第31話 養女生活のスタート
転生してからどれくらい経っただろう。
最初は牢屋に閉じ込められ、絶望の毎日を過ごしていた。
どん底にいた私が「推し」である宰相様に救われ、さらには「推しカプ」まで発見して、天にも昇る気持ちだったのに……。
闇属性のせいで魔塔行きになりかけ、お出かけではゴロツキに襲われる始末。
毒を盛られた宰相様を救えたのは良かったけれど、後遺症で私は魔力枯渇症になってしまい、さらに、シドニーさんの脅しで屋敷を飛び出してしまった。
森を彷徨い、力尽きていたその時――宰相様が白馬の王子様のごとく(黒馬だったけど)現れ、私を養女にすると宣言してくれたのだった。
めでたし、めでたし。
かくして「推し」の娘になった私は、親子睦まじく幸せに暮らしたかというと……そうでもない。
親子になったばかりだというのに、いつものパターンで宰相様は仕事で帰ってこない日々が続いた。会えたとしても顔見せ程度。
どうやら教会の件が大詰めを迎えているようだった。
今回の孤児売買の首謀者は、あろうことか三大神官のうちの2人だったらしい。彼らは孤児売買の裏ルートを使って、政敵を消すための毒まで密輸していたそうだ。
実際に毒を使ったのは、追い詰められた高位神官の独断だったようだが、元を辿れば首謀者たちの責任である。それらを黙認していた教主も事実上の更迭となり、教会の権威は完全に失墜した。
宰相様に大神官2人の悪行を密告した『サヴォナ大神官』という人が、次の教主になるようだ。彼女はとても正義感が強く、悪を許さない厳格さがありながらも、皆に慕われている人らしいので、教会が良くなっていくのを願うばかりである。
一方、私のほうはというと、執務室の惨状と格闘していた。
乱雑に積まれた書類の山々。それらが散らかり放題の部屋を片付けるべく、ウィンストンさんと共に奮闘しているのだ。
仕分けの木箱をラルフさんに用意してもらい、大まかに分類していく。しかし、その作業だけで丸1日かかってしまい、おまけに翌日には私が体調を崩したせいで、片付けは思うように進まなかった。
ゆくゆくは剣や魔法を覚え、暗殺者に備えて鍛えなければならないというのに、部屋の片付けだけで熱を出すなんて前途多難にもほどがある。
ウィンストンさんに無理をしないよう言われながらも、少しずつ片付けを進めていった。だいぶ部屋が綺麗になってきたころには、ウィンストンさんとはすっかり戦友のようになっていた。
「最後は宰相様の机の周りだけだね、ウィンストンさん」
もはや、ため口である。
「もう少しですね、お嬢様」
清々しい表情でウィンストンさんが頷いた。
「よし、がんばろう!」
「おー」と2人でラストスパートに気合いを入れる。
が、その前に、まずは宰相様補給がしたい。
「ウィンストンさん、宰相様の椅子に座ってみてもいい?」
「ええ? ええ、構いませんよ」
気合いを入れたところで、掃除の腰を折るようなことをして申し訳ないけど、宰相様不足の今、せめてこの椅子から養分を摂取したいのだ。
推しの特等席を前にしてテンションが上がった私は、飛びつくように椅子に駆け寄り、よじ登ろうとする。途中、頭の上にいたノスが落ちかけるなどして思ったより苦戦してしまい、結局ウィンストンさんに抱き上げてもらった。子供の体は不便だが、こうやって甘えることができるのは子供の特権である。
(おお、これが宰相様が普段お座りになる椅子!)
さすが、良い座り心地である。
机の上を見渡すと、見事に書類や封筒がごちゃごちゃである。卓上ランプは質素だけれど、羽ペンやインク壺は高級そう。書き心地にこだわりがあるみたいだ。宰相様が書いたであろう書類の文字は、几帳面なほど美しかった。
「ん?」
数字で埋め尽くされている書類が目に入る。
と同時に、胃のあたりがキリキリと痛むような既視感を覚えた。前世でどんな仕事をしていたか覚えていないが、なんか懐かしいというか、自分もこういった数字とよく格闘してたような気がする。
書類は雑な字で書かれているので、宰相様の字ではないと一発でわかった。
「予算申請書?」
なにげなく数字を追っていた私は、ある箇所でピタリと視線を止めた。
「うーん、これ、計算間違ってる?」
「はい?」
怪訝な顔をして、ウィンストンさんが眼鏡をかけ、書類を覗く。
渋オジの眼鏡をかける姿っていいよね、と脳内でデレデレしつつ、書類の間違い箇所を指さす。
「ここ、単価と個数の掛け算だよね? だとしたら合計は4480になるはずなのに、4580って書かれてる」
「えっと……」
ウィンストンさんは手元の石板にカリカリと書いて計算を終えると、ようやく「……確かに」と唸るような声を漏らした。
「あ、暗算されたのですか?」
「簡単にできるわけじゃないけど」
前世では数字が得意なわけじゃなかったはずだけど、素晴らしきかな若い脳みそ。割と素早く計算できた気がする。
「なんと!」
ウィンストンさんが感嘆の声を上げた。
「これほどの計算を即座に暗算できるのは、数字に慣れた商人でもなかなかいないでしょう」
「この計算って全部筆算なの?」
ウィンストンさんは石板を手にして頷いた。
「これに書いて計算していくのが一般的ですね」
それはすごく時間がかかるのでは……計算だけが原因じゃないかもしれないが、宰相様の忙しさの要因の1つになっているのは間違いない。
「計算機があれば仕事も少しは楽になると思うんだけどな」
コンロや冷蔵庫はあるのに計算機がないなんて……。
作るのは難しいのだろうか。
「けいさんき? ですか?」
ウィンストンさんが首を傾げる。
「えっと……」
石板を借りて、電卓の絵を描いてみた。
「こんなふうに四角い箱に、0から9までの数字が並んでいて……この数字を指でポチッと押すの。次にこの記号を押して、また数字を押して。最後にここを押すと、上の画面にパッと計算された答えが出るの」
私の頭の上から机に飛び移り、ノスが電卓の絵を覗き込んできた。どうやら興味があるようだ。
「このけいさんきっていうの、存在するノカ? こんなの魔塔で開発されてないと思うケド」
おっと、前世の知識を放出し放題だって思ってたけど、魔塔で開発されてないものだとさすがにマズいだろう。
魔道具はだいたい魔塔や宮廷魔術師が開発するらしい。開発元が知らないものを持っている状態はおかしいことになる。海の向こうの大陸産ってことにしてもいいかもしれないが、計算機という便利なものが伝わってないのもおかしい。
私は考えに考えた末……。
「お祖父様が考えてたのを、ふと思い出したの。計算がすぐにできるの、おもしろいから」
ここぞとばかりに、『お祖父様設定』を利用する。天才的なことは異父弟さんのせいにすれば、「宰相様のご兄弟だから」のひと言で丸く収まるのだ。
「なるほど、さすがは大商人の血を引くお方ですね。従来の貴族にはない柔軟な発想をお持ちだったのでしょう。押すだけで計算してくれる道具があれば、相当助かりますが……ミルディン様なら作ることができるのではないですか?」
ウィンストンさんが石板に描かれた絵を興味津々に眺めつつ、ノスに問う。
ノスはうんうんと頷いた。
「聞いてみル」
ノスが石板の上に立つと、石板ごとフッと消えた。
「おお、瞬間移動!」
前にもミルディン様が指を鳴らすと、空中からノスが現れたことがあったけど、何度見ても不思議である。魔法陣を描いて移動する『転移魔法』と違って、一瞬で消えるなんて……。
「瞬間移動の魔法ってみんな使えるもの?」
夢の移動手段だ。
「ノス様のような使い魔やミルディン様と一部の魔塔の者だけですよ。魔塔の者でも多用はしないでしょう。相当な技術が必要な上、大量の魔力を消費しますから」
やっぱり相当難しいんだね。転移魔法陣でも移動できるのだから、わざわざ瞬間移動できなくてもいいかもしれない。ただ、ファンタジー的に瞬間移動で現れたらカッコいいよね。
しばらくして、ノスが同じ場所に瞬間移動で現れた。
前言撤回。
ノスの場合、カッコよくはない。
かわいい。
着地に失敗して、コテッと尻もちをつき、ブルブルと首を振る。よく見ると、足元にあった石板はない。ミルディン様に預けたのだろう。
「ミルディンが作ってみるっテ。だから、しばらく会いに来ないって言ってタ」
ミルディン様が計算機を作って、宰相様にプレゼントすればすごく喜ぶんじゃないだろうか。仕事人間の宰相様だから、どんな贈り物よりも心に刺さるかもしれない。うまくいけば、2人の仲が大接近するかもだ。計算機がきっかけなのは、ムードもへったくれもないけれど……。
その上、宰相様のお仕事の負担が減れば一石二鳥である。
書類の数字を間違えてくれた人に感謝だ。そう思って名前を見てみると、エクター・レッドブレイズと書かれていた。
騎士団長だ!




