王都と工作員
王都メフィルは豊かな都市である。ゴミ箱をみればよくわかる。丹念に漁れば何かしら食べられそうなものが出てくるのだ。食糧需給に難のある貧しい都市ではこうはいかない。勿論、実際に調べたわけではないが、きっとそうに違いないとニューラは確信している。お陰で、野外サバイバル教程の経験しかないけれど、どうにか食い継ぐことができている。
「よしよし、なんかみーつけたっと」
ゴミ箱の奥の方に林檎らしきものを見つけて、笑顔が浮かぶ。少々痛んではいるが、覚悟して食べる分には問題なさそうである。上々の首尾だった。手早く成果物を抱え込み、散らかしたごみを片付ける。必要な予防措置である。そのまま放置して立ち去ると、近隣住民に恨まれるし、市政庁の役人を呼ばれることになりかねない。殆ど野良犬や野良猫と同列扱いの身の上だが、この種の事柄では人の尊厳というものを示す必要があるのだ。
カスパトゥール連合王国エリュジナ開拓庁対外関係局調査部二課別室室長、ニューラ・アウィル巡察大尉。一応、そういう立派な肩書があるのだが、今、この場所において、その境遇は普通の孤児とそう変わるものではない。外交関係もなければ、通商関係もない地域に潜り込んでいるのである。工作拠点も表向きの身分も用意できなかった結果がこの惨状である。
それでも、社会の下層に潜り込んで業務を遂行できているだけ、状況は悪くない。この世界の大都市には珍しく、メフィルは外部からの非公式な人口流入に寛容なのである。孤児や浮浪者の類も他の都市と比べて多い。歴史的経緯に由来する、都市構造の欠陥故のことである。
今でも大きな都市だが、往時のメフィルはもっと大きかったのだ。現在の王都市街は、その一部を市壁で囲って区切ったものに過ぎない。地下には下水道が昔のまま残っている。この穴を塞いでいないため、王都は事実上出入り自由なのである。物理的に流入を防ぐ手立てがないので、無駄な抵抗を諦めたということらしい。何にせよ、王都の動静を窺う情報要員としては、防備が緩いのは好ましい。
勤務環境が残念なことを除けば、孤児という身分は概ね仕事にとって有益に作用している。街中のどこに居てもそう不思議ではないし、限度さえ心得ていれば、周囲から関心を払われることもまずない。死んだ目で空を仰ぎながら、その実、特定施設の出入りを見張るなどという芸当も簡単である。
片付けを終えたニューラは、周囲を窺うと、静かに移動を始める。折角の収穫である。どこか気分の良いところで食べたかったのである。路地裏の更に奥、狭い建物の隙間を見つけると、手早くよじ登る。子供のような小さな体躯だが、これでも、この地で言うところの『魔族』なのである。普通の人間よりは体力も魔力もある。3階分の壁を登り終えるのに、そう時間はかからなかった。
麗らかなというには少々強い日差しを浴びながら、ニューラは屋根の上で横になる。
視界に広がるのは、一面に連なる建物の屋根である。赤みの強い瓦を用いた三角屋根で、多少の違いはあるが、平民街の建物は概ねこの様式に則っている。西の方に目を向ければ、王都を睥睨する背の高い王城が目に入る。東には港と海があるが、屋根に隠れてここからでは見えない。ただ、風を伝う潮の香りが、その存在を強く主張している。
平和だなぁ。そんなことを思いながら、ニューラは林檎を齧る。
実際、メフィルは未だ平和の中にある。勇者召喚を機に動くと思われた情勢は、どういうわけか早速止まってしまった。どうやら、レオーニ王はあの小さな勇者様の扱いに難儀しているらしい。見るからに面倒な小娘である。さもありなんといった話ではある。
しかし、王都を騒然とさせた召喚の儀から一週間が過ぎたというのに、何の公式発表もないのは不審と言わざるを得ない。勇者とは何かと言えば、王国民、ひいては人類の抵抗意思の象徴であり、つまるところ、大衆扇動のための偶像である。偶像は崇拝されてこそ意味がある。その前提条件は存在が周知されていることである。それなのに、何故その存在が公に示されないか。疑問という他ない。
王国と勇者の関係が早速破綻したというならば、まだ理解もできる。しかし、実態はそうでもないらしい。『塔』の界隈からは、あの勇者に賢者称号を贈ったなどという話も聞こえてくる。魔法関係の顕著な業績に贈られる名誉称号である。機嫌取りの一環なのだろうか。城内に籠る勇者の状況は判然としないが、『塔』の魔術師からは相応の声望を集めているようにもみえる。
南方情勢は複雑怪奇。ライデールを担当する調査部二課本体も浸透に苦労しているらしいが、ニューラも似たようなものである。いつかあの城の真実を暴いてみたいと常々思うが、現在の二課別室の人員規模を鑑みれば、夢物語の類である。何と言っても、ニューラしか居ないのである。王国の一般政情情報取得という温い任務は、同時に、王国での活動限界を示している。
この案件に関わるもう一方の当事者、ライデールの動きすら、『黒の貴公子』様に手一杯の二課本体に任せざるを得ない。幸か不幸か、今のところ、動きがみられたという話は受け取っていない。要するに、何かあるとしても、事が起こるまでわからない状況である。
現段階で一番動いているのは、寧ろ身内である。遥かグレースヴィールでは遠征軍司令官グレムフェルト巡察中将が退き、後任に連合王国戦備局出身、参謀長オーベル中将が就いた。ニューラとしては切ない限りだが、戦況の膠着を受けて、主導権が巡察使から再び戦備局に移りつつある。リヴリルもようやく兵力増派の要請に応じたらしい。間もなくディルストイに1個師団が到着するという。
物思いに耽っているうちに、いつしか林檎は芯だけになってしまっていた。休憩もそろそろ終わりということらしい。ニューラは徐に屋根から飛び降りると、そろりと路地裏の更に奥に駆け進む。正直、何をするかはまだ決めていない。たまには孤児仲間から話でも聞いてみようか。ふと、そんなことを思いつく。
「今日は少しくらい動きがあればいいんだけどなぁ」
日々、無為な時間を過ごすことは平和の証だが、精神的に堪えることもまた事実である。ニューラの呟きは誰にも聞かれることなく、路地裏の暗がりに溶けて消えた。
お久しぶりの更新です・ω・
基本的に面倒なお話なので、書くのに恐ろしく手間取っております!




