第26話 執事の誓い
霊廟から屋敷までゆっくり馬で10分くらいの距離だった。
街の方向とは真逆だし、どこをどう迷ったのだろう。森の中を何時間も彷徨った気がするのに、案外近くて拍子抜けである。
屋敷に到着するなり、使用人のみんなが駆け寄ってきてくれた。
馬から降ろされた私に、ポピーは顔をくしゃくしゃにしてしがみつく。エルムも寄り添ってくれた。
「体は大丈夫かい?」
「怖かったでしょう?」
「お腹が空いただろう」
次々と降ってくる温かい声。
勝手に家出をした私を責める言葉は1つもなく、散々泣き腫らして枯れたはずの目から、再びポロポロと涙が溢れ出して止まらなくなった。
しばらく泣いてから、しがみついてくるポピーの背中を優しく撫でたあと、そっと体を離した。それから、抱えていたノスをエルムの頭に乗せる。
今から、一番大事なことを聞かなければならないからだ。
私は涙を拭い、顔を上げて皆を見回した。
少し震えそうになる声を必死に抑え込み、絞り出すように口を開いた。
「私……ここにいても、いいんですよね?」
その一言で、場の空気がスッと静まり返る。
宰相様のそばから離れるつもりはないが、使用人たちがどう思っているのかも知っておきたい。とくに、ウィンストンさんの気持ちが気になった。自然と目線がウィンストンさんのほうに向く。
私の視線に気づいたウィンストンさんは、ゴホンと咳払いをして歩み出る。私の目の前で立ち止まると、静かに、重々しく告げた。
「あなたが犠牲になると分かっていたのに、私は旦那様の命を優先してしまいました。あのとき、あなたを見殺しにしようとした私は、到底許されるべきではありません」
ウィンストンさんが私を真っ直ぐに見つめ、痛切な表情で深々と頭を下げる。
「……どうか、この愚かな執事に償いの機会をお与えくださいますか――お嬢様」
「……お嬢様?」
突然の言葉に、私は何度も目を瞬かせた。
私が戸惑っているのを見て、料理長が笑う。
「そりゃそうさ。旦那様の娘になるんだ、立派なお嬢様だよ」
使用人のみんなも、すでに私が宰相様との血縁者であることを知っているようだ。宰相様が馬で飛び出す前に、全員へ告げていったのだろう。だとしたら、私が『闇の魔女の孫』であることも、当然知っているはずである。
ウィンストンさんは頭を下げて謝ってくれたけれど、その事実を無理して受け入れようとしているのではないかと不安だった。だからこそ、直接聞かなければならない。
「……ウィンストンさん」
恐る恐る、彼の名を呼ぶ。
「私、『闇の魔女の孫』なんです。それでも……本当に大丈夫ですか?」
『闇の魔女』という言葉に、ウィンストンさんはピクリと反応する。一瞬だけ目を伏せ、その瞳に苦い影をよぎらせた。それから小さく息を吸い込むと、迷いを断ち切るように私を真っ直ぐ見つめ返す。
「17年もの月日が経つのに、思い出すといまだに恐怖感が拭えないのは事実です」
宰相様の毒を吸い終えたとき、ウィンストンさんの顔が真っ青だったのは、闇の力を見て、過去のことを思い出したからに違いない。
「しかし……過去の因縁に怯え、お嬢様を遠ざけ見捨てるような真似は、宰相家に仕える者として二度としないと、ここに誓いましょう」
その真摯な言葉に胸を打たれていると、不意にポピーが飛び込んできた。私にギュッとくっついてきて、膨れっ面で割って入ってくる。
「そうだよ! モルちゃんの看病したかったのに、父様、私を部屋に閉じ込めるんだから! モルちゃん全然危なくなんかないのに!」
「ええ、本当に。あなたの警戒のせいで『屋敷から追い出されたら』と、お嬢様はとても不安がっていたんですからね」
すかさずポピーママも加勢し、ウィンストンさんはたじたじになっている。さすがの宰相家の執事といえども可愛い娘と美人妻には敵わないよね。ウィンストンさんには悪いが、2人がどこまでも私の味方でいてくれることが、たまらなく嬉しい。
けれど、ウィンストンさんはすでに謝ってくれたのだし、責められるのもかわいそうだ。それに、冷静に考えてみると、これほど深い心の傷を17年も放置していた組織の体制にも問題があるような気がする。
「17年も前の恐怖を引きずってしまうのは、その後の『メンタルヘルスケア』が足りていなかったせいもありますよね。しっかり『アフターケア』をして心の傷を癒やしてあげていれば、ウィンストンさんだってもしかしたら、今とは違ったかも……あれ? だとしたら、雇用主である宰相様の責任になっちゃうのかな……?」
ウィンストンさんをフォローしようと思っていたのに、宰相様のせいになってしまうことに気づき、私はハッとして口を押さえた。
不敬罪で怒られるかもと慌てて周りを見渡すと、怒るどころか全員が「???」と頭の上にクエスチョンマークを浮かべてポカンとしていた。
ただ1人だけ。
後ろで腕を組んで黙っていた宰相様が、青い瞳を爛々と輝かせ、こちらへ大股で近づいてきた。あっという間に間合いを詰められると、ポピーから軽々と私を奪い、ひょいと抱き上げる。
「『メンタルヘルスケア』が足りなかったとは? 『アフターケア』とは? 心の傷を癒やす方法があるのか? ……まさか、闇の魔力による精神治癒の技術か? 詳しく聞かせてもらおう。ウィンストン、執務室に場を設けよ」
つい、前世でかじった心理学用語を、口走ってしまった。この世界に、精神医学やカウンセリングの概念はないのね。言葉が通じていない部分もあるようだ。
それにしても、こんなに目を輝かせる宰相様を初めて見る。
私が口走った概念を、さっそく仕事に活用するつもりなのだろう。仕事で何日も屋敷に帰ってこないこともざらだったし、宰相様は筋金入りの仕事人間なのだ。ただウィンストンさんを庇いたかっただけなのに、完全にスイッチを押してしまったようである。
だが、暴走気味な宰相様の前に、料理長とポピーママがバッと立ちはだかった。
「ダメですよ! お嬢様を休ませるのが先です。旦那様も、毒が抜けたばかりなんですよ!」
「そうですわ。それに体も綺麗にしないと、ボロボロではないですか!」
2人の言葉に、私は心の中で首がもげるほど同意した。
宰相様の期待に応えてあげたいのは山々だけれど、実はものすごく疲労困憊なのだ。それに森を彷徨ったせいで、全身泥だらけだ。推しに抱き上げられている状況は天にも昇る心地だが、セクシーな寝間着が汚れてしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいである。
「ふむ、確かにそうだな。休みを取ってからにしよう。詳しい話は明日だ」
そう言って、私を料理長に預ける。
「ウィンストン。養子縁組の書類の準備をしておけ。それからトマスに連絡し……」
息つく間もなく、次々と的確な仕事の指示を出し始める宰相様。
(いやいや、あなたも休むのよ!)
周りもそうツッコミたいのだろう。女性陣は揃って額に手を当て、長いため息を漏らしている。
ウィンストンさんも何か言いたげだが、諦めたように宰相様の指示を受けていた。




