第3話 馬車での会話
私はまぶしさで顔をしかめ、思わず宰相様の胸に顔を埋める。
牢屋の中では昼か夜かも分からなかったから、地下から出たときの明るさに驚いてしまった。
「お前が今回の通報者だな」
宰相様が、傍らの誰かに声をかけた。
光に目がチカチカしてすぐには気づかなかったが、顔を上げ目を細めてよく見ると、そこに1人の男がかしこまったように立っていた。キツネ男だ。
「はい、わたくしでございます。もっと早く通報できていれば……」
キツネ男は気まずい顔でこちらへ視線を向け、絞り出すように言った。
「遅くなってしまい申し訳ございません」
深々と頭を下げる。
牢屋では、逃げるように去っていく彼の背中を見て、心細さから『結局助けてはくれないんだな』と恨めしく思ったこともあった。今思えばキツネ男が私を怖がるのは、闇属性のせいだったわけだけど……裏では宰相様を呼んでくれていたのだ。
(キツネ男は私を見捨てたわけじゃなかった!)
胸がいっぱいになって、鼻の奥がツンと痛む。
「よい、感謝する」
恭しく頭を垂れるキツネ男に向かって、宰相様は労いの言葉をかけた。
宰相様から直々に感謝されるなんて、ズルい。羨ましすぎる。とはいえ、救われたのは私なので、私もきちんとお礼を言いたい。
──が、うまく声が出ない。
さっき暴れたせいで、喉がからからに枯れてしまったらしい。
やがて宰相様がゆっくりと歩き出したため、私は遠ざかるキツネ男に向かって、宰相様の腕の中からお礼の意味を込めて小さく手を振った。
キツネ男はビクッと身を強張らせたが、私なりの「ありがとう」だと伝わったのだろう。彼はほんの少しだけ口元を緩めた。
怖がっていた姿しか見たことなかったけれど、最後に彼の笑みを見られてなんだか、胸の奥がじんわりと温かくなった。
* * *
宰相様に抱えられたまま、教会を出る。
外に出た瞬間、頬を撫でる風の心地よさに思わず深く息を吸い込んだ。周りは木々に囲まれており、鳥の声が聞こえていて穏やかだ。どこからか花の香りも漂ってくる。
カビと悪臭に満ちていた地下の地獄が、まるで嘘のようだ。
振り返って見た教会は、赤茶けたレンガ造りの古びた小さい建物だった。教会らしく神聖な雰囲気が漂っていて、地下牢とのギャップに驚く。
──ヒヒーン。
鳴き声のほうに目を向けると、数人の護衛らしき人たちが、馬にまたがり待機していた。その間には、無駄を削ぎ落とした漆黒の馬車が1台。御者台には男が控えており、いつでも出発できる状態になっている。
その馬車へ、宰相様と私、そしてポニーテールのお姉さんと共に乗り込んだ。
(ゲームで宰相様のそばに、こんな綺麗なお姉さんなんていたかな?)
宰相様を見た瞬間、彼にまつわることはだいたい思い出したような気がするのだけれど、このお姉さんのことは記憶になかった。
馬車の外にいる護衛たちとは違い、宰相様と共に車内に乗り込むぐらいだから、彼女は側近中の側近なのだろう。
馬車に乗り込んで、お姉さんはすぐに窓を開けた。鼻をつまむような、あからさまな態度は見せないが、私の臭いに辟易しているのは明らかだ。
だが彼女の関心は、不快な臭いよりも私自身への警戒にあるらしい。時折ピリッとした視線でこちらを睨んでくる。
怖いけれど、警戒されるのは、まあ……仕方ない。宰相様の大事な命を守るんだもの。これぐらいの用心はしてしかるべきだ。推しの安全のためなら、私も我慢するしかない。
やがて、抱きかかえられていた体は、宰相様のすぐ隣の座席へと下ろされた。座面は滑らかな黒革で、座り心地がいい。臭いのこともそうだが、清潔な座席を汚してしまって申し訳ない気分だ。
我ながらひどい有様だとわかっているのに、私はもうちょっとだけ宰相様にくっついていたかった。けれど、多忙な宰相様に休む暇などないらしい。お姉さんから書類を受け取ると、すぐさま仕事モードに入ってしまった。
邪魔しないよう、でも出来るだけ宰相様に温もりを感じられる位置で大人しくすることにした。
そうこうしているうちに馬車が動き始める。
揺れを覚悟していたが、最初にガコンと揺れただけで、その後は信じられないくらいスムーズだ。
(え? 電車より快適じゃない?)
ひょっとしたら、揺れ防止の魔法でもかけられているのかもしれない。
当たり前のように魔法が存在するこの世界に、私は密かに胸を弾ませた。
* * *
──カポカポカポカポ。
馬の蹄の音が心を落ち着かせる。
宰相様は仕事に集中しているし、お姉さんは私を睨んでいるし。窓の外の景色は変わらず、ずっと森の中だ。
体も怠いし、眠い。何日もろくに食べていないのもあるし、ひどく熱っぽい感じがする。助かった安堵からか、張り詰めていた糸が切れかけているようだ。
横にいる宰相様の体温がじんわりと温かくて、深い睡魔に少しずつ引きずり込まれていく。
そんな私の耳に、極上の低音ボイスが届いた。
「光神教会の件はまだ時間がかかりそうだな」
(──っ!?)
私は弾かれたように顔を上げ、カッと目を見開いた。馬車に乗ってから初めて、その尊いお口を開かれたのだ。
ああっ、こんなところで惰眠をむさぼっている場合ではない! 彼が紡ぐお言葉を、一言半句たりとも聞き逃すわけにはいかないのだから!
「はい、連中を断罪するための決定的な証拠は押さえましたが、事後処理が厄介です。いくつかの教会でまだ孤児売買に関わっている所があるようですし……大陸への密輸は間違いなさそうなので、港の監視をさらに強める必要があるでしょう。ところで、閣下……」
お姉さんは訝しげに私を見た。
「なぜ、わざわざその子をお連れになったのですか? 部下に命じてくださればよかったものを……」
宰相様はすぐには答えず、ただ静かに私を見下ろしている。
その沈黙に焦れたのか、お姉さんは言葉を続けた。
「闇属性が本当ならば、その子は闇の魔女の血筋ではないでしょうか? 髪と目の色は違いますが、闇属性は希少です。可能性は高いと思われます」
闇の魔女?
いかにも重要そうなキーワードに、私は必死に前世の記憶を掘り起こそうとしたけれど、全然出てこない。
ゲームで『闇属性』に関するキャラクターはモルガナくらいだ。でも彼女は『闇の魔女』などと呼ばれてはいない。
お姉さんの険しい顔を見る限り、悪いやつなんだろうけど……。
「まだこの者が闇属性と決まったわけではない。あの男の証言だけを鵜呑みにするのは早計だ」
宰相様が静かに言った。
「ですが、17年前の……私はあの日のことが忘れられないのです。伝説とまで言われた祖母が傷を負うほど、闇の魔女の力はまさに災厄そのものでした」
そう言って俯き、お姉さんは痛々しいほど眉間に皺を寄せた。
彼女が警戒する理由はこれか。過去のことが相当トラウマになってるようだ。家族が傷つけられたなら、私のことを恐れるのも無理はない。
「だから、いくら衰弱した子供とはいえ、闇属性の疑いがある者を、閣下のおそばに置くなど……」
お姉さんは目を細めると、射殺さんばかりの鋭い視線を私に向けた。
「それに、なぜか異様に閣下に懐いておりますので……私は非常に不安なのです」
……異様に?
異様にって、さっき宰相様の胸に顔を埋めて、匂いを嗅ぎまくったのがバレたのだろうか。
今すぐにでも窓から放り出されそうな気迫が怖くて、私は宰相様の服をギュッと握りしめる。宰相様はそんな私をちらりと見下ろすと、淡々とした口調で告げた。
「魔塔主に鑑定を頼むつもりだ。必要であればこの者の処遇もアレに任せることになるだろう」
……それはつまり、宰相様のそばにいられないということだろうか。
宰相様の発言に私は困惑する。
なぜヒキガエルがわざわざ属性を調べたのかは分からないが、あいつは残念ながら嘘を言っていないのだ。ただ、今はヒキガエルの発言だけだから、疑わしいってだけ。
その魔塔主って人に鑑定されたら、属性は間違いなく『闇』を示すだろう。
お姉さんのあの剣幕を見る限り、闇属性だと確定したら、私は絶対に宰相様のそばに置いてはもらえない。
宰相様の養女になれないってこと? 私どうなるの? ここはどこ? 私は誰?
熱っぽいせいか、さっきから思考も視界もぐるぐる回っている。
もうよく分からなくなってきて、このまま逝ってしまうんじゃないかってぐらい、頭がぼんやりしてきた。
ああ、せめて最期は宰相様の腕の中がいい。
力を振り絞って、宰相様にしがみつく。
そこで私は力尽きた。




