内覧
先日の強行突入に際して発生した戦闘の結果、王立騎士団は制圧した奴隷商人の私兵を逮捕、拘束することとなった。現在は騎士団本部地下の牢獄に拘置されている。彼らに対する処分は必然的に厳しいものとなった。彼らは王都における浮浪孤児略取誘拐の実働要員であり、既に処刑されたドルニアと同罪の立場にあるのだ。それ故に、彼らが犯罪奴隷として公売にかけられることは既定路線となっていた。
概ね順当な処理である。しかし、実際上の些細な問題があることも事実だった。重傷者の取り扱いである。何と言っても、激しい戦闘だったのだ。後で一応の救護措置がとられたとはいえ、それは迫り来る死を回避するためのものである。元より身体機能を完全に回復させる性格のものではなかった。その結果、拘置されている何人かは完全に労働能力を喪失していた。奴隷としては全くの無価値で、つまりは、行き先の全くない状態である。
通常の案件ならば、恩赦の名を借りた放逐処分という道もありえたが、今回は政治絡みの案件である。彼らの処分は確実なものでなければならなかった。それでいて、騎士団が犯罪奴隷を処断する口実も立たなかった。先例と、建前と、組織の都合というのは色々厄介なものなのである。そんな制約の中で優秀な王国の役人が考え付いた結論が、今日、この場の景色である。
「さて、終わりました」
暗く澱んだ空気の漂う地下牢、その鉄格子の前で、少女は淡々と宣言する。その視線の先にあるものは、薄汚れた人型の物体である。表面にはうっすらと霜が降りていて、口から吹き出している泡も凍てついている。腐敗防止のため、冷却魔術を行使した結果である。牢の中には、そんなものが幾つも転がっている。
その声を聞いて、慌てて看守の衛士が駆け寄ってくる。そんな彼に、少女は淡々と要求を伝える。
「サンプルの移送を頼みたいのですが、手続の方をお願いできますか? 送り先は『塔』のB棟低温保管庫です。向こうには話を通しているので、私の名前を出して頂ければ事務局の方が案内してくれる筈だとお伝えください」
「はい、了解しました。あと、それと……」
「担当の騎士が戻るまで動けないことは承知しています。ここで待ちますのでお構いなく」
「申し訳ありません。では、失礼します」
敬礼ひとつ、看守は足早に地上へと向かう。それは、職務に忠実というよりは、一刻も早くこの場から立ち去りたいという思いの表出だった。少女はそんな彼を、感情の籠らない視線で見送った。
地下牢に静寂が満ちる。牢の中は決して無人ではないのだが、誰もが息を潜め、気配を押し殺している。照らす物の乏しい薄闇の中、唯一炯々と光る金色の双眸から逃れようと、誰もが背を向けている。
一寸前まではもう少し賑やかだったのだ。
長い耳に輝く金髪、その特徴的な白い肌は、その素性を地下牢の住人達に対して雄弁に物語っていた。彼らがこの場所に居る遠因を作った人物である。心中穏やかである筈がなかった。最初は騎士と看守が付き添っていたため静かなものだったが、彼らが離れると怨嗟の声が漏れ始めた。特に、鎖に繋がれ、引かれている格好は揶揄の対象となった。
それを黙らせたのは野太い絶叫だった。魂が磨り潰される音とでも言うべきか。幾つもある牢の一角、重傷者が集められたそこから発された悲鳴は、彼らの蛮勇をへし折るに足るものだった。この少女が何をしに来たのか、明白に伝えるものだったからである。
更に、目端の利く者は、その首元が赫々と輝いていることに恐怖した。その首に嵌められた禍々しい首輪が強力な魔力封印装置であることを知っていたからである。その詳細を知る者は居なかったが、その邪悪な光が首輪の機能に関するものであることは想像に難くなかった。それなのに、確かに何かの魔術が発動し、仲間を弄んだのである。それは、この少女がどれ程の化け物であるかを端的に示していた。
それはもはや、人型の災厄に他ならなかった。誰もがそれが過ぎ去ることを願い、祈る他なかった。
女性騎士が迎えに戻ってきたのは、それから暫く後のことだった。手慣れた手つきで鉄格子に繋がれた鎖を外すと、その小さな体を抱え上げて持ち運ぶ。人形を運ぶかのようなあっさりとした景色だった。
「地下の皆さん、相当に怯えていたようですが、何をしたんですか?」
「予定通り、魔術の実験体として費消しました。サンプルに関しては解剖学的知見の獲得に流用するため、『塔』への移送もお願いしておきました」
「うーん? 実験って、具体的に何を」
「記憶の転写実験です。やはり、単純な手法ではどこかに不整合を生じて脳機能に損傷を起こすようです。一見して苦しんでいるような反応を得られました」
「なるほど、よくわかりました」
淡々とした長耳の勇者様の返答にサーラは苦笑いを禁じ得ない。既定路線であり、かつ、魔法学の発展のためとはいえ、彼らの仲間を容赦なく責め殺したのである。怯えられて当然だった。
王政府と騎士団がこの勇者様に打診したのは、不要な犯罪奴隷の処分である。奴隷身分とはいえ、基本的に殺害は御法度なのだが、この勇者様には大義名分があった。賢者称号、そのおまけとして付与された魔術師資格である。様々な大人の事情が重なり、彼女には限定解除級の資格が与えられている。禁術の研究や行使すら容認される、文字通りの最上級資格である。『塔』が許可するならば、奴隷や亜人を用いた人体実験すら可能である。役人が思いついたのはこの権能の利用だった。可能な限り方々の面子を傷つけないように配慮した結果、合理的な口実を用意できる存在を見出すに至ったのである。
勿論、あくまで口実である。実際に当局が期待したのは魔術によるある種の安楽死である。本当に禁術紛いの実験をするというのは、予想外の展開だった。しかし、特に問題があるわけでもなかった。
気楽にそんな真っ黒な会話を交わしながら、二人は王立騎士団本部を抜け、通用口に向かう。通常は物資や罪人を入搬出するために使われるものだが、馬車を横付けできて便利なため、要人輸送にも用いられる。今日はそちらの用法である。扉を開けば、既に馬車が待機していた。
「お待ちしておりました、姫様。どうぞこちらへ」
待機していた男性騎士が恭しい動作でその中に招く。しかし、サーラの反応は辛辣だった。
「ピエトロ、気持ち悪い」
「ぐぬぬ……いいじゃないか、たまには騎士らしいことをしたってさ!」
「そういうのは近衛の仕事でしょう。無理しないの」
「そうです。無理は禁物です」
「姫様までっ!」
思わぬ援護射撃まで受けて、出迎えの騎士は完全に崩れ落ちる。
王立騎士団特務班所属、従騎士ピエトロ・マーディン。先日の約定に従いこの勇者様につけられた騎士である。元々勇者警護チームの一員ではあったのだが、今回表舞台に引き出された格好である。サーラが世話係を兼務するのに対し、専任の護衛となる。
確かに騎士らしからぬ気配を纏った人物だった。騎士の格好をしてはいるが、着こなしがどうにもだらしない。褪せた色彩の金髪も手入れが不行き届きのためぼさぼさで、身なりへの無頓着ぶりが垣間見える。遍歴の剣士をどうにか騎士の型に嵌めたという趣が漂う。近衛ではなく特務に所属しているのはそれ故だった。堅苦しいお上品な場は苦手なのだ。
とはいえ、それを正面から指摘されるのは堪えるものがある。何かフォローが欲しいところだが、そんな彼を無視してサーラはさっさと馬車に入る。抱えられた勇者様も必然的に一緒である。よろめきながらピエトロも続いた。そうしないと置いて行かれる危惧を覚えたからである。扉を閉めると、御者に出発の指示を出す。蹄の音が規則的に響き、窓の景色がゆっくりと動き始める。
振り返れば、サーラが抱き付いているお姫様に足枷を嵌めていた。鋭く銀色に輝く、いかにも重厚そうなものである。素性を聞けば、既知の魔術的破壊手段に対する最大限の耐性を組み込んだ、本気の品物らしい。お姫様のアクセサリにしては無骨すぎる代物である。
頭を撫でて機嫌をとっているためか目立った抵抗はないが、傍から見ていて実にアレな光景である。やむを得ないとはいえ、護衛騎士の胸中は複雑だった。
その目的は、当然ながら逃亡の阻止にある。王立騎士団を騒然とさせたあの出来事の教訓を反映した格好である。王城敷地内でこそ首輪だけで済ませているが、本気でこの少女を阻止したいなら、足も封じる必要があるのだ。子供の足とはいえ、自由にされると死角に潜り込まれて出し抜かれかねない。上層部は勿論、現場で対応を担うサーラとピエトロですら同意見である。団長から厳命されるまでもなく、王城敷地外に出かける時には足枷の装着をお願いするより他なかった。
「どうせ運んでもらうので、多少動き辛い程度ならば許容範囲なのです」
結局、最も冷静に受け止めているのはこのお姫様本人だった。肩幅ほどの短い鎖を鳴らしながら、あっさりそんな風に言ってみせる。
当人が言うと残念極まりない響きを含むが、概ね予測される未来像でもあった。ピエトロも、時々サーラが連れて行く『お散歩』以外でこの少女が自発的に歩いているところを殆ど見たことがない。大抵はサーラに抱えられ、人形のように運ばれている。
それどころか、特に支障がなければ、少女はサーラにずっとくっついている。この馬車の中でも、指定席はサーラの膝の上である。先日の騒動を引き起こしたとは思い難い程に、大人しく扱い易い。
「すっかり懐いてるんだな」
「懐いていません」
ピエトロの感想に即座に反論が返る。その声色は実に淡々とした冷厳としたものである。しかし、頭を撫でるサーラの胸に擦り付きながらとあっては、全く説得力がない。
「なら、僕に抱き付いてもいいんだよ?」
「お断りします」
「……冷たいなぁ」
お姫様が縋るようにサーラにきつく抱き付く様も心にくるものがあるが、同僚の刺すような視線も辛い。
どちらかといえば普通の警護任務を望むので、対象とは良好な関係を築きたいものなのだが、気難しい種族とあって厳しい状況を強いられている。設立準備室の小さな秘書官は早々に慣れてくれたが、こちらはさっぱりである。サーラに倣って触れ合おうにも、警戒して寄って来てもくれない。
軽快な蹄の音を聞きながら、護衛騎士は静かに溜息をつく。
幸いにして、市内の移動である。時間はさほど要しなかった。間もなく出入口を騎士団の衛兵が固める、物々しい屋敷に到着する。先日、王国によって没収された旧ドルニア邸である。あの騒動の、まさに現場でもある。ピエトロもサーラも、そこから救出された少女の顔色を窺うが、特に変化はなかった。
現在は王政府の管理下にあるこの邸宅だが、国王との約定により、事務手続が終了次第、この少女に下賜されることが決まっている。今日の用事はその内覧である。本来ならば、当分は城から出てはいけない御身分なのだが、王政府と騎士団の抱える雑務を片付けてくれたお礼に、特別に許可されたものでもある。書類上はともかく、実質的には既にこのお姫様の物なので、気に入った品があれば持って帰ってよいとの許可も取り付けてある。
主力が突入した前庭と玄関は酷いことになっているが、私兵部隊が戦力の分散を嫌い、玄関で抵抗を行ったため、その余の部分に関してはさほど損傷は見られない。馬車を回して、三人は裏口から屋敷の内部に入る。お姫様は予定通り、サーラに抱えられたままである。
精々、騎士団捜査部が入った程度なので、内部は概ねあの日のままである。損傷の少ない、忽然と人の営みが消えた辺りを歩きながら、護衛騎士が問いかける。
「しかし、こんな所に何の用があるのかな、姫様」
「勿論、これをどうにかする方策を探すのです」
そういって、囚われの姫君は首輪の鎖を引っ張る。悪魔が首に食らいついているような、邪悪で重厚な意匠の首輪は、現在、鍵の紛失によって取り外し不能となっている。ドルニア曰く、鍵は子飼いの魔術師に管理させていたらしいが、玄関で雄々しく抵抗した彼の遺体からはそれらしいものが見つからなかった。
「見つかるかな」
「見つけるのです。嫌いではありませんが、常用するには重すぎます」
そう言うと、少女は首輪に嵌めこまれた、血走った瞳のような宝玉をぴかぴかと明滅させてみせる。首輪に仕込まれた照明機能で遊んでいるのである。正確に言えば、首輪に仕込まれた魔術発動阻害機能の副次作用らしいのだが、この賢者様にかかれば制御可能なものである。結局、大した実害もなく、一見すると禍々しい輝きも、実質は単なる照明と堕していた。
「そういうわけで、ピエトロは1階と地下を適当に探してください。私は2階で資料を探してみます」
「わかった。まあ、頑張ってみせるさ」
「期待はしていないので安心してください」
「これはまた手厳しい」
苦笑いひとつ、護衛騎士は一人散策を始める。サーラの方は正面玄関に向かう。ホールの階段から2階に向かうのが最もわかりやすい経路だった。
この妖精のお姫様が囚われていた檻もあの日のままである。一応、鍵らしきものがないか探してみたが、精々、ちぎれた金色の鎖が転がっていた程度だった。勿論、貴金属に貴賤はないので、これは回収された。冶金魔術で小さなコインに加工され、サーラへのちょっとしたご褒美に充てられた。
どちらかといえば、本命は奴隷商人の書斎だった。鍵を探すというよりは、素性や技術仕様を探るための書類探しである。取引記録の類はごっそり王立騎士団捜査部が持って行ったが、残りはそのまま放置されている。探してみる価値は十分にあった。
部屋は綺麗に片付けられていて、調度もドルニアの資産の割には簡素で実用的なものに統一されていた。悪趣味な置物も、成金趣味の美術品も見当たらない。扱う品物は下種の一言だが、彼が徹頭徹尾、儲けのために動く商売人だったらしいことが窺える。
そんな彼の机の上には数冊の本が転がっていた。奴隷商人の椅子に据えてもらった少女はそれを手に取ってぱらぱらと捲る。速読スキル持ちである。内容を確認するならそれで十分だった。
「エルフと人間を番わせてハーフエルフを作る本らしいです」
「それはまた」
「エルフはすぐ死ぬので、胎しか要らないからと手足を切り落したりしないように諌めています」
「なんとまあ」
「発情を促す薬品に関する記載もあります。しかし、常習による悪影響も大きいので、使用は謙抑的であるべきとの警句が付されています」
「あらあら」
「森は全ての問題を解決するともあります」
「森、欲しいですか?」
「欲しいです」
「そうですか。今度、偉い方々に相談してみますね」
少女の頭を優しく撫でながら、サーラは本を取り上げる。ライデール帝国魔導院編『人造魔導兵製造計画成果報告抄録』、悪名高きハーフエルフ製造の教本である。人間の業を凝縮したような、そんな代物をエルフのお姫様に読ませるのは、流石に躊躇われたのだ。
代わりにこの女騎士が差し出したのは、ドルニアの日記と思しき書物である。内容は実に淡泊なもので、業務の概要や問題、取引の覚書を粛々と書き綴ってある。
「しかし、生殖機能を利用した生体兵器の製造とは興味深い発想です。品質管理に難がありますが、設備投資が不要というのは実に魅力的です」
無味乾燥な日記の記述を追いながら、少女が呟く。片手でさするのは自らの腹である。
「これが使い物になるなら試してみるのですが」
「駄目です! そういうのは絶対に駄目です!」
「えー」
サーラに怒られて、少女は長耳を力なく垂れ下げる。
「そういうことは、もっと大きくなってから、好きな殿方とですね」
「遺伝情報さえ弄れるなら良いので、人工体外受精と代理母の方式でも構わないです」
「……勇者様とは一度、貞操についてじっくりと話し合う必要がありそうです」
「科学技術の発展こそ至上の価値だと思いますが」
そんなやりとりを交わす間にも日記の調査は進む。狙い通り、魔封じの首輪に関する記述は存在した。2年程前、お値段34990リーンでライデール帝国領ロゼニア、イジュポスの魔道具商から買い付けたらしい。
日記の精読によって判明したのは、あの奴隷商人がただでは死ななかったという事実である。首輪の鍵は、書斎の机の引き出し、その奥に隠された小物入れにちゃんと入っていた。細い導魔銀の棒と5つのダイヤルからなる、繊細な工芸品のような装置である。日記の覚書を要約すれば、これはダイヤル錠と電子鍵が合体したような代物らしい。円周を12等分されたダイヤルを所定の位置に合わせ、細い棒を所定の位置に差し込むと解錠される仕組みである。鍵というよりは、解錠コード入力装置の趣である。
なかなか凝った作りで、総当たり攻撃に対する対策も組み込まれている。首輪の内周には魔術的な発熱装置が組み込まれており、間違った解錠コードを送ると、これが作動して首回りを適度に焼いてくれるのだという。懲罰用に発熱装置を作動させることも可能で、首を焼き切ることもできるらしい。そして、抜かりなく、解錠コードをリプログラミングする機能もついている。つまり、ドルニアの首を切り落した今となっては、正しいコードを知る者は存在しない。
あの奴隷商人はそういう事実を秘して逝ったのである。最期の、ちょっとした仕返しといったところだろうか。長耳の勇者様は、摘んだ鍵を見つめたまま、首輪の宝玉を点滅させる。
「まあ、調査の端緒にはなりました。この件はこれでよしとしましょう」
そう言うと、少女は立ち上がる。すぐにサーラが抱え上げようと近付くが、これを手で制して、珍しく自分で歩き始めた。狭い歩幅でゆっくりと向かうのは、聳え立つ木製の本棚である。皮表紙の分厚い本がぎっしりと詰まっている。実用一辺倒の簡素なものだが、本の重量を支えるため、必然的に重厚な作りとなっている。
「見事な本棚ですが、ちょっと綺麗過ぎるのです」
何冊か本を取り出すと、全体重をかけて本棚を奥へと押し込む。本棚の下には鉄製のレールが敷かれていて、大きな本棚にも関わらず、音もなく壁に沈み込む。すると、本棚に隠されていた天井の取っ手が顕になる。サーラに手伝って貰ってこれを引き下げると、秘密の戸棚が出現した。
中に入っていたのは、手紙や書類など、大きさも様式も不統一な紙片を束ねたものである。判断基準は判然としないが、ドルニアが隠したかった何かがそこに雑然と放り込まれているらしい。
「これ何なんでしょうね」
「隠すからには、何か価値のあるものだと信じましょう」
詳細は設立準備室に持ち帰り、順次検討することとした。サーラは少女を抱えるのに手一杯なので、実際に荷物を運ぶのはピエトロの仕事である。上階での用を済ませた二人が呼びに行くと、護衛騎士は使用人向けの休憩室で勝手に休んでいた。
「良い御身分ですね」
「いや、一通り探したんだよ? 何も見つからなかっただけで」
「貴方には別の仕事を頼みましょう。英気は十分に養いましたね?」
「はい」
鋭い金色の双眸に睨まれて、護衛騎士は思わず硬直する。同僚によって大きな猫のように抱えられている姿は何とも締まらないが、逆らい難い威厳に満ちているのもまた事実だった。
「で、僕は何を?」
気難しいお姫様を刺激しないように、ピエトロは素直に尋ねる。返る答えは、淡々としたものである。
「本を持って帰るので、運んでください」
「ああ、そういうことか。それならお安い御用さ」
力仕事なら任せておけ。そう言わんばかりにピエトロは爽やかに答えた。この時、彼は知らなかったのだ。書斎の蔵書は個人としては格別な量に達していることを、そして、学識豊かなお姫様が資料になりそうだからとその大部分を持ち出す心算であることを。
それが帰りの馬車を埋め尽くして余りある量となることも知らず、護衛騎士は妖精姫に乞われるまま、意気揚々と奴隷商人の書斎に向かっていくのだった。
時間がかかりましたが、ゆるゆるっと次のマイルストーンに向けて動き始めてみました。




