第9話 準備
料理長からウィンストンさんに話が伝わったらしく、ウィンストンさんから「旦那様は日中お忙しくお茶の時間も取れないので、いっそ夕食を共にされてはいかがですか?」という提案があった。
確かに名案ではあるけれど……何が何でも宰相様のお部屋には入れたくないという、鉄の意志を感じる。推し活の一環で、執務室という聖地に足を踏み入れてみたかったけれど、よく考えればただの居候の私が、重要機密だらけであろう部屋に入れるわけがないのだ。
とりあえず、差し入れ大作戦のつもりが、大きな収穫! プリンを頬張るどころか、夕食を召し上がるお姿まで拝めるなんて……。ウィンストンさんナイス提案である。
今日は宰相様の帰りが遅いそうなので、夕食をご一緒するのは明日になった。激務の宰相様がわざわざ時間を取ってくれるなんて驚きだが、きっとウィンストンさんが何とかしてくれたのだろう。
有能すぎる執事様に感謝をしつつ、「推し」とのディナーが楽しみすぎて今夜は眠れそうもない。
* * *
ルンルン気分で迎えた翌日。
案の定、興奮してちょっぴり寝不足気味である。幸い、体調のほうは問題ない。油断をしたらすぐ熱が出るのだ。今日は大事なディナーなのだから、熱を出している場合ではない。
そう気合を入れていると、扉がノックされ、入ってきたのはポピーと知らない女の人だった。
年齢は30代半ばくらいだろうか。ポピーと同じオレンジ色の髪は、茶色のリボンできっちりと後ろに束ねられている。おっとりとした空気を纏いながらも、どこか気品が漂う綺麗な女性だ。
「おはよー、モルちゃん。ノス」
ポピーが挨拶とともに、私に抱きついてくるのはすっかり日常になっていた。
「あらあら、ポピーちゃんはお嬢さんとすっかり仲良しさんなのね」
「だって、私、妹がずっと欲しかったし、モルちゃん可愛いんだもの」
今までの過剰なスキンシップは接してくれていた結果だったようだ。しかし、こんな悪役面の私より、ポピーにはちゃんとした妹がいてほしいものである。
「でも私なんかじゃなくて、いつか本物の可愛い妹ができるといいね」
「うん!」
私の頬に頬ずりしてくるポピーをニコニコと見ていた女性は「あら、まあ……そう……」と急に顔を赤くした。
(おや、もしかしてこの人……ポピーのお母さんかな?)
ということは、ウィンストンさんの奥さんだ。渋オジ様と美人さんの年の差カップルも善きである。照れている姿が、とても可愛らしい。
(ウィンストンさんも隅に置けないね。うんうん、妹も夢じゃないんじゃない?)
なんてニヤニヤしてたら、ノスの冷たい視線を感じた。別に何も言ってこないけど、半眼でこちらを見ている。
(ノスってよこしまな気持ちを察する能力でもあるわけ?)
渋オジが絡むと、いろいろ妄想がはかどっちゃうのは、オタクなのだから仕方ない。
私がノスと無言の攻防を繰り広げていると、調子を取り戻したらしいポピーママが、持ってきた服を私にあてがい始めた。
「この茶色の服はあまり似合わないわねえ」
「こっちの赤色のほうが似合うよ、母様」
ポピーも別の服を手に取り、私にあてがう。
「あら、紺色もいいんじゃないかしら」
すっかり蚊帳の外に置かれた私が戸惑っていると、ポピーがニコッと笑いかけてきた。
「モルちゃん、父様から聞いたよ。今日、旦那様とお夕食なんでしょ? 私のお古なんだけど、着てみて」
なんと、推しとのディナー用のコーデを考えてくれていたらしい。私は感激のあまり「ありがとう!」とポピーの首にガバッと抱きついた。
「はぅ! モルちゃんから抱きしめてくれるだなんて! はぁあ、嬉しい!」
ギュッと抱きしめ返され、ちょっと息が荒くなっているポピーに身の危険を感じる。身をよじって逃げ出そうとしてみるけど、ポピーの腕はびくともしない。この子、どんどん変態じみてきてるけど大丈夫だろうか。
「こらこらポピーちゃん、お嬢さんが苦しがっているわよ」
見かねたポピーママが苦笑いで引き剥がしてくれて、どうにか私は生還を果たした。
そうして気を取り直して再開されたファッションショー。
服は、ポピー親子が悩みに悩んだ末にようやく決まった。上は襟元に赤いリボンのついたブラウス、下は赤いスカートと黒いタイツで、悪役面の私にはもったいないくらい愛らしい出で立ちだ。
「さあ、次は髪を整えましょう」
ポピーママが散髪の準備を始める。
「モルちゃん、改めて見るとすごく長いよね」
そう言って、ポピーは私の長い髪の毛を手に取った。
髪は後ろだけでなく、もはやどこが前髪かもわからないほど全体が伸びきっていて、毛先は足元に届きそうだ。さぞ切りがいがあるだろう。
でも、長い髪のおかげで牢屋では寒さをしのぐことができたので、あまり切りたくない。この髪はいわば命の恩人なのだ。
何気なくそう伝えると、2人は今にも泣きそうな表情になって私を見つめた。
「ほら、髪伸ばすの大変だし? 切るのも、もったいないなって」
悲しませるつもりはなかったので、慌てて笑顔で伝える。ポピーママは私の髪を優しくなでながら、困ったように眉を下げて、ふわりと微笑み返してくれた。
「黒髪は珍しいし、こんなに綺麗な髪を切るのは、確かにもったいないけれど……」
珍しい? そう言われると黒髪の人を見てない気がする。いや、宰相様の前髪って黒だよね。ほとんどシルバーグレーだけど、ほんの少し黒が混じっているし、元は黒髪だったのかもしれない。
気になってそう尋ねてみると、ポピーママが頷いた。
「実際、旦那様も元は綺麗な黒髪だったらしいわ。この国じゃ黒髪は珍しいの。街で見かける黒髪の人たちはほとんど他国の人なのよ。旦那様が隣国のご出身であるように、あなたもどこか別の国にルーツがあるのかもしれないわね」
(――隣国出身!?)
ゲームにはそんな情報ひと言も出てこなかった。他国の出身で宰相の座に就くなんて、優秀すぎる。どうやってその地位まで上り詰めたのだろうか。
(め、めちゃくちゃ気になる、詳細を……!)
そう口を開きかけた瞬間、「でも、長すぎるから切っちゃいましょうね」とポピーママがハサミを入れかけたので、それどころじゃなくなってしまった。
宰相様とお揃いの黒髪だと分かったわけだし、ますます切りたくなくなってきたところだ。
私に甘いポピーに「切りたくないな」と訴えかけたが「もっと、可愛くなるから」となだめられる始末だ。
侃々諤々の協議の末、後ろは膝くらいまでにとどめてもらい、前髪だけ切ってもらった。
宰相様の出身については、いつか本人からじっくり聞き出さねばならない。
そんなこんなで、身支度だけであっという間に夕食の時間に近づく。
「猫みたいダナ」
猫に猫みたいと言われるとは……。
髪型をポピーにお任せしたら、頭のてっぺんにはお団子が2つ。まるで猫耳のようになった。
「私の猫ちゃん……っ」
ポピーは私に抱きついて、頬ずりをしている。
(スーハーしてるし、もう完全に変態なのよポピーちゃん)
そんなポピーを、ポピーママは穏やかに眺めているし、この家族にとって過剰なスキンシップは日常茶飯事なのだろうか……まさか、ウィンストンさんも……。
大変変態な妄想になりかけたところで、コンコンと扉がノックされ我に返る。
扉が開いて入ってきたのはウィンストンさんだった。どうやら、夕食のお迎えに来てくれたようだ。ウィンストンさんは私に引っ付いているポピーを見て、ピクリと反応する。隙のない執事と思いきや、この状況はさすがに動揺したようである。
「……ポピー」
ウィンストンさんは数秒フリーズしたのち、笑顔でポピーに声をかけた。
「お客様をあまり困らせてはいけませんよ」
ポピーはムッと頬を膨らませて、ウィンストンさんを睨みつけた。
喧嘩になったら大変だと思い、私は慌てて声を上げる。
「私はぜんぜん困ってないので! 私を妹のように慕ってくれて嬉しいくらいで……!」
ウィンストンさんに向けて言ったつもりだったが、反応したのはポピーママだった。
「そうね、妹よねぇ」
ポピーママが吐息交じりに、ゆっくりと呟いた。
そのひと言に、ウィンストンさんからスッと笑顔が消える。
私は目玉だけをギョロギョロと動かして夫婦の顔を交互に窺った。
(え? 何この空気は……)
ポピーママは頬を赤らめてウィンストンさんに顔を向けるが、ウィンストンさんはさりげなく視線を逸らし、コホンッとわざとらしく咳払いをした。
「さあ、旦那様がお待ちですので、参りましょうか」
深くは問うまい……。
私はノスを頭に乗せ、推しが待つ1階の食堂に向かった。




