室長命令に基づき、城内に残置されることとなったレーニンの遊び相手を任された。国王はこのエルフの姫君を失うことを酷く恐れているらしい。外出を認める条件の一つが、この三毛猫を置いて行くことだった。


 幸いにして、この怠惰な小動物はさほど手間がかからない。トイレや爪とぎの場所もすぐに覚えたし、暇ならばふらりと散歩に出かけて、戻ってきたと思えば棚の上で丸くなる。時折、ねこじゃらしを持ち出して誘ってみるのだが、応じる仕草はいかにも大儀であるといった趣で、エリオとしては猫に遊んでもらっているという感想を禁じ得ない。あまり人間と関わるのを好まない性分なのだろうか。そうかと思えば、強引に腕の中に潜り込んでくることもある。そのときは役得ということで遠慮なくその毛並みを堪能させて貰っている。そのご主人様が金色の瞳で睨みつけてくることにはもう慣れた。


 そういう次第である。遊び相手といったところで、やるべきことは特にない。事実上、設立準備室で留守番をするだけである。厳密には行動の自由を伴わないので違うが、実質的には休暇のようなものである。思えば、あの召喚の日から初めての単独行動だった。解放感と、若干の寂寥感を感じつつ、エリオはいつもの席で微睡んでいた。


 そんなところにやって来たのが、後宮勤務のメイドであるマルタである。サーラが手配していた代理人で、三毛猫の食事を運んできた。四種のチーズと魚の切り身の盛り合わせである。例によって、レーニンはにゃーんと一鳴き、置かれた皿に飛びつく。エリオも頃合いと、持参してきたパンとチーズと林檎を取り出す。普段に準じる昼の景色である。しかし、何もかも一緒というわけではなかった。


「あの、エリオ様。実は、さる御方からこのようなものを預かってきました」


 手渡されたのは簡素な封筒である。唐突な出来事に、エリオは首を傾げる。


「ヴィオルじゃなくて僕に?」

「ええ、勿論です」


 訝しみながら封印を剥がす。手紙は流麗な文体で、簡潔に会いたいから来てほしい旨が書かれていた。可及的速やかに、である。問題なのはさる御方、差出人の名前だった。エリオが手紙から顔を上げると、マルタがにっこりと微笑んでいた。


「お手間はとらせません。どうか、是非」

「じゃあ、これを食べ終えたら。レーニンも来るかい?」


 チーズを齧っていた三毛猫は、やや遅れてにゃーと返す。肯定だった。エリオも安堵の吐息を漏らす。ちょっと一人では心細かったのだ。もふもふとした触感と体温の助けを借りたかった。


 室長閣下と違って謀略の機微に疎いエリオだが、それでも感じ取れるものはあるのだ。この招待は碌なものではない。設立準備室を発った時点では確信めいた予感に過ぎなかったが、マルタに案内されるまま後宮区画に入ると、いよいよ雲行きが怪しくなってきた。


 相手が相手である。威儀を正すために湯浴みを勧められたのは、まだ理解の範疇だった。幸い、控室には高度な給湯設備があるので、大した手間でもなかった。しかし、その後に宛がわれた礼装というのが、実に理解を超えるものだった。


「用意が良すぎるよ……」


 姿見の前に立った少年は、感心とも呆れともつかない深い溜息をつく。

彼が纏うのは、海のような深い青を基調とした優雅なドレスである。幾重にも設けられたフリルが穏やかな波を思わせる。要所を彩る白いレースは波頭といったところか。子供用ながら露出度は無駄に高い。胸から上、そして、背中が大胆に曝されている。袖も分離式なので、肩も丸出しである。気温は低くないが、どうしてか無性に肌寒い。大きく開いた胸元を彩るのは青い宝玉の首飾り、頭を飾るのも銀色のティアラである。癖のない銀髪が腰まで伸びているのは、単純にかつらのお陰だった。


 総評して、鏡の中の人物はどう見てもどこかの姫君である。強いて欠点を挙げるなら、こめかみを押さえ、頬を小刻みに痙攣させる様があまり可愛らしくない。違和感がなくて、頭痛を禁じ得ないのだ。


「ああ、皆で頑張った甲斐がありました。よくお似合いです、エリオ様」


 着付けを手伝ってくれたマルタがうっとりと感想を述べる。少年からすれば憂鬱極まりない格好も、彼女達からすれば努力と情熱の精華であるらしい。


「ええと、その、うん、喜んでいいのかな?」

「勿論です。どんなに衣装が美しくとも、それを纏うお方が呑まれてしまっては意味がありません。ああ、ちょっと冒険した甲斐がありました」

「そ、そうですか」


 少々刺激的な意匠は、要するにそういうことらしい。何にせよ、このドレスは自分のために仕立てられたものなのだ。そう気付いて、エリオはその周到な計画性に震える。


 再び姿見を覗き込むと、鏡越しに三毛猫と目が合う。油断なく安全圏に離脱して趨勢を見物していたレーニンは、いかにも気楽な声色でにゃーと鳴く。励まされているようだが、いかにも他人事といった感でもある。思わず睨み返すが、三毛猫は動じない。この時ばかりは、あの勇者様の眼力を羨ましく思った。


 製作の経緯には重大な疑義のあるこのドレスだが、室長閣下に倣ってその機能性に着目するならば、その評価は案外悪くない。踵の高い靴はどうにもならないが、床を擦らんばかりの長いスカートには幾らか膨らみがつけられているため、歩く程度ならば支障はない。それに、いつの間にか採寸されていたらしい。総じて各部の寸法はきつくも緩くもない。精々、絞られた腰回りがちょっと窮屈な程度である。高級な生地が使われていることもあって、着心地はそう悪いものでもないのだ。困ったことである。


 何にせよ、準備は整った。案内役のマルタに手を引かれ、エリオは控室を出る。賢い三毛猫はその後ろを一定の距離を保ってついてくる。何かあれば緊急離脱する算段らしい。


 途端に慣れないものとなった足取りで進むこと暫し、連れられたのは後宮の一角、人工池に面した風雅な庭園である。その畔では、円いテーブルを囲んだ二人の人物が暢気にお茶を楽しんでいた。


 その片方は見目麗しい姫君である。長い蜂蜜色の巻き毛に雪のような白い肌、澄んだ翠玉の瞳には万物への無邪気な好奇の光が宿る。見るからに、裏表のある人物とは思い難い。それ故に、テーブルを囲む相手と語らう様は実に楽しそうで、その姿は貴賤を問わず周囲の共感を呼び起こす。エリオですらその姿に和むものを覚えたのだから、もはや一種の魔術である。或いは、王器の片鱗とでも呼ぶべきか。


 幸い、先日の特別講義で同席したばかりである。忘れようがない。彼女がレンブール王国の第一王女、太陽姫とも渾名されるディート姫殿下である。この王国で最も高貴な一族の姫君こそ、エリオをこの場に招いた主であり、このちょっとした茶番の首謀者であった。


 特に隠れているわけでもないから、来訪者の存在はすぐにディート姫の知るところとなる。マルタに連れられた偽りの姫君を捉えると、ただでさえ大きな瞳が、驚いたとばかりに一層大きく見開かれた。振り返ってエリオを凝視するもう一人も似たようなものである。こちらは開いた口が塞がらないあたりに、驚愕の感情がより一層強く示されていた。


「エリオ様をお連れしました」


 マルタが主人に礼をする。場の空気などお構いなしの、淡々とした所作である。エリオもそれに倣う。服装に合わせて、長い裾を摘み上げながら頭を下げた。この期に及んで恥ずかしがっても仕方がないと開き直ったのだ。


「ぷっ、ふははははは」


 返ってきたのは、心底楽しそうな笑い声だった。悪戯を成功させた童のようである。戸惑いを覚えながら顔を上げると、ディート姫がお腹を押さえながら震えていた。


「ははっ、ごめんなさい。サーラから聞いてはいましたが、まさかこんなに似合うとは思わなくて」

「は、はあ」

「とにかく、こちらへどうぞ。お待ちしておりましたわ」


 そう言って、ディート姫は席を勧める。エリオは素直に従った。何とも釈然としないが、王族に抗う胆力など持ち合わせてはいないのだ。間もなく、後ろに控える従者がカップを持ってきてくれる。中に注がれるのは熱い香草茶である。ほんのりと甘い香りが漂う。促されるままに啜ると、幾分気分が落ち着いた。


 姫様は尚もエリオを眺めながら満足げに微笑んでいる。そんな様子を横目で監視しながら、少年は思案する。どうにも、この件の背後で暗躍しているらしいサーラへの苛立ちが募るが、今ここで検討すべきなのは、この会合の性質と目的である。これを解明しない事には適切な立ち回り、現状の打開策が見えてこない。


 マルタから手渡された手紙にはそういう役に立ちそうな事柄は一切書かれていなかった。いざ現場に踏み込んでみればこの歓待である。余計に不可解な要素もある。円卓を囲むもう一人の人物に見覚えがあるのだ。その後の栄達は噂に聞いていたが、まさかこんなところで会うとは思っていなかった。


「ニューラ?」


 あまりに意外だったので思わず声に出てしまった。過日の勇敢な行動が評価され、王国に騎士見習として採用された彼女は、白い詰襟のジャケットにすらっとした長いパンツという騎士団の礼装でこの場に臨んでいる。男物だが、それだけにこの小柄な少女が凛々しく見える。


 ぽかんと口を開いて固まっていたニューラも、名前を呼ばれて我に返ったらしい。鳶色の瞳で偽物の姫君を観察しつつ、素朴な問いかけを発する。


「やっぱり、そういう趣味なの?」

「いや、その、これは」

「いいんだよ。似合ってると思うよ。羨ましいほどだよ。だから、ほら、自信を持って」


 こんな恰好を見られたこと自体が辛いが、妙な方向に理解され励まされるに至って、いよいよ頭痛が止まらない。この誤解は後で解かなければならないのである。考えるだけでも既に胃が痛い。


「うーん、これは後から他の衣装も試してみたいですわ」

「素晴らしいお考えです、姫様」

「ところで、姫様、今日はどのような御用件で僕をお呼びになられたのでしょうか」


 直截に強い調子で尋ねたのは、状況把握のためもあったが、何よりもこの恐ろしい流れを強引にでも断ち切るためだった。幸い、この堂々たる問いはディート姫の虚を突くことに成功したらしい。彼女は首を傾げて暫し考え込む。


「うーん、可愛い貴方を愛でながらお茶を楽しむ、ではだめかしら」

「愛でるって、何なんですか……」

「例えばこんな?」


 そう言うや否や、ディート姫は椅子から立ち上がり、そのままエリオに抱き付く。危険を避けたつもりが、藪蛇となった格好である。姫様の抱擁の破壊力は抜群なのだ。体格差に由来する運動エネルギーの差もさることながら、大きく柔らかな双丘が容赦なく顔面に押し付けられるため、息苦しくて仕方がない。最近あの勇者様もよく抱き付いてくるが、彼女にはない要素である。


 それでも、日々弛まぬ研鑽を積んでいるため、精神の動揺は最小限に抑えられた。努めてあの勇者様を無視して数学力充填プログラムに取り組んだ結果である。目の前に課題があるならば勿論、そうでなくても、素数に思いを馳せることで大抵の問題をスルーできるようになっていた。


「姫様、苦しいです」

「うーん、おかしいですわ。レオならこれですぐ大人しくなるのに」


 尚も上がる抗議の声に、姫様は訝しむ。どうやら絶対の自信を持った技だったらしい。エリオとしては、そう歳の変わらない王太子殿下に同情を禁じ得ない。姫様の口ぶりから察する限り、この手口でいいように制圧されているらしい。この姉に頭が上がらないことは想像に難くない。


「そういえばエリオ、下水道ではずっとヴィオルに抱き付いていたよね。慣れてるのかな?」


 局外に居るニューラは気楽そのものである。お茶菓子をぽりぽりと齧りながら、暢気に煽ってくる。


「ご、誤解だよ。あれは蟲が……」

「あらあら、積極的なのね。これは後で聞かなければならないことが増えましたわ」

「何ですかその聞かないといけないことって!」


 不敵に笑うディート姫に、エリオは反射的に問いかける。言い終えてから、自分でその意味を考えた。やはり何か別の用があって姫様に呼ばれたのである。これは現状を打開する突破口たりえるのではないか。そんな淡い期待が胸中に膨らむ。


 しかし、現実は厳しいのだ。姫様は朗らかにその真理を告げる。


「本当はあの勇者様についてお伺いしたかったのですわ。貴方がこの国で最もあの方と近しいのですもの。でも、サーラとニューラから聞いた話で、概ね用は足りてしまいましたわ」

「な、なら、僕はもう帰っても良いのでは」

「そうもいきませんわ。まだまだ愛で足りないですし、勇者様とどこまで進んだのか教えて頂く必要が出てきましたもの。ふふふ」

「私も気になるなー。君とヴィオルの関係って」


 ニューラも姫様に同調して、エリオに圧力を加える。


 ここに至り、ようやく状況を把握することができたが、既に手遅れの感がある。エリオをしっかりと抱きしめる姫様は離してくれそうもなく、周囲も姫様方なのだから、救援は期待できない。いつの間にか姿を眩ましたレーニンは猫なのでそもそも頼るに値しない。


 イースタシアの故事で言うところの四面楚歌である。あの室長閣下は敵方の外線作戦に対しては兵力集中による各個撃破または一点突破を試みよなどと珍しく軍事指導者らしいことを説いていたが、その教えは現状では役に立ちそうもなかった。


「僕とヴィオルの関係って、室長と秘書官っていう以上に何があるんですか……」


 窮地に追い込まれた少年は深く、深く溜息をつく。尚も悪化の一途を辿る情勢に、少年はもはや素数を数える以外に為すべきことを思いつかなかった。


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