昼休みの珍客
研究室の片付けをようやく終えて、カーライン博士は遅めの昼休みをとっていた。カップに注がれた萌木色の液体は、『塔』の同僚が健康に良いと押しつけてきたハーブティである。実際のところは知らないが、鼻を抜ける爽やかな感覚は、日々の研究で疲れた脳に心地いい。丁度一息ついたところだった。
前触れもなくドアが開かれ、闖入者が現れる。ちょっと驚いたので、博士は思わず固まってしまった。
「だめじゃないか。せめてノックくらいしないと」
「そんな細かいことを気にしていたら大人物になれないのです」
「いや、そういう問題じゃないと思うんだ」
苦笑いしながら博士が窘める。正直、そこまで怒る気にはなれなかった。相手がまだ小さな貴族のお嬢さんだということもあるし、その少女のお供には見覚えがあった。友人の弟子である。
「で、エリオ、このお嬢さんは一体どなたなんだい?」
「えーっと、なんというか」
銀髪の少年はなんとも曖昧な表情を見せる。どうも適当な表現が見つからないらしい。そんな少年に見切りをつけたのか、少女の方が手を差し出して名乗りを上げる。
「第二常備軍設立準備室室長、ヴィオル・マーラフェルトです。はじめまして、カーライン博士」
「こちらこそ初めまして」
博士も微笑みながら手を取り、握手を返す。力を込めて握るのが礼儀というが、白くて小さな手はうっかりすると握りつぶしてしまいそうで、自然と柔らかな所作になる。
「……で、第二常備軍? 一体それは何なんだい?」
「平たく言えば魔王軍を叩き潰すための専門部隊です。レオーニの気まぐれで昨日設置されました」
「ふむ?」
言葉は理解できるが、正直さっぱり呑み込めない話である。
北で魔王軍と呼ばれる連中が暴れていて、ライデールが大変なことになっているのは知っている。呼び捨てにするのは些か不敬に思えるが、王様なら新規部署の設置くらい問題なくできることだろう。しかし、貴族の姫君にしか見えない少女と、軍隊という肉体労働の極致のような組織が結びつかない。まして、あのライデールですら苦慮する魔王軍を叩き潰すというのである。悪い冗談にしか聞こえない。
「あー、この子、勇者なんだ。昨日召喚された」
ようやくエリオが言うべき言葉を見つける。途端に博士の顔に驚愕の色が浮かんだ。
「勇者って、あの、ファーバウ教授の? 本当にやったの?」
「うん、昨日、実施されたんだ」
「なんてこった。本当にやらかすとは思わなかったよ」
大仰に頭を抱えて、カーライン博士が叫ぶ。勇者だか何だか知らないが、異界の存在を招き入れたところで、大勢が動くはずもない。寧ろ、リスクファクターでしかないと言っても過言ではない。呼ばれる方にしても不幸である。日常生活を破壊されるばかりか、王国の命運などという無駄な重荷を背負わされることになる。『塔』でも噂が流れたが、博士は現実味のない話だと一笑に付していた。
「本当に異世界の人なのかい?」
「うん、異世界のエルフ……らしいよ」
少女は長い耳をピクっと動かしてエリオの言を肯定する。どうやら本物らしい。元々可愛らしい姫君ではあるが、来歴を聞くとより神秘的に見えるから不思議である。博士はううむと唸った。
きっと心細いだろうと博士は慮るのだが、当の少女はそうでもないらしい。感情の窺い知れないフラットな調子で、話を続ける。
「まあ、細かいことはどうでもいいのです。今日は私の世界の技術を再現するために必要な需品を徴発しに来ました。カーライン博士、『びりびり石』の提供をお願いしましょう」
きっぱりとした要求である。
「徴発って、なかなか穏やかではないね」
「レオーニから第二常備軍の設立、運営事務に関して広範な特権を付与されているらしいです。正式な手続に関しては、彼とレヴィナあたりがどうにかしてくれるでしょう。拒否しますか?」
「いやいや、そういうことなら寧ろ喜んで進呈しよう。あまり使い道のない石だしね」
博士は微笑みながら承諾する。国王や宰相の名を出したのは、わかりやすい脅しである。随分と態度が刺々しいが、少なくともその身を襲った事態に絶望しているというわけではないらしい。こんなに小さいのに毅然とした態度だと、寧ろ褒めてあげたくなる。
幸いにして、研究室は片付けたばかりである。博士は木製のトングっぽいはさみを持ち出すと、戸棚から黄色い水晶のような結晶体を取り出す。噂の『びりびり石』である。
「えーっと、勇者様?」
「ヴィオルで構いません」
「そうか、じゃあお言葉に甘えて。ヴィオル、君はこれで君の世界の技術を再現するって言っていたけれど、つまり何をするのか教えてもらってもいいかな」
尋ねたのは、純粋に好奇心からである。一応、危険物なので武器として使う道はあるが、『びりびり石』を何か有効な用途に利用したという話はさっぱり聞かない。異界の知恵があるなら、教えて欲しいと思ったのだ。
「発電機を作るのです」
返事は素っ気なく返ってきた。
「この子の世界では、この石のびりびりっとしたやつで動く機械がたくさんあるらしいんだ」
エリオがすかさず補足する。何かの動力源となることはわかったのだが、それでも博士は首をひねる。びりびりで機械を動かすとはどういうことか。博士の疑問を察したのか、少女が虚空に幻影を浮かべる。魔法器の補助もなく、無詠唱で魔術を発動させたというのにはびっくりしたが、その辺はエルフだし、そういうこともあるかと納得することにした。
「私の世界では、そのびりびりを電気と呼ぶのです。電気には金属などの中を流れる性質があります。そして、電気が流れる時に、その流路のまわりに磁界を作り出します」
説明用に作り出した像は、要するに右ねじの法則を説明するものである。仮想的な導体線のまわりに、電流の向きと発生した磁界の向きが矢印で示されている。
最初は一本の直線に過ぎなかった導体棒は、やがて螺旋を描き、コイル状に変形する。螺旋の中央にできた空間に磁性材料──鉄の棒を挿入すれば、簡単な電磁石の完成である。
「このように構成すると、電気が流れている間だけ動作する磁石を作れるのです」
「えっ、磁石が?」
「電気で動く磁石なので、電磁石というのです」
事もなげに少女は言う。異界の理では当然の話なのかもしれないが、カーライン博士にとっては衝撃的な話である。魔石とは要するに不思議な性質を持った石であり、磁石もそこに含まれる。鉄などの金属を吸い寄せる魔石である。そんな磁石の機能を再現する電磁石は、言わば人造魔石と呼ぶべき存在である。或いは、磁石は魔石ではないのかもしれない。学問的に問題を孕んだ知見である。
もちろん、そんな事情は少女の与り知るところではない。説明は更に淡々と続く。
「後はこれに整流用のブラシをつけて、普通の磁石と反発するようにすれば……」
幻影に更に部品が追加される。電磁石の極性を決めるのは電流の向きなので、ブラシを使って磁石と常に反発するように電流を流せば、電流が流れている間回り続ける装置の完成である。いわゆる直流モーターである。
「これは単なる原理モデルです。実際にはもう少し気の利いたものが使われています」
「なるほどねぇ、これは面白い」
博士が唸る。回転運動を取り出す機械というのは、実に広い応用が見込める。身近なところでは麦を挽く石臼の動力になりうるだろう。今は風車や水車を利用しているが、それらはモーターと本質的には変わりない。王立工房の友人達に教えてあげれば、すぐに食いつくことだろう。
「おおっと、失礼。つい話し込んでしまったね。これが『びりびり石』だよ」
そう言って、博士は机の上に魔石を置くと、少女に木のはさみを手渡す。
「危ないからね。はさみは幾らでもあるからそのまま持って行っていいよ」
「ありがとうなのです」
「しかし、昨日召喚されたばかりと聞くけれど、よく『びりびり石』の存在を知っていたね。異世界にも似たような石はあるのかい?」
「いいえ。こんな素敵な石があるのなら、世界はもうちょっと平和だったはずなのです」
少女が言うには、モーターによく似た装置を蒸気の力で回すことによって電力を得ているのだという。お湯を沸かす必要があるので、薪や石炭のようなものがたくさん必要で、結局、その取り合いで争いが絶えないらしい。正直なところ、エリオにも博士にもどうやって湯から力を取り出すのか今一つ想像できなかったが、少女は蒸気タービンに関してはまたの機会にと、軽く言及するに留まった。
「そういうわけで、この石から適切な電流を取り出せるかは未知数なのです」
少女が受け取ったびりびり石を振りながら言う。仮説によれば、『びりびり石』は常に高い電位にあるから、低い電位へと続く道を作ればよいらしいが、仮説の根拠は書籍の記述に過ぎない。実際にやってみなければどういう結果に落ち着くかわからないところがある。
「まあ、発電に成功したらまた来ます。実験の顛末はその時に語るとしましょう」
はさみで掴んだびりびり石を振り回しながら、少女は研究室を退出する。表情ひとつ変えない不思議な娘だが、その所作は、なんとなく嬉しそうにも見える。銀髪の少年も続き、「先生またねー」と手を振るので、カーライン博士も笑顔で応えた。更に、にゃーんと一声、尻尾が一本余計についた三毛猫も後に続く。博士はそのとき初めて、この小動物の存在に気付いた。如才なく二人に従う振る舞いは、猫ってこんなに賢い生き物だったろうかと思わせる。
何にせよ、闖入者が去り、研究室は静けさを取り戻す。博士は思い出したようにお茶に口をつけた。もうすっかり冷めていたが、爽やかな風味は変わらない。そのまま一気に飲み干す。
すぐにでもモーターとやらの試作品に着手したい衝動に駆られるが、博士は我慢して机に向かう。先に、事務局への資材補充請求を出さなければならなかった。出張から帰ってみると、先日組み上げた実験装置が見事に爆散していたのである。研究室は無事だったが、装置を載せたテーブルが見事に真っ二つとなっていた。午前を丸ごと潰した大片付けの原因である。
「そういえば、これの原因も調べないとなぁ」
部屋の片隅に集めた残骸を見遣りながら、博士は溜息をついた。どうも魔石を設置したまま放置したことが原因らしいが、爆発というのは予想外の事態である。何にせよ、お楽しみは、もう少し先のことになりそうだった。




