第29話 執務室
軽く朝食をとり、料理長に診察をしてもらう。問題がないとお墨付きを得た後、着替えを済ませて、ノスとミルディン様と一緒に執務室へと向かった。
念願の宰相様の執務室である。
扉の前にはウィンストンさんが立っていた。
前は入れてもらえなかったが、今回は宰相様に呼ばれているのだから、当然すぐに入れてもらえるだろう。
ところがウィンストンさんは、なぜかひどく気まずそうな顔をして、扉を開けるのを躊躇っているようだった。私をまだ警戒しているのだろうかと思ったが、どうやら様子が違う。
「はよう、開けぬか」
ミルディン様に急かされ、ウィンストンさんは諦めたように頭を垂れ、やがて意を決したように扉を開けた。
執務室に入ってまず印象的だったのは、無造作に積み上げられた巻物の山と、インクの匂いだ。
宰相様が使っているであろう重厚な机は、未開封の手紙や封書、乱雑に転がった巻物、羊皮紙の束などに完全に埋没している。
壁際には鍵付きの大きな櫃が何個も並び、その一部からは蓋が開いて書類が溢れ出ていた。いくつか並んでいる本棚には、分厚い本や、紐で縛られた紙束が無造作にねじ込まれている状態だった。
部屋の中央にある来客用のテーブルやソファだけは、かろうじて使える状態に片付けられているが、足元には書類の山ができている。きっと普段は、あの上にも書類が積み上げられていたに違いない。
以前はただの居候だから、機密情報のある執務室には入れてもらえないのだとばかり思っていた。けれど……。
(もしかして、単にこの汚部屋を見せたくなかっただけなのでは?)
扉を開けるのを躊躇していた様子からも、間違いないだろう。
「片付けが追いつかず……」
そう言って、ウィンストンさんは窓を開けて換気をした。
「相変わらずの部屋じゃな」
「ミルディンの部屋はもっと酷いダロ」
ミルディン様の言葉にノスがツッコミを入れる。
研究オタクであるミルディン様の部屋が散らかっているのは想像がつくけれど、まさか宰相様の部屋がこれほどのカオスだとは思わなかった。
「内々の書類が多くありますので、使用人の中でも私しか整理を行えないのです。片付けても書類は増える一方で……」
遠い目をしてウィンストンさん。
さすがにこの惨状を放っておくことはできない。片付けは得意なほうなので、ぜひ協力させてもらいたい。
「私にも、宰相様のお部屋のお片付けをさせてもらえませんか?」
前回お手伝いしたいと言った時は丁寧に断られたけれど、今度はどうだろうか。
「……しかし、お嬢様のお手を煩わせるわけには」
ただの客人だった前回とは違い、養女として迎えられる今回なら、完全に拒絶されることはないようだ。
「とりあえず、仕分けの箱を用意して、まずは大まかに分類してみてはどうですか? 重要度別や種類別に箱を分けるだけでも、すぐに片付けられそうです。ラベルや簡易目録を作れば中身がすぐ分かりますし、そのあと年代や日付で小分けして……」
推しの役に立ちたい一心で、つい熱が入って、早口になってしまう。ふとウィンストンさんのほうを向くと、目を丸くして私をまじまじと見つめていた。
「……そのお年で、書類の整理方法についてよくご存じのようで驚きました」
「さすが、ウォルの血を引いておるだけあるのう」
なぜだか誇らしげにミルディン様が頷いている。
子供らしからぬ発言に怪しまれるかとヒヤヒヤしたが、宰相様の血筋という便利な理由であっさり納得してもらえたようだ。
それに、今はもう屋敷を追い出される心配もない。これなら、推しのために多少ぶっ飛んだ提案をしても問題なさそうだ。
「ところでウォルはどこじゃ? わしも来るように言われたんじゃが?」
まさか寝坊してるわけじゃないよね。耳を澄ませてみたが、隣の寝室からは一切物音がしない。代わりに、コツ……コツ……と硬い靴音がどこからか近づいてくる。
どこからだろう、と辺りを見回したその時。
ギギギッ……。
鈍い音を立てて、壁際の本棚の1つがゆっくりと開いた。
――隠し扉!?
まさか本棚が扉になっているなんて思わなかった。ロマン溢れる隠し扉の存在に、つい興奮してしまう。
「お帰りなさいませ、旦那様」
ウィンストンさんが深々と頭を下げる。そこに現れたのは、歩きながらも書類に目を落とし、眉間に深い皺を刻んだ宰相様だった。
「どうなってるんですか?」
私はワクワクしながら背伸びをして、隠し扉の奥を覗き込む。だが、真っ暗で何も見えない。
「城の執務室に繋がる転移魔法陣が設置してある。このことは、くれぐれも他言しないように」
宰相様は、書類に向けていた視線をゆっくりと私へ移して釘を刺した。
「は、はい!」
(城に繋がってるだなんて、一番の機密情報じゃないか! ていうか、職場までドアツードア! いくらなんでも仕事人間すぎるのでは?)
絶対働きすぎだし、ますます宰相様の体が心配になってくる。
その後、ウィンストンさんが紅茶とお菓子を用意してくれ、インク臭の漂う部屋に、淹れたての紅茶の甘い香りがふわりと広がった。
準備を終えたウィンストンさんが静かに退室すると、向かいのソファに座った宰相様は、いつになく険しい表情をしていた。こちらから声をかけるのも躊躇われるほどの重い空気だ。
私が緊張した面持ちで待っていると、宰相様が重々しく口を開いた。
「……つらい話をしなければならない」
つらい話?
(まさか、私を養女にする話を白紙に戻すとか?)
急に怖くなった私は、膝の上にいるノスを思わずギュッと抱きしめた。力が強かったのか、ノスは「ぐぇ」と小さく唸る。
「お前の父親と母親だが……亡くなっていた。2人ともエルデレジアの王位継承争いに巻き込まれ、粛清によりモルガナを除く一族すべての命を奪われたようだ」
「なんと……」
ミルディン様も衝撃を受けたように、神妙な面持ちを浮かべている。
(――やばい)
私にとっては他人のことだ。申し訳ないけど、悲しいとも何とも思わない。むしろ、実の両親のもとに返されることのほうが、私にとっては大悲劇である。
でもここで悲しまないのは不自然だよね。どう反応したらいいか悩んでいると……。
「……記憶は少しずつ戻ってきているようだったが、両親のことはまだ思い出せないか?」
助け船である。私はここぞとばかりに何度も頷いた。
「思い出さぬほうがいいじゃろう。エルデレジアも惨いことをするのう。ということは、お主の異父弟もその粛清に巻き込まれたということか?」
ミルディン様の問いに、宰相様は目を伏せ、やるせなげに息を吐いた。
「うむ。モルガナの出自を調べるまで、私に異父弟がいたことすら知らなかったがな。どうやら母は私と生き別れた後、エルデレジアの商人と結婚したらしい」
宰相様の母と結婚した商人はその後、大成功を収めてお金で爵位を買ったものの、その息子である異父弟が王位継承争いで第二王子派についたせいで、一族もろとも粛清されてしまったようだ。
ちなみにモルガナの父親は、宰相様の異父弟の三男坊にあたるらしい。どうやって出会ったかは分からないが、ノルトグレイから逃げてきたモルガナの母親、つまり『闇の魔女』の娘と結婚して、モルガナが生まれたみたいだ。
「――お前の両親は、せめてお前だけでもとこの国へ逃がしたのだろう……すまないな。もっと早く私が孤児売買を取り締まっていれば、お前が巻き込まれることはなかっただろう」
宰相様は苦しげに眉を寄せ、沈痛な声でそう言った。
(宰相様のせいじゃないのに……)
どこまでも生真面目で、自分に責任のないことまで背負い込もうとするその優しさに、私はたまらなく胸が熱くなった。




