視察決行
凶器を携えた勇者が交渉相手としたのは、後宮の居室で片付けをしていた担当メイドのサーラだった。突然サンダルを脱いで猛然と裸足で駆けだした勇者様は、そのまま音もなくサーラの死角をとり、凶器と要求を突き付けたのである。エリオが慌てて追いつく頃には勝負は決していた。街に出かけるので、平民っぽい服装を用意して欲しいと言う少女に、メイドが二つ返事で了承を伝えていたのである。
円滑に事が運んだのは賢慮の賜物である。王国としては勇者には城内で大人しくしていてもらいたいが、同時に、勇者の接待に関わる関係者一同はその要求を突っぱねることの危険性を承知していた。よほど無理難題でもない限り、要求を通した方が双方にとって幸せなのである。まして、今回は脅迫というこの上ない逃げ道が用意されている。サーラとしても、拒む理由などなかったわけである。
「しかし、逢引ですか?」
「視察です」
「ふむ、彼の分も必要ですか?」
「適当にお願いします。目立つと差し障りがあります」
「わかりました!」
制止に入るまでもなかった。物事が淡々と進む様を見て、エリオは胸を撫で下ろす。
しかし、これが間違いだったのだ。気付くべきだったのだ。微笑みながら衣装を取りに退出するサーラ、その穏やかな表情に秘められた意味に。強引にでも介入し、自らの意向を通すべきだったのだ。
少年がそのことに気付いた時には、もう全てが手遅れだった。
溜息ひとつ、エリオは姿見を覗く。そこには膝丈ほどのワンピースに、胸あたりまでしかない短い上衣を羽織る少女が居た。装飾の少ない素朴な衣装だが、それだけに、雪のように白い肌と輝くセミロングの銀髪が人目を轢く。右耳の前に垂れる小さな三つ編みは深い青を湛える精霊石の髪飾りで留められていて、ゆらゆらと揺れながら色素の薄いその容姿にアクセントを与えている。
あまり不格好でも困るが、似合すぎていても複雑な気分を禁じ得ない。生来の中性的で華奢な容姿のおかげもあって、女児の服を着るだけで鏡の中の少年はいとも容易く少女へと変身していた。
「あらあら、似合っているじゃないですか」
「そんなことはありません!」
どことなく嬉しそうなサーラの言葉を、エリオは断固として否定する。
どうして彼がこんな恰好をしているかといえば、服の好みが判然としない勇者向けに用意されたものから、選外となったものを適当に宛がわれたからである。男児向けの丁度良いものがなかったというのがサーラの弁だが、間違いなく方便だとエリオは確信している。拒否しようにも、早く出かけたい勇者様が猛獣のような視線で急かすのだから、逆らいようがなかった。
「まあまあ、怒ったところも可愛いです」
「だから、そんなことはないです!」
「わかりましたから、あまり大声を出さないでください」
長い耳を押さえながら、今度は勇者が抗議する。見た目通りの高感度らしく、大音量は堪えるらしい。
「そんなこと言われても、これは叫ばずにはいわれないよ」
「そんなに怒ってばかりいると、男の子だとバレてしまいます」
「うっ」
冷厳な指摘に、少年は顔を赤くして引き下がる。現状を認めるのも癪だが、第三者に真相を看過される方がよほど恐ろしかった。無性に苛々するので、何故か恍惚とした笑みを浮かべるメイドの方は、努めて見ないようにした。自然、勇者の方に目が行く。
着替えを終えて出立の準備を始めた勇者は白いブラウスに深い緑のジャンパースカートという森めいた色合いの装いである。肩から下げる小さな鞄が可愛らしい。中身が金貨数枚と拳銃と折り畳み式のナイフであることは見なかったことにした。
果たして、これは変装の用を成しているのだろうか。エリオは思案する。背丈よりも長い金髪のせいである。この癖のないさらりとした髪を維持するのは手間も金もかかる。ある意味で豊かさの象徴なのである。衣装を素朴にしたところで、お忍びで街に遊びに来ている貴族子弟以外の何にも見えない。ついでに、この長耳である。どう考えても目立たないはずはない。
それでも、街の様子を窺う程度なら問題ないだろうか。そのように考えて、エリオは納得する。
金属製の、青リンゴのような何かを手に取り思案していた勇者は、そっとそれをテーブルの上に置く。持って行くのはやめたらしい。
「さて、出発しましょう」
二人は勇者の居室を発ち、王城東部、『塔』の通用門から城外を目指した。目立つ風貌の勇者である。正体が一目瞭然のため、何故平民が城内に居ると誰何されることはなかったが、それ故に、門番の警吏には熱心に制止された。慈悲深い勇者はその説得が一巡するのを待ってから、警吏のおじさんを眠らせた。予動なしの無詠唱感応術、導眠の魔術である。
「そういうすぐ実力行使するところ、良くないと思うんだけどな」
「平和的ではありませんか。死人は出していません」
立ったままでは危ないので、勇者は警吏を壁にもたれるように寝かせる。これで門の制圧は完了である。下された小さな跳ね橋を渡り、ようやく城外に至る。
その先はいわゆる魔法街と呼ばれる街区である。国内魔術行政の中心であり、国内有数の研究機関でもある王立魔術院の隣だけあって、魔術に関連する様々なものが集積されている。例えば、研究に用いる魔法資材を扱う商店や、在野の魔術師の研究所などである。中には、『塔』への申請関係を専門に扱う代書屋などというものもある。少々値は張るがその分よく効くとされる魔法薬や、簡単な魔道具を平民に販売する店もあり、魔術師の街と言うには平民の姿も目立つ。
「珍しい品物が色々あるからね、他の街から来た人がお土産に買って行ったりもするんだ」
「まあ、気持ちはわかります」
そう答える勇者の手には、油断なくかざぐるまが握られていた。お値段1個25リーンである。国王の肖像の刻まれた金貨で払ったところ、大量の銀貨がお釣りとして帰ってきたので、そう高いものでもないらしい。風の魔法が込められていて、無風状態でも回り続けるという触れ込みである。
「これを大型化すれば発電できそうです」
「……まだ発電のこと考えてるの?」
「電源の多様化は常に模索されるべきなのです」
そんな軽口を交わしていると、不意に勇者が体を少年に密着させる。傍から見れば仲の良い女児の戯れなのだろうが、少年は胸が高鳴るのを感じた。手をぎゅっと握り、耳元に顔を寄せ、勇者がそっと囁く。
「追手が居るので撒きます。絶対に手を離さないでください」
勿論、そんなことだろうと察しはついていた。
「騎士団の人たちでしょ? 護ってくれてるんだからいいじゃないか」
「SPが居るのは苦手なのです。途中で視察を止められては不愉快です」
「そんなに危険なところに行くの?」
勇者は答えなかった。
王立騎士団による追尾と監視は、当然に予想された事態である。国王の御前で手打ちがなされたとはいえ、あの『祭事の間』での凶行が消えるはずもない。直接接触する要員はサーラ一人に絞ったようだが、その活動を後援する、監視と鎮圧を担当する部隊が別に存在するのである。勇者の要求がすんなりと通った裏の理由である。好ましくないとはいえ、結局、勇者の動向が王立騎士団の制御下に置かれるのならば、外出というのも妥協できない線ではない。
エリオは悩む。勇者の監視は、言うまでもなく王命を受けた活動である。臣下としてはその意を尊重して動かなければならない。流石にこれは諫言すべきなのだろう。しかし、今の彼は、この勇者様の秘書官でもある。この小さな上司の機嫌を損ねる勇気は、正直なところ彼にはなかった。
「次の角で裏路地に入ります」
ゆっくりと、二人は通りの脇に移動する。戦闘経験皆無なエリオには気配など読めないが、それでも、俄かに緊張が高まる、そのような感覚を覚えた。
刹那の後、勇者が石畳を蹴り、裏路地へと飛び込む。なし崩し的にエリオも続いた。性格はともかく、賢者の称号を得た優秀な魔術師なのである。大事を起こすことはあっても、大事に巻き込まれることはない。そう楽観することに決めた。
「けど、どうするの。僕らの足じゃ、大人を振り切る事なんてできないよ」
猛然と追いかけてくる足音を聞きながら、少年が問う。その響きから、どうやら追手も二人らしいことが窺える。狭い裏路地を右へ左へ、どうにか振り切ろうと画策するが、地力の差は埋めがたい。
それでも、少女は平静である。
「簡単です。視線を切って隠れれば良いのです」
どうやって──と問う時間はなかった。道端に、暗く澱んだ窪みを見つけると、勇者は迷わずそこに飛び込んだ。手をしっかり繋いだエリオも、そこに引っ張り込まれる。
着地の寸前、ふわりと体重が消える。詳細はわからないが、魔術による緩衝である。体勢を崩したエリオだが、音もなくゆっくりと地面に倒れる。勇者も、覆い被さるように伏せた。
不思議なことに、二つの小さな足音が遠ざかるのが聞こえる。魔術で作った囮音源である。やや遅れて、二つの大きな足音が通過する。囮に釣られた追手の騎士は足元を顧みることもなく、そのまま走り去る。してやったりである。
「ほら、簡単です」
「いや、これを簡単って言うのはおかしいよ……」
音に関する魔術がないわけではないが、少なくとも、エリオは音源を作る魔術など聞いたこともない。
「これが数学の力です。具体的には高速フーリエ変換の力です」
意味のよくわからない答えが返ってくる。そのうち追求したいところではあるが、今の少年にはその余力がなかった。何にせよ追手は撒いた。その安堵で、今のところは十分だった。
勇者がゆっくりと立ち上がる。
「さて、彼らもすぐ手品の種に気付くことでしょう。我々も次の手を打たねばなりません」
そう言うと、おもむろに壁の扉にかかっている閂を外し、扉を開け放つ。途端に強烈な悪臭が周囲に広がる。話くらいは聞いたことがあるが、実物を見るのは初めてである。少年は戸惑いがちに呟く。
「これって、下水道?」
「そうです。ここを通って別の街区に行きましょう」
「本当にここを通るの?」
「勿論です」
「本当に?」
「勿論です」
その淀みない返事を聞いて、少年はこの日一番の大きな溜息をついた。
決断的に投下!
相変わらず手口が強引なお嬢様です。




