第22話 代償
気づくと天井――というくだりは何回目だろう。
ミルディン様の口移しのあと、私は気を失ったらしい。目が覚めると、いつものベッドの上だった。
窓の外は暗い。
この地域は初夏だと夜の10時過ぎまで明るい。ということは、今はだいぶ深夜なのだろう。毒を吸い込んだのだから、何日も寝込むかと思ったが、意外と早く目が覚めたみたいだ。
ノスが私のお腹のあたりで丸くなって寝ている。ノスの重みのせいか、それとも単なる気だるさからくるものなのか、体は鉛のように重かった。
それでも、気分は思ったより悪くない。ゴロツキの魔力を吸い込んだときのほうが、よほど気分が悪かった。
飲ませ方はアレだったけど……おそらく薬がよく効いたのだろう。
「起きたかい?」
ふと頭上から声が降ってきて、私はそちらへ視線を向けた。
「まったく、無茶したね。旦那様の身代わりになるなんて……下手したら死んでたかもしれないんだ」
料理長はベッドの脇から私を見下ろし、呆れ果てたように吐息をこぼす。
「ごめんなさい」と口にしかけたとき、料理長はそれを遮るように私をそっと抱きしめた。
「……本当に、無事でよかった!」
「料理長ぉ……」
私から体を離した料理長の目には涙が浮かんでいる。きっと料理長は私が闇属性ってすでに知っちゃってるよね。それでも優しくしてくれることが嬉しくて涙が溢れてきた。
「あんたのおかげで、旦那様は助かったよ。あんたが毒を吸い取らなかったら、たとえ解毒剤で一命を取り留めたとしても、後遺症で魔力枯渇症になっていたに違いないからね」
「魔力枯渇症?」
料理長は私を安心させるように、額を優しく撫でる。けれど、心苦しげに顔を歪ませていた。
「何もしなくても勝手に魔力が減っていく症状さ。放っておけば、いずれ魔力が完全に空っぽになっちまう」
その言葉を聞いて、宰相様に後遺症が出なくて良かったと胸を撫で下ろす。
――もしかして。
宰相様がゲーム上で暗殺されたのは、この毒による魔力枯渇症のせいだったのではないだろうか。ふと、そんな考えが脳裏をよぎった。
ゲームのシナリオでは語られていなかっただけで、本来の歴史でもこの毒を盛られる事件は起きていたのかもしれない。
いくら凄腕の暗殺者でも宰相様があっけなくやられてしまうわけがないと思う。けれど、魔力枯渇症でうまく魔力が使えない状態だったとしたら……。
推測でしかないが、もしそうだったとすれば、毒を吸い取ったことは決して無駄ではなかったのだ。
「おお、目が覚めたかね」
ノックもなく扉が開かれ、ミルディン様が姿を見せた。
「……あ」
ミルディン様の顔を見た途端、口移しの生々しい感触がフラッシュバックする。
急に恥ずかしくなって両手で顔を覆った。
「どうした? モルガナ」
ミルディン様は口移しについて何とも思っていないようだ。そりゃそうか。向こうからすれば相手は子供だし、薬を飲ませるための緊急処置だったわけだし。
――でも。
「私の、初めての……っ」
私が赤面して口元を押さえると、料理長が声を上げて笑った。
「女の子だものね。こんな爺さんから口移しされれば、そりゃ泣きたくもなるか!」
いや、むしろ爺さんだったから良かったのであって……できれば宰相様が良かったけれど――いや待て、腐女子としては「される」より「見る」ほうが断然いいのであって……。
「口移しは宰相様にやってあげてくださぁい」
なんて恥ずかしさが空回りして、思わずそんなことを呟いてしまった。
「わしとて眠っているウォルに口づけしたいと、何度思ったことか……」
――ぐっ。
(そのまま口づけしちゃえばよかったのに!)
思わず妄想してしまい、ベッドの上でゴロゴロ転げ回って壁をバンバン叩きたい衝動に駆られる。「推しカプ」が尊すぎて再び気絶してしまいそうだ。
「子供の前で何を言ってるんですか! ミルディン様がそんなだから、この子が変な言葉も覚えてしまうんですよ!」
「変な言葉じゃと?」
もしかして「不倫」かな。ミルディン様から教わったわけではないので、バレる前にさっさと話題を変えねばならない。
というか、そんなことより今は一番大事なことがあるじゃないか!
「宰相様は? 助かったんですよね。体はもう大丈夫なんですか?」
毒に冒されていたのだから、体の負担はあったはずだ。
「まだ眠っておられるよ。過労もあったからね、この際ゆっくり休んでもらいたいところさ。……それより、あんたのほうが大変なんだよ」
「はい?」
だるさは残っているものの、気分は悪くない。
「魔力枯渇症だよ」
「え? 私が魔力枯渇症になっちゃったんですか? でも減ってる感じがしないですよ?」
ふと腕を見ると、魔力封じのブレスレットが外れたままになっている。グルグルを確認すると、減っている実感はない。むしろ動かずに留まっている感じだ。
どういうことだろうと私が首を傾げていると、視線の先にいたミルディン様が静かに口を開いた。
「今はわしの力で魔力の減少を抑え込んでおる。無理やり体内に留まらせておるだけで、循環しない魔力は淀むからのう。今は体が重いじゃろう」
なるほど、と納得する。
魔力って、血液やリンパ液みたいなものなのだろう。エコノミークラス症候群じゃないけれど、流れが滞ると体が重くなったり具合が悪くなったりするのと同じ理屈だ。
「ずっとそのままというわけにもいかんからのう。幸か不幸か、お主は吸収能力があるゆえ、失った魔力を補うことはできるが……」
「何から魔力を吸収すればいいんですか?」
ゴロツキみたいな苦い魔力はもうこりごりだ。
「人以外にも動物や魔物からも吸収できる。魔力は森の木々や流れる川など、自然のあらゆるものに含まれておるゆえ、そこから少しずつ分けてもらうのが、今の弱った体には一番負担が少ないはずじゃ」
吸収する対象が、人だけじゃなくてホッとした。人の魔力を吸って生きるだなんて、まるで吸血鬼のようだもの。ただでさえ闇属性は忌避されているのに、余計に嫌われてしまいそうだ。
でも、ファンタジーといえばMP回復ポーションってあったりするよね? それがあれば吸血鬼みたいな生活をしなくてもよいのでは?
「あの、魔力を回復するお薬みたいなものはないんですか?」
淡い期待を抱いて尋ねてみたが、料理長は残念そうに首を横に振った。
「それがあまり効かないから厄介なのさ。普通の回復薬だと効いてくる前に減ってしまうし、一日中飲み続けるわけにもいかないからね。底の抜けたバケツに水を注ぐようなもんなんだよ。高価なものなら多少効果はあるだろうけどね」
料理長が再び弱く首を振るところを見ると、相当高価で現実的ではないのだろう。
「そういうわけじゃ。吸収能力を使わねばならぬゆえ、魔力封じのブレスレットはもう不要じゃのう。ウォルの毒を1人で吸い尽くしてしまえるほどじゃ、魔力の制御もとうにできていると見てよかろう。しかし……」
ミルディン様は深いため息をつくと、ピンッと私にデコピンをしてきた。
「痛っ!」
「結局、力を使いおって!」
宰相様が魔力枯渇症にならずに済んだとはいえ、約束を破ったのだから仕方がない。
「ごめんなさい。ミルディン様を信用してなかったわけじゃないんです。ただ……宰相様があまりにも苦しそうだったから」
私が顔を伏せていると、ミルディン様はポンッと私の頭に手を乗せ、軽く撫でる。
「お主には感謝してもしきれぬ」
「ミルディン様?」
見上げたその顔は、今にも泣き出しそうに歪んでいた。いつも飄々としている彼のそんな表情を初めて見て、私はどう反応していいか戸惑ってしまう。
「自分の無力さを痛感したわい。お主にまで負担をかけて……何が魔塔主じゃ。今さら後悔しても仕方がないが、医術や薬学の知識も深めておけばよかったのう」
「ミルディン様がいなかったら、私たちは手も足も出なかったんですよ。それに、あなた様の存在は大変重要なんですから、そんなに卑下しないでください」
料理長がすかさずフォローを入れる。私もそれに大きく頷いた。
毒の進行を止めたり、魔力の減りを抑えたり……薬草の抽出時間の短縮だって、たぶんすごい魔法なのだろうし、魔塔主だからできたことだ。
「そうですよ! 薬が早く完成したのはミルディン様のおかげですし……薬で助かっても魔力減少を抑えてくれていなかったら、大変なことになっちゃったでしょう? ミルディン様は私の命の恩人ですよ!」
料理長と私の必死の励ましに、ミルディン様は困ったような、けれど嬉しそうな笑みをかすかに浮かべた。
「何かあったらすぐわしを呼ぶんじゃぞ? 力を制御できるようになったとはいえ、万が一に備えて、ノスは引き続きそばに置いておくからのう」
そう言って、私の額にチュッと口づけをする。
「ひゃあ!」
驚いて変な声が出た。
だからこういうのは私じゃなくて宰相様にすればいいのに! 私が見たいのに!
「また、ミルディン様。小さくても女の子なんだから、急にそんなことされたら気にするんですよ」
やれやれと肩をすくめる料理長と赤面する私に、ミルディン様はゆらりと背を向けた。それから「しかし……教会のやつらめ、やはり灰にすべきじゃろうか」とブツブツ言いながら、部屋を出て行く。
物騒なことが聞こえたが……今度は冗談じゃなくて本気でやってしまいそうで怖い。
そんなミルディン様を見送って料理長はふう、と息を吐く。
「幸い、魔力枯渇症の他には体に異常はないみたいだよ。とはいっても、無茶した体はしっかりと休めないとね。夜も遅いから、ゆっくりおやすみ」
ずれた掛け布団を肩まで優しくかけ直し、料理長も部屋から出て行った。




