第30話 宰相と私と魔塔主
「しかし、モルガナの出自じゃが……ウォルが貴族の令嬢か大商人の娘かと言っておったじゃろう? 大当たりだったのう」
重い空気を払うように、明るい調子でミルディン様が言った。
そういえば、以前そんな話をしたっけ。私の話し方や食事の仕方なんかから、宰相様が名探偵ばりに推理したんだよね。
……待てよ?
(ということは、この出自を言い訳に使えば、前世の知識を活かしたスイーツを色々作っちゃっても怪しまれないのでは?)
元は大商人の家系なのだから、『実家にあった異国の本で読んだレシピ』などという設定にしておけば、誤魔化せるかもしれない。
会ったこともない故人たちをダシに使うのは少し気が引けるけれど、推しに美味しいスイーツを堪能してもらうため、仕方がない。
どんなスイーツを作ろうかワクワク考えていると、「ところで」と宰相様が少し前のめりになって口を開いた。
先程までの沈痛な面持ちはどこへやら、未知の概念に対する探究心を抑えきれないようだ。
その目は微かに熱を帯びている。
「お前が言っていた『メンタルヘルスケア』や『アフターケア』なる言葉はエルデレジアの貴族か商人の間で使われていたものか?」
「えっと……そうかもしれないです」
断定してしまうとバレてしまったときに墓穴を掘るので、ここは曖昧にしておく。
「なんじゃ、めんたる……なんたらとは……」
「お前が知らぬということは、魔力による精神治癒ではないようだな。モルガナが、心の傷を癒やす手立てについて非常に興味深いことを口にしてな」
「ほう?」
2人の好奇心に満ちたキラキラした眼差しが眩しい。推しカプから見つめられ、私は心の中で静かに悶絶する。
深呼吸をして、落ち着かせてから私は説明した。
「えっと……つまり、体が怪我をしたら、手当てをしますよね。それと同じで、心が傷ついたときにも、放っておかずにちゃんと様子を見て、回復を助けてあげる……そういう仕組みが必要なんだと思います。もしそういう制度が整っていたら、心に傷を負ったまま苦しむ人を減らせたはずですよね」
「……確かに、そのような制度さえあれば、彼らが心の傷を負っていたことに、いち早く気づくことができたな」
前世でいえば、従業員支援プログラムだよね。
きちんとケアをしていたら、闇属性の私を警戒する人は減ってたかもしれない。特にシドニーさんはメンタルケアをしっかりしていかないと、かなりのトラウマ具合だと思う。
「しかも、ちゃんとしたカウンセ……じゃなくて、心の傷を診てくれるお医者様のような人じゃないとダメですよ。心の扱いに長けた専門家が診ないと、心は繊細ですから、悪化してしまうかもしれませんし……」
「しかし、そのような専門家など、この国にはおらぬ。エルデレジアにはいるのか?」
「あ……もしかしたら、私の家だけだったのかもぉ」
肝心なところは、記憶喪失ということにしておく。一国のトップである宰相様が、他国であるエルデレジアに公式に問い合わせたら、国際問題になりかねない。
「……ということは、当時の当主が個人的にその仕組みを取り入れていたのか」
「なんと、だとしたらエルデレジアは相当な人材を自らの手で失ったことになるのう。しかし、さすがウォルの異父弟じゃな。血は争えん。心を扱う制度を自らの手で確立しておったとは……」
スイーツどころか、何かとんでもないことまで……勝手に亡くなった身内たちを利用して心苦しい。皆さんすでに天国にいらっしゃるから、確かめようがないのを良いことに、もはや前世の知識を放出し放題だよ。
「ふむ、是非とも、我が国にその制度を設けたいものだ。特に過酷な任務の多い騎士には必要だろう。しかし、人の心の傷や悩みに向き合う専門家——心療術師とでも呼ぼうか。彼らをどう用意するかだな」
私は専門家ではないので、手助けはできない。この世界でカウンセラーに一番近い役割ができる人って誰だろう……誰にも言えない悩みを聞いてあげて、優しく包容力がある……。
ん?
それにドンピシャで当てはまる人物、いたような。
私は記憶を探る。ゲームの中の何かの……誰か……。
「あ!」
私の脳内にピシャーン! と稲妻が走った。
目の前の推しオジたちに夢中ですっかり忘れていたが、ゲームのメインキャラクターに『お兄さん的ポジションの聖職者』がいた。
確か名前はシオンだ。
彼は教会で『祝福』を行っていた。
『祝福』とは、迷いや悩みを聞き届け、その人が前を向けるように、光の力で心身を浄化する神聖な儀式のことだ。彼は美しい容姿で優しく話を聞いてくれるため、教会を訪れる人々から絶大な人気を誇っていた。
でも実は、無属性で『他人の心が読めてしまう』という特異体質の持ち主。人々の悩みを聞きながらも、彼自身もその力にずっと苦しめられていたのだ。
だからこそ、ゲーム上では裏表のない純粋な心を持った他のキャラクターに救われて恋に落ちるんだけど……。
彼は能力がコントロールできず、他人の心の声が勝手に流れ込んできてしまう。もし力そのものをコントロールできるようになったら? 必要な時だけ、ちゃんと『聞く』ことを選べるようになったら……。
幸い、ここには魔法のプロがいる。ミルディン様に力のコントロール方法を教えてもらえばいいのだ。他人の感情に飲み込まれなくなりさえすれば、立派な心療術師になれるんじゃないだろうか。
「教会の神官たちはどうでしょう?」
私が言うと、宰相様も同意するように頷く。
ミルディン様は眉をひそめた。
「教会のやつらは信用できぬ。ウォルに毒を盛ったやつらじゃぞ」
「しかし、教会では日々の祈りの中で、信者の声に耳を傾けているではないか。神官というものが、民の悩みを受け止める立場にあるのは事実だ」
でも、教会の場合、話を聞くだけだし、『祝福』もその場限りのもので、根本的な心の傷の解決にはなっていないんだよね。
ミルディン様はため息をついて、今度は私に目を向けた。
「モルガナ、お主も酷い目にあったじゃろう?」
「でも、それはそれ、これはこれ。適任者であるのは間違いないですよ。利用できるものは利用していきましょう」
私の言葉にミルディン様は呆れたように首を左右に振った。
「似た者親子ではないか、お主ら」
推しと似ているなんて言われて内心小躍りするほど嬉しいけれど、恐れ多くて身が震える。
ミルディン様はやれやれと肩をすくめた。
「親子といえば思い出したが、わしは立会人として呼ばれたのではなかったか?」
「そうだったな」
宰相様は何枚かの羊皮紙を取り出し、テーブルの上に並べた。内容をざっと見てみると、どうやら養子縁組の契約書のようだ。
いよいよだと思うと、胸が高鳴った。
「文字は理解できるか? 条項に目を通し、異論がなければそこに署名せよ」
もう少し感動的なやり取りがあるのかなと思ったけど、とっても事務的。宰相様らしくもあるけど、ちょっとがっかりしながら綺麗な書類に目を通す。
宰相様の字はとても綺麗で几帳面だった。推しの書いた字だと思うと、面倒な書類も余裕で読めちゃう。
書類には衣食住の保障はもちろん、教育費、交際費、その他諸々の費用もすべてお小遣いとは別に宰相様が負担してくれると書かれていた。
「……あの、月々に支給されるお小遣いが多すぎませんか?」
この世界の貨幣価値がゲームと同じなら、ここに書かれている数字は子供の小遣いにしては多すぎる。
「不満か?」
「減らしてください」
ブレスレットの件で、ただでさえ高額なお金を払ってもらっているというのに、これ以上負担をかけたくない。
「しかし、それ以上減らすと、本を数冊買っただけでなくなってしまうぞ? 貰えるものは貰っておくがよい」
書類を覗き込んで、ミルディン様が事もなげに言う。特に驚いている様子もないし、貴族にとっては普通の金額なのだろうか。
「うーん、じゃあ貰っておきますね。えっと……」
それから何度か書類を読み込む。異論があるどころか、好条件すぎて逆に心配になる契約書だ。
「よし、署名します!」
私は深呼吸し、羽ペンを手に取った。
名前を書いたら、私は宰相様の養女だ。
自分ではないと抵抗があったこの名前も、今なら大切にできる気がする。
――カリ、カリカリ。
今まで文字の練習には石板を使っていたので、初めての羊皮紙と羽ペンは酷く書きにくい。練習してから書けばよかったと激しく後悔する。せっかくの記念すべき『モルガナ』の文字が酷くいびつになってしまった。
ノスが「下手くそダナ」とカラカラ笑う。
しょんぼりしてうつむいていると、頭の上に大きな手が乗り、ポンポンと優しく撫でられた。
顔を上げると、宰相様が小さく微笑んだ。その微笑みに、胸の奥から、熱いものが込み上げる。
私の不格好な字の隣に、流れるような美しい文字で『ウォルシング・レギスガルド』と書き入れた。続いて、ミルディン様も力のこもった文字で、堂々と名を刻む。
3人の名前が並んだ。
震えるようないびつな私の文字を、宰相と魔塔主の立派な署名が、両脇から挟み込んで守ってくれているように見えた。
「これで晴れて私の娘だ。モルガナ」
宰相様の低く温かい声に、とうとう堪えきれず、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
第30話までお読みいただき、ありがとうございました。
本話をもちまして、第1章は完結となります。
ここまで見守っていただき感謝の気持ちでいっぱいです!
第31話(第2章)からは、週2回【水曜日・土曜日】の更新ペースに変更予定です。
引き続き、本作を楽しんでいただければ幸いです。よろしくお願いいたします!




