港湾街
勇者様とその従者がどうして目立つかといえば、その原因の一つが色素の薄さである。街を行く人でこの種の色彩を持つ人は稀なので、否応なく際立つのだ。出発する前から予見し得た類の問題ではあるが、勇者様もここにきてようやく対策を施すことを決断した。即ち、顔料と染料による色彩の調整である。
王都東岸、港の南側に位置する貧民街。その外れに位置する廃屋で少年を制圧した少女が何やらドロっとした土色の何かを擦り付けているのは、要するにそういうことである。牛脂を加工した油状の液体と、魔術で粉砕した土を混ぜ合わせたそれは、言わば皮膚を着色する即席の塗料である。そのうち汗で落ちてしまうやくざな代物だが、塗布することで人並みに日に焼けた肌色を演出することができる。
言うまでもなく、肌に直接塗布するものだから、二人とも裸である。脱いだ服は、需品調達に出かけたニューラがついでに古着屋に売り払ってきた。売却益は他の必要資材購入の原資に充てられた。注文の品を揃えてきたら、どういうわけかこの景色である。
「私が代金を持ち逃げしてたらどうするつもりだったの?」
「その時はこの近所で何件か追剥強盗事件が発生するだけです」
意地の悪い問いかけに、答えは即座に返ってくる。その声色はいかにも平静そのもので、おまけに揺るぎない剣呑さを伴っている。彼女の方は、この状況をどうとも思っていないらしい。
「強盗って、貴族が平民から物を取り上げてどうするんだ」
「貴族の仕事は平民からの搾取と収奪です。問題ありません」
「問題ないわけないじゃないか……」
エリオが抗議の声を上げるが、彼は勇者様に組み敷かれたままである。発言に大した感銘力はない。それに、どうせ外国の話である。ニューラは歴史的事実に見る貴族階級の実存とか、そういう話にはあまり興味がなかった。
寧ろ、興味津々なのはエリオについてである。努めて目を逸らそうと試みてはいるが、その引力に引かれてついついチラっと股間を窺ってしまう。何度確認しても、ついている。特記事項である。ずっと少女だと思い込んでいただけに、この無慈悲な現実はニューラにとっても些か刺激的に過ぎた。思わず口に手を当てて、まあまあと出かかる言葉を呑み込む。
結局、行き着くところは自制など吹き飛んでガン見であった。こうなると、ちょっと鈍い少年でも否応なく気付く。孤児らしき少女のどこか熱っぽい視線に、エリオの顔は急激に赤くなる。元が白いだけに、その変化は鮮烈なものである。咄嗟に局部を隠そうとするが、勇者様がしっかりと腕を拘束しているため、この試みは不奏功に終わった。
「いや、あの、その」
魚のようにエリオが口をパクパクさせる。果たしてこの状況をどう収拾したものか。ニューラが思案していると、意外にも、勇者様が助け舟を出してくれた。淡々とした、しかし、どこか重い語り口である。
「彼はメイドに呪いをかけられたのです。やむを得ないことだったのです」
「メイドが、呪い? 呪術?」
「貴方には、真実を知る勇気がありますか?」
ゆっくりと、絞り出すように勇者様が問いかける。それは、常に平坦だった彼女の見せた、初めての感情の揺らぎである。そのただならぬ物言いに、ニューラの背筋にも悪寒が走る。ちょっと心の準備が整わないので、ぶるんぶるんと首を振っておいた。それがよいと勇者様も肯く。
とりあえず、この国のメイドは呪術を扱うらしい。要報告事項として脳裏に刻む。外からは平和に見える王城だが、やはり内部は権謀術数渦巻く魔窟であるとみえる。
真っ赤になったエリオは御しやすく、この肌色調整剤の塗布は間もなく完了した。勇者様の方はニューラが手伝うことになった。エリオに塗ってあげるよう提案したところ、そのまま固まって動かなくなってしまった結果である。触られたところで反応に乏しい勇者様に工程上の問題が存在するはずもなく、作業は滞りなく進む。最終的に、二人は一般的な肌色を得るに至る。
次の工程は、髪の染色である。頭もやはり特徴的な色彩なので、ニューラに頼んで適当に赤と黒の染料を調達してきてもらったのだ。それを適当に混ぜ合わせて、適当にくすんだ赤色を作り出す。市中でよく見かけた、この国では標準的な髪の色である。作業自体は肌色調整剤の塗布よりも遥かに迅速に片付いた。勇者様の誇る、流体操作魔術のお陰である。染料それ自体を髪に這わせて、さっさと髪を朱に染め上げてしまう。乾燥も気圧操作の魔術であっさりと片付く。二人が赤毛となるのはあっという間だった。
寧ろ、問題は髪型の処理にあった。髪飾りの行き場がなくなるので、エリオは仕方がなく三つ編みを結い直している。名前の通り、精霊が宿ると伝えられる精霊石は、その謂れから宝飾素材として重用される。貴重品である。安易に手放すのは戸惑われたのだ。
少年の方は可愛いものだが、無意味に長い勇者様の髪の問題は深刻だった。切るなり結うなりすればいいのだが、どうも、この勇者様はそういう常識的な解決がお気に召さないようだった。結局、長い髪を二つ折りにして紐で縛り、その結び目を頭巾で覆って隠すことにした。エルフであることを示す長耳も、その中に隠す。結局不思議な髪型に落ち着くが、やむを得なかった。
「さて、服は?」
「強盗するんじゃないの?」
「では、覚悟して頂きましょうか?」
「じょ、冗談だよ、ははは」
そう言ってニューラが取り出したのは、二着のワンピース状の衣服である。褪せた色合いでごわごわしているが、厚手の生地を使っているので作りは割としっかりとしている。
「やっぱり女の子の服なんだね」
「もうちょっと早く気付いてたら、ねぇ」
ちょっと寂しそうなエリオの姿に少々ニューラの胸が痛む。それでも、一通りお膳立てが済めば、やはり外見は少女のようなそれである。まあ、問題ないかと思い直す。
最後に、適当に砂埃で汚れ塗装を施せば準備完了である。出来上がったのは、いかにも貧民街で走り回っていそうな赤毛の姉妹である。ニューラと並んでいても、もはや違和感はあまりない。仔細に検討すればボロも出ようが、警邏の兵隊さん程度なら問題なく欺けそうである。
しかし、この勇者様はどうしてここまでして王国側の干渉を避けながら視察を継続するのだろうか。貴人が下層民に仮装するというのは、流石に尋常のことではない。
「それで、次はどこに行くの?」
身支度を整えた勇者様に、ニューラは問いかける。案内や助言に必要な情報である。不自然な問いではない。それに、その返答にこの得体の知れない少女の真意が隠れているような気がしたのである。尚更問わずにはいられなかった。
「今度こそ港を見てみたいです。この国の力の源泉です」
対する返答は、例によってあっさりしたものだった。
メフィルの港は、確かに王国経済の中枢を担う重要な区画である。見てみたいというのは道理である。それに、一度、下水道を辿って通りかかってはいるのだが、見物が叶わなかったのだ。警備が厳重で、歩き回る隙がなかったためである。市外、または、国外からの来訪者が多数滞在している街区である。市内の治安維持と対外的な体面、その双方の観点から、港湾区は平素より王立騎士団の重点警戒地域となっている。
浮浪児に扮して港湾区に入るというのは一つの手には違いなかった。下層民や新規に流入した人口をプールする貧民街は、同時に港湾区に労働力を提供するための区画でもある。他の街区とは内壁で仕切られ、門には常時騎士団の衛兵が待機しているが、犯罪者でもなければどんなに薄汚い身なりをしていてもまず素通りさせてくれる。日雇いの仕事を探して回る孤児も珍しくないから、体裁としては十分である。
廃屋を発ち、三人は舗装の禿げた小道を北上する。石畳がしっかりしてくる頃には、貧民街と市域を隔てる壁が見えてくる。門の通過は拍子抜けするほど呆気なく完了した。念入りな扮装の甲斐あって、門番の衛兵には些かも正体を気取られることはなかったのだ。勇者様が試すように衛兵を見つめてみたが、犬や猫を払うように邪険にされた。完璧だった。
これで、港湾区をある程度気兼ねなく見回る環境が整ったことになる。決して無制限ではないというのが、身分の不安定な浮浪児の悲しいところである。王国の体面のために、表通りや高級旅館街など裕福な外国人の目のある場所から、この種の賤しい人種は徹底的に排除されている。勇者様が港湾区の目抜き通りに出ようとしたところ、慌てて衛兵に裏路地へ押し戻される場面があった。
自然、道程は裏路地を中心としたものとなる。どうしても暗く陰気な場所が多いため、都市の華やかな景色というよりは、不愉快な場面の方が多く目につく。王都最大の雇用提供地区であるため、本物の浮浪児とも何度も遭遇した。色々居るのだ。必死にゴミ箱を漁って残飯を探す者。昼間から路地裏で寝転がって動かない者。虚ろな瞳で空を見上げたまま動かない少女も居た。心当たりがあるのでニューラはその目線を追ってみたが、特にどこかの出入りを監視しているとか、そういうことではないようだった。
市場から野菜や果物を失敬してきた集まりが成果物を開帳して分配している場面に出くわしたときは、流石のニューラも対処に困った。問答無用で、食い物は渡さないと凄まれたのである。一触即発の状況の中、決着をつけたのは勇者様の機転である。意味ありげに相手に掌を向けると、無詠唱で魔法の光球を作って見せたのである。
「引き下がるか、ここで死ぬか。好きな方を選んでください」
その一言で、先方の士気はあっさりと崩壊した。エリオとニューラは、すぐにそれが人畜無害な光源魔術に過ぎないと気付いたが、魔術に縁遠い彼らはその正体に気付かなかったのである。
野菜と果物の占有を得た勇者様は、肩下げ鞄からナイフを取り出すと、生食できる果実の皮を剥き始める。くるくると器用に果実を回し、途切れることなく皮を剥き終えると、その果実を恨めしそうに遠巻きに眺めていた彼らに投げて渡した。これでいよいよ相手も拍子抜けしたらしい。
「別に食べ物が欲しかったわけではないのです」
ちょっと痛んでいる果実は、魔術で加熱して火を通す。あまり加熱調理した食品に接する機会はないようで、当初の敵視が嘘のように感謝されるに至った。終わりよければ全てよし、加熱した果実を二つほど貰って、一行は平和裏にその場を離れた。果実はエリオとニューラのおやつとして費消された。
僕達の街に入って来るなと、平民の子供から小石を投げられることもあった。これはニューラが決着をつけた。石をキャッチして、全力で相手の足元に投げ返したのである。石畳に罅が入るのを見て、何に喧嘩を売ったのか悟ったらしい。蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
ふらりと歩くうちに、花街にも迷い込んだ。表通りで目につくのは船員の姿である。まだ日が高いというのに、お盛んだった。各々、刹那の陸を愉しんでいることが見て取れる。ニューラが止める前に裏通りにも迷い込んでしまい、本格的に酷いものも見た。貴族の子弟であるエリオにはいよいよ信じ難い光景らしく、ニューラの背中に隠れて震えていた。一方、勇者様は、こんなビジネスモデルが成立するのですねと冷静に分析しており、その冷徹ぶりにニューラが震えた。
寄り道しつつ、本題の港湾に到着する頃にはほんのり空に橙色が混ざり始めていた。
凪いだ湾の中に築かれたメフィル港はいわゆる天然の良港である。北側には王立海軍のための軍用区画が存在し、貨客船や貨物船はその余の領域を使う。王国、帝国、南の大陸、東の彼方からすらやってきた商船が並び、停泊するその景色は、海上交易国家レンブールの象徴とも言える景色である。
あまり城の外に出かけないので、エリオも初めて見る光景らしい。精神的に厳しい場面を立て続けに目撃し俯きがちだったエリオも、この時ばかりは持ち直したように笑顔を浮かべた。
港ではまたちょっとした出会いもあった。
「あ、ニューラだ。お前なんでこんな所に居るんだよ」
話しかけてきたのは、いかにも身軽で快活そうな少年である。年齢はヴィオルとエリオよりもちょっと上といったところである。ニューラの知己らしい。
「ジャンだー。お仕事?」
「そうだよ、今荷物運びが終わったところ」
「そうなの。お勤めご苦労」
「なんかムカつくなー。で、そいつら誰?」
問われて、一瞬三人が目配せする。その意を受けて、ニューラは下水道で拾った新入りであるという設定を告げた。同類であることを確認して、途端に態度が大きくなる。
「どんな噂を聞いてここに来たのか知らないけど、ここじゃ働かないと生きていけな……」
「訓令なら間に合っています」
先輩風を吹かせようとしたところを、無慈悲な勇者様が潰しにかかる。淡々とした、しかし、冷酷な打撃に、ジャンは思わず絶句する。エリオもびっくりしたらしく、勇者の後ろに隠れてしまった。
「ニルのところに居る子なんだ。根はいい子だよ」
ニューラが耳打ちして教えてくれる。
「ま、まあいい。それで、お前らの名前は?」
「ヴィオル・メクリーベルティウス・フィネトエルモ・ヴォクローレル・ブレン・マーラフェルト。ヴィオルでいいです」
「なんでそんなに長いんだよ! ……んで、そっちは」
「エリオ」
「んー? どっちも変な名前だな」
エリオは一応男性名なのである。どうして少女が名乗るのかとジャンは首を捻るが、幸い、細かいことを気にしない彼は疑問を長く引っ張るようなことはしなかった。
「まあ、とにかく、ニューラの真似なんかしちゃいけないぞ。こいつは特別だからな、狩りとかできるし。……っていうか、なんであんないい話断ったんだよ」
「私は自由に生きるんだもん。その日その日、風任せだよ!」
「それ、そのうち絶対後悔するだろ。考え直せよ」
実際のところ、趣味云々以前に、情報収集任務のため身柄拘束を伴う業務に従事できないのだが、流石に率直にこんなことを言えるはずもない。適当なことを言っておけば、案の定誤魔化すことができた。
ジャンは二人を見ながら何やら思案する。
「女の子なぁ。そんなに腕が細いんじゃ力仕事は無理だよなぁ。何か特技とかないのか?」
「素因数分解が得意です。下手なアプリケーションより速いです」
「うーん、文字なら読み書きできるよ、色々と」
「嘘だろ。すごいじゃないか」
つかつかと歩み寄り、ジャンがエリオの手を握る。邪魔なヴィオルは押し退けた。学制も初等教育機関も未整備なこの王国では、文字を扱えるだけでも十分にインテリなのである。
「文字が書けるなら代書屋とか商人になれるぞ。そうすればすぐいい暮らしができる」
「ああ、そうなんだ、はは」
熱っぽく語るジャンにエリオは戸惑い気味に答える。そんな二人の様子を、ヴィオルは例によって無表情に見つめている。
「お前は特技とか無さそうだよな。まあ、掃除とかならできるんじゃないか?」
「建設的な提案ですね」
ついでとばかりに、ジャンは横目でヴィオルを見ながら言う。対する返答は涼しいものである。無知は強いなというのがニューラの正直な感想である。このまま放置すると、謝っても許してもらえないような事態に発展しそうだが、正直この戦いに割って入る勇気も持てなかった。あと、この勇者様は『そいんすうぶんかい』が得意ということは、報告事項として心に念じる。一体何のことだかわからないので、グレースヴィールへの調査依頼とセットである。
二人の冷たい睨み合いは唐突に終わる。何か思いついたらしい。不敵な笑みを浮かべたジャンは、徐にヴィオルの手を取ると、少々強引に引っ張り始める。とらえどころのないこの少女は、されるがままである。ニューラは、力押しでは決して揺るがないしなやかさをそこに見た。まるで風である。
その身のこなしに一瞬見惚れるが、はっと我に返る。
「ちょっと、ジャン」
「いいからいいから」
ニューラが抗議の声を上げるが、走り出したジャンはそれを軽くいなす。それどころか、残りの二人にもついてくるように促す。
幸い、目的地にはすぐ着いた。雑貨商や貿易商が軒を連ねる一角、その裏通りにある小さな店である。中には歳のよくわからない小さな老人が一人、佇んでいる。
「おやまあ、鼠がぞろぞろと紛れ込んできたわ」
珍客の姿を認めて、ふぉっふぉと老人が笑う。忙しない外とは一線を画する、なんともゆったりとした笑い声である。泰然と構える老人に、ジャンが覚悟を決めたように用件を切り出す。内容は、雇用交渉である。エリオは文字の読み書きができるし、ヴィオルはちんちくりんだが片付けくらいはできるだろう、そのように勢いで説く。少年の口上が終わると、老人は一際愉快そうにふぉっふぉと笑った。
「どうなんだ、爺さん」
「焦るな焦るな。今すぐどうこう言えるわけがなかろう。だが、試してやるなら吝かでもない」
「ほんとか!」
そういうわけで、当事者が口を挟むまでもなく話は纏まってしまった。ヴィオルとエリオは互いに顔を見合わせるが、強いて反論はしなかった。
「がんばれよ」
そう少女の肩を叩いてジャンが飛び出していく。ニューラも続こうとしたところで、老人に呼び止められた。折角だからとお使いを頼まれてしまったのである。いつも街をふらふらしているニューラにとって、現金収入の機会は貴重である。ちょっと驚いたが、割の良い仕事でもある。素直に受けることにした。
開発コード≪ERG展開≫。ERGって何だろうという哲学的命題を抱えたまま、1章くらいは終わらせようと革命的突貫工事を敢行中です。
どうでもいいですが、素因数分解が得意という誰得設定をようやく持ち出せて、作者的には満足しています。




