第20話 毒①
ミルディン様とポピーママが部屋から出て、ノスと2人きり。ノスはベッドの上に突っ伏したまま、動かない。
「ノス?」
黒い毛玉を恐る恐る、人差し指でツンツンとしてみる。
「い、生きてる?」
さらにツンツンしていると「うぅうー」とうめき声が聞こえた。どうやら生きているようだ。
「どうしたの?」
突っつくのをやめて撫でてやると、やっと黄色い大きな目を見せた。しかしジトッと恨めしげな半眼で、どうも機嫌がよくない。
「ノス、モルガナとはぐれちゃッタ。モルガナから離れるなって言われてたノニ」
ミルディン様にそう命じられていたのだろう。とにかく、私からはぐれたことが相当悔しかったようである。気ままな猫かと思いきや、意外と忠義深い。
「仕方ないよ、人がいっぱいいたんだもん」
「クソガキに慰められて、悔しイ」
……優しくするのやめようかな。
私は撫でていた手を止め、再びツンツンする。
「今まではちゃんとそばにいてくれたじゃん。ノス、偉いよ?」
魔力封じのブレスレットのせいで、魔力を注げない私のためにトイレまで付き添って、代わりに魔導具へ魔力を注いでくれていたのだ。ノスには感謝してるんだけど、褒めたところでノスは喜んでくれないようだ。
「クソガキに褒められても嬉しくナーイ」
と言って、ごめん寝の状態ですっかり拗ねてしまっている。
「プリンまた作ってもらうからさ」
食べ物で釣ってみる。
プリンという言葉に耳がピクリと反応した。どうやら効果がありそうだ。
「プリンより美味しいお菓子知ってるんだよね。ふわふわで柔らかいパンケーキとか?」
ピク。
「冷たくて口の中で溶けるアイスクリームもいいかもね」
ピクピク。
「外はサクサク、中はクリームたっぷりの甘い甘いシュークリームとかどう?」
ガバッ。
ノスはようやく顔を上げた。
「しゅーくりーむってなんダ? 食わせロ」
目を輝かせている。どうやら機嫌を直してくれたらしい。
単純である。
「シュークリーム作りに行きたいけど……」
ウィンストンさんに警戒されている真っ最中だ。大人しくしていたほうがいいかもしれない。
彼との話し合いはどうなっただろう。
仮に説得が成功していたとしても、闇属性であることはバレてしまったし、街では魔力を暴走させてしまった。すでにいろいろとやらかしている状態だ。
(――これって、屋敷に居続けるの難しくない?)
私は頭を抱えた。
だからといって、魔塔へ行くのも無理だ。ミルディン様は優しくしてくれるだろうが、移動の自由がない。
襲われた街に行くのは怖いが、いっそ街に潜伏して宰相様を見守るのはどうだろう。
ゲーム開始まであと8年。宰相様の命を救うためには、『暗殺者×王子ルート』をなんとしても回避しなければならない。暗殺者と王子が結ばれるルートに進んでしまう可能性も、ゼロではないのだ。先手を打って暗殺ギルドを突き止め、なんとかするしかない。
しかし、お屋敷を抜け出したとして、子供の私が1人で街に出て暮らしていけるだろうか。
(――詰んでない?)
ほんとにどうやってゲームのモルガナは宰相様の養女になれたのだろうか。現在進行形で努力中だが、宰相様の養女になれるチャンスなんて、正直まったく見えない。
ゲームどおりにはならないのかもしれない。
私がモルガナに転生したことで、何か変わってしまった可能性もある。
どうやったら宰相様を守ることができるだろうと悩んでいると、下のほうからなんだか騒がしい音が聞こえてきた。
「なに?」
「何かあったみたいダヨ」
私はノスを抱きかかえ、下の階に向かった。
階段を下りた途端、料理長が走って目の前を通り過ぎた。慌ただしく宰相様の寝室のほうに向かっていく。
「早く旦那様をベッドに!」
「マーサ! 急いで!」
ウィンストンさんとポピーママの切羽詰まった声が響く。どう見てもただ事ではない。
緊張した面持ちで、寝室へ急ぐ。
開かれた扉から見えたのは、苦しそうに顔を歪ませる宰相様の姿。ぐったりとしたそのお体を、ラルフさんが抱えてベッドに運んでいるところだった。
どうして宰相様が苦しんでいるのか、私は大混乱だ。
「どうなっておるんじゃ? 毒か?」
パニックになっているのは、私だけじゃない。ミルディン様も含め、その場にいる皆が悲痛な顔で慌てふためいていた。
「毒の耐性はあるはずですが……毒の出どころは!? 旦那様が直前に口にしたものは何ですか!」
料理長が声を荒らげる。すると、寝室に繋がった執務室の扉からシドニーさんが現れた。走ってきたのか、息が荒い。
「恐らく教会で飲んだ紅茶が原因だ……しかし、飲んだのは2日前で……一緒に飲んだ高位神官はすでに事切れていた。毒見役は瀕死の状態だ。今は教会を急ぎ捜索している」
「遅効性の毒……」
料理長はしばらく考え込んだあと、弾かれたように顔を上げた。
「ミルディン様、旦那様の魔力を視てください」
「うむ」
ミルディン様はベッドの傍らへ歩み寄り片膝をつくと、苦しむ宰相様の手を取る。静かに目を閉じ、ややあって眉がぴくりと動いた。
「魔力が減っておる。いや……微量だが減り続けておる」
「やっぱり」と呟いた料理長は、血の気が引いているように見えた。
嫌な予感がする。
「魔力低下を引き金とする、潜伏型の遅効性の毒です。体内に入ってすぐには発症せず、対象の魔力をじわじわと奪い、魔力が一定量まで減った瞬間に発動します。しかも魔力感知を鈍らせるため、本人は魔力が減っていることに気づけません。非常に厄介な大陸産の毒ですよ、輸入禁止のはずですがね」
「教会のやつらめ、追い詰められたからと、己の命と引き換えに道連れを狙うとは……狂っているとしか思えん」
シドニーさんが唇を噛みしめ、悔しそうに壁を叩く。
そういえば、教会は孤児を海を越えた大陸へと売り捌こうとしていた。そのルートで毒も手に入れたに違いない。
「わしには魔力の減少を抑え、毒の進行を遅らせることしかできぬ。解毒剤はあるのか、マーサ」
ミルディン様の問いに、料理長は苦しげに顔を歪めた。
「解毒剤はありませんが、作ることは可能です。しかし……薬草の抽出には、急いだとしても3時間かかります。ミルディン様が毒の進行を遅らせたとしても……もって1時間――」
その絶望的な宣告に、部屋中がどよめいた。
「抽出工程を圧縮すればよかろう。わしが手伝う」
「でしたら、1時間。厳しい時間ですが……可能かと」
苦渋に満ちた料理長の表情から、それが本当にギリギリの綱渡りなのだと伝わってきた。
魔法で治せるなら、ミルディン様がとっくに治しているはずだ。
私の吸収能力はどうなのだろう。毒を吸い込むことはできるだろうか。こっそりノスに確かめてみると「できるヨ」と軽い返事が返ってきて、拍子抜けした。
「できるの?」
「うん、でも死ぬかもネ」
「かも……だよね」
冷や汗が出る。自分が死ぬのは怖いけれど、宰相様が死んでしまうことのほうがもっと嫌だ。ゲームとは違う展開だけど、ここで宰相様が死なないとは限らない。それに宰相様が苦しむ姿を見たくない。私は宰相様を救うために転生したに違いないのだ。
私が決意を固めて前に出ると、抱きかかえていたノスが胸元をよじ登るようにしてしがみつき、必死になって言った。
「死ぬとノス困るヨ」
「ノス……でも私……」
ノスに止められ、決意が揺らいでしまう。
――と、思ったのだが。
「だって、しゅーくりーむまだ食べてナイ」
「……」
こんな状況で、この子は……。
そんなやり取りをしていると、私に気が付いたミルディン様がすぐにやってきて、声を潜めて言った。
「力を使ってはいかんぞ。いいかね、わしを信じて待ちなさい。必ず間に合わせる……」
それからミルディン様は宰相様の傍らに戻り、胸元に手をかざして淡く光る魔法陣を刻み込んだ。あれが、魔力の減少と毒の進行を遅らせるための術なのだろう。
それを終えるや否や、ミルディン様は料理長と一緒に慌ただしく部屋を飛び出していった。
「どうするノ?」
ノスの問いに、私はすぐに答えられなかった。
「信じなさい」という言葉を裏切るわけにもいかない。しかし、苦しんでいる宰相様を放っておくこともできない。
マントルピースに置かれた時計に目をやる。
――1時間。
カチ、カチと無情に響く秒針の音が、やけに大きく聞こえた。
「ミルディン様を待って、間に合いそうもなかったらやってみる」
込み上げる恐怖に、ノスを抱きしめる腕にぎゅっと力が入る。どうか間に合ってほしいと願いながら、私はその場で立ち尽くすことしかできなかった。




