第21話 毒②
刻々と時間が過ぎていく。
ポピーママとウィンストンさんは、苦しむ宰相様の額に浮かぶ汗を拭い、慌ただしく介抱にあたっている。ラルフさんは椅子に座って、腕組みをしながらひたすら時計を眺めていた。
シドニーさんには部屋から出るようにきつく言われたが、私は頑として動かなかった。部屋の隅に移動して、ノスをギュッと抱きしめたまま座り込み、様子を見守る。
シドニーさんは以前よりも私を警戒しているようで、逃がさないとばかりに私のすぐ斜め前に立ち、手は常に剣の柄に添えられていた。
それでも、宰相様が苦しげな呻き声を上げるたび、シドニーさんの肩がびくりと揺れ、ベッドへ視線を走らせる。彼女も不安なのだ。
ありがたいことに私の方はエルムが庇うように寄り添ってくれていて、不安で張り詰めそうになる心を少しだけ落ち着かせてくれる。
もうすぐ1時間経つというころ、痺れを切らしたラルフさんが様子を見てくると立ち上がった。
そんなラルフさんに向けて、ポピーママが首を振る。
「いえ、私が見てくるわ。私が行ったほうが早いもの」
足の悪いラルフさんは移動に少し時間がかかる。本人もそれを自覚しているのだろう。悔しそうに小さく頷くと、再び椅子に腰を下ろした。
ポピーママが部屋から出て行き、再び部屋が静まり返る。
聞こえるのは宰相様の苦しそうな荒い息遣いと、無情に時を刻む時計の音だけだ。
しばらくして、静けさを破ったのはエルムだった。
バウと小さく吠えて立ち上がる。ヨタヨタと宰相様のベッドのほうに向かい、そばに座り込んだ。
そして、私の方を見てから再びバウと吠える。
心臓が喉元まで跳ね上がった。
エルムに呼ばれているような気がして、時間が来たんだと感じた。
立ち上がり、宰相様のほうへと歩を進めようとする。
そのとき――。
「閣下に近づくな」
鋭い声と共に、シドニーさんの抜いた剣が私の喉元へと突きつけられた。
突きつけられた刃に息を呑み、私はピタリと動きを止める。
「おい、何してるんだ!」
ラルフさんが声を上げた。
ラルフさんは私が闇属性だとはまだ知らないようだ。だから、シドニーさんが私に剣を向ける理由も分からないのだろう。
「子供に剣を突きつけるなど、騎士としてあるまじき行為だぞ」
ラルフさんが私の前に立ち塞がり、シドニーさんの鋭い刃から私を庇ってくれた。
私がその隙に、宰相様のほうへ駆け寄ろうとすると……。
「おい、貴様!」
背後からシドニーさんの怒声が飛ぶ。シドニーさんが私を追おうとするが、ラルフさんが壁となってくれていた。
「先輩、そこをどいてください」
「子供に刃を向けるような奴の言葉に、耳を貸す気はない!」
ラルフさんがシドニーさんを止めてくれているうちに、毒を吸い取ってしまわなければならない。けれど、今度はウィンストンさんが私の前に立ちはだかった。
「ウィンストンさん、私……」
説得しようと口を開いたところで、ウィンストンさんは私を抱えて、そのまま宰相様のそばへと降ろしてくれる。ウィンストンさんも私を警戒しているとばかり思っていたので、物凄く驚いた。
「ウィンストン、正気か!? そいつは――!」
ウィンストンさんが私を宰相様のそばに連れて行ったことに驚いたのか、シドニーさんが悲鳴のような声を上げた。
ウィンストンさんはそれに臆することなく、シドニーさんを射抜くように見据えた。
「騒がないでいただきたい。もしこの子が旦那様に危害を加えるようなら、その時は私が責任を持ちます」
シドニーさんはギリッと唇を噛みしめ、それ以上踏み込んでくることはなかった。
ウィンストンさんは私の方に向き直ると、先ほどの冷酷なまでの気迫をすっと消し去り、すがるような切実な瞳で私を見つめる。
「何か方法があるのですね?」
私は頷く。
「では、お願いします。旦那様を救ってください」
ウィンストンさんが懇願するように言った。
救いたい。
だけど、死ぬかもしれないと思うと、手が震える。
私は抱いていたノスをそっと傍らに降ろすと、震える手で苦しむ宰相様の胸に手を当てた。
「お願いがあります。ウィンストンさん。私がもし死んじゃったら、宰相様には言わないでください。魔塔に行ったということにしてくれませんか? きっと、宰相様はご自身を責めてしまうと思うから」
「死ぬ」という言葉を聞いて、ウィンストンさんの顔色が変わった。そこまで命を懸けるつもりだとは思っていなかったのだろう。ハッとして私を宰相様から離そうと肩に手を伸ばす。けれど、宰相様の苦しげな呻き声を聞き――彼は苦渋の表情で、その手を止めた。
「分かりました。そうしましょう」
静かに言った。
死ぬかもしれないのに、「推し」のためにここまでやるなんて、どうかしてると自分でも思う。でも、私はまだこの世界に馴染みきれてなくて、どこか夢心地な気分だ。目が覚めたら実は夢だった、なんて思っているから、ここまでできるんだと思う。
私はブレスレットを恐る恐る外して、ゆっくり目を閉じた。
グルグルが現れる。
街で暴走した時の恐怖がよぎるが、今は何よりも宰相様を助けたい。
私は暴れないでと祈るように、グルグルに宰相様の毒を見つけるようにお願いしてみた。そうすると、グルグルが静かに動き出し、宰相様の中へ入っていくのを感じた。繋がった感覚を通して、私の意識も一緒に宰相様の奥深くへと沈んでいく。
宰相様の魔力だろうか、温かくて居心地がいい。
――あった。
黒くて、いかにも禍々しい感じの塊が見える。まるで泥のモンスターだ。そいつは魔法陣で縛られていて、動けないでいる。ミルディン様の抑制魔法が効いているのだ。それでも、そいつは暴れていて、飛び散った黒いものが宰相様を確実に蝕んでいた。
私はモンスターに覆いかぶさるように飛びつくと、自分の奥底へと力ずくで引きずり込む。モンスターが私の中に入り込んできているのが分かった。
「ぐっ」
モンスターはどんどん縮んでいく。縮むほどに、体が鉛のように重くなっていく。もうやめてしまおうかと思うほど、辛くなってきた。
(もう少し……)
意識が遠のきそうになるほどの怠さを必死に堪え、私は残りをすべて自分の中へと吸い込んでいった。
――終わった!
完全に吸収してしまうと、宰相様の乱れた呼吸は次第に落ち着き、やがて穏やかなものへと変わっていった。
意識を引き戻し、私は目を開ける。
宰相様の顔色は先ほどと比べると、だいぶ良くなっていた。
ああ、よかったと思っていると、私の中にあるグルグルが小さくなっていくのを感じた。
そういえば「魔力が一定量まで減った瞬間に発動する」って料理長が言ってたっけ。「魔力感知を鈍らせる」とも言っていたけど、私には魔力が減っていくのを感じるし、少しずつどころかぐんぐん減っていく。毒が私の中でどうなっているか分からないが、全身が重く、息をするのも億劫だ。
「いったいこれはどういうことだい?」
バタンと扉が開く音と共に、料理長の驚きの声が聞こえた。いつの間にか2人が戻ってきていたようだ。
「モルガナ、お主……」
ミルディン様と目が合う。安堵からか、ミルディン様の顔を見て力がふっと抜けた。
「ウィンストン、邪魔じゃ」
血相を変えたミルディン様が、ウィンストンさんを強引に押しのけて駆け寄ってくる。そのまま倒れ込みそうになった私を、力強く抱きとめてくれた。
薄れゆく視界の端で、ウィンストンさんはただ茫然と私たちを見ている。真っ青な顔で私より体調が悪そうに見えた。力を使ったときに、黒い影が出てきちゃったのかな。闇の力が怖かったに違いない。
「旦那様の毒が……抜けている? いったい……」
慌てて宰相様の脈を診た料理長が呆然と呟く。
「マーサ、解毒剤をモルガナに!」
「え? どうして……」
状況が呑み込めない料理長の声にかぶせるように、私のすぐ耳元で、ミルディン様の悲痛な叫びが響いた。
「いいから、早くせぬか!」
口の中に苦いものが流れ込み、うまく飲み込めずにいると、不意にミルディン様の顔が近づき、そっと唇が重なった。直接、苦味のある薬がゆっくりと口の中へと注ぎ込まれてくる。
――口移し!?
私が毒を吸い出さなかったら、ミルディン様と宰相様の口移しシーンが見られたかもしれない。そう思うと、毒を吸い取った自分の行動をちょっとだけ後悔した。




