市内への帰還
「あんたたち、死ぬまで下水道で彷徨うことにならなくて良かったね」
二人の話を聞き終えて、ニューラは率直な感想を述べる。どうして貴族があんな細い配管から湧き出てきたのか、ニルでなくとも気になるので、改めて問い詰めてみたのである。その結果、恐るべき事実が浮かび上がる。王城付近、魔法街の裏路地から地下に入ったこの一行は、地下に張り巡らされた配管を行き当たりばったりで進むうちに、王都の南東に位置するあの溜まり場まで辿り着いてしまったのだ。「これは近道に違いありません」と勇者様が淡々と言うので、何度も壁の細い配管を通り抜けてきたらしい。
「おかしいのです。予定ではすぐに地上に出られるはずだったのですが」
「出られるわけあるかっ! どうしてあんたはそう勘に頼ろうとするの!」
「大声出さないでください。響くのです」
思わずニューラも叫んでしまうが、この小さな勇者様は全く反省する素振りを見せない。意固地になっているのなら可愛いものだが、さも当然のように自身の正当性を信じているのだから始末に負えない。ニューラもついに根負けして、がっくりと頭を垂れた。
幸いにして、地下水路を進む道程そのものは順調に推移している。エリオが暗いと不平を漏らしたので、勇者様が光源魔術で周囲を手当たり次第に照らしてくれたのである。普段は手探りで進まなければならない場所だが、今は地上と同じ気楽さで歩むことができる。案内には申し分ない。
その余裕も手伝って、ニューラは己の使命を果たすことにしたのだ。よく考えるまでもなく、望外の好機が到来していた。王国における最重要人物の一人たる勇者ヴィオルが何故か間近に居るのである。直截に宮中の事情を問い質すわけにもいかないが、幸いなことに、ツッコミどころ──話のタネは幾らでもあった。適当に言葉を投げかけ反応を見るだけでも、現状では貴重な基礎資料となりうる。
先程のように価値観や認識の相違を感じさせられることもあるが、接触の試みは概ね満足すべき成果を挙げている。会話が成立したこと自体、一つの大きな観測事実である。出自の定かでない孤児に話を振られて、嫌な顔ひとつせずに受け答えしているのである。それどころか、ニューラはこの勇者様をヴィオルと呼び捨てにする名誉にあずかった。曰く、識別子は短い方が経済的であるとのことである。どうやら、あまり身分には頓着しない性分らしい。
そんな雑談を通じて、ニューラは幾つかの重要情報を引き出すことに成功した。最大の成果は、懸案である第二常備軍の実態把握を完了したことだろうか。あまりにも堂々と名乗るものだから、第二常備軍とは何ぞやとニューラは直截に問うたのだ。返ってきたのは、ヴィオル室長とエリオ秘書官のみ在籍する、設立準備室なるちっぽけな部署だけが存在する現状である。徴兵しないのか尋ねてみると、予算がないとの力強い返事が返ってきた。国王は順当にこの勇者様を飼い殺しにすべく手を打っているらしい。
国王との微妙な距離感は、溜まり場に迷い込むまでの顛末からも窺える。幾つかある王国の軍事組織のうち、要人警護を担当するのは王立騎士団である。治安維持を任務とする警務総隊とは別に、王族やそれに類する要人を警護する専門組織である近衛隊が存在する。しかし、彼らは正々堂々たる貴人の盾なのである。警護対象に悟られないよう監視するという器用な任務はその領分から外れる。そうなると、消去法である。二人の撒いた護衛は特務班の要員であるに違いない。正しく、ニューラの同業者である。そんな連中を、護衛と称してつけているのである。その内実は推して知るべしといったところである。
エルフなのに大公なのは何故かと問えば、遠い国から呼ばれてきたのだと召喚の事実を仄めかされた。遠い東の彼方、獣人の国の更に向こう側に、エルフの帝国イースタシアがあるというのが建前らしい。領主曰く、その所領は梨とか葡萄のとれる良いところとのことである。また、霊峰フジを巡って、隣接するシズオカ侯国との冷たい対立が存することも教えて貰った。どこまで信じて良いのかわからないが、異世界に関する貴重な言及である。
どうでもいい話もある。周囲を明るく照らしたものだから、地下水路でカサカサと蠢く甲虫の類がよく見えるようになってしまったのである。お陰で、虫が苦手らしい銀髪の従者は、勇者様の背中にくっついて離れられなくなっている。ニューラもあのカサカサが苦手である。気持ちはわからないでもないが、これではどちらが主従なのかわかったものではない。
そんな調子で一行は更に進む。地下水路の澄んだ空気に仄かに異臭が混じり始める頃、ニューラは壁の配管に入るように指示を出した。子供が屈んで通れる程度の、比較的太いものである。否応なく服も体も汚れてしまうのだが、今更なので誰も顧みることはなかった。
進むにつれて、臭気はどんどん強烈になる。屎尿と汚水の臭いである。それは決して芳しいものではないが、そこに人の営みがあることを伝えるものでもある。ようやく、市壁の中に戻ってきたのだ。微かに漂うケミカルな臭気は、分けてもそこが職人街であることを伝えていた。
配管から飛び出すと、丁度、正面に階段がある。皆が希求して止まない、地上への出口である。早速飛び出そうとする銀髪の少女を、ニューラと勇者が制する。耳を澄ませると、軍靴の音が近付いてくる。しかも複数である。どうやら、二人一組で行動しているらしい。
「こんなところを兵隊さんが見回るなんて珍しいね」
「お城の皆さんもやる気を出したということでしょう」
「なるほど、そういうこと」
王様は籠から逃げた小鳥を必死になって探しているのだ。予期しうるシナリオではあるが、それにしても激烈な反応である。よほどこの手札を失うのが怖いらしい。
「レーニンは置いてきました。心配せずとも良いのですが」
「レーニン?」
「猫です。私の」
そんな会話を交わしつつ暫く待っていると、足音は遠くに消える。どうやら兵隊さんは裏路地を巡回しているらしい。勇者様と目の合ったニューラは、相手を手で制止して、小さな声で告げる。
「じゃあ、私が様子を見て来るね」
「お願いします」
言い終えると、ニューラはそろりと外に出る。鼠のような、素早く、それでいて、目立たない身のこなしである。偵察にさほど時間は要しなかった。裏路地をぐるりとまわり、ついでに、表通りの様子を窺うと、下水道への入口に飛び戻る。
「表通りにいっぱい兵隊さんが居るね。裏通りは時々見回る程度みたい」
「通りを押さえられましたか。迂闊には出歩けないですね」
勇者様は淡々とそのように分析する。二人とも異貌なのである。下水道を突き進んだせいで薄汚れてはいるが、それでも、遠くから識別可能な程度には目立つ。それでも、この勇者様は強気である。
「まあ、慎重に歩けば問題ないでしょう」
あっさりとそう結論して、彼女は遂に下水道から外に出る。不安そうにエリオも続く。そんな二人を見守るようにニューラも続く。約束は果たしたので別れても構わないのだが、この二人を市井に放置すると、何かと酷いことになるような気がしたのである。
予感は間もなく確信に変わる。細い路地をうろついた勇者様は、鍛冶場を見つけると適当な窓から覗き込み、内部の様子を観察する。堂々たる振る舞いである。中の人に気付かれるまでには、大した時間を要しなかった。
「で、お前さん、何してるの?」
「産業と技術の現状に関する知見を深めているのです」
少女の返答に、対応に出てきた親方らしきおじさんは頭を押さえて考え込む。これが近所の子供や素性の知れない浮浪児なら怒鳴り散らして追い払うだけだが、相手がエルフのお嬢様となると、事はそう単純ではないらしい。それが思考の読めない超然とした存在ならば尚更である。盛大に汚れていてもなお威厳と風格を漂わせるこの妖精姫は、親方のことなど委細構わず、職人の仕事をじっと眺めている。
「鉄鉱石ならばコッポラでも採れると聞きますが、やはりゼンビアの物なのですか?」
唐突に口を開いたかと思えば、こんな内容である。親方も戸惑い気味にそうだと答える。ゼンビアは南の大陸にある地域で、良質な鉄の産地として知られる。海運に優れるレンブール王国は必要な需品を交易によって賄っているのである。国内とはいえ、粗悪なコッポラの鉄鉱石を無理に使う必要もない。
一般的にはともかく、業界的には当然の話を確認すると、この少女は再び工程の観察に戻ってしまう。気付けば、親方が助けを乞うような視線を残りの二人、ニューラとエリオに向けていた。
為すべきことは決まっていた。二人は一瞬目配せすると、そっとこの困った勇者様の背後に忍び寄る。襲い掛かるのはぴったり同時だった。片方ずつ彼女の腕をしっかり押さえると、問答無用で窓から引き剥がす。幸い線の細い見かけ通り、この少女は非力なのである。二人を相手に抵抗などできるはずもなかった。これ以上の面倒を起こさないように、そのまま強引に引きずって現場を離脱する。ふと後ろを振り返ると、親方が感謝の表情を浮かべているのが確認できた。
勿論、この程度で懲りるような勇者様ではない。現場から十分に離れ解放された後も、ふらふらと何かの工房を見つけては覗いてみることを繰り返す。しかし、最初の鍛冶場ほど興味を惹くものはなかったらしい。訝しんだ中の人が出てくるほどその場に留まることはなかった。そんな調子で数件を見て回ると、彼女はまた唐突にこんなことを言い始める。
「さて、潮時のようです。そろそろ地下に戻りましょうか」
「えっ、戻るの?」
咄嗟に応じたのはエリオである。またあの狭くて臭くて恐ろしいものが蠢く空間に戻ろうというのだから、泣きそうな表情を浮かべている。
「表通りには出られませんし、そろそろ不審者情報が警邏の部隊に届いているはずです。先手を打って脱出しなければ、少々強引に突破する必要が出てきます」
「わかったよ……」
勇者様が肩から下げた鞄に手を伸ばすと、エリオは渋々同意する。既にして諦観の境地である。あんな小さな鞄に何が入っているのか。ニューラは訝しむが、幸か不幸か、中身が取り出されることはなかった。
幸いにして、下水道の入口を見つけるのはそう困難ではなかった。人口の密集する大都市である。地下水路の構成も緻密である。管理状態も甘く、既に半ば朽ちた扉から三人は再び暗い地下に入り込む。そこから先は再びニューラの領分である。その後ろに勇者が続く。エリオは油断なく彼女の腹に手を回し、甲虫の襲来に備えてくっついている。
「地下にも手は回っているはずです。城から離れる方向で進みましょう」
「うへぇ。そうすると、港の方かなー」
「そういうことになりますね」
行き先を確定すると、勇者様は光源を展開する。今度の経路は、本格的な市街地直下の下水道である。その水の濁度に、貴族様の精神はもつのかなと一抹の不安を抱えつつ、ニューラ率いる一行はその一歩を踏み出した。




